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45.後悔

「……はあ」


 ため息をつきながら、宿屋の寝台の上をゴロゴロと転がった。

 天井をじっと眺めて、もの思いにふける。


 あれから、日が暮れる前にディーンと二人で図書館を出た。

 セオさんは私たちが帰る頃にもまだ本にかじりついていて、別れの挨拶をしても無言で頷くだけだった。すさまじい集中力である。


 ローガンさんが合流してくる前に出たので、夕食は二人きりで取ることができた。図書館でのディーンの様子が気になって、私は全然食欲がなかったけど。


(やっぱり、聞いてみようかな……)


 胸の中に芽生えた、この小さな不安を。


 ディーンが答えてくれるかはわからない。

 それでも、聞くだけ聞いてみよう。私とディーンの間には、それぐらいの信頼関係はあるはずだ。


「──よしっ」


 気合いを入れて起き上がると同時に、部屋の扉がノックされた。

 ドアに近付くと「俺だ」という声がしたので、慌てて鍵を開ける。


「あまり食べていなかったが、具合でも悪いのか?」


 気遣わしげに聞く男を、無言で部屋の中に引っ張りこんだ。

 寝台の上に靴を脱いで正座すると、ぽんぽんと横を叩いて座るよううながす。ディーンは目をぱちくりさせてこちらを見た。


「……変わった格好だな?」


「これは改まった時にする、日本の伝統的な姿勢なの。ディーンは普通に座っていいから、はい」


 戸惑いながらも、ディーンは言われるがまま寝台に腰かける。

 落ち着いたところで、私は重々しく切り出した。


「もしかして、なんだけど。……ディーンって、隠し子がいたりする?」


 ディーンの目が驚愕に見開かれた。


 ……やっぱり!!


 勢いこんで、さらに厳しく追及しようとする。が、その前にディーンが後ろに倒れ込んでしまった。仰向けに寝台に寝っ転がり、腕で顔を隠している。


 それから微動だにしない男を、力の限り揺さぶった。誤魔化されてなるものか。


「ちょっと、ディーン! ねえってば!」


「…………」


 返事がない。ただの屍のようだ。


「図書館で、悲しそうに子どもたちの姿を見てたでしょ? もしかして……離れて暮らす、自分の子どものことを思い出した……とか?」


 私の言葉に反応して、ピクリと身じろぎする。

 やっぱり、図星なんだ!!


 ディーンは突然身体を起こすと、がしぃっ!とものすごい力で私の両肩をつかんだ。その目は完全に据わっている。えっ、なに!?


「……ユキ。お前は……」


 地を這うような低い声で、うめくように言う。


「お前はっ! 一体どんな勘違いをしているんだーーーっ!!!」


 だーーっ。

 だーっ。

 だー。


 ──夜更け。

 ディーンの怒声が宿屋中に轟き渡った。



 ◇



「何時だと思ってるんだい! 痴話喧嘩ならよそでやっとくれよ!」


「すみません! 本当にすみませんでした!」


 ぷりぷりする宿屋の女将さんに必死で頭を下げる。

 痴話喧嘩じゃありません、なんて事はもちろん言えない。


 やっと出て行ってくれた女将さんにほっと安堵して、恐る恐る後ろを振り返った。

 ディーンはこちらに背を向けて、寝台に横になっている。幻覚だろうか、背中からドス黒い何かが出ている気がする。


 それ私の寝台なんですけど、なんて事ももちろん言えない。


「あのぉ……ディーンさん……?」


 つんつんとつついてみる。反応がない。

 ムンクさんを顔の側に置いてみる。やはり反応がない。


「…………」


 怒ってるよ~。

 これ以上どうすればいいんだよ~。


 途方に暮れていると、ディーンがもぞもぞと寝返りを打った。やっとこちらを向いてくれたので、ほっとする。

 しばらくじっと宙を睨んでいたが、ぽつりと口を開いた。


「──妹のことを、思い出していたんだ」


「……妹、さん?」


 目を瞬いた。

 寝台にそっと腰かけて、寝っ転がったままむっつりとしゃべるディーンをただ見つめる。


「父親と、後妻との間に生まれた子で──年も離れていたから、そう親しくしていたわけじゃない。俺はすでに家を出ていたしな。せいぜい、たまに帰って土産に菓子をやる程度だ」


「……それって、結構いいお兄ちゃんだと思うけど」


 ディーンが小さな女の子にお菓子をあげる光景を想像して、思わず頬を緩めた。


「だといいんだかな。今更どうしようもないのは、よくわかっているんだが……いまだに、悔やまれてならない。家の中の事故で転んで、打ち所が悪くて……あいつは、呆気なく死んでしまったから」


 私はひゅっと息を呑み、蒼白になった。

 ディーンはむくりと起き上がると、私の頭を撫でながら自嘲するように笑う。


「まだ五歳だったんだ。俺が居たとしても、結果が変わったわけじゃないかもしれんが……。一緒に暮らしていればよかったと……。小さな子どもを見ると、どうしても思い出してしまう」


 衝動に突き動かされて。頭を撫でるディーンの手をぱしっとつかんだ。そのまま両手でぎゅっと握り締める。

 伝えるべき言葉を探して、私は声を震わせた。


「ディーンの、せいじゃない。ディーンは優しいから、自分を責めちゃうんだろうけど。……絶対に、違うんだからっ……!」


 我慢しきれず、ぼろっと涙があふれた。


 ダガルさんが亡くなった時。ルカさんがミナさんの話をしてくれた時。

 自分の経験があったからこそ──ディーンはあんなにも親身になってくれたのだ。そんな優しい人が、自身を責めるようなことを言うのが辛かった。


「私は、ディーンにたくさん助けてもらったよ。ディーンがいてくれたから、今日まで歩いてこられたの。だからっ……」


「……ユキ……」


 ディーンの瞳が揺れる。

 握り締めていた手をそっとはずされて、そのままきつく抱き締められた。──息が止まりそうになる。

 私も力いっぱいディーンにしがみついた。


「……だから、お願いだから……自分のことを責めたりしないで……っ」


 ささやくように思いを伝えると、ディーンが小さく頷く気配がした。


 そのまましばらく抱き合って──私の涙が止まった頃に、ようやく腕を緩めてくれた。今ごろ照れくさくなってきて、まともにディーンの顔が見られない。


「その……辛いこと聞いちゃってゴメンね?」


 顔を赤くして謝ると、ディーンは突然体を固くした。

 ばりっと私を離すと、険しい顔で私を正面から見つめる。


「お前が謝るのは、そこじゃないだろう」


 ……へ?


「えぇと……ならどこを謝れと」


「──隠し子だ! 隠し子!」


 怒鳴りつけられ、ひゃっと首をすくめる。

 ひいぃっ忘れてたー!


「いいか? 俺は結婚してないし、子どももいない。わかったな?」


 鬼気迫るディーンの形相におののきながら、コクコクと頷いた。


「よし。なら、復唱してくれ」


 えっ、そこまで!?


 ぎょっとするが、逆らえる雰囲気では全くない。

 あふれ出す怒りのオーラが怖すぎる。


「ディーンは、結婚してません。子どももいません」


 手を挙げてきちきちと繰り返すと、ディーンはやっと満足そうに頷いた。そして再び寝台に倒れ込む。


「疲れた。寝る」


 ……待て、そこは私の寝台だ!

 寝るなら自分の部屋に戻りなさーい!!

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