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灰の傭兵と光の園 〈ロボットイラストあり〉  作者: 青羽 イオ
第八章 名前のない兵士

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第40話 脊髄に刻むリンク

 その頃のヘルマーチの隊舎は、いつもどこかが痛んでいた。


 ベッドはすぐに埋まり、廊下の壁にもギプスや包帯を巻いた隊員がもたれていた。戦闘が終わっても、まともな休みはほとんどない。次の任務までの短いあいだに回るのは、応急処置と最低限の機体点検だけだった。


 誰かが寝ている横で、誰かが血のついた包帯を替えている。医務室の戸が閉まる音と、格納庫から響く工具の音が、同じ生活音になっていた。


 LSLリンクは、もう当たり前になっていた。


 首の後ろの端子を機体につなぎ、体の奥を通してRFを動かす。最初のころは「気持ち悪い」と騒いでいた連中も、今ではそれなしで乗るほうを嫌がる。


 リンクしなければ反応が遅れる。


 遅れたやつから死ぬ。


 そういう場所だった。


 ある日、基地に見慣れない腕章の一団が入ってきた。


 制服の袖には、アストレイア社のロゴがあった。医務室にも格納庫にも向かわず、現場の空気をまったく読まない足取りで、真っ先に会議室を押さえる。廊下に座り込んでいた負傷者たちが顔を上げたが、彼らは誰とも目を合わせなかった。


 数十人の隊員が集められた前で、年配の技術者が淡々と口を開いた。


「新しいリンクの導入が決まった。K-LSL。純正LSLの高反応仕様だ」


 背後のスクリーンに、神経と機体の図が映る。


 見慣れたLSLの線の上に、赤い線が重ねられていった。


「これまでのLSLは、信号を安全な範囲に抑えていた。K-LSLでは、その抑えを薄くする。反応が上がる。同調が上がる。攻撃に移るまでの時間が短くなる。結果として、生き残る確率も上がる」


 良いことだけが、きれいに並べられていく。


 反応が上がる。生き残る確率が上がる。そう言われれば、誰も正面からは否定できない。実際、俺たちは遅れたやつから死ぬ場所にいた。


 技術者は一拍も置かずに続けた。


「痛みや恐怖も、今までより強く拾う。拾った分だけ、機体は危険な方向へ先に向き直る。先に殴られる前に、先に殴り返せる」


 冗談めいた口調ではなかった。


 けれど、その言い方自体が、ヘルマーチ向けに作られた売り文句に聞こえた。


「全員が対象ではない。一定以上の実戦データがあり、今後も長く運用する価値があると判断された者から、順に書き換える」


 何人かが息を止めた。


 選ばれる。


 そういう意味にも聞こえた。


 同時に、戻れなくなる、という意味にも聞こえた。


 技術者の横に立った士官が、名前ではなく番号でリストを読み上げていく。


「ゼロヨンニ、ゼロサンロク、ゼロニキュウ……」


 自分の番号が呼ばれた瞬間、背中にいくつもの視線が刺さった。


 羨む目と、避ける目が混ざっていた。


 お前は、もう一段奥へ行く。


 誰もそうは言わない。けれど、その空気だけが、言葉より先に広がっていた。


 書き換えの日、俺は軍医施設の奥へ通された。


 上半身を裸にされ、冷たい金属の台に横たわる。背中全体が硬い感触に押しつけられ、首の後ろだけが無防備になった。


 白衣の医師が、慣れた調子で言った。


「LSL端子はもう入ってる。今日は抑えのほうを弄る」


 横のテーブルには、細い線と小さな接続ユニットが並んでいた。

 どれを使い、どこを開き、どこを変えるのか。俺が理解していなくても、作業は進む。


「頭を固定する。動くと面倒だ」


 額と顎に柔らかいベルトが回される。


 首の後ろに冷たい液体が落ちた。消毒の匂いが鼻につく。


「局所麻酔。少し痛い。文句は言うな」


 針が刺さり、薬が入った。


 首筋から背中にかけて、じわじわと感覚が薄れていく。痛みが遠くなる代わりに、そこに何をされているのかだけが余計にはっきり分かる気がした。


 医師と技術者の声が、頭の上で交差する。


「抑えの回路を迂回」


「制限値、下げる。ヘルマーチなら、もう一段いける」


 言葉の半分は分からない。


 それでも、首の後ろと背骨のあたりで、今まで最後に残っていた歯止めを外されているのだと、それだけは分かった。


 冷たいものが、骨のすぐそばを撫でる。


 そこから細い線が這うような感覚が走った。


 痛みはほとんどない。なのに体は勝手にこわばる。嫌な予感だけが、先に立っていた。


「大丈夫だ。切り替えるだけだ」


 医師の声は、慰めではなかった。


 作業の確認だった。


「これでお前は、普通のLSLより先に動ける」


 視界が少し暗くなった。


 麻酔のせいか、意識が遠のいていく。最後に見えたのは、蛍光灯の白さと、天井を走る配線だった。


 目を覚ますと、天井があった。


 首の後ろと背中に、鈍い痛みが残っている。起き上がろうとすると頭がぐらりと揺れ、喉の奥に吐き気が上がった。


「気持ち悪いか」


 横のベッドに座っていた軍医が、水の入った紙コップを差し出した。


「純正LSLの上にK-LSLを乗せた。馴染むまでは吐き気と頭痛が出る。K-LSL持ちはみんな通った道だ」


 俺はコップを受け取り、一口飲んだ。


 水が喉を通る感覚だけが、妙にはっきりしている。皮膚の内側が、まだ手術台の冷たさを覚えているようだった。


「動けるかどうか見たい。シミュレーター室に行けるか」


 足を床に下ろし、ゆっくり立つ。


 首の後ろに埋まった端子の存在が、前より強く分かった。皮膚の下で、何かが深く食い込んでいる感じがする。


 歩くたびに、そこだけが体の中で遅れて揺れた。


 シミュレーター室に入ると、K-LSL対応に調整されたコクピットが待っていた。


 座席に押し込まれ、脊髄の端子と接続がつながれる。今まで何度も味わった感覚のはずなのに、その日は首の後ろから背中にかけて、針金を通されたような緊張が走った。


 スピーカーから技術者の声がした。


「K-LSLリンク開始。深呼吸しろ」


 背中に、今までより強い細かな震えが走る。


 首の後ろから、何かが一気に入り込んでくるような感覚がした。


 次の瞬間、世界の輪郭が変わった。


 モニターの映像だけじゃない。


 機体の重さ、足の位置、腕の角度が、頭の中へまとめて流れ込んでくる。自分の足は床にあるのに、地面を踏んだ感触があった。自分の腕は座席の中に固定されているのに、機体の肘がどこにあるのか分かる。


 境界が薄い。


「気持ち悪い」


 思わず声が漏れた。


 技術者はすぐに返した。


「当然だ。止めてた分まで流してる。怖くなるし、腹も立つし、全部機体が拾う。慣れろ。お前らはそれで金をもらってる」


 続けて、言い捨てるように言う。


「歩け。右だ左だは要らない。そこへ行くと思え」


 視線の先へ意識を向けた。


 その瞬間、機体の足が動いた。


 右、と考えたわけじゃない。ペダルをどう踏むかも、スティックをどれだけ倒すかも考えていない。


 前へ。


 そう思ったときには、片足がもう前に出ていた。


 数歩で吐き気が強くなった。胃がひっくり返り、喉の奥に酸が上がってくる。口の中が苦くなり、視界の端が白く滲んだ。


「限界なら止めるか」


 技術者の声が、少し遠く聞こえた。


 俺は唇を動かした。


「続けます」


 ここで無理だと言ったら、体を開いてまで変えた意味が消える気がした。


 消えるのが怖かった。


 何度もシミュレーションを繰り返すうちに、考える前に動く感覚が少しずつ形になっていった。


 自分の体と機体の体が、ぴったり重なる瞬間が増える。


 自分の指じゃない。


 機体の指がトリガーを引く。


 けれど、どちらの指か区別する必要は、だんだん薄れていった。


 実戦でK-LSLを使い始めると、違いはすぐに出た。


 敵影を視界の端で捉えた瞬間には、照準が合っている。撃とうと決める前に、機体がもう前へ出ている。


 恐怖を感じた瞬間、機体が勝手に反撃の形を作る。


 反応が上がる。


 説明は嘘ではなかった。


 ただ、その分、終わったあとに残るものも増えた。


 戦いの最中に感じた恐怖や興奮が、そのまま体に残る。リンクを切っても、足の裏に灰の感触が残り、手の中にトリガーの重さが残った。


 体の内側に、リンクの熱が残る。


 簡単には冷めない。


 夜、リンクのないベッドに横たわっても、同じ場面が頭の中で何度も再生された。


 敵に飛びかかった瞬間。


 踏み潰したときの骨の砕ける感触。


 白帯に落ちかけた砲弾の光。


 夢と現実のあいだを、それらが何度も行き来する。


 目を閉じると眠れるのではなく、続きを見せられるようになった。


 そんな中で、薬に頼る者が増えていくのは自然に見えた。


 出撃前、ロッカールームの隅で錠剤を噛み砕く音がする。


 苦い顔のまま、水もなしに飲み込んだ隊員が笑った。


「これがないと手が震えるんだよ」


 目の下には、濃い隈があった。


 別の男は戦闘後に医務室へ直行し、腕をまくって軍医に注射の準備をさせていた。


「鎮静剤。これを打てば、少しは眠れる」


 注射器の中の透明な液体を見つめる目は、笑っていなかった。


「使いすぎるなよ」


 軍医がそう言っても、止めようとはしない。


「止めたら、もっとおかしくなる」


 男はそう言って笑った。


 アストレイアの技術者たちは、その様子を静かに見ていた。誰かが壊れていく過程ではなく、K-LSLの運用データとして。


 それが現場の空気になると、壊れるのは速かった。


 射撃場の奥には岩壁があり、その手前に灰をかぶった砂丘が低くうねっている。乾いた風が吹く日だった。


 薬で目の焦点を失った戦友が、笑いながら空に銃口を向けた。


「見ろよ。今日は、全部軽い」


 何が軽いのか、本人も分かっていない声だった。


 そのまま引き金を絞る。


 乾いた銃声が岩壁に弾かれ、砂丘には空薬莢だけが散った。


 誰かが怒鳴るより早く、戦友はもう一度笑った。


 そして銃口を、自分の顎の下へ滑らせた。


 まるで次の手順を思い出したような動きだった。


 引き金が、もう一度絞られる。


 体が音もなく崩れ、砂丘に沈んだ。


 笑っていた口だけが、途中で止まっていた。


 誰も叫ばなかった。


 叫ぶ暇がなかったわけじゃない。


 叫ばないことに、慣れていた。


 係の兵が近づき、銃を取り上げる。安全を掛け、弾倉を抜き、薬莢の数を数える。軍医が来て脈を見て、首を振った。


「搬送。記録。次」


 それで終わった。


 俺はその場で指を握り込んだ。


 トリガーの重さが、自分の手にも残っている気がした。


 俺は、できるだけ薬には頼らないようにしていた。


 あの砂丘に散った空薬莢の音が、夜になると耳の奥で鳴り直す。自分がまだ笑っていないことだけを確かめて、目を閉じた。


 眠れない夜も、無理やり目を閉じてやり過ごす。


 体が勝手に戦場の感覚を探し始めても、動かないことで朝まで持たせた。


 けれど、ある任務のあと、それが崩れた。


 強行続きの作戦だった。


 白帯周辺の多重任務。敵も、ミュータントも、同時に相手にする。K-LSLは確かに役に立った。反応が遅れて死んでいた場面を、いくつも切り抜けた。


 その代わり、全身が鉛を流し込まれたように重かった。


 医務室のベッドで天井を見上げる。


 まぶたを閉じても、さっきまでの映像が消えない。機体の腕がちぎれる感覚。敵の頭部を踏み潰した振動。白帯をかすめた砲弾の軌道。


 それらが、脈と一緒に戻ってくる。


 指が勝手にトリガーの位置を探しそうになった。


 その流れで、笑いながら銃口を滑らせた戦友の、顎の下の角度まで思い出してしまう。なぜか、そこだけが正確だった。


「落ち着け」


 軍医の声がした。


「脈が上がりすぎだ。K-LSLの影響も出てる。鎮静剤を打つ。嫌なら拒否しろ」


 選べと言われた。


 口では。


 でも、体はもう自分のものではない感じがした。抑え込めていた震えが、腕から足へ広がっていく。


 断ったら、次に「軽い」と言い出すのは自分だと思った。


 俺は喉を鳴らし、かすれた声で言った。


「お願いします」


 腕に針が刺さる。


 冷たい液体が血管の中を流れた。


 数秒で、体の重さが別の種類に変わっていく。


 恐怖も興奮も、まとめて薄まっていった。頭の中が静かになり、代わりに何も考えたくなくなる。


 そのまま、眠りに落ちた。


 それから、医務室に運ばれたときには、同じ選択肢を自然に思い出すようになった。


 自分から打ってくれとは言わない。


 けれど軍医が「要るか」と聞いてきたら、首を横に振ることもできなかった。


 一線はまだ越えていない。


 そう自分に言い聞かせる。


 戦闘前の錠剤には手を出していない。出撃前に興奮剤を飲むのはやめている。


 でも、戦闘後の鎮静剤だけは、もう完全には切り離せなくなっていた。


 K-LSLで機体と自分の境界を薄くし、薬で自分の感情の境界をさらに削る。


 ヘルマーチは、そうやって人間の中身を削りながら、任務の効率を上げていく組織になっていった。


 俺はその流れの中に、自分の体と頭を差し出していた。


 そうしなければ生き残れないと、自分で選んだことにして。


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