帰路
鳥達に探させているが、由宇麻はなかなか見付からない。
オリンピック選手並みに足が早いか、地下鉄を使用したでもない限り、普段は何かしらの手掛かりが見つかる頃合いだが、未だに手掛かりはゼロ。
由宇麻は鬼ごっことかくれんぼが相当上手いようだ。
洸祈は周防病院に来ていた。
「熱があるのに走り回って……」
ここらで一番近い病院。
もしかしたら、何処かで倒れて運ばれたかもしれない。
そう思った洸祈は他に宛てもないのでやって来たのだった。
「すみません。ちっこくって可愛い、30歳の人運ばれて来ませんでしたか?」
「小さくて可愛い、ですか?」
受付のナースのお姉さんは困惑するだけだ。
「えっと、じゃあ……熱で運ばれた人は?家族が高熱なのに外出して帰って来なくて」
お向かいさん――では、教えてもらえないだろうと、洸祈は嘘をついた。まぁ、同じ釜の飯を食べたのなら、家族みたいなものだろう。
「高熱で?それは心配ですね。熱……ああ!2階の第三医務室で診断を受けてる方かな……」
「どうも!」
はぁと気の抜けた返事をしたナースは首を傾げて業務に取り掛かった。それを尻目に洸祈は階段を駆け足で上がる。目指すは第三医務室。
「司野!」
ガラッ。
………………うん。
何もかもを間違えた。病院なんか来るんじゃなかった。第三医務室にも来るんじゃなかった。
白衣の医者が知らぬ男と――
熱烈なキスを――
「お取り込み中でしたか……人違いですね。それじゃあ……」
「いやー、ごめんねぇ、先生」
パッと男から離れた医者は、ドアを閉めようとした洸祈の服の袖を掴んだ。
「俺は先生じゃない」
「黙って」
何故、こちらが黙らなくてはいけないのか。
しかし、医者は洸祈を医務室に強い力で引き入れると、出入り口を塞ぐように立った。
「じゃあ、また来月。お大事に」
何食わぬ顔で医者がヒラヒラと手を振ると、小さくて可愛いのかもしれない男は俯いたままそさくさと出て行く。
「俺、迷子の仔猫さんを探しているので」
「私も探してたんだよ。由宇麻君をね」
白衣に付いたプレートには「加賀」の二文字。物凄く覚えのある……。
「司野の担当医……とか?」
「担当医の加賀龍士とかだよ」
中肉中背の中年男。40代ぐらいだろうか。別に不衛生な感じはせず、寧ろ、シワのない白衣からスッと黒のスラックスを覗かせる様は清潔感があった。
黒色の前髪の隙間から見える黒目は垂れ目で、安心感を漂わせる。白衣も相まって、程よく円熟しているように見える。ただし、初対面の者には、だが。
洸祈の第一印象は言うまでもない。
「ところでさ……」
するりと洸祈の顎に伸びる手。
「近寄るな変態」
触れる直前に洸祈がその手を払った。
ベチンと音が響いたが、加賀は痛がる様子も驚く様子もなかった。
「由宇麻君とはどういう関係だい?」
真面目になる切り返し。
「ただの仲良し」と洸祈は答えた。
すると、手を背中に隠した加賀は首から下げたIDケースから一枚の紙片を取り出す。
褪せたそれは写真だった。
「可愛いだろう?」
こちらを向き、あっかんべーをする枯草色の髪の青年。
「由宇麻君だよ」
裏に記された日付は10年前。
「二十歳の時の彼」
今と全く変わっていない。
10年前から成長も老化も感じられない。
「驚いただろう?きっと、君の知る由宇麻君は今と変わらないはずだ」
キスをしていた男が座っていた椅子を勧める加賀。
洸祈はそれを断って壁に背中を凭れる。
そんな彼の前で、加賀は「よっこいしょ」と溢しながらキャスター付きの椅子に腰掛けた。疲労感は見えないから、もう癖なのだろう。程よいどころか、熟し過ぎて中身がおじいちゃんだ。
「由宇麻君は二十歳を境に成長を止めた。成長することをやめたのかもしれない」
「なんで……」
「別に、由宇麻君の居場所を知らないわけじゃないんだ。お祖父様から貰った家に住んでいるのは知っている。でも、連れ戻せばいいって訳じゃない。あの子にとって、あの家がどれだけ大切なのか、私は理解しているつもりだからね」
「なんで、俺にそんなこと……」
「君は友達を作ることを何よりも嫌がった由宇麻君の友達なのだろう?」
当たり前と言わんばかりの表情。
友達を作ることを何よりも嫌がったなんて初耳だ。会って何日目だと言う話ではあるが、あの人懐っこさと底抜けの明るさで、友達作りが嫌いとは露ほども思わないだろう。
「彼はね、可愛い顔して意地っ張りで負けず嫌いだから、誰かが気に掛けてあげないと、取り返しのつかないことになる恐れがあるからね。本当は病院に帰って来て欲しいんだけど、由宇麻君の人生は由宇麻君のものだから。嫌がる彼に無理矢理はできない。だからね、君に頼みたいんだ。きっと今、君の前であの子は元気に笑っているのだろう?それを守って欲しい。私の代わりに」
長く見守ってきた医者に比べたら浅すぎる仲だが、冗談抜きのその表情に洸祈の背筋は伸びる。加賀は本気で頼んでいた。
「………………」
「おや?何処か具合が悪いのかい?色々していいなら、由宇麻君の友達だし、サービスで診断するよ?」
洸祈が返答せずに立ち尽くしていると、加賀は直ぐに本気の顔を崩す。
何となく、由宇麻が迷惑を掛けたくないと、担当医を気遣う理由が分かった気がした。
この人には不器用でも下手くそでもいいから、何か返したくなる。
洸祈は茶化した言葉を右から左へ流すと、重くなった口を動かす。
「司野は友達じゃない……大切な人だ」
ただのお向かいさんではない――ちゃんと目を逸らさずに向き合って一緒に生きていきたい人。
「ありがとう」
椅子から立ち、深く頭を下げる加賀。
心の底からの感謝なのは洸祈にも分かった。
「由宇麻君は良く屋上に上がって泣いていた。彼は厭なこととか、悲しいことがあると、高いところで一人になろうとするんだ。迷子の仔猫さん探しに役立てて欲しい」
「ありがとうございます」
ドアに手を掛けた洸祈。その後ろ姿に加賀が慌てて声を掛けた。
「君の名前……!訊かせてくれないかい?」
「…………まぁ、そっちも名乗ったし……俺は崇弥洸祈」
「洸祈君……いつでもいいから、由宇麻君の様子を時々でいいから教えてくれないかい?こうして会えたのも、運命だろうし」
加賀のもとを離れた由宇麻を信用している。由宇麻が前に進むための別れだと知っていながらも、加賀は洸祈に願っていた。自らの欲の為に他者にお願いをする――申し訳なさそうに言葉尻をすぼめて下を向きながら加賀は言う。
「いいよ、加賀先生」
洸祈は一瞬だけ振り向き、いつものポーカーフェイスを浮かべると、颯爽と外に踏み出した。
ありがとう。
加賀の声が聞こえた気がした。




