↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の傭兵と光の園 〈ロボットイラストあり〉  作者: 青羽 イオ
第八章 名前のない兵士

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
41/128

第37話 二度目の引き金

 空き缶を蹴ると、コンクリートの床で乾いた音がした。


 高架下は、昼でも薄暗い。頭上の道路がときどき低く震え、そのたびに天井の継ぎ目から灰が落ちた。遠くには支線の白帯が白く走っている。そこだけは、汚れた街の中でも別の線のように見えた。


 手前には木箱とパレット、穴の開いたテントが寄せ集められている。人が溜まる場所だった。俺の寝床も、その中にあった。


 父を撃ったあと、俺はしばらくUDFの保護施設に入れられた。


 同じ質問を、何度もされた。何を見たか。どこにいたか。なぜ拳銃を持ったのか。父が何をしていたのか。母は何を言ったのか。


 俺が答えるたびに紙が増えた。


 誰も怒鳴らなかった。殴られもしなかった。ただ、手順だけが続いていく。やがて、俺は「保護の枠には入らない年齢」だと言われ、施設の外へ出された。


 その言葉の意味は、すぐに分かった。


 行き先のない子どもが最後に流れ着くのが、この高架下だった。


 腹が鳴った。


 市場裏の路地へ行けば、売れ残りの野菜くずや、値がつかないパンの端が箱にまとめて捨てられている。食べられるものは少ない。それでも、何もないよりはましだった。


 箱の中へ手を伸ばした瞬間、横から細い腕が先にそれをさらった。


「それ、俺が先に見つけた」


 反射で声が出た。


 相手は、俺と同じくらいか、少し下の年に見えた。痩せた顔に泥がついている。目だけが鋭かった。


「先に手ぇ出したほうのもんだろ」


 そいつはパンの端を握ったまま逃げようとした。俺は腕をつかんだ。


 揉み合いになった。箱が倒れ、路地に中身が散らばる。相手も必死だった。けれど、そのころには俺のほうが少しだけ力が強かった。


 肩を押さえ、パンの端だけをもぎ取る。


 相手は舌打ちして手を離し、すぐ別のゴミ袋へ走っていった。怒鳴る暇も、殴り返す暇もない。腹が減っているときは、恨むより先に次を探すしかなかった。


 口に入れたパンは固く、少し酸っぱかった。


 それでも、腹は黙った。


 こういう小競り合いは珍しくない。数日前まで見かけた子どもが、翌週には消えていることもあった。連れて行かれたのか、倒れたのか、誰かに売られたのか。確かなことは誰も知らない。


 噂だけが増えていく。


 日雇いの荷運びで小銭が入る日もある。けれど、いつも仕事があるわけじゃない。拾えるものは拾う。奪われる前に取る。


 それしかなかった。


 その日も、俺は拾えるものを探して歩いていた。


 午後、白帯の支線の少し外側で、妙な音がした。


 低い破裂音と、高い金属音。


 集積地の騒がしさとは違う。人の流れがざわつき、何人かが「またか」と言いながら高架下の陰に潜った。遠くで煙が上がる。


 ハブの外れで車列が攻撃されたのだと、すぐに分かった。


 灰膜の向こうにいる化け物じゃない。人間同士の撃ち合いだ。


 撃ち合いの最中には近づかない。流れ弾が飛んでくる。誰がどちらを撃っているのか分からないうちは、近づいたやつから死ぬ。


 でも、終わったあとには残るものがある。


 散った荷物。置き去りの道具。壊れたケース。運がよければ、武器。


 日が傾き始めたころ、銃声が途切れた。短いサイレンが二度だけ鳴る。この街の連中は、それで「ひとまず終わり」と判断する。


 俺も、様子を見に行った。


 細い路地と倉庫の隙間を抜けると、焦げた匂いが鼻に入った。広い道路に出た先が、さっきまで車列の通っていた場所だった。


 UDFのマークが入った武装トラックが横倒しになっている。タイヤが一つ外れ、道路の端まで転がっていた。RF輸送用のトレーラーも側面に穴を開けられ、まだ煙を噴いている。


 道路には箱、袋、金属ケースが散らばっていた。中身が飛び出しているものもある。


 人も転がっていた。


 呻いている者と、動かない者。


 周りの大人たちは目を逸らしながら、まだ生きている者だけを引きずっていく。だが、手が足りていない。封鎖線を張る余裕もなかった。


 俺は、その間を縫うように歩いた。


 狙いは、落ちている袋と、ひっくり返った箱の中身。倒れた人間の装備も見る。怒鳴られたら、「何も取ってない」と言って走ればいい。


 そうやって生きてきた。


 うつ伏せの兵士のそばに、黒い金属が落ちていた。


 見慣れた形だった。


 拳銃。


 息が一度、浅くなった。


 周りを見回す。今この瞬間、ここをちゃんと見ている大人はいない。俺は近づいて、それを拾い上げた。


 まだ少し温かい。


 煤と擦り傷がついた金属が、手の中で重く沈む。握っただけで分かった。これはすぐ撃てる。安全が入っていない。


 足元に弾倉も落ちていた。同じ型だ。


 拾ってズボンのポケットに押し込む。


 売れば金になる。食べ物にも替えられる。武器そのものを渡せば、どこかの仕事に入れてもらえるかもしれない。


 そう思って、うつ伏せの兵士のポケットへ手を伸ばした。


 その瞬間、手首をつかまれた。


 肩が跳ねた。


 兵士はまだ息をしていた。顔の半分が血で汚れ、片方の目だけがこちらを睨んでいる。


「てめえ……」


 かすれた声だった。


 兵士は俺の体を乱暴につかみ、引き寄せた。


「敵か。てめえらか」


 言葉は途切れていた。痛みと混乱で、半分はうわごとのように聞こえた。それでも、握る力だけは異様に強かった。


 肩口に拳が飛んだ。


 視界が揺れる。


 アスファルトに押しつけられた瞬間、古い記憶が戻ってきた。


 父の腕の重さ。


 床に叩きつけられたときの息苦しさ。


 母の喉に食い込んだ指。


 あの目。


 息が詰まる。


 兵士の手が首のあたりまでずり上がり、力を込めようとしていた。


「やめろ」


 声にならなかった。


 喉の奥がひりつく。視界の端が暗くなる。


 手には拳銃が残っていた。


 離していなかったことに、そのとき気づいた。


 逃げ場はない。殴り返す力もない。押し返そうとしても、体が動かない。


 だから、指が動いた。


 撃った瞬間の音は覚えていない。


 手のひらに残った熱だけが、やけに鮮明だった。


 すぐそばで何かがはじけ、兵士の体から力が抜けた。首を押さえていた手が外れ、重みだけが横へ崩れる。


 兵士の顔は、もう動かなかった。


 自分の周りだけが切り取られたように感じた。


 あたりでは、まだ叫び声がしている。負傷者を呼ぶ声も、車両の警告音も続いていた。けれど、耳が勝手にそれを遠ざけていた。


 また撃った。


 父のときと同じように、指だけが先に動いた。


 握った手が震え始める。


 離そうとしても、指が固まってうまく動かない。


 横合いから、荒い足音が一気に近づいてきた。


 泥で汚れた装甲ジャケット。重いブーツ。肩にはUDFの徽章がある。その下に、見慣れない小さな部隊章もついていた。


 数人が散って動く。互いの間隔を崩さない。銃口の向け方も、声の出し方も、さっきまで道路にいた連中とは違っていた。


「武装したガキだ!」


 誰かが叫んだ。


 次の瞬間、数丁の銃口が俺へ向いた。


「武器を捨てろ!」


 体が固まった。


 撃たれる、と思った。


「待て」


 低い声が割り込んだ。


 道路の先から、別の男が歩いてきた。


 深い色のコートを着ている。胸にはUDFの徽章。内側の装備にも、同じ部隊章が見えた。肩幅が広く、歩き方に無駄がない。


 目だけが、周囲をよく見ていた。


「大尉、こいつが発砲した可能性が高い。武装も――」


「見れば分かる」


 大尉と呼ばれた男は、足元の兵士と、俺の手にある拳銃を一度ずつ見た。


 顔色は変わらない。


 銃口はまだ、こちらへ向けられていた。


「その武器を捨てろ」


 命令なのか、確認なのか、考える余地はなかった。


 逆らえば終わる。


 俺は手の中を見下ろした。指を一本ずつ開くのに時間がかかった。拳銃を地面に置くと、近くの隊員が少しだけ銃口を下げた。


 完全には下がらない。


 それで十分だった。


「ここで死にたいか」


 大尉の言葉は、そのままの意味に聞こえた。


 責めているわけでも、助けようとしているわけでもない。


 今ここで撃たれて終わるか。まだ先へ行くか。


 選べと言われているのだと分かった。


「立て」


 大尉は続けた。


「立てないなら、ここで終わる」


 乱暴な理屈だった。


 けれど、この街のやり方に近かった。パンを取り合うのも、倒れた人間の装備を探るのも、ここでは同じだった。動けるやつだけが次の場所へ行く。


 俺は足元を見た。


 血で濡れたアスファルト。さっきまで、パンの欠片を探して歩いていた地面。


 ここで倒れて終わるか。


 知らない場所へ連れて行かれるか。


 俺は顔を上げた。


「行く」


 声はかすれていた。


 大尉は軽く顎を動かした。


「手を見せろ。動くな」


 近くの隊員が拳銃を拾い上げ、俺の手の届かない位置へ遠ざける。別の隊員が俺の腕をつかんだ。乱暴だったが、殴るための手つきではなかった。


「余計な動きをしたら終わりだ」


 大尉は低いまま言った。


「ついてこい。話はあとで聞く」


 俺は足を動かした。


 膝が震えている。それでも、止まらなかった。


 車列の残骸の向こうに装甲車が見えた。特務部隊の隊列が、当たり前のようにそこにある。壊れた道路と死体の間で、そこだけが別の規則で動いているように見えた。


「名前は」


 歩き出して少ししてから、大尉がふと尋ねた。


 口を開こうとして、止まった。


 名前が喉で引っかかった。


 言えば、また失う気がした。父と母のいた部屋に戻される気がした。あの目で見られた子どもに戻る気がした。


 沈黙が続いた。


 大尉は、それ以上追及しなかった。


「いらないなら、無理に思い出すな」


 男は前を見たまま言った。


「ここで必要なのは名前じゃない。番号で足りる」


 番号。


 その言葉だけが、耳に残った。


 そうして俺は、UDF特務部隊の装甲車へ押し込まれた。


 扉が閉まる。


 外の叫び声が遠のき、焦げた匂いだけが最後まで鼻の奥に残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。