第71話 囚人ダンジョンと、見逃した一匹
七階層を突破してから数日後のミーティングは、いつもより空気が重かった。
理由は単純だ。
相良が、最初から笑っていなかった。
いや、正確には笑ってはいる。
だが仕事用の笑顔じゃない。
笑顔の形をしているだけで、中身が完全に緊急案件の時の顔だ。
クランのミーティングルームに入った瞬間、俺は小さく息を吐いた。
「今度はどこだよ」
最近、もうこの入り方が定型になってきている気がする。
そして嫌なことに、だいたい当たる。
相良は端末を操作しながら言った。
「インドです」
優奈が「インド……」と小さく繰り返す。
その声は、興味と警戒が半分ずつ混ざったような声だった。
相良はすぐに本題へ入った。
「今回は、特級魔法使いの救出案件です」
そこで部屋の空気が一段冷えた。
救出。
それはつまり、すでに失敗が起きているということだ。
「どういうことですか?」
優奈が真面目な顔で聞く。
相良は資料を映した。
画面に出たのは、インドの新規出現ダンジョンに関する短い報告書と、現地政府の緊急要請文だった。
「インドの特級魔法使いが、ダンジョンに囚われたようです」
相良が淡々と言う。
「現地では“囚人ダンジョン”と呼ばれ始めています」
俺は眉を寄せた。
「……囚人ダンジョン?」
「監獄型のダンジョンです」
相良は頷く。
「ある条件を満たすと、侵入者が“囚人”として拘束される」
優奈の表情が引きつる。
「拘束……って、閉じ込められるってことですか?」
「はい」
相良は短く答えた。
「しかも、一定時間助けてもらえないと、ダンジョンの魔物へ変化する可能性が高いと見られています」
優奈が露骨に嫌そうな顔をした。
「えっ、嫌すぎませんか」
「嫌すぎる」
俺も即答した。
「しかも“可能性が高い”ってことは、まだ確定情報じゃないんだろ」
「はい。ですが、現地で拘束された探索者の例が少なく、現在救出できているサンプルがありません」
相良が答える。
「つまり、時間切れ後にどうなるかは、まだ完全には確認されていない。ただ、極めて危険と判断されています」
それはそうだろう。
囚われる。
助けられない。
そして魔物化の可能性。
そこまで揃っていれば、確定情報でなくても危険扱いするしかない。
俺は腕を組んだ。
「で、その“ある条件”は何だ」
相良は一度だけこちらを見てから、資料の該当箇所を拡大した。
「このダンジョンは、フロアに侵入してから一定時間内に“視界に入った全ての魔物”を倒しきらなければならない」
優奈が目を丸くする。
「視界に入った、全て……?」
「そうです」
相良は説明を続けた。
「一度でも本人、もしくは同行者の視界に入った魔物が対象になる。逆に、見えていない隠れ個体はその時点では対象外。ですが、見えたものを残した時点でアウトです」
俺は小さく舌打ちしそうになった。
嫌なルールだ。
理不尽ではない。
だが悪質だ。
見えた敵を全部処理しろ。
逃がすな。
取り逃がした時点で“無能”認定。
初見殺しとしてはかなり出来がいい。
出来がいいせいで、性格が悪い。
相良は続ける。
「インドの特級魔法使いは、“逃げる雑魚など眼中にない”という判断で、ボス級だけを瞬殺して先へ進もうとしたようです」
優奈が「うわ」と小さく漏らした。
「でも、それって……」
「ああ」
俺は頷いた。
「雑魚を見逃した」
「はい」
相良が短く答える。
「記録映像によると、ネズミに近い小型魔物が一体、フロアの隅へ逃げています」
画面に映像が出る。
荒い。
手ブレもある。
だが十分だった。
派手な魔法で大きな敵が吹き飛ぶ。
その影で、小さな影が壁際を走っていく。
灰色の、小さなネズミのような魔物。
そしてその後――。
床から黒い鎖が噴き出す。
何本も。
何本も。
獲物を逃がさない檻みたいに。
映像の向こうで、男の声が初めて狼狽した。
だが遅い。
鎖が四肢に絡みつき、そのまま床へ引きずり込む。
まるで床そのものが口を開けたみたいに、特級魔法使いの体は黒い闇へ沈んでいった。
映像がそこで切れる。
優奈がしばらく黙っていた。
その後で、ぽつりと言った。
「……告発者、みたいですね」
「そうだな」
俺は短く言う。
「見逃した一匹が、システムを起動する」
相良が頷く。
「現地でもそう呼ばれています。“告発者”」
「全滅させられなかった侵入者を、ダンジョン側が“失格”と判定して拘束する。それがこの監獄ギミックの本質だと考えられています」
俺は資料の残りをめくった。
「で、猶予時間は」
「二十四時間です」
相良が即答した。
「拘束から二十四時間以内に救出できなければ、魔物化する可能性が極めて高い」
優奈が息を呑んだ。
「あと、どれくらいなんですか」
「現地時間換算で、残り十六時間を切っています」
部屋が静かになった。
十六時間。
長いようで短い。
国をまたぐ。
情報も少ない。
しかも初見殺し前提の監獄ダンジョン。
優奈が小さく聞いた。
「その特級魔法って、何なんですか」
相良は次の資料を出した。
「《魔力超回復》」
「一瞬で魔力が完全回復する特級です」
優奈が思わず身を乗り出す。
「えっ、それ、めちゃくちゃ強くないですか⁉」
「強い」
俺も認める。
「ただし欠点があるな?」
相良が頷いた。
「元の魔力量が、凡人以下です」
優奈が「え」と間の抜けた声を出した。
「つまり」
俺は整理するように言う。
「一瞬で全回復できる。でも、回復する“最大値”が低い。だから超大技は撃てない」
「はい」
相良が答える。
「高コスト魔法を連打するタイプではなく、低〜中コストの魔法を永久機関のように回すタイプと考えた方が近いでしょう」
なるほど。
たしかにチートだ。
魔法使い放題みたいなものだ。
だが、だからこそ慢心しやすい。
雑魚を無視して強敵だけ落とす。
強い敵だけが“戦う価値のある相手”だと思っていたら、このダンジョンみたいなルール型に足元を掬われる。
「インドのダンジョンは、ルクセンブルクと同じで十年前には存在していません」
相良が続ける。
「本格出現は一年前。だからデータも少なく、初見殺しへの耐性が弱い」
優奈が小さく言った。
「強くても、負けるんですね……」
「ルールを間違えればな」
俺は答えた。
「ダンジョンはそういう場所だ」
それから、少しだけ考えて言う。
「で、呼ばれた理由は分かる」
優奈がこっちを見る。
「ユウマくん向き、ですか」
「ああ」
今回必要なのは、火力だけじゃない。
見えた敵を全部殺す順番。
逃がさない運用。
監獄までの最短救出ルート。
そして拘束条件の読み。
典型的な“ルール解読型”だ。
問題は、もう一つあった。
優奈が真面目な顔で言う。
「私、行った方がいいですか?」
その問いに、俺は即答しなかった。
優奈が弱いわけじゃない。
むしろ今の優奈はかなり強い。
だが、今回の条件は優奈の得意と少し噛み合わない。
見えた敵を全部、時間内に、取り逃がさず、広範囲で処理する。
優奈は単体処理速度が高い。
だが“殲滅”に全振りしたタイプじゃない。
必要なのは別だ。
「今回は優奈向きじゃない」
俺はようやく言った。
優奈は少しだけ目を伏せたが、すぐに顔を上げた。
「殲滅向きじゃないから、ですか」
「そうだ」
俺は頷く。
「必要なのは“単独最強”じゃない。“見えた敵を全部消せる火力”だ」
優奈は数秒黙っていた。
それから、しっかり頷いた。
「……わかりました」
その返事に無理な明るさはなかった。
でも、拗ねてもいない。
そこが今の優奈の強さだ。
「じゃあ、巫女服の人ですか」
優奈が言う。
俺は一度だけ目を閉じた。
そうなる。
そうなるだろうなとは、最初から思っていた。
巫女服少女――いや、今さらそう呼ぶのも妙な気がするが、結局一番通りがいいのがそれなので、俺の中ではまだそのままだ――に連絡を入れると、返事は驚くほど早かった。
『インド?』
端末の向こうから聞こえた声は、相変わらず妙に軽い。
『面白そうじゃん』
「面白くはない」
俺は即答した。
「救出案件だ。失敗したら魔物化する」
『へえ』
一拍。
『それ、私向きってこと?』
勘がいい。
「見えた敵を全部消す火力が要る」
俺は言った。
「優奈向きじゃない。お前の方が向いてる」
端末の向こうで、少しだけ笑う気配がした。
『素直に頼るようになったね』
「うるさい」
『いいよ。行く』
返事が早い。
『場所と時間だけ送って』
通話が切れたあと、優奈がこっちを見ていた。
「来ますか?」
「ああ」
俺は答えた。
「来る」
優奈は少しだけ複雑そうな顔をした。
だが、その複雑さは嫉妬とかそういうものじゃない。
役割の違いを理解した上で、それでも少し羨ましい、みたいな顔だった。
「気にするな」
俺は言った。
「今回はたまたま噛み合わなかっただけだ」
「はい」
優奈は頷いた。
「わかってます」
その返事で十分だった。
出発は早かった。
インド側が用意した移動手段は、政府案件らしく無駄がなかった。
ただし、国際案件らしく面倒でもあった。
現地へ着いた時には、夜だった。
空気は重い。
熱気というほどではないが、日本ともルクセンブルクとも違う“密度”がある。
空港ではなく、政府関係施設の奥へ直接通される。
そこで待っていたのは、疲れ切った顔をしたインド側の担当者たちだった。
「時間がありません」
通訳越しの第一声が、それだった。
そりゃそうだ。
残り十六時間を切っているのだから、礼儀より先に出る言葉がそれになるのも当然だ。
俺は無駄話を省いた。
「拘束された位置は」
「第二層の監獄区画と見られています」
担当者が答える。
「ただし直接確認はできていません」
「監獄区画へ行く条件は」
「不明」
「拘束後に外部から開ける手段は」
「不明」
「……だろうな」
分かっていたが、ひどい。
初見殺しで閉じ込めて、そこから先の救出方法も分からない。
典型的な“情報が足りないからこそ危ない”案件だ。
巫女服少女は、その横でまるで緊張感のない顔をしていた。
「ねえユウマ」
「何だ」
「つまり最初から、見えたやつ全部焼けばいいってこと?」
「雑に言えばそうだ」
「じゃあ簡単じゃん」
簡単ではない。
ないが、その雑さで言えるだけの火力がこいつにはある。
そこが一番腹立たしい。
インド側の担当者が困惑した顔でこちらを見ていたので、俺は短く説明した。
「こいつが殲滅担当だ」
「俺がルートとルールを読む」
「それで行く」
担当者は少し迷ったようだったが、もう時間がない。
最終的には頷くしかなかった。
「……お願いします」
その言葉で、ようやく本当に案件が始まった気がした。
監獄ダンジョン。
見えた敵を全部殺さないと、黒い鎖に引きずられる。
しかも時間切れなら魔物化。
巫女服少女は平然としている。
俺は平然としていない。
たぶん、この組み合わせはいつもそうだ。
ダンジョン入口を前にして、俺は小さく息を吐いた。
「絶対に雑魚を一匹も見逃すな」
俺が言うと、巫女服少女はにやっと笑う。
「言われなくても」
「あと、勝手に先行するな」
「それは考えとく」
「考えるな、守れ」
「はいはい」
その軽さが怖い。
だが今は、こいつの火力が必要だ。
俺たちはゲートの前に立った。
暗くはない。
だが、気味が悪い。
監獄ダンジョンという呼び名が先にあるせいかもしれない。
それでも入るしかない。
残り時間は、刻一刻と減っている。
「行くぞ」
俺が言う。
巫女服少女は、まるで散歩にでも行くみたいに軽く頷いた。
「了解、軍師」
そうして俺たちは、インドの囚人ダンジョンへ足を踏み入れた。
(つづく)




