第20話 「いらないもの」の外側で
サキは灰の色がわずかに変わったのに気づいた。灰霧の向こうに縦へ伸びる輪郭が立ち上がり近づくほどそれが丘ではなく人工の遮蔽壁だと分かってくる。
外周を巡る高い壁の上には塔が並び口から青白い煙の筋がいくつも吐き出されていた。街のフィルターが吸い込んだ灰膜から燃料や材料になる成分だけを抜き取り残りに工業区画の排気を混ぜて外へ出しているのだろう。吐き出された筋の落ちるあたりの地面は黒く焼けた痕のように見えた。
〈HUD〉《目標構造物まで 2,000メートル/相対高度 +15》
アキヒトが速度を落とす。白帯の光は壁でいったん折れ専用ゲートをくぐって都市の中へ続いていた。灰の中で唯一はっきり見える線がそのまま内側へ伸びていく。
「あれがアストレイアの街」
サキは言葉を落とし膝の上へ視線を戻した。
「ユウタ、大丈夫?」
ユウタがまぶたを少し上げる。
「あれなに?」
「街だよ。お医者さんのいるところ。薬のあるところ」
「くすり」
壁が近づくにつれ大型ゲートや人用出入口、車両用スロープが見えてくる。重いシャッターとロックで閉じられ壁の上にはカメラと砲塔が並びこちらを静かに追っていた。
〈HUD〉《外部通信要求:不明端末》
〈ゲート管制〉『こちらアストレイア社第7防衛都市ゲートC。接近中のRF、識別信号を照合中。足を止めろ』
均一な抑揚の声が機内に響く。
アキヒトはストレイ・カスタムを壁から約300メートルで停止させた。灰霧を割ってサーチライトが機体をなぞり装甲だけでなく関節や武装マウントまで往復する。
〈アキヒト〉『こちらクレイヴアクト所属、VOLK-1ストレイ・カスタム。白帯護衛中の緊急医療搬送だ。患者は灰膜反応性気道疾患の疑い。医務ログを送る』
サブモニターに一瞬ジルの顔が映る。
〈ジル〉『グレイランスより補足。UDF第3補給中隊の護衛任務中に発生。灰災で家族を失った孤児、ユウタ(7歳)。イズミ医師の診断ログ、送信済み』
〈ゲート管制〉『ログ受信。解析中——』
短い沈黙。砲塔が角度を変え照準がこちらへ寄る。
「歓迎されてる雰囲気じゃないね」
「歓迎される用件じゃない。あいつらから見たら灰を連れてきた厄介者だ」
〈ゲート管制〉『患者の状態は? 意識レベル、呼吸数——』
〈アキヒト〉『酸素マスクで呼吸維持。呼びかければ目を開ける。発熱38.9℃。肺音に笛音あり。灰膜過敏の既往あり』
ユウタの胸がマスク越しに小さく上下する。
〈ゲート管制〉『了解。医療班が受け入れを希望している』
別の声が割り込んだ。前より低く尖っている。
〈警備〉『だが傭兵RFの単独進入は想定していない。武装機体を都市内に入れるわけにはいかない』
〈アキヒト〉『機体はゲート外に留置でいい。中に入るのはパイロットと患者、それから付き添いの一名だけだ』
〈警備〉『付き添いは一名までのはずだ。そちらの——』
〈アキヒト〉『付き添いは彼女だ。俺はパイロットとして同行する。そっちの規定でも"医療搬送時のパイロットは同行扱い"になってるはずだろ』
〈ゲート管制〉『確認中』
キーボードを叩くような音ののち声が戻る。
〈ゲート管制〉『医療案件のパイロット一名+付添者一名、許可範囲内を確認』
〈警備〉『了解した。ただし都市内では指示に従ってもらう。武装解除が条件だ。すべての発射系統を切断しろ。セーフティログの偽装があれば条約違反として処理する』
「武装解除してたら途中で死ぬかもしれないって話は通じないんだろうね」
「通じないさ。あいつらにとって大事なのは自分の壁の内側だけだ」
〈アキヒト〉『了解。メインウェポンはセーフティをかける。発射系への電源供給を切るログも送る。確認しろ』
〈警備〉『受信。解析に数分。そこで待機しろ。——勝手な動きは禁止だ』
壁の上のフィルター塔から青白い空気の柱が立ちのぼる。
「ここにはきれいな空気があるんだよね」
サキがユウタを見下ろしながら言う。
「灰を吸わないでいい空気。息をするたびに胸が痛くならない空気」
「その代わり外に吐き出されるのはさらに濃くなった灰とこの街では使い道のないものばかりだ」
アキヒトの声は事実を並べるだけの音だった。
「俺たちもその"外側"にいる」
低い機械音が近づく。シャッターが動く音だ。
〈ゲート管制〉『VOLK-1ストレイ・カスタム、ゲート前まで接近を許可。RFは外部ラックに固定。パイロットと患者、付き添い一名のみ医療区画へ案内する』
〈警備〉『RFの砲口を都市側へ向けた瞬間、迎撃砲塔が作動する。誤射は許容されない。——その場合、患者の安全は保証しない』
〈アキヒト〉『誤射はこっちも御免だ。そっちの砲塔が暴発しないことを祈ってる』
わずかな鼻笑いが回線の向こうから返ってくる。
アキヒトは白帯を横切らないように大きく回り込みRF用ゲート前の黄色の枠内で脚を止めた。
「今から少し揺れる。ベルトを触るなよ」
「はい」
足元でフックがせり上がりロックピンの音が続けて鳴った。
〈HUD〉《機体固定:完了》
〈ゲート管制〉『固定を確認。コクピットを開けろ。降りるまで再起動は禁止だ。——抵抗の気配があればこちらの判断で鎮圧する』
「先に俺が降りる。そのあとユウタと一緒に来い。急ぐな」
「わかりました」
ハッチが開き外気が流れ込む。ここはまだ壁の外なのにゲートから漏れた空気が混じっていた。冷たく乾いていて灰のざらつきが舌に残らない代わりに消毒液と金属、わずかな薬品の匂いが鼻を刺す。
アキヒトが先に地面へ降りる。ゲート前には深い青の防護服を着た警備兵と白衣の医療班が待っていた。誰もヘルメットのシールドを上げず黒い反射面がこちらを映している。
「患者はこちらへ」
白衣の女性が言う。端末にはもうユウタのデータが映っていた。
「酸素マスクはそのままで。ストレッチャーへ。——接触者は二名だけですか?」
「二人です」
「了解。灰膜外来レベル3。防護ラインCで搬送します」
背後で警備兵が言いかける。
「搬送前に武器の再チェックと——」
「医療優先です。細かい確認は搬送後に。——いいですね?」
医療班は淡々と遮った。柔らかい言い方でも優先順位は動かない。
サキが顔を上げるとアキヒトが一度だけこちらを見る。怒りも迷いも出さない目で行き先だけが決まっていた。
「行くぞ」
アキヒトが低く告げる。
「医者に見せて薬をもらって戻る。それだけだ」
「はい。一緒に行こうねユウタ」
サキはユウタをストレッチャーに寝かせた。小さな手が彼女の袖をつかむ。
「いっしょにいる?」
「いるよ。ずっとそばにいる」
動き出す前にサキは一度だけストレイ・カスタムを振り返った。外部ラックに固定された灰色の機体が壁の影に半分隠れその周りをゲート側のカメラが首を振りながら見張っている。
「すぐ戻るから」
サキはストレッチャーのバーを握る。反対側のバーがふっと浮き灰色の袖口が揺れた。アキヒトが無言で持ち上げていた。
やがてゲートのシャッターがゆっくりと開く。内側から吹き出してきた空気は驚くほど澄んでいて消毒液と金属に、ガラス越しの生活の匂いが混ざっていた。壁一枚の向こうに人の営みがあるのにその温度だけが違う。
——灰を食って生きる街。その内側へ。
ストレッチャーを挟んで三人はゲートの内側へ入った。
――次回、第21話「灰膜クリニック、値としての命」へ続く




