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灰の傭兵と光の園~人型兵器が、泥と血と油の中で唸る。装甲が砕け、信念だけが削れていく~  作者: 青羽 イオ
第七章 白の外で会う者たち

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第33話 番号と名前のあいだで

 通路の先に、重そうな扉が1枚だけ残っていた。壁も天井もひびだらけなのに、その扉だけが不自然なほど整っている。中央パネルには、判別できない警告サインの痕が薄く残るだけだ。


〈ノルン〉『この先が中枢区画と推定。共振パターンの強度、現在が最大レベル。アキヒト、心拍が上昇している』


「当然だ。先に進む」


 アキヒトは端末をパネルへ差し込み、解錠信号を送った。待つ間に指先が汗で滑り、グリップを握り直す小さな音が鳴る。


 錠前の奥で、外れる音がいくつか重なった。扉が横へゆっくり退き、冷えた空気が漏れてくる。


 中は広い円形ホールだった。床は一段低く、同心円状の段差が内側へ吸い込まれていく。その中心に、巨大な装置が立っている。


 束ねた円筒柱が天井まで伸び、表面の溝と配線のあいだを、弱い光が上下に流れていた。目で追った瞬間、頭の奥がざらつく。LSL越しに聞かされた「共振」の気配が、過去の残響みたいに貼りついた。


〈ノルン〉『レゾナンスコアと思われる。完全停止はしていない。低レベルで稼働を継続中』


 周縁には古いコンソールとデータポッドが並び、ほとんどが死んでいる。それでもいくつかは薄い光を灯し、ここがかつて“仕事場”だったことだけを主張していた。


 その前に、人影が1つ。


 黒いロングコート。顔はガスマスクで覆われ、コアに背を向けたまま片手を装置へ添えて動かない。右腕の上の部隊章だけが、妙に目につく。


 ヘルマーチ。


 反射で銃が上がり、照準が胸の高さに収まった。


〈ノルン〉『中枢区画に生命反応1。武装の可能性。注意を推奨』


 コートの裾がわずかに揺れ、内側の金具が光る。ホルスターだ。男はそれでも振り向かず、静かに言った。


「遅かったな」


 乾いた声なのに、耳の奥に残る響きだけが昔の記憶と噛み合う。


「036。お前なら、もう少し早く来ると思っていた」


 番号を呼ばれて背筋が冷えた。声の高さ、言葉の区切り、立ち方――全部、知っている。


「コンラート、か」


 男がようやくこちらを向く。ガスマスク越しに表情は見えないが、動きに迷いがない。


「名前を手に入れたそうだな。アキヒト、だったか。気の利いた名をもらったじゃないか。だが、ここでは関係ない」


 マスクの奥で、声が笑う。


「お前は036だ。拾ったのも、番号を付けたのも俺だ。戦場じゃ、それで足りる」


「足りなかった」


 アキヒトは一歩だけ前へ出た。距離はまだある。引き金にかけた指は外さない。


「036のままじゃ、あの橋で死んだ連中を数で片付けるしかない」


「数えたところで、何が変わる」


 声色は揺れない。


「B3の橋の話か。お前が白帯側に立って初めて経験した“崩落”だな」


 装置の唸りが一瞬だけ濃くなり、光の筋が早く脈打って、すぐ元へ戻った。


「依頼は“橋を落とせ”だった。落ちた。何か問題があるか」


「何人死んだと思ってる」


 吐き出すように言うと、脳裏に白帯の列と崩れる桁が勝手に割り込んだ。


「さてな」


 コンラートは軽く首を傾ける。


「契約書には“橋を何センチずらせ”とも“何人まで殺すな”とも書いてなかった。書いてあったのは“この橋梁を使用不能にせよ”。俺は守った。それだけだ」


「白帯だって知ってたろ。避難路だ。分かった上でやったんだな」


「知っていた」


 即答だった。


「だから何だ? お前たちは“白帯を守る仕事”を選んだ。俺は“契約を守る仕事”を選んだ。違うのは、それだけだ」


 歯が鳴る。


「守る対象が違う。それだけで正当化する気か」


「世の中の大半は、結果しか見ない」


 淡々と続く。


「橋が落ちた。白帯が1つ消えた。死者何名、負傷者何名。報告書の末尾に並ぶ数字だけ見て、“許せない”だの“誰の責任だ”だのと騒ぐ」


 ガスマスクの視線が、まっすぐアキヒトを射抜く。


「だが、その数字ができるまでに誰がどこで血を流したか。どのパイロットが、いつ引き金を引いたか。そんなものは、誰も覚えちゃいない」


 コンラートはコアに置いた手へ力を込めた。低い唸りが、ほんのわずかに形を変える。


「白帯に立つやつらも同じだ。自分たちは守る側だと思っている。だが、どこに白を引くか決めているのは、企業と評議会だ」


「連中が“ここから先を安全地帯と呼ぶ”と決めた場所の上で、きれいに並んでるだけだ」


「それでも」


 アキヒトは言い切って、声を荒らげないようにだけ気をつけた。


「あそこに立つ連中は、逃げ道を残すために踏ん張ってる。白が崩れれば、どこにも行けない奴が残る」


「選んでる、か」


 コンラートの肩がわずかに揺れた。笑いなのか、ただ息を吐いただけなのか判別できない。


「お前が白帯に立つのは、仕事がそう振られたからだ。白の位置も任務の形も、お前の手の外にある。その上で“止まるのが正しい”と信じさせられた」


 コンラートが半歩、角度を変える。照準線がわずかにずれ、撃ちにくい位置へ誘導される。


「世界を変えるのは、線の外に立つやつだ。白の外へ出る覚悟があるやつだけが、地図を塗り替える」


「それが、ヘルマーチか」


「そうだ」


「企業も軍も、白帯という線に縛られてる。線が残る限り、誰も腹を括らない。“ここさえ守ってりゃいい”って言い訳が残る」


 コンラートは左腕を広げ、周囲の装置を示した。


「ここに埋まってるものも同じだ。レゾナンスシティが落ちたとき、誰も最後まで責任を取らなかった。危険だと言って灰の下に押し込んで、見なかったことにした。で、欲しくなったら掘り返す」


「傭兵を送り込む」


 アキヒトが言う。


「そうだ。カルディアも、グラウバッハも、UDFも。考えてることは同じだ」


 コンソールの薄い光が、崩れた研究都市の残骸と重なる。


「だからお前が、ひっくり返すのか」


「そうだ」


 迷いのない声が落ちる。


「世界を変えるには、まず“安全だと思っているもの”を壊さないといけない。白帯も、企業も、評議会も、秩序を維持する全てを」


「その上で、本当に生き残る力を持ったやつだけを集める。それがヘルマーチの役目だ」


「そのために、避難民を橋ごと落とすのか」


「世界が動くときは、いつだって誰かが犠牲になる」


 言葉は淡々としていた。


「違うか、036。きれいな戦場なんて存在しない。守る側だろうが壊す側だろうが、血の上に立っていることに変わりはない」


 アキヒトは反論を探し、同時に、否定しきれない記憶に足を取られる。守ろうとしても救えなかった背中が、いくつもある。


「だから、俺に何をさせたい」


 低く言い、視線も指も外さない。


 コンラートがコアから手を離し、こちらへまっすぐ歩いてきた。距離がゆっくり縮まる。


「決まっている」


 立ち止まり、顎を少し上げる。


「036。お前にはその権利と義務がある。ヘルマーチに戻れ。番号に戻れ。名前は戦場では邪魔になる」


 アキヒトは返さない。言葉を返した途端、何かが崩れそうだった。


「今、戦力の再編成が必要だ」


 コンラートの声が、わずかに低くなる。


「企業も軍も利権を守ることに必死だ。灰は広がり続け、ミュータントも増えている。レゾナンス由来の“何か”も、こうしてあちこちで顔を出す」


「それでも白帯の上では、“今日も無事に列を通せました”と数字を並べるだけだ。土台が腐っているのに、誰も足元を見ようとしない」


 視線が刺さる。


「だから外側から叩き直す必要がある。白帯を踏み抜いてでも、現実を見せつけなきゃならない。そのためには“効率よく壊せる人材”がいる」


 そして、はっきり言う。


「お前の脚は、白を守るより、白を踏み抜くほうが似合っている。あの橋で一番よく分かった」


 あの日の戦いを、こいつがどう見ていたのか。想像だけで背中が冷える。


「036。戻ってこい。俺のもとに戻って、世界の形を変える側に立て」


 ホールは静まり返り、どこか遠くでコアの低い唸りだけが続いている。


〈ノルン〉『アキヒト、心拍数が上昇している。呼吸を――』


「うるさい」


 吐き捨てるように制し、アキヒトは照準を正した。目を逸らすな、とだけ自分に言い聞かせる。


 目の前にいるのは、かつての「隊長」だ。番号で呼び、戦い方を叩き込み、橋を落とした男。


「俺は――」


 喉の奥から言葉を引きずり出す。


「俺はもう036じゃない」


 コンラートの目が、マスクの奥で細くなった気がした。


「そう思っているうちは、まだ“白帯の内側”だ」


 静かな声が返ってくる。


「さあ、選べ。線の上に立ち続けるか。線そのものを壊す側に立つか」


 ホールの中心で、2人の間にどちらにも属さない空白だけが広がっていた。


――次回、第34話「番号と名前のあいだで」へ続く


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