第2小節目:What Am I To You?
「おはよ、小泉!」
翌朝。
夜更かしを引きずって眠い目をこすりながら校舎に入ったあたりで、パン、と背中を叩かれて、
「お、おはよう……!」
振り返ると制服姿の東条がニコニコしていた。
「何その眠そうな顔。え、迷惑だった?」
「いや、おれは別に迷惑とかじゃないけど……」
けど、昨日まで話してなかったのにわざわざ挨拶なんてしたら注目を集めないか、ということが心配だったのだ。が、なんとなく自意識過剰だと思われそうで口にするのはやめておく。
「あ、昨日まで話してなかったのにどうしたって注目されちゃうんじゃないかってことが気になってる?」
……バレバレじゃん。
「そんな風に思われるようになったかー、あたしも。あはは」
「なんで嬉しそうなんだよ」
「いやいや、なんていうか、ね。でも、あたし、そんな大したタマじゃないよ。注目とか別にされてない。唯乃ちゃんとかならいざ知らず」
天瀬唯乃。去年のミスコン学年1位の女子だ。
「あ、そうだ」
東条はふと、おれの耳元に唇を寄せて、
「今日、合鍵、ちゃんと持ってきた?」
……こそこそ声がこそばゆい。
「……ああ、まあ。カバンから出してないから」
「そっか、こっちから誘ったのに待たせちゃってごめんね。くつろいで待ってて」
放課後。
おれはお言葉に甘えて、東条の秘密基地に行く。昨日、秘密基地を出る時に場所は確認済みだ。行きは目隠しされたからな……。
鍵を開ける時、扉に打ち付けられた看板が目に入る。
昨日は見る余裕がなかったけど、店名は"Secret Bass"というらしい。"基地"のBaseと"低音"のBassをかけたのだろう。
東条がここを秘密基地と呼んでいるのも、完全に彼女の発案というわけでもないのか。
「失礼しまーす……」
なんというか、東条の部屋に勝手に入ってるみたいで若干気が引けるな……。
レコードを聴いてみようと思い、レコード棚を物色する。
よくみると、レコードだけじゃなくCDもあるし、ジャズ喫茶といいつつ、ロック、ブルース、ファンクと、ジャンルは幅広い。
好きな音楽が聴ける素敵な店だったんだろうな、と思う。
なんとなく特大のスピーカーに手を合わせる。
おじいさま、僕はあなたの可愛い孫に手を出そうとしている不逞の輩ではございません。あ、あと今の『可愛い』というのはルックスのことを言ったわけじゃなくて、おじいさまからするとさぞかし可愛いだろうという意味です。「なんでえ、じゃあうちの孫娘がルックスは可愛くないとでも言いたいのか」と凄まれたら、そんなことは全然ないと答えますけど……。
会ったことないのになぜか江戸っ子設定の東条のおじいちゃんに言い訳をしてから、レコードを横目に、アップライトピアノの蓋を開ける。
レコードを堪能する前に、昨日の復習をしないと。
数時間後。
ぎぃー……
「小泉、きてるー……?」
おそるおそるといった感じで開いた入り口の扉から、東条の顔が覗く。
「あ、きてた! お待たせ!」
そんなに嬉しそうな顔をしないで欲しい。
「あれ? ジャズ聴いてなかったの?」
カバンとコンビニのビニール袋を置きながら東条が近づいてくる。
「ああ……あとで聴こうと思ってたんだけど。昨日帰った後、アレンジしてたんだけど、その練習」
「あれんじ?……って何?」
「編曲」
「編曲って何……?」
「アレンジ」
「何その出来の悪い国語辞典みたいな返事!?」
「頭の回転早いな……国語出来るんだな」
「いや、いきなり褒めないでよ嬉しくなるから!」
なんで怒ってんだよ。
「編曲っていうのは……まあ、メロディと歌詞作りと演奏以外の全部だよ」
「え、すご」
「昨日は勘でコードを鳴らしてただけだからな。もっとちゃんとやってみようと思って。こんな感じ」
おれは弾いてみせる。
昨日のが雑にコードを鳴らしていただけだとすると、今日のはフレーズもメロディもついている。
「どう? イメージと違うところとかあったら……」
「…………やばい」
「……何が?」
俺の演奏技術が低すぎてやばいって意味だよな……? ……とはさすがに思わなかったけど、
「嬉しすぎる……!」
また東条が地団駄を踏むから少し安心した。
「やばすぎるよ小泉! 何これ、あたし頼んでないんだけど!!」
「それ、普通嫌なことされた時にいうやつ」
「嫌なわけないじゃん!! 最高! 嬉しい! あたし、幸せ!」
「語彙」
とにかく喜んでくれているのは伝わる。やった甲斐があったもんだ。
「え。ていうか、もしかしてそれで眠そうな顔してるの?」
「うん、集中してたら3時とかになってて」
「3時!? 大丈夫なの……!?」
「うちのピアノ、電子ピアノだから夜中まで弾いて大丈夫なんだよ。近所迷惑になってない」
「いやいやそこ全然心配してないから!」
東条が手を顔の前で振る。
「え、ねえ……あの、確認しときたいんだけど……」
「うん?」
「小泉って、なんていうか……こういうこと……普通にする人?」
「……どういうこと?」
「その、昨日ちゃんと話したばかりの人のために、曲のアレンジとかをする人?」
「別に東条のためってことではないけど……?」
「へえ……?」
「なんだその意味ありげな感じは」
「ううん、別に? いや、でも、なんていうか、思わせぶりっていうか、なんていうか?」
思わせぶり?
「なんかおれが東条に曲をプレゼントしたみたいに思ってる? だとしたら誤解すぎる」
「へ、そうなの? プレゼントっていうか……作ってくれたっていうか……」
「作ってあげたんじゃなくて作っただけだよ。おれが作りたかったから」
「ぅっ……!」
「昨日おれも楽しかったから。東条の詩、良いと思ったし」
「ちょっとやめて! そっちの方が嬉しいから! あたしの心のやらかい場所にあんまり土足で入ってこないで……!」
こちらに手のひらを出して静止を促す東条。
こちらこそそんな反応するのやめてほしい。
「どうでもいいんだけど、そろそろ合わせてみてもいい? せっかく作ったから」
「どうでもよくはないけど、でも……うん!」
おれは「せーの」と言って曲を弾き始める。
「好きなところで入って」
「わかった」
そして東条はまた詩『ありのまま』の朗読を始める。
昨日も思ったことだけど、東条はリズム感がある。
彼女も自覚している通り音程は取れないみたいだけど、読むタイミングや、韻律の重ね方は完璧だ。
それに、声もすごく良い。
綺麗というのとは違うが、角が丸くて、しかしふわふわせず、芯の通った声だ。
弾き終わると。
「わあ、やっぱりすごい面白い……!」
またしても地団駄を踏む。その地団駄すらリズミカルに聞こえるから面白い。
「いやあ、他の詩も全部小泉が曲をつけてくれるなんて夢みたいだよ……!」
「全部!? そんな約束したっけ!?」
「あはは、冗談冗談。約束したのはそれじゃなくて……って、あ!!!」
「ん?」
「やばい、アイス!!!」
「アイス?」
「……買ってきたのに、しまうの忘れてた」
「ええ……」
そういえばビニール袋持ってたな。
テーブルに置いてあった袋からは、ぐにゃんぐにゃんになったカップアイスが出てくる。
「昨日の約束果たそうと思って買ってきたんだよ、せっかくハーゲンダッツなのに……!」
「約束? ……ああ、あれか」
『え、それだけ!? それだけでいいの!? アイスくらい奢るよ!?』
『『それだけ』じゃない、すごいことだ。こんな良いスピーカーで好きな曲が聴けるなんて。でも、アイスはせっかくだから奢ってくれ』
「買い直してくるう……」
「いいよ別に。一曲聴かせてくれればそれでいいって言ったじゃん」
「でもそれ、結局あたしの謎曲で消費しちゃったじゃん! あんなの約束守ったことにならないし」
「でもほら、レコード聴き放題にしてくれただろ?」
「それはあたしが待たせちゃう代わりのやつだし、それに、聴いてないんでしょ? アレンジしてくれてたから……」
「まあ……今日は」
「だめ! 今すぐ聴いて! あたし果たされない約束など大嫌いなの!」
「椎名林檎……? っていうかこの場合約束を反故にしてるのっておれになんの?」
「ごちゃごちゃうるさいなあ! さあ、聴いて! このスピーカーから音聞くのに一番良い席はどこ? そこに座って! 今すぐ!!」
そんなに強要されて聴くものなのか? とは思わないではないというかめちゃくちゃ思ったが、まあ彼女の律儀さのあらわれなんだろう。
「一番良いのは……たぶん…この辺?」
おれは4つある机のちょうど真ん中らへん…… 机がない場所を指さす。
「えっ、そこ……?」
と、東条の瞳がなぜか揺れる。
「あ、いや、どこかっていうとここだってだけで現状の席配置に文句を言ってるわけでは……」
と、若干しどろもどろになりながら言い訳みたいなことを言っていると、
「……そっか、だからなんだ」
と東条が小さく呟く。
「ん?」
「あたしのおじいちゃん。開店前とかお店が休みの時にここに来ると、いつも決まってここに椅子を置いて目を閉じてレコード聴いてたの」
「ああ……」
「ほら、だからここに椅子を置いたあとがあるでしょ?」
言われてみると、焦茶色のフローリングに4つ、『・』みたいな白い跡があった。
東条は懐かしむように、優しく微笑む。
「小泉ってすごいね……おじいちゃんみたい」
「え? いや、一般的に左右のスピーカーと自分が正三角形になる場所がいいとされてるから言っただけだよ。オーディオ好きならみんなここだっていうよ」
「……小泉って、エモくないっていうか……侘び寂びみたいなのないんだね」
あれ、なんか幻滅されてる?
「でもおかげで変にしんみりしないですんだ! じゃ、ここに椅子をおこう。はい、座って!」
「いいのか?」
おれはそっと腰掛ける——
「何流す? レコード選んで」
「ほい」
——けど、結局すぐに立ち上がることになった。
棚を見させてもらって、
「これにしよう」
Norah Jonesの"Feels Like Home"を取り出す。
CDが生まれてからのアルバムだけど、レコードでも聴いてみたいと思っていた。
「はいよ」
東条はおれからレコードを取り上げ、レコードプレイヤーに向かって歩いていく。
「再生の仕方分かるのか?」
「おじいちゃんにせがんで何回も触らせてもらったからね。ど頭からそこの席で聴きたいでしょ? 再生始めて席戻るまでの間になり始めたらことだから」
「こととまでは言わないけど……、でも、ありがとう」
「ありがとうはこっちのセリフなんだが?」
東条は顔をしかめたあと、慈しむようにレコードの針をつまんで、そっと針を落とす。
そして今日も、空間をウッドベースが揺らした。
「良い音だな……」
目を閉じてうっとりとしたため息が漏れ出る。
「ふーん、どれどれ」
東条の靴音がした気がするが、大音量のスピーカーにかき消される。
一曲目が終わって、
「すごいね」
と耳元で声がした。
目をあけると、
「っ……!?」
すぐ右横……ほんの数センチ、頬と頬が触れてしまいそうな距離に、東条の顔があった。
がた、と音を立てて距離を取る。2曲目が流れている。
「ん?」
と目を開けてこっちを向く東条。
「……ってごめん!!」
彼女も一気にのけぞった。
「ご! ごめん!! あたし、あざといことしてたね……!? いやいや、あざといも何もあたしにされても不快なだけだろうけど……!」
「あ、あざといっていうか……」
無自覚なのかよとか、あざとい自覚はあんのかよとか。
「違うの違うの、単純にベスポジの音響をあたしも聴いてみたいなと思ってただけで、そういうつもりじゃなくて……!」
「お、おう……」
そうなんだろうとは思うが、重々気をつけて欲しい……!
「と、とにかく! ここは小泉の指定席ね!」
「指定席……?」
「そう! じゃ、アイス買ってくるから! ばいばい!」
「お、おう……!」
東条は店を飛び出し……たかと思うと、顔だけ戻ってきて、
「今の『ばいばい』は『アイスを売買する』って意味と結果的にかかってます! あと、『ばいばい』って言ったけど戻ってくるから! 帰っちゃったりしないでよ!? くつろいでてね!」
と謎の念押しをして去っていく。
レコードからはまだ2曲目"What Am I To You?"が流れていた。




