第十四話 桜吹雪に降る時期かな 其の肆
狭霧村の外れへ向かう道には、なおも花びらが舞っていた。
ひまわり通りを抜けた先、村と山をつなぐ細い路地にも、石垣の上にも、赤い屋根の隙間にも、薄桃色の花弁がふわり、ふわりと降り積もる。空は晴れているのに、まるで目に見えぬ桜雲が村全体を包み込んでいるかのようだった。
姫紬は歩みを止めず、時折立ち止まっては周囲を見上げた。
「桜咲山……」
シシから聞いた名を、もう一度小さく呟く。
山の向こうにある、春に桜が咲き誇る場所。季節外れであるはずの今、そこから花びらが流れ出しているという。ならば、この異変の根はきっとその山にある。そう思うほどに、胸の奥の違和感は確信へと変わっていった。
道の脇では、農作業の手を止めた人間たちが空を見上げていた。
「今年の桜は早いなあ」
「いや、早いどころか、咲く場所がおかしいだろう」
「でもきれいだねえ……」
そんな声が聞こえるたび、姫紬は少しだけ表情を曇らせる。美しいものは、それだけで人の心を和ませる。けれど、本来あるべき場所を外れて咲く花は、やはりただの春ではない。
彼女はひとつ深呼吸をすると、足元の小川に沿って進んだ。村の外へ出る道は、しだいに石畳から土の道へ変わる。両側には低い草が伸び、遠くには山並みが濃く見えた。花びらは村の中心より少なくなったが、それでも途切れず漂っている。まるで、見えない風に導かれているようだった。
やがて、狭霧村の門が背後に小さくなり、前方にはうっそうとした山道が広がった。
桜咲山へ続く道である。
山肌は険しくないが、どこか落ち着かない。木々はまっすぐ伸びているのに、枝先だけが妙にざわめいている。春でもないのに花芽を持つ枝が混じり、風が吹くたびに淡い色が揺れる。姫紬は足元を確かめながら歩き、途中に残る妖気の痕跡を探した。
「……こちらですわね」
花びらの流れが、少しずつ濃くなっていく。
山道の石段に差しかかる頃には、空気までがほんのり甘い香りを帯びていた。桜の香りに似ているのに、どこか湿り気を含んだような、山の奥へ引きずり込まれるような匂い。姫紬は袖口を軽く握り、気を引き締める。
石段を上ると、視界がふっと開けた。
そこは、山の斜面を利用した古い参道だった。左右には背の高い杉が立ち並び、地面には長い歳月で磨かれたような踏み石が続いている。だが、その先へ目をやると、景色は一変した。
山の中腹に、桜が咲いていた。
一本ではない。二本でもない。
山の肌そのものから、まるで無数の桜が湧き出しているかのように、幹も枝も見えない場所へ花が広がっている。淡紅色の波が斜面を覆い、風に合わせて花びらが渦を巻く。その中心へ近づくほど、花の数は増し、景色は現実感を失っていった。
「……これが、桜咲山」
姫紬は息をのみ、立ち尽くした。
美しい。たしかに美しい。だが、あまりにも多すぎる。花が咲くというより、山全体が桜へ変わってしまったかのようだった。枝も幹もないのに花だけが増え続けるその光景は、見る者を魅了しながら、同時に不安をかき立てる。
花びらがひときわ強く舞い上がる。
その風は、村から吹いてくるものとは違った。山の奥から、何かが息をしているような気配を伴っている。
姫紬はそっと目を細めた。
「ここに、異変の答えが……」
参道の先には、さらに深い山影が続いている。そこへ踏み込めば、何が待っているか分からない。それでも、姫紬の足は止まらなかった。花びらが肩をかすめ、着物の袖にひらりと落ちる。
彼女はその一枚を見つめ、静かに息を吐いた。
「参りますわ」
言葉と同時に、姫紬は桜咲山へ向かって一歩を踏み出した。
花吹雪はなおも降り続く。
山の奥へと続く道の先に、見えない何かが待っていることを感じながら、姫紬はしっかりと前を見据えた。
そして、そのまま桜に覆われた山の入口へ到着する。
花びらが、ひときわ強く舞った。
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