第84話 安全減衰、無効
アストレイア艦の格納庫は、いつもより騒がしかった。床には見慣れないコンテナが積まれ、カルディア、アストレイア、グラウバッハの技術者が入り混じって動いている。
中央では、2機のRFが骨組みごと手を入れられていた。RF-17SCストレイ・カスタムとRF-17Cヴァルケンストーム。肩と胸に増加装甲、腰に追加ラック、背中には塗装前の金属色のブースターユニットが載る。
オーバードブースト。
グラウバッハの主任が、ストレイの脚を見上げた。
「装甲はこれ以上盛るな。ブーストが負ける。ギリギリだ」
視線だけで上を示す。
「昇るときは迷うな。一回で行け。途中でやめたら落ちる」
「楽しい話だな」
アキヒトは口元だけ動かした。
「上で殴れればいい。落ちるかは、そのあと考える」
*
ストレイのハッチの中から、トキの声が上がる。
「ん?」
画面を見る指が止まった。
LSLユニット:K-LSLモード
安全減衰:無効
(安全が切れてる)
「ナロアさん! LSL、Kになってます!」
レンチの音が止まる。
ナロアが梯子を上がり、コクピット縁のアキヒトの胸元の服をつまんだ。
「エース」
声が低い。
「K-LSLが何か分かってる? 安全のブレーキを外して、神経をそのまま機体に流す。正式運用はヘルマーチと試験場くらい。普通は門前払い」
つまむ指に力が入る。
「しかも切り替えただけじゃ動かない。本人がK用の適合処置を受けてないとリンクが通らない。反射も痛みの逃がし方も、そっちに合わせて作り替える。そこまでやって、やっと使える」
「知ってる」
アキヒトが短く遮る。
「適合は済んでる。経験済みだ」
それだけ言って前を向く。
「前の部隊で?」
「ああ。ヘルマーチにいた間は、ずっとそれだった」
ナロアは一拍黙り、吐き捨てるように言った。
「ほんと、ろくでもないところから来たよね、あんた」
指を離す。
「ベヒモス相手に、あのままじゃ足りない」
アキヒトの声は淡々としていた。
「コンラートに、余裕残したまま勝つのは無理だ」
「きれいに言わなくていい」
ナロアが切る。
「中身は"壊れてもいい"でしょ」
アキヒトは返さない。否定しない沈黙に、ナロアが短く息を吐く。
「勝手にしな」
背を向ける。
「トキ」
「は、はい」
「このままはまずい。反応だけ少しやわらげる。設定はあとで送る。合わせといて」
「了解です」
ナロアは梯子を降りながら袖で目元をこすり、床に降りると、上を見ずに付け足した。
「エース。Kにするのは止めない。止めても聞かないのも分かってる。だから、生きて帰ってきなさい」
返事はない。代わりに、上から手すりを短く叩く音が響いた。
トキはハッチの奥へ戻り、設定をKのままわずかに人間寄りへ引いた
「エースもナロアさんも、勘弁してほしいな」
ぼやきが消えると、格納庫の音が前に出る。
レンチ、溶接の火花、背部のオーバードブーストのノズルが鈍く光った。
アキヒトは最後に自分で調整を加えた。
余裕があるふりは、ここでは無駄だ。届かない速度で勝てるほど、相手は甘くない。設定を上げる。壊れるなら壊れるでいい。その分だけ前で止める。後ろを戦場にしない。
*
固定が胸、腰、足の順に入る。最後に背が押され、頭の遊びだけが消えた。
続いて機体の固定ラッチが閉じる音が、艦の腹から順に上がってくる。
左に、VOLK-6《ヴァルケンストーム》。
右に、VOLK-1《ストレイ・カスタム》。
〈システム〉《主電源オンライン。補機系統チェック完了》
〈システム〉《オーバードブースト接続確認中──》
ヒロは表示から目を離さない。インジケータが黄色から赤へ揺れ、数秒後に緑で落ち着く。
〈システム〉《全系統、軍用基準内。VOLK-6、出撃可能》
「VOLK-6、システム最終チェック完了」
通信メニューを開き、2機だけのサブチャンネルへ落とす。
〈ヒロ〉「VOLK-6。アキヒト、聞こえるか」
〈アキヒト〉「VOLK-1。聞こえてる」
外は整備員の声と工具音が続く。ラッチが閉じるたび、機体が固定されていく感触だけが増える。
〈ヒロ〉「今回は、遅れない」
橋も補給車列もセーブルも、ここでは言わない。
〈アキヒト〉「白帯は見えてるか」
〈ヒロ〉「見えてる」
〈アキヒト〉「どこまで通す」
〈ヒロ〉「全部だ」
短い間が落ちる。
〈アキヒト〉「欲張りだな」
〈アキヒト〉「それでいい」
外部回線が割り込んだ。
〈管制〉「カタパルトA、VOLK-6発進準備完了。カタパルトB、VOLK-1発進準備完了。両機、カウントに入る」
足もとでレールロックが締まり、機体がわずかに沈む。
〈システム〉《カウントダウン開始。5──4──》
〈システム〉《カタパルト最終同期完了》
〈システム〉《オーバードブーストユニット、圧縮燃料加圧》
機体後方から低い唸りが伝わる。推進系が負荷を受け入れる音だ。
ヒロは内ポケットを指で押さえ、すぐ離した。増強剤。持ってきたのは、白帯が途切れた先を想像したからだ。
守りたいものがある、壊したくないものがある、帰りたい場所がある。
ここで負けたら、全部、灰に沈む。
だから封は切らない。勝って、帰って、次も守る。
ここで壊れて終わるなら、最初から負けと同じだ。
〈艦隊回線〉「ガングート、ロスティスラブ、レトヴィザン、全艦レールガン発射準備完了」
前方モニタに戦場の縮尺図が重なり、灰の海の向こうでベヒモスが鈍い光をまとって進んでいる。
〈艦隊回線〉「200mmレールガン『ルーチ』発射」
灰の幕の向こうで、3隻の陸上戦艦が一斉に口を開いた。白い閃光が走り、弾道がベヒモス前方へ突き刺さる。灰の中にうごめいていたドローン群が、その線に触れた瞬間、まとめて輪郭を失った。
左右ではカルディアのミサイル、グラウバッハの51cm砲が外周を削る。地上ではエレファントの重RF部隊が一列に展開し、200機近い砲身が同時に火を噴いた。
その連打で、灰の層がいったん押し出され、次に逆向きへ戻る。遠景が薄く滲み、だが崩れきらない縁が残った。
空に、まっすぐな"穴"が開く。
モニタ上でその筋は、VOLKの位置から垂直に伸びていた。ヒロとアキヒトが駆け上がれる道は、そこだけだと分かる。
〈システム〉《カタパルトチャージ完了》
〈システム〉《3……2……1》
〈アキヒト〉「生きて戻れ、VOLK-6」
〈ヒロ〉「そっちこそ、VOLK-1」
ハーネスを握り直す。視界の端でストレイの姿勢マーカーが同じ角度で止まった。
〈システム〉《0》
〈管制〉「射出」
機体が前へ跳ねる。衝撃で視界が一瞬流れ、格納庫の灯りが線になる。
生活区の扉の前がヒロの脳裏をよぎる。子どもたちの寝息。鳴らないホイッスルが掌の中で冷たい。鳴らないままでいい。帰れれば、それでいい。
次の瞬間には、ヴァルケンストームは灰色の通路を撃ち出されている。出口の切り取り線だけが、まっすぐ前に伸びた。
先にヴァルケンストームが外気へ抜け、わずかに遅れて重装のストレイ・カスタムが同じ筋をなぞる。
K-LSLが衝撃を圧力へ変える。身体の境目が薄くなる。
壊れてもいい、じゃない。壊れてでも前で止める。
記憶の端に流れる、ナロアの赤い目。
笑いながら銃口を自分の顎に当てた戦友。
壊れてもいいと判断した、あの瞬間。
忘れたかったものがある。けれど、忘れたくないと思うものができた。
ヘルマーチの記憶。サキや子どもたちの笑顔。
この手が壊すものがあいつらの未来になる。なら、これが俺の掛け金の全部だ。
神経が機体側へ直結していく感覚だけが残る。
灰の空に2本の尾が生まれ、同じ方向へ重なる。腰の後ろから伸びていた太いケーブルが限界まで張り、根元から順にちぎれていく。
〈システム〉《外部給電ライン切断》
黒いケーブルが灰の中へ投げ出され、後方へ消える。
次に背中のノズル群が一斉に白い炎を吹き、灰を焼き払いながら尾を伸ばした。
2機はレールに乗せられたまま引き抜かれ、加速がさらに一段上がる。
シートが体を押さえつけ、呼吸が詰まる。
〈システム〉《オーバードブースト出力、最大》
前方の灰の層が裂け、先行3艦が空けた空白へ2機が突入した。
その先に、ベヒモス内部へ続く闇が待っている。
同じ瞬間、外では地上戦線が崩れかけていた。
〈艦隊回線〉「突入2機、確認。VOLK-6とVOLK-1はベヒモス内部へ。地上、ヘルマーチが前進。突入艦隊の前に出る!」
――次回、第85話「対地艦砲、優先」へ続く




