第26話 前編 ゼリーとマグカップと艦長と
格納庫を出て上のフロアへ向かう途中、ヴァイスは足を止めた。
曲がり角の向こうから、子どもの笑い声が聞こえてくる。続いて、小さな足音と、「待って!」という声。
ヴァイスは少しだけ目を細め、声のする方へ歩いた。
*
居住区近くの廊下は、いつもより少しにぎやかだった。
床の誘導灯ラインが細く光り、その周りで子どもたちが隠れ場所を探している。物資庫の前にはコンテナがいくつか積まれていた。
「七ー」
「八ー」
「九ー」
物資庫の扉の前で、ポチが壁にもたれている。目にはタオルを巻き、両手を腰に当てて、わざとゆっくり数えていた。
「タクト、足音うるさい!」
「リノ、こっち空いてる!」
「線から出たら負けだぞー」
ポチの声に、子どもたちは慌てて誘導灯ラインの内側へ戻る。壁際、コンテナの影、折りたたみテーブルの下。どの隠れ場所も、ヴァイスから見ればだいたい見えていた。
リノは支柱の後ろに隠れているが、肩が出ている。
タクトはコンテナの陰に入ったつもりで、靴だけ丸見えだ。
サナはテーブルの下で丸くなっているが、髪の先が床に出ていた。
全員、実戦なら一秒で見つかる。
ヴァイスはそう思ったが、もちろん口には出さなかった。
「十ー。よし、捜索開始」
ポチがタオルを外す。
「線から出たら、今日のゼリーが一個減るぞ。ルールは守れよ」
「えー!」
文句は出るが、誰も線を踏み外さない。
ポチはわざと大きな足音で歩き出した。
「ふむ。ここには……誰もいないな」
リノのすぐ横を通る。肩が見えているのに、見えないふりをした。
「コンテナの後ろも……いない。靴だけ落ちてるな」
タクトが慌てて足を引っ込め、コンテナに頭をぶつけた。
「いって……」
「今の音、かなり怪しいな」
ポチはそう言いながらも、まだ捕まえない。
その時、支柱の影に隠れていた子どもが、ヴァイスと目を合わせた。
子どもは慌てて口に指を当てる。
見なかったことにしてほしい、という顔だった。
ヴァイスは一度だけうなずいた。
そして、わざと足音を大きくして反対側の廊下へ歩き出す。
ポチがこちらを向いた。
「おや、艦長」
その一瞬で、子どもは支柱の影からテーブルの下へ移動した。
ポチは軽く敬礼する。
「現在、遊戯任務中です。通路が少し騒がしく、申し訳ありません」
「任務を続けろ」
「了解。隠密目標の捜索を再開します」
ポチは何も見なかったように向き直り、タクトの後ろへ回った。
「では、この靴の持ち主を探すか」
「うわっ!」
肩をつかまれたタクトが飛び上がる。リノが手で口を押さえて笑った。
次にサナが見つかり、最後にリノが支柱の影から引き出される。
「どうして分かったの」
リノが目だけでそう聞く。
「支柱が一本多かった。リノくらいの大きさのやつがな」
「えー……」
全員が見つかると、子どもたちは物資庫の前へ並んだ。
「今回の勝者は、線から一歩も出なかったサナ」
「……べつに」
サナは小さく言ったが、少しだけ得意そうだった。
タクトとリノが「次は勝つ」と言い合い、また騒がしくなる。
ヴァイスは少し離れた場所から見ていた。
ポチは手を出しすぎない。だが、放りっぱなしにもしていない。子どもたちが守れる範囲のルールを作り、その中で遊ばせている。
よく付き合っている。
そう思った。
*
遊びが終わると、子どもたちは食堂の方へ戻っていった。足音と笑い声が、少しずつ遠ざかる。
廊下には、ポチだけが残った。壁にもたれて、軽く息を整えている。
「ポチ」
「はい、艦長」
ポチは姿勢を正した。
「遊戯任務、終了しました。本日のゼリーペナルティはゼロ名です。何か問題でも?」
少しだけ緊張した声だった。
ヴァイスは首を振った。
「いや。任務評価は良好だ」
「……良好、ですか」
「そうだ」
それだけ言って歩き出す。
ポチは一瞬きょとんとし、それから苦笑した。
「ありがとうございます。次回は隠密精度をもう少し上げます」
「ほどほどにしろ」
ヴァイスは振り返らずに言った。
背後で、ポチが小さく笑う気配がした。




