第24話 灰の中のささやかな明かり
サキにとって、帰り道の灰は数値で見れば行きとほとんど変わらない。けれど膝の上の呼吸が一定で、それだけで肩の力が少し抜けた。
〈HUD〉[酸素飽和度: 96%/心拍: 安定]
前方モニター隅の表示を見て、サキはユウタのマスクに目を戻す。内側の白い曇りは増えては消え、呼吸も穏やかだった。足元から伝わる振動は規則正しく、画面の下では白帯が一本の光の線になって伸びている。
ユウタの指先が毛布の端を弱くつまんだ。
「寝ててもいいよ。ちゃんと戻るから」
前席で、アキヒトの肩がわずかに動いた。
沈黙が続いたあと、不意に声が飛んでくる。
「なあ、ひとつ聞く」
「はい?」
見えるのは彼の背中と、その向こうの灰だけなのに、言葉を選んでいる気配が伝わった。
「なんで、あいつらはユウタをあそこまで欲しがる? お前の話だと、"普通の孤児"なんだろう」
診察室のガラス越しに見た白衣たちの目がよぎる。肺の画像と、「E6因子」「自然発生例」という言葉も。
「うん」
サキは短くうなずいて、続けた。
「ユウタは、最初から灰の外で生まれた子だよ。私や、グレイランスにいる子たちのほとんどは、"灰の中"で生まれてる。企業の施設とか、灰膜が当たり前にある場所で」
「私たち?」
アキヒトが短く返す。サキは、いま口にした言い方を押し戻せず、そのまま言葉をつないだ。
「施設では検査が多い。数字を取られて、役に立つって判断された子は別の場所へ連れていかれる。何も出なかった子だけが、白帯沿いの孤児院に"移されて"いくの。光の園も、そのひとつ」
言ってしまってから、サキはユウタの頭に手を置いた。いまは眠っている小さな重みが、余計な言い訳を止める。
「移送の途中で襲われて、車列がばらばらになって。拾われて来た子もいる。私も、その一人」
前席から返事はない。HUDの数値は変わらないのに、自分の息だけが少し乱れる。
「でもユウタは違う。企業の街の中で生まれて、フィルターのきいた空気で育った。灰をほとんど知らないまま、ここに来た子だった」
そこでサキは言葉を切る。「普通の子」というラベルを、また口にしそうになって飲み込んだ。
「あ、ごめん。今の、忘れて」
しばらくして、アキヒトが短く返す。
「そうか」
問い詰めも、慰めもない。ただ受け取っただけの声で、サキはそれ以上言えなくなった。
その沈黙を、別の声が割る。
「ここ、どこ?」
ユウタが目を開けていた。マスク越しの瞳が、ぼんやり計器とHUDを追い、フロントモニターの灰の世界と一本の白帯で止まる。
「ユウタ? 起きちゃった? 苦しくない?」
「だいじょうぶ。ちょっと、へんなにおい」
鼻をひくつかせたあと、ユウタの目がぱっと大きくなった。
「すごい。ほんものだ。おっきい」
その一言で、さっきの重さが少しだけ遠のいた。
「アキヒトの、きかい?」
アキヒトの肩が揺れる。振り向きはしないが、横顔の硬さがわずかにほどけた。
「機械じゃない。RF-17SC、ストレイ・カスタムだ」
語尾がほんの少しだけ柔らかい。
「今日は特別にお前の救急車だ。調子に乗るな」
「うん。とくべつ、すごい」
ユウタの声が、マスク越しに弾む。サキは、その横顔がいつもより軽く見えるのに気づき、何か言いかけてやめた。ここで言葉を足すと、いまの空気まで崩れそうだった。
「また、のってもいい?」
「調子に乗るなって言ったばかりだ。それに、これは遊び場じゃない」
「そっか」
肩を少し落としても、ユウタは笑っていた。
〈HUD〉[索敵: 前方3,000メートル、味方艦影/IFF: グレイランス]
モニターの奥に、鈍い灰色の塊が浮かぶ。地表を滑る陸上戦艦、グレイランス。側面の艦番号と擦り減った塗装が見え、近づくほど側面ハッチへ伸びる誘導ラインと、甲板の係留設備が形を持った。
アキヒトは操縦桿をわずかに倒し、着艦ハッチへ進路を合わせる。
*
着艦ハッチが開き、格納庫の灯りが広がった。白枠の中でストレイ・カスタムが止まり、頭上でクレーンが動く。背中の固定金具にフックが噛みつき、かちり、とロックピンが鳴った。
〈HUD〉[機体固定: 完了]
「戻ったよ」
サキはユウタに声をかけ、膝の上の体を支え直す。
「今から降りるね。怖くないように、ちゃんと支えるから」
「うん」
コクピットハッチが開き、冷たい艦内の空気と油と金属の匂いが流れ込んだ。外側のざわめきが一気に近づく。
「戻ったぞー!」「ユウター!」
子どもの声が真っ先に飛び込んできた。格納庫に集まった子どもたちの輪へ、ストレイ・カスタムの胸部から梯子が降りる。アキヒトが先に下り、サキがユウタを抱えたまま慎重に続いた。
「サキ先生!」
「ユウタ!」
床に足をついた瞬間、子どもたちが駆け寄ってくる。
「ユウタだけずるい!」「中、どんなだった?」「こわくなかった?」
口々の声に、ユウタは少し照れたように笑った。マスクはつけたままでも、目元で分かる。
「すごかった。ボタンがいっぱいで、まえが、ぜんぶ、がめんで」
「いいなあ!」「おれも乗りたい!」
「だーめ」
サキが笑って手を広げる。
「今日は特別なの。勝手に乗ったら怒られるよ?」
輪の中がまた騒がしくなる。
「ねえねえ、それなに?」
誰かがユウタの手元を指さした。ユウタが握っていた白い筒状の吸入器だ。透明な部分に、わずかに色のついた液体が見える。
「あ、これ。くすり。とくべつなんだって」
「特別?」
「うん。ぼくのためのやつ。これ、すったら、ぜんぜんくるしくない」
「すごーい」「いいなあ」「ぼくも病院いったらもらえる?」
「それは困るから、元気でいてね」
サキが笑って制した。
輪の少し外側に、アキヒトが立っている。声の届く距離で、輪の中には入らない場所。腕を組んで、静かに見守っていた。
ふと視線を上げると、格納庫の奥でRF-17Cの肩の上にヒロがいる。工具ベルトからケーブルを引き出し、シールド側のパネルを開けようとしていた手を止め、工具を宙ぶらりんのまま下を見ていた。
子どもたちの輪の中のサキとユウタ、その少し後ろで外側を守るように立つアキヒト。音だけなら、いつもの賑やかな格納庫だ。だが、その一角だけは、見え方が変わる。
ヒロは小さく息を落として、ひとつだけ言葉にする。
「そう簡単に、捨てられる顔じゃないな」
誰のことかは、はっきりしないまま。ヒロはもう一度だけ輪を見下ろし、工具を握り直した。
灰の中では、まだUDFの補給車列が灯りを並べている。グレイランスは、そのあいだに浮かぶ、小さな一隻だった。
――次回、
第六章 ヴァイス艦長のひまつぶし
第25話「筋肉バカと脚部整備と艦長のため息」へ続く




