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灰の傭兵と光の園 〈ロボットイラストあり〉  作者: 青羽 イオ
第二期 ハロー・グッドバイ 灰の傭兵と光の園/第一章 灰霧の縁

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第1話 薄い灰霧

 整備デッキの壁にもたれたまま、アキヒトは目を閉じていた。


 眠っているわけではない。休んでいるとも呼べるほど深くは落ちていない。耳に入る音を、ひとつずつ遠ざけているだけだった。天井走行レールの低い駆動音。工具が触れ合う乾いた音。格納庫の中の音だと分かっているのに、ときどき順番が入れ替わる。


 金属を打つ音が、別の場所の反響に重なった。

 焼けた装甲。崩れた地面。跳ね返る射撃音。途切れた回線の奥で、最後まで聞き取れなかった声。


 目を閉じていても、形だけは残る。


 一度見たものが、そのまま沈まずに残っている。薄くならない。輪郭だけが奥に溜まり、ふとした拍子に浮いてくる。余計なところまで鮮明で、それが自分の記憶だけなのかも、もう切り分けがつかない。


 息を吐く。吐いたぶんだけ静かになるはずだった。

 ならない。


 整備デッキの空気が変わった。

 通路を横切る足音が速くなる。端末の通知音が短く続き、機体脇の整備員がいっせいに顔を上げた。固定具を持った手が止まり、次の瞬間には別の向きへ動き出す。

 艦内回線が開いた。


『格納庫、発艦準備。灰霧が薄くなった。射出は今、時間は短い。基本は交互、必要なら同時射出』


 少し遅れて、別回線が重なる。


VOLK(ヴォルク)、発艦。任務は白帯護衛。最優先は外縁確保。群れは白帯へ寄せるな。発艦可能時間は短い。各機、帰投限界を越えるな』ヴァイス艦長の声。


 その声で、頭の奥に残っていたものが一段だけ遠のいた。

 アキヒトは壁から背を離した。ヘッドセットの位置を直す。耳への圧が、意識を前へ揃える。

 灰霧の数値は落ちている。この薄さは長く続かない。戻れば、出せる時間そのものが消える。


 白帯へ届くうちに出る。外縁を取る。群れが寄る前に数を削る。

 それだけでいい。


 格納庫は舷側まで一本に抜けている。奥のハンガー列からカタパルト側へ、RFレイド・フレームが一機ずつ間隔を空けて並んでいた。床には緑の通行レーン、黄の停止域、赤の立入禁止。縁色の塗装と吊り札が切り替わるたびに作業域が開き、また閉じる。


 十三メートルの人型兵器が、整備員たちを足もとへ置いたまま並んでいる。膝の装甲だけで人の背丈を越え、肩は作業灯を半分隠していた。もともとは重機として作られた骨格に、今は撃つための輪郭だけが残っていた。戦闘用の装甲と火器がそれ以前の面影を塗りつぶし、もう別の機械に見えた。


 アキヒトは自機へ向かった。脚部の固定を確かめ、コクピットの縁に手を掛ける。開口部から薄い光が差し込む。外はまだ灰が濃い。だが、濃くなる前に出ればいい。


 作業員の声が交錯する中、コクピットに身を落とした。LSL端子を差し込む。固定音のあと、視界が機体側へ開いた。


 いつもなら、そこで終わる。今日は、終わるまでにわずかな間があった。遅れと呼ぶほどではない、一拍だった。それでもアキヒトは、接続完了の表示が出るまで待った。


〈接続を確認。同期、安定〉


 ノルンの声は同じだった。温度も抑揚も変わらない。

 それでも、前にはなかった間があった。いつからだったか正確に思い出せないが、演算遅延ではない。計算が詰まったのとも違う。何かを拾い、それを通してから返したように聞こえる。


 何を。


 ノルンが扱うのは数値だけだ。数値化されたアキヒトの状態を読み、平常域を外れれば警告する。だが、その理由までは踏み込まない。理由を考えるようには作られていない。それがノルンというAIだ。


 操縦桿を握ったまま、表示の端を見る。LSL出力。同期深度。感覚補助。どれも規定値のままだ。異常なし。そう出ているなら、手順の上では問題ない。アキヒトは前を見る。


 次の動きは、もう並んでいた。


 RF‐17SC〈ストレイ・カスタム〉が列の中で一歩前へ出た。床の緑レーンに沿って、足音が一定の間隔で近づく。誘導員が腕を水平に伸ばし、次に指先で停止線を示す。機体は歩幅を詰め、位置を合わせて止まった。


「緑レーン空けろ。通路を詰まらせるな」

「手ぇ止めるな。外気が入る前に片づけるぞ」


『射出手順に入る。VOLK1、ホールド。甲板は進行を続けろ』

『了解。VOLK1、停止線まで。誘導、前へ』


 誘導員が腕を振り、機体が半歩ずつ寄るたびに固定班が待機位置へ滑り込む。


「入った。次。締めすぎるな、振動で噛む」

「チェック回す。次の班、入れ」


『VOLK1、固定完了の報告を待つ。信号はレッド保持。甲板、前方クリアを取れ』


 機体は舷側カタパルトの待機線に寄せられていた。表面には乾ききらない灰が筋になって残っている。固定具の確認が続く中、ヘッドセット越しに整備主任の声が入る。


『VOLK1、電欠はさせるな。あの時の戻り方は二度と認めん』

「分かってる」アキヒトは短く答えた。

『電欠になった機体は戦場じゃただの荷物だ。帰投を最優先させろ』

「現場がそれを許してくれるならな」

『戦い方を考えろ、と言ってる』


 短いノイズのあと、別回線が割り込んだ。


『考えてるさ。こいつなりには』ゴーシュだった。『ただ前に出ると、すぐ忘れるだけだ』

「忘れてない」

『前回は忘れてたぞ』


 整備主任がそこで短く鼻を鳴らす。


『忘れるな。拾いに行く側はたまったもんじゃない』

『ほら怒られた』ゴーシュが言う。


 アキヒトは返しかけてやめた。口元だけが少し緩む。


 周囲の手は止まらない。配線チェック、脚部の固定、背部のカバー。合図係が通路を空け、発艦管制の卓が順に点灯していく。アキヒトも黙って、手順をひとつずつ進めた。


 戦場では、残量を丁寧に勘定していられない場面のほうが多い。踏み込むしかない時はある。削るしかない時もある。だが、帰れなければそれで終わる。


 生きて帰るのも任務だ。前にヒロがそう言った。


 任務だから帰るのか。死にたくないから帰るのか。そこは曖昧なまま、手順だけが先へ進む。


〈パイロット状態確認。心拍、反応時間、正常。体調を申告せよ〉


「問題ない」


 アキヒトは答えた。だが声は、自分の耳にだけ少し遅れて届いた気がした。


「行ける」


 ノルンは即座に反応しなかった。〇・四秒。

 まただ。演算のラグではないと分かっているのに、何が起きているかは説明がつかない。


〈……了解。記録する〉


 その「記録する」は、了承ではなく観測に聞こえた。


「こちらVOLK1。ストレイ、接続完了。発艦待機」

『VOLK1、了解。固定進行』


 機体がゆっくりとカタパルトに引き込まれる。胸の前にバーの圧。腰にベルトの締まり。足元にロックの感触。外から固定員の声が聞こえ、復唱が返る。射出待機の赤灯はまだ消えない。

 灰霧の向こうで艦の外板が鈍く鳴った。


 HUDの隅に、小さな推奨表示が出た。


〈LSL出力を一時低下推奨〉


 LSLはアキヒトと機体をつなぐ同期ラインだ。それを絞れと言っている。アキヒトは表示を見て、そのまま閉じた。命じていない。今までこんな表示は出なかった。測距補正や視界補助の推奨なら分かる。灰霧が濃ければそれで足りる。だがLSLだけを名指しで触ってくるのが引っかかった。


〈外部環境の変動を観測。接続負荷上昇の可能性あり〉


「維持でいい」


〈了解〉


 短い返答だった。だが表示は一度消えたあと、また出た。アキヒトはそれ以上見ないことにした。


 別のレーンで機体が動き始めた。ゴーシュ機、リュウ機、ガンモ機、ポチ機。短い呼称と短い返答が重なり、発艦の列が噛み合っていく。


 反対側のカタパルトに、黒い機体が見える。RF-06A〈バッファロー〉。VOLKの隊長、ヒロの機体は更新されていて、同じ格納庫の光を受けても、他機とは佇まいが違う。排熱の流れが整備灯を揺らし、機体の背から熱が逃げていく。


『VOLK6。バッファロー、発艦位置についた』ヒロの声。

『VOLK6、了解。固定進行』発艦管制が手順を進める。

『現着時にはもう白帯が食われてるかもしれない。各機、遅れるな。俺のラインで揃えろ。VOLK1、前だ。外縁を掴め』


 ヒロの指示が無線に飛ぶ。声が切れるのと同時に、別の舷側から、バッファローが射出された。重い機体が灰へ踏み出すだけで、霧の流れが変わる。


「了解。白帯へ寄せる」


 アキヒトは視線を前に戻した。自分の遅れが、白帯の向こうにいる者たちの時間を削る。


『VOLK1、最終確認。姿勢制御、良好』

『VOLK1、前方クリア』


 赤が消える。緑が点る。射出。

 体が座席に押しつけられ、視界の端で格納庫の灯りが後ろへ滑った。外の灰霧が機体全体を飲み込む。薄くなったとはいえ、まだ重い。


〈外気灰密度、高。視界補正を適用。推進温度、許容範囲〉


 視界補正が毎秒更新されるたびに世界が微妙に歪む。それでも、線が見えた。白帯の光は遠くない。届く距離だ。HUDの隅に、また同じ表示が出た。


〈LSL出力を一時低下推奨〉


 表示は消さなかった。だが、意識はもうそこに置かない。

 アキヒトは揺れの少ない側へ進路を取った。灰霧が戻りきる前に、白帯の外縁へ到達する。

 ――それしか、見えない。


 To the Next Sortie.

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