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 作戦決行の夜。

 私は、敵国の国境都市サン・ローランの貧民街にある、薄暗い地下酒場にいた。

 腐った酒と安タバコの紫煙が充満する個室。

 目の前に座っているのは、この街の裏社会を牛耳る「影のギルド」の顔役であり、教団へ『夢見草』を卸している密輸ルートの元締めだ。

 眼帯をした古傷だらけの男が、私の差し出した木箱の中身を、値踏みするように鑑定している。

「……ほう。こいつは驚いた」

 男が指先で摘み上げているのは、我が国の最高技術を結集して刷り上げた「偽造免罪符」だ。

 最高級の羊皮紙になめらかな手触り。鮮やかな多色刷りのインクは、指で擦っても滲むことはない。金箔の装飾まで施され、ランプの光を受けて神々しく輝いている。

 教団が売っている、滲んだインクの安っぽい正規品とは雲泥の差だ。

「教団のシマを荒らすのは御免被りたいところだが……これだけ上玉の『商品』を、タダ同然で卸してくれるってのは本当か?」

「ええ。条件は一つだけ。これを貴方たちの流通網ルートを使って、街中にばら撒いてほしいのです」

 私はフードの下で、冷徹な投資家の声を演じた。

「露店の釣り銭として、酒のオマケとして、あるいは賭場の景品として。……とにかく『安くて高品質な免罪符』が手に入ると、民衆に刷り込んでください」

 顔役は疑わしげに私を見た。

「動機はなんだ? ただの慈善事業じゃあるめぇし」

「ビジネスですよ。教団はこの街で独占市場を築き、利益を独り占めしている。……市場の健全化が必要でしょう?」

 男はニヤリと笑い、私に金貨の詰まった袋を渡した。ここまでは想定通りだ。

 だが、私の本当の狙いはここからだ。

「さて。……ところで貴方たちは、教団に対して相当な額の『売掛金ツケ』があるのでは?」

 男の表情がピクリと動く。

 教団は自転車操業だ。夢見草の代金は、免罪符の売上が入ってからの後払いになっているはず。

「……それがどうした?」

警告アドバイスです。今すぐ教団への納品を止めなさい。さもなくば、そのツケは永遠に回収不能デフォルトになりますよ」

 私はテーブルの上に、一枚の紙片を滑らせた。

 私が計算した、今後の免罪符価格の暴落予測グラフだ。

「私がこの偽造品をばら撒けば、明日から免罪符の市場価格は暴落します。教団の資金源は枯渇し、一週間以内に彼らの現金キャッシュは底をつくでしょう」

「なっ……」

「これから倒産することが確定している取引先に、商品を納品する馬鹿な商人はいますか? 回収不能になった代金は、そのまま貴方たちの損失になりますよ?」

 男の顔色が変わった。

 確実に損をする、という数字の現実は、商人にとって死刑宣告に等しい。

「……教団は、終わるのか?」

「終わらせます。だから提案です。今回の納品は止めて、在庫は他国へ流しなさい。あるいは……私が在庫をすべて『半値』で現金買い取りしましょうか? 教団からの未払いを抱えて共倒れするよりは、今ここで損切りした方が賢明でしょう?」

 男はしばらく沈黙し、脂汗を拭った。

 やがて、深く息を吐いて頭を下げた。

「……アンタ、悪魔だな。取引成立だ。教団への出荷は止める」

 勝った。

 これで外堀は埋まった。教団への供給ラインは断たれた。

 あとは、市場そのものを破壊するだけだ。

          ◇

 それから数日。

 効果は、私の予想すら超える速度で現れた。

「おい、路地裏の露店で、免罪符が銅貨一枚で買えるぞ!」

「マジかよ! 教会だと金貨一枚だぞ!?」

「見た目は一緒だ! いや、こっちの方がインクが綺麗だぞ!?」

 私が仕掛けた「偽免罪符」は、瞬く間に市場を席巻した。

 これまでの教団の免罪符は高すぎた。庶民は無理をして買っていたのだ。そこに、同じ効力(と信じられるもの)が百分の一の価格で現れれば、飛びつかない理由がない。

 

 当然、教団側も必死に抵抗した。

 中央広場には、大勢の神官たちが現れ、演台の上で声を張り上げている。

「騙されてはいけません! 出回っているのは悪魔の偽物です! ただの紙切れです!」

「本物の免罪符には、聖女様の祈りが込められた『聖なる透かし』が入っています! 透かしがないものは偽物です!」

 神官たちは、見本となる「本物の免罪符」を高く掲げて見せた。

 私は宿の窓からその光景を見下ろし、冷ややかに紅茶を啜った。

「……愚かね。わざわざ藪蛇をつついて」

 彼らの言う「透かし」とは何だ?

 私は事前に調査済みだ。教団の印刷技術は古い。彼らの言う透かしとは、紙の裏から薄いインクで紋章を押しただけの、いわば「裏写り」に過ぎない。

 対して、私が用意した偽造品は、我が国の王立造幣局が紙幣のために開発した、最新鋭の「すき入れ」技術を使っている。

 広場の民衆たちが、ざわめき始めた。

 彼らは神官の言葉に従い、自分の手持ちの免罪符を太陽にかざして確認し始めたのだ。

「おい……教会で買ったやつ、透かしてみても……ただのシミにしか見えねえぞ?」

「裏からインクが滲んでるだけじゃねえか」

 民衆の声に、焦燥が混じる。

 彼らが持っている「正規品」は、紙質も粗悪で厚みが不均一だ。光にかざしても、ぼんやりとした黒い影が見えるだけで、それが聖なる紋章かどうか判別がつかない。

 そこで、一人の男が叫んだ。

 路地裏で私の偽造品を買った男だ。

「ま、待て! こっちの露店で買ったやつを見てくれ! すげぇぞ!」

 男は、銅貨一枚で買った「偽造品」を、高々と太陽にかざした。

 その瞬間、周囲の空気が凍りついた。

 光を透過したその紙の中に、浮かび上がっていたのだ。

 インクではない。紙そのものの厚みの変化によって描かれた、慈愛に満ちた女神の横顔が。

 それは、光のアートのように美しく、繊細で、神々しかった。

「女神様だ……! 女神様がいらっしゃるぞ!」

「なんて美しいんだ……これが『聖なる透かし』か!」

「俺のも見てくれ! こっちにもハッキリと女神様が見える!」

 歓声が上がる。

 次々と掲げられる偽造品。そのすべてに、美しい女神の透かしが宿っている。

 対して、神官たちが掲げている「本物」は、どう見てもただの汚い紙切れだ。

「おい、どういうことだ! 教会のは何も見えねえぞ!」

「神官様! 俺たちに売りつけたのは、印刷ミスの不良品か!?」

「まさか……教会が俺たちを騙して、偽物を高く売りつけていたのか!?」

 逆転現象。

 品質の差が、圧倒的な「現実」として突きつけられた瞬間だ。

 民衆にとって、技術的な真贋など分からない。

 ただ目の前にある「神々しい偽物」と「汚い本物」。どちらに神が宿っているかと問われれば、答えは明白だ。

「ち、違う! これは!」

 神官たちは顔面蒼白になり、狼狽した。

 彼らには理解できないのだ。なぜ、異端者の作った紙切れに、自分たちの技術を遥かに凌駕する「本物の奇跡(透かし)」が宿っているのか。

「おのれ悪魔め! 幻術だ! 騙されるな!」

 一人の司祭が叫び、男の手から偽造品を奪い取って破り捨てようとした。

 だが、それは最悪の一手だった。

「やめろ! 俺の女神様に何をする!」

「教会が証拠隠滅を図ったぞ!」

「ふざけるな! 金返せ! 本物(透かし入り)と交換しろ!」

 怒号が飛び交い、石が投げられる。

 神官たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、広場は暴徒と化した民衆によって占拠された。

 私はカップをソーサーに置き、ふぅ、と息を吐いた。

「……勝負あり、ね」

 「悪貨」が「良貨」を駆逐したのではない。「高品質な悪貨」が「低品質な良貨」を駆逐したのだ。

 技術力の差は、そのまま信用力の差となる。

 これで教団の「権威」は地に落ちた。

 誰ももう、教会の窓口で高い金を払って、汚い紙切れを買おうとはしないだろう。

 教団の資金源は、完全に断たれた。

 そして、私が密輸業者を止めたことで、新たな薬の供給も来ない。

 私は眼下の広場を見下ろす。

 民衆たちはまだ、自分たちが手に入れた「美しい免罪符」を掲げ、勝利に酔いしれている。

 彼らは知らない。

 その美しい紙切れが、彼らの信仰を守るどころか、彼らが依存している「聖水(薬)」の供給を止めるための、死刑執行書であることを。

 手元の時計を見る。

 Xデーまで、あと数日。

 体内の薬が切れ、禁断症状という名の地獄が口を開けるまで、カウントダウンは始まっている。


 私はカーテンを閉めた。

 部屋の中に差し込んでいた光が消え、暗闇が私を包む。

 その暗闇は、これからこの街を襲う未来そのもののようだった。

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