発端(5)
「凄い熱じゃないですかー!」
琉雨は薬に水を持って由宇麻に駆け寄った。ソファーに寝た由宇麻は赤い顔してそれらを受け取る。
「ありがとうな、琉雨ちゃん」
「医者呼ぶか?」
洸祈は病院住まいだった由宇麻に提案するが勢いよく首を振って断られた。
「駄目や!もう加賀先生には迷惑かけん。そう誓って病院を脱け出して来たんや…か…ら……って…」
「脱け出して?」
……………………………………。
「ま、間違えたわ。脱け出してやのうて逃げ出し…そう!退院してや!!」
無理矢理。
「お前、勝手に病院出てきたのか?」
「昔の話や!何かあった時、病院に居た方が対処早くできて、大事に至らなくて済むって。でも嫌なんや!先生に迷惑かけんのも、死ぬ気なんてさらさらないけど、なにも知らずに狭い部屋で外眺めて過ごすのも!それに、これ以上死んだじぃちゃんに心配させたくなかったんや!」
「心配って」
普通は違うような…
「じぃちゃん、外はええんやでって。楽しいこと沢山あるんやでって。優しい人沢山おるんやでって。由宇麻には知って欲しいなって。じゃないとじぃちゃん成仏できへんなって!」
「ごめんな、司野。呼ばないよ。だけどマジでまずいと思ったら呼ぶからな」
喉を鳴らして薬を飲んだ由宇麻の頭を洸祈が撫でると、彼は猫のように目を細めて布団に潜った。
「由宇麻は何処だ?」
開口一番はこうだ。
「電話で伝えた通り、風邪を拗らせたようで…彼は二階で寝てます」
由宇麻の看病を琉雨に任せた洸祈は由宇麻の父親だった人、司野源を正面から見た。
「ではこれが依頼料だ。由宇麻は二階だと言ったね。では、連れていかせてもらう」
源は中に入った札で分厚くなった封筒をテーブルに投げ捨てると居住区への階段を見付けて腰を上げた。洸祈は上から目線の源に反発を覚えながらも穏便に立ち塞がる。源は洸祈をギロリと睨目上げた。
「何かね」
「連れていくのは待ってください。今は動ける状態じゃないんです」
「あれは私の―」
「あなた!!」
美恵子の神経質な声が源の言葉を塗り潰す。
「すみません。あの、由宇麻は私達の車で病院に送りますので」
お願いします。美恵子の瞳が訴えてきた。
「分かりました。しかし、本人は病院を本当に厭がっているので出来れば何処かで安静にしてあげてください」
「とうとう、私のお兄ちゃんになるはずだった人に会えるのね」
真奈美は源と洸祈の険悪なムードの中で楽しそうに笑う。
やはりなのか…
「真奈美!お前はここで待ってろ!!!!」
厳しいから酷しい表情に変えた源は外まで響いてるんじゃないかと思われるような大声で真奈美を叱咤した。親は親でも、厳格な父親に怒鳴られた真奈美は肩を震わせる。
恐怖と怒り。
「落ち着いて…」
美恵子はおろおろし、
「ふん」
源は眉を潜め、
「………」
洸祈は傍観者を努め、
真奈美は…
「なによ!!!!」
そう、彼女は若いのだから…
「言ってやる!お父さんは市長選挙で自分の醜い過去を曝されないように、その人との縁を戻そうとしてるくせに!!ついでに国家公務員って肩書きも添えてより有利に進めようとしているだけのくせに!!!!罪滅ぼしとかなんとか言って、全部自分の為じゃない!お母さんだって知ってて…無理矢理みたいなことしてそんなのその人が可哀想だよ!!もう大人なんだよ!?その人はこうやって心配してくれる人達と一緒にいたい―」
「お前は!!!!」
ひゅっ
赤い、激怒した源の顔。握られた拳は容赦なく真奈美を捉えた。
「きゃー!!!!!」
洸祈はここで傍観者をやめた。伸ばした手が源の拳を掴む。
「放せ!」
「言わせてもらいますが我が子を拳で殴る父親なんかに俺は市長になって欲しいなんて思わない」
「うるさい!!」
うるさいは俺の台詞だ。
あれは私の……………“もの”
そんなこと言う奴なんか…
…―由宇麻さん!!!!―…
琉雨の叫び声。
バタン
ドアの音に続くカンカンと言う音。あの音は…
二階から下へと繋がる階段を誰かが駆け降りる音。
「司野!」
「おい、あいつ!」
状況を理解した源が由宇麻を追い掛けようとする洸祈の腕を掴んだ。
「放してください」
「あいつを連れ戻せ!」
源の血走った瞳。
濁りきった瞳。
……………………………………。
「――です」
「は?」
「限界だ!!!!」
洸祈は力の限りで源を突き飛ばし、ダンと鈍い音を発てて彼は壁にぶつかった。
「あなた!!!!」
美恵子が一目散に駆け付けて唸る源を介抱する。流石に真奈美も驚いた目を向けた。
「何をする貴様!暴行罪で―」
「慰謝料です。これ受け取って帰ってください。司野はあなた達のもとには帰りませんから」
先程貰った依頼料の紙袋。
「いつか、司野に会いに来てください。司野はあなたとなら気が合いそうですから、真奈美さん」
素直な気持ちを真奈美に伝えた洸祈はそれを彼女の手に置き、三人に脇目も振らずに駆ける。
司野、ごめんな。
俺が迎えに行くよ。