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第148話 朝鮮半島のハイパーヘルモード

主人公がその違和感を口にしたのは、かなり今さらだった。


 今さらではあるのだが、だからといって、今さら気にしなくていい内容でもなかった。


 クラン本部の会議室。

 相良は資料を広げ、主人公はその向かいに座っている。

 少し前までなら、ここへ呼ばれるたびに海外の特級魔法だの、吸血鬼だの、リスポーンだの、ろくでもない単語が飛び交っていた。

 それに比べれば、今回の主人公の口火はずっと地味だ。


 だが、地味な違和感というのは、時々いちばん根っこに刺さっている。


「相良さん」


「何だ」


「前から気になってたんですけど」


 相良が視線だけ上げる。

 主人公は机の端を指で軽く叩きながら言った。


「ダンジョン学園って、日本の上位クランから“全体のレベル上げ”のために人が募集されてるって聞いてたんですよ」


「聞いてたな」


「だから俺も入る理由の一つにした」

 主人公は言う。

「上位クランの連中が普通にいるなら、見てるだけでも参考になるし、下手すれば戦い方も盗めると思って」


「で?」


「実際入ってみると、上位クランの連中なんてほとんどいないんですよ」

「どういうことですか?」


 そこで相良は初めて、手を止めた。


 それが明確な回答を持っていない反応だと、主人公にはすぐ分かった。


「……言われてみれば」


「いや、そこ“言われてみれば”なんですか?」


「俺が学園運営の全体配置まで逐一見てるわけじゃない」

 相良は淡々と返す。

「クランから人を出しているのは知っている。だが、確かに“上位クランが大量に常駐してる”って印象ではなかったな」


「ですよね」


 主人公はそこで、ようやく自分の中の引っかかりが言葉になった感覚を覚えた。


 学園の一期生が集められた頃、説明にはそれなりに魅力があった。

 日本の上位クランがバックにつく。

 ダンジョンの情報が集まる。

 現役の強い探索者とも接点が持てる。

 その辺りの話があったからこそ、わざわざ学園という形で集める意味があった。


 だが実際にはどうか。


 現場の教師やサポート役はいる。

 相良もいる。

 シュウたちみたいに別格の名前も聞く。

 でも、“上位クランの精鋭が全体の底上げのために常駐している”感じでは、明らかにない。


 それがずっと小骨みたいに引っかかっていた。


「ちょっと待て」


 相良はそう言うと、手元の端末を開いた。

 クラン側の人員配置資料か、あるいは連携先の記録らしい。

 主人公は邪魔しないよう黙る。


 数分。

 相良の目線が何度か動き、眉間の皺が少しずつ深くなる。


「……ああ」


「何かわかりました?」


「確定じゃない」

 相良は先に釘を刺した。

「だが、多分これだ」


 端末を閉じず、そのまま言う。


「上位クランの人材、学園へ回す予定だった分のかなりの数が、他国へ送られてる」


「他国?」


「合法スパイ、あるいは表向きは技術協力・共同研究・教育支援って名目だな」

 相良は乾いた声で言う。

「要するに、“海外へ出せる日本人戦力”として回されてる可能性が高い」


 主人公は少しだけ目を細めた。


「……やっぱり」


「やっぱりって顔だな」


「いや、なんとなくそんな気はしてたんですよ」

 主人公は言う。

「二次試験の頃から、日本って思ったより海外案件だらけじゃないですか。イギリス、オーストラリア、アメリカ、ドイツ……。しかも毎回、“知識がある日本人”を欲しがってる」


「そうだな」


「だったら、そっちに人が吸われるのは自然だ」


 相良は頷いた。

 そして少しだけ考えるように言う。


「理由も、多分ある」


「理由?」


「学園の全体レベルを、そこまで底上げする必要がないと判断された可能性が高い」


 主人公はそこで、ようやくその言葉の意味を飲み込んだ。


「……つまり?」


「お前や空下優奈、唯、白井音葉、十六夜優希……その辺を見て、“思ったより上位クラン外の連中のレベルが高い”って判断が入ったんだろう」

 相良は淡々と並べる。

「特に唯は大きい。魔力糸の応用幅と環境適応力が異常だ」

「他にも、学園側が想定していたより“使える人材”が多かった」


「だから予定が変わった、と」


「そう考えるのが自然だ」


 主人公は小さく息を吐いた。


 言われてみれば、筋は通る。


 最初の計画では、上位クランからもっと人を送り込み、学園全体を引っ張り上げるつもりだったのだろう。

 だが、蓋を開けてみたら思ったより基礎が高い。

 なら、国内の底上げより、海外へ“日本の知識と技術”を送った方が効率がいい。


 日本は世界的に見れば、かなり攻略が進んでいる側だ。

 だったらそうなるのも分かる。


「どこの国にどれくらい送ってるかまでは?」


「見えない」

 相良は即答した。

「そこは機密だな。連携先の名目は出ても、実数と人選までは隠してある」


「でしょうね」


 主人公は椅子へ深くもたれた。


 違和感自体はこれでかなり整理された。

 上位クランがいないわけじゃない。

 学園へ“常駐していない”だけで、別の仕事に使われている。


 つまり、日本側の余裕は、学園内部よりも外へ向けられている。


「なんか」


 主人公がぽつりと言う。


「思った以上に、この学園って“育成施設”ってだけじゃないですね」


「最初からそうだ」

 相良は言った。

「学園は学園だが、日本のダンジョン戦力の再配分装置でもある」


「物騒な言い方しますね」


「物騒な時代だからな」


 その返しに、主人公は反論しなかった。


 だが、その会話の空気が完全に落ち着く前に、今度は別の意味でろくでもない話が飛び込んできた。


 机の端に置かれていた端末が、短く振動する。


 相良が画面を見た瞬間、その表情がほんの少しだけ変わった。


「……北朝鮮」


 その単語だけで、主人公の中の何かが跳ねた。


「何かあったんですか」


「スタンピード」


 相良は端末を見ながら言う。

「北朝鮮でスタンピードが起きた」


 主人公は数秒、黙った。


 それから、妙に静かな声で言う。


「やっぱりか」


「驚かないのか?」


「いや、驚いてはいますよ」

 主人公は目を伏せたまま答える。

「でも、ずっとおかしいとは思ってたんです」


 相良が何も言わないので、主人公はそのまま続けた。


「ダンジョンが最初に世界へ出てきたの、十年前ですよね」


「そうだ」


「その時点で、朝鮮半島のどこかにダンジョンが出てないはずがないんですよ」


 相良の目が細くなる。


 主人公は自分の思考を整理するみたいに、ゆっくりと言葉を置いていく。


「韓国か、北朝鮮か、どっちかには絶対に出てる」

「じゃないと、地理的にも、俺が今まで考えてきた“ダンジョンの括り”の仮説にも合わない」


 主人公の頭の中には、前から一つの地図がある。


 現代の国境ではなく、どこかの時代で固定された勢力圏。

 カナダ。

 オーストラリア。

 イギリス。

 朝鮮半島。

 そういう“地域単位”で難易度や傾向が括られているんじゃないか、という仮説だ。


「でも、韓国の情報って妙に薄かった」

 主人公は言う。

「全くゼロじゃない。けど、日本やイギリスやアメリカみたいな伸び方をしていない。かといって、本当にダンジョンがないならそれも変だ」


「つまり」


「今なら分かる」

 主人公は顔を上げた。

「北朝鮮政府が、公表してなかっただけです」


 相良は黙ったまま聞いている。


「北朝鮮にダンジョンがあった」

「でも情報統制国家だから、外に出ない。研究も共有されない。失敗も失敗として表に出ない」

「だったら、攻略が進まないのも当然です」


「……続けろ」


 相良の声が低くなる。


 主人公はそこで、もう一段深いところへ踏み込んだ。


「もし朝鮮半島のダンジョン難易度が、“韓国と北朝鮮をまとめた一つの括り”で見られていたらどうなるか」


 相良は答えない。

 だが、その沈黙が思考の速度を物語っていた。


「韓国がどれだけ頑張っても、北朝鮮側の攻略が進んでなければ、半島全体の難易度帯が引き上げられない可能性がある」

「逆に言えば」


 主人公はそこで少しだけ口元を歪めた。


「朝鮮半島のダンジョンレベルは、北朝鮮の攻略進捗――つまり“ハイパーヘルモード”基準で固定されてた可能性が高い」


 会議室が静まり返る。


 それは、かなり嫌な仮説だった。

 でも、嫌だからといって否定できる材料がない。


 むしろ、ここ数年の韓国側の違和感――情報が出てこないわりに、妙に伸びが鈍いこと――の説明としては、あまりにも綺麗に噛み合ってしまう。


「韓国だけ見ても、妙に成長が鈍い理由があったってことか……」


 相良が低く呟く。


「はい」

 主人公は頷いた。

「韓国側の問題じゃなかったのかもしれない」

「同じ括りの北朝鮮が、公表も共有もせずに勝手に死に続けてたせいで、半島全体の難易度が底上げされていたなら」


「地獄だな」


「そうですね」


 主人公はあっさり認めた。


 だが、北朝鮮ならあり得る、とも思う。

 情報統制。

 人命軽視。

 失敗の隠蔽。

 そういう国家でダンジョンが出現したら、研究より先に死体だけが積み上がる。


 しかもその結果が、朝鮮半島全体へ返っているとしたら。


「スタンピードが起きたってことは」


 相良が端末へ視線を戻しながら言う。


「ついに隠しきれなくなったか、あるいは本当に抑え込めなくなったかだな」


「多分、その両方でしょうね」


 主人公は答えた。


 北朝鮮が公表する気なんて、本来ならない。

 でもスタンピードは隠せない。

 街が消える。

 軍が動く。

 国境がざわつく。

 それでも隠そうとするだろうが、完全には無理だ。


「……面倒なことになるぞ」


 相良のその言葉は、珍しく本心の重さが出ていた。


「朝鮮半島でスタンピードが起きたとなれば、韓国も無関係じゃ済まない。中国も見る。アメリカも見る。下手すれば日本も引っ張られる」


「でしょうね」


「お前、他人事みたいに言うな」


「いや、他人事じゃないから嫌なんですよ」


 主人公は本気でそう思っていた。


 オーストラリアが燃えている。

 カナダは無茶苦茶だ。

 ドイツは特級を公開した。

 イギリスは合同授業。

 そこへ北朝鮮スタンピード。


 最近の世界は、いくら何でも急ぎすぎている。


「……でも、これで一つはっきりした」


 主人公は椅子から少しだけ前へ身を乗り出した。


「何がだ」


「ダンジョンの括りです」

「少なくとも、“国が違うから別”じゃない」

「朝鮮半島みたいに、政治的には分断されていても、ダンジョンの難易度や進行度は地域単位でまとめられてる可能性が高い」


「カナダ、オーストラリア、朝鮮半島……」


 相良が並べる。


「どれも一国家だけでは説明がつかない」


「そうです」


 主人公は頷いた。


 嫌な話だ。

 だが、仮説としては一段強くなった。


 世界はダンジョンを国家単位で見たがる。

 けれど、ダンジョンそのものはもっと別の地図で動いている。


 そのズレが、今の混乱の原因の一つなのだろう。


 相良はしばらく何も言わず、画面を見ていた。

 やがて静かに言う。


「北朝鮮の件、表にはまだほとんど出ないな」


「でしょうね」


「だが水面下では大騒ぎだろう」


「間違いなく」


 主人公はそこで、一つだけ気になったことを口にした。


「韓国側って、今までずっと不利だったんですかね」


「多分な」


 相良の答えは早かった。


「自国だけではどうにもならない難易度に、隣国の隠蔽と停滞まで上乗せされていたなら、伸び悩んで見えるのも当然だ」


「かわいそうだな……」


「かわいそうで済むならいいがな」


 その返しに、主人公は黙った。


 実際、済まない。

 済むはずがない。


 ダンジョンは“隣国が勝手に詰まっているせいで自分たちも地獄”みたいな理不尽を平気でやる。

 それが今、また一つ証明されてしまっただけだ。


 会議室の窓の向こうでは、クラン本部はいつも通り動いている。

 人が行き交い、資料が運ばれ、遠くで誰かが笑っている。


 なのに、この部屋の中だけ、別の地図を見ているみたいだった。


「上位クランが学園にいない理由も、結局そこへ繋がるんでしょうね」


 主人公がぽつりと言う。


「何がだ」


「日本が“余裕のある側”として、外へ人を出してるってことです」

「朝鮮半島みたいに、見えないところで詰んでる地域があるなら、なおさら」


 相良は小さく息を吐いた。


「嫌な言い方だが、否定できん」


「ですよね」


 日本は進んでいる。

 少なくとも相対的には。

 だから人を送れる。

 だから学園からも人が抜かれる。


 その構図が、今また別の角度から補強された気分だった。


「……で」


 相良が資料を閉じる。


「この件、外で軽々しく話すなよ」


「わかってます」


「特に“朝鮮半島が北朝鮮基準のハイパーヘルモード固定”なんて表現は絶対やめろ」


「そこまでストレートには言いませんよ」


「お前は時々、妙にそのまま言うから信用ならん」


「ひどい」


 だが、否定も難しかった。


 主人公は立ち上がりながら、もう一度だけ考える。


 十年前からずっと、どこかにあったはずの違和感。

 韓国の伸びが鈍いこと。

 北朝鮮の情報がないこと。

 朝鮮半島にダンジョンが出ていないはずがないこと。


 全部が、今さら一つに繋がった。


 嫌な形で。

 最悪の形で。


「……やっぱり」


 主人公は小さく呟く。


「隠しても、ダンジョンって勝手に外へ出てきますね」


 相良はその言葉に、すぐには返さなかった。

 少ししてから、低く答える。


「だから厄介なんだよ」


 その通りだった。


 北朝鮮がどれだけ隠しても、スタンピードは隠しきれない。

 ダンジョンの地図は、国家の都合なんて知らない。


 そういう世界を相手にしているのだと、改めて思い知らされる。


 主人公は会議室を出る前に、最後に一度だけ振り返った。


「相良さん」


「何だ」


「次はどこが爆発すると思います?」


「縁起でもないことを聞くな」


「でも、もうそういう流れじゃないですか」


 相良は少しだけ考えてから、面倒そうに言った。


「答えたくないが……答えが一つしかない質問でもあるな」


「ですよね」


 二人とも、その国名を口にしなかった。


 でも、多分、同じ場所を思い浮かべている。


 世界地図の上で、まだ静かなふりをしている場所。

 そして、いつ破裂してもおかしくない場所を。


 主人公は扉へ手をかけた。


 違和感は回収された。

 でも、その分だけ、次の爆弾の位置が少しずつ見えてきている。


 それが何より嫌だった。


(つづく)

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