抵抗
「そろそろいいかな、お姫様」
メリーアンジュの前を歩く男が振り返った。
近衛兵である男が、メリーアンジュの尾行に気づかないはずなかったのだ。
「ここなら、人目もないし、音をたてても気付かれない。
俺にも運がまわってきたな」
嬉しそうにメリーアンジュを見つめる瞳は、決して恋愛の眼差しではない。
「お姫様の血を少しもらうだけだ。
それにしても、さすがはマドラス公爵の姫君、美しいな」
命だけでなく、いろんなのが危ない。
メリーアンジュが一歩下がると、男が一歩近づく。
男が言うように、周りには誰もいない。
「儀式をしないと、血だけでは望みは叶えられない。それまで楽しめそうだ。
まさか、俺のものになるとは思わなかったぜ」
誰が、お前のものになどなるものですか!
メリーアンジュは、逃げるという思いと、ここまで来てという思いが交差する。
この男は、近衛兵でネズミを放流した犯人に違いないのだ。
誰も気づいてないから男を逃がしてしまう、その思いで尾行してきたのだ。きっとユークレナ結社の情報を持っているに違いない。
ベルンスト達が自分を大事にしてくれるのはわかっているが、逃げて隠れているだけでは終わらないと思っている。
一生隠れているわけにいかないのに、それをベルンストがしそうな事も気が付いている。
あんな目に合うのは2度と経験したくないが、一生ベルンストに守られ、軟禁のような生活というのも避けたい。
「王宮に姫が隠れているのを確認する為のネズミだったが、姫の方から来てくれるとは、俺は運がいい」
男がメリーアンジュを拉致するのは確定のように言う。
元々、人気のない王宮の端に目をつけていたのだろうが、人がいなすぎる。
ああ、ネズミ騒動で人がそっちにいっているのか、と納得するメリーアンジュ。
ネズミは庭園だけでなく、いろいろな所に逃げたのだろう。
どれほどの、ネズミを用意したのか。
「俺の空間魔術、入り口が狭いんだよな。ネズミぐらいならいくらでも詰め込めるのに、姫様じゃきついな。
どうやって連れだそうかなぁ」
薄ら笑いをしながら男が近づいてくる。
空間魔術、魔法のカバンを使えるということか。あれだけのネズミの量だ、大きな魔力を持っているということだろう。
しかも近衛兵、剣技も優れているに違ない。メリーアンジュに勝ち目はない。
フッ、とメリーアンジュが微笑む。
今まで、兄やベルンスト、ロイ、と類まれな能力者に囲まれ、勝ったことなど一度もないではないか。
勝ち目のない戦いは慣れている、と恐ろしく無謀なメリーアンジュだ。
だが、美し過ぎて冷たい印象のメリーアンジュが笑うと、誰もが見惚れてしまう。
それは、この男も同じだった。男の動きが、メリーアンジュに釘付けになるように止まる。
メリーアンジュはドレスの隠しの短剣に手を当てると呟く。
「ピッピ、私を助けて」
それは男にも聞こえていたらしい。
「やはり、護衛がいたか」
男は、存在のないピッピという護衛に対するように身構える。
メリーアンジュはその隙に、身を反転して逃げ出した。
男はきっと追ってくる、すぐに追いつけると思っているはずだ。
メリーアンジュは、魔力も剣技も少ないが、根性だけは人一倍だ。
出来の良すぎる周りに比べられ、甘やかされても、卑屈には育たなかった。
護衛がメリーアンジュを探しているはずだ、近くまで来ているかもしれない。
そこまで、この男を引き付けられれば捕まえられる。
メリーアンジュが頑張って走っても、女性のヒールでは速く走れない。しかも体力が違う。
すぐに距離は縮まり、メリーアンジュの心臓は爆発しそうなほど鼓動している。
苦しい。
「ベルンスト、ベルンスト」
無意識に呼んだのは、兄ではなく、ベルンストの名前。
「ベルンスト!」
今にもメリーアンジュを掴みそうだった男が、魔衝波で吹き飛んだ。
メリーアンジュの前に現れたのは、ベルンストだった。




