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翌日。
私は処刑台に向かうマリー・アントワネットのような絶望的な気分で、王宮の無駄に豪華な長い廊下を歩いていた。
「……帰りたい」
頭の中では色々と言い返せるのに、いざ現実の対人コミュニケーションとなると途端にポンコツになる。
それが私だ。
昨夜のテンションを引きずったまま、私は第二王子アイローン殿下の執務室に呼び出されていた。
重い扉が開くと、そこには朝日を浴びてキラキラと輝く、顔面国宝級のイケメンが座っていた。
「よく来てくれたね、エスペリア。待っていたよ」
「ひゃいっ! お、おはようございます、殿下……!」
至近距離からの完璧な微笑み。
ダメだ、やっぱり顔が良い。
直視できない。
殿下は私をふかふかのソファに座らせると、ドンッ、と分厚い書類の束を机に置いた。
「これが、現在の我が国の財務帳簿と、各ギルドへの補助金の内訳だ。君の言う『非効率』がどれほどのものか、君の目で確かめてほしい」
「は、はい……」
私はおずおずと帳簿を開く。
……数秒後。
私の目の下のクマはさらに濃くなる気分がした。
顔面は限界まで蒼白になっていた。
「……っ、うぇ」
本気で吐き気がした。
思わず口元を押さえる。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
殿下が心配そうに顔を覗き込んでくるが、私は無言で首を横に振った。
「ち、違います。この帳簿が……あまりにもひどいからです。まるで、誰も全体図を把握していないまま思いつきで増築を繰り返した、迷路みたいな違法建築を見せられている気分で……生理的な嫌悪感が……」
「違法建築……? よくわからないが、ひどい状態だということは伝わった」
「ひどいどころじゃありません!」
私はつい、またしてもオタク特有の早口でまくしたててしまった。
「見てください、この魔法使いギルドへの莫大な補助金! いいですか、魔法なんてものは特定の血統だけが独占していい神秘じゃなくて、ただの便利な道具に過ぎません。それなのに、ギルドが権利を独占しているせいで、値段が不当に釣り上げられています!」
さらにページをめくり、大貴族たちの免税特権の項目を指差す。
「ここもです! 大貴族たちの税金逃れの特権! こんな複雑なルールのせいで、税金の計算や手続きに無駄な時間と労力ばかりかかっています。これじゃあ、国のお金が一部のズルい大人たちに吸い上げられるだけです!」
「……なるほど。では、どうすればいい?」
殿下は面白そうに、黒い瞳を細めた。
「こんな不公平でゴチャゴチャした国じゃ、無駄な争いと貧困のせいで私が安心して安眠できません! 複雑な特権なんて全部廃止して、全員同じ税率にすべきです。あと、ギルドの独占も禁止して、誰でも自由に商売できるようにします!」
「しかし、それをやれば大貴族やギルドが黙っていないぞ? 強烈な反発が起きる」
「そんなの、知ったことじゃありません。歴史を見れば、腐敗した古い制度を壊す時はいつも痛みが伴うものです。邪魔な特権は、跡形もなく焼き払うのみです」
言い切ってから、ハッとした。
しまった。
また偉そうに語ってしまった。
しかも相手は王族だ。
王族相手に特権階級の廃止なんて、太陽に向かって燃えるのをやめろと言うようなものだ。
いくらなんでもやりすぎた。
不敬罪で怒られる……!
恐る恐る殿下を見上げると――。
「……ふっ、くくっ、あはははは!」
殿下は、お腹を抱えて笑っていた。
「そうかそうか。 『邪魔な特権は焼き払うのみ』か。長年、僕が連中をどうしたものかと悩んでいたが、なるほど、確かにバッサリと切り捨ててしまうのも一つの手だろう」
そして、殿下はスッと手を伸ばし。
ポンポン、と。
私のボサボサの頭を、とても愛おしそうに撫でたのだ。
「さすがは僕が見込んだ通りだよ。なかなか過激だが、よい考えかもしれないね」
「〜〜〜〜っ!」
顔面国宝の極上スマイル+頭ポンポン+ベタ褒めのトリプルコンボ。
私のポンコツな脳みそは、またしてもあっさりとショートした。
(あああ……褒められた、撫でられた……! しゅき……!)
顔をだらしなく緩ませ、口を半開きにして完全に呆けてしまう私。
さっきまでの怒りなどどこへやら、「もっと褒められたい」「もっと撫でられたい」という本能だけが全身を支配する。
「どうだろう? 君に任せても構わないかな、エスペリア? 権限を与えよう。君の好きなように、この国のいびつな制度を修正してくれ。ひとまず数日後に予算会議があるからそれまでに計画をまとめてきてくれないかな?」
「は、はいぃっ! 私の安眠のために、邪魔な特権はぜーんぶ更地にしてみせます!」
かくして私は、この十数分後には財政総監付きの特別会計秘書というよく分からん肩書を与えられ、その任を全うするように命ぜられた。
呆けた頭では処理しきれなかったが、実家に帰ってから自室のベッドで頭を抱えたのは言うまでもない。
――そして、運命の数日後。
王宮の広大な会議室は、割れんばかりの怒号に包まれていた。
「ふざけるな! 歴史ある魔法ギルドの補助金を全額カットだと!?」
「大貴族の免税特権の廃止!? 正気か、こんな小娘の戯言を……!」
ずらりと並んだ恰幅の良い財務官僚や貴族たちが、顔を真っ赤にして大きな円卓を叩いている。
(ひえっ……怖い、帰りたい、お布団に引きこもりたい……!)
私は長机の端っこに縮こまりながら、内心で半泣きになっていた。
前世で愛読していたカフカが「人間と一緒に生きることも、話すこともできない」と日記に絶望を書き連ねたように、極度のコミュ障である私にとって、複数の見知らぬ大人から怒鳴られる空間はまさに地獄だ。
目を合わせたら殺される。
そう本能で悟った私は、視線を完全に手元の書類(帳簿)に落とし、彼らの顔を一切見ないことにした。
そして、震える声を隠すため、努めて平坦な、オタク特有の早口で反論を開始した。
「……伝統や歴史が、経済的非効率の免罪符にはなりません。帳簿によれば、ギルドが独占している魔石の納入価格は、市場価格の約三倍です。これを『中抜き』と呼びます。無駄です」
「なっ……! 貴様、由緒正しきギルドに向かって!」
「加えて、大貴族の皆様の免税特権。複雑すぎるルールのせいで税金の計算コストが無駄に膨れ上がっています。一律の税率に統一すれば、事務費用だけで国家予算の数パーセントが浮きます」
「き、貴族の誇りを金に換算する気か! 血も涙もない女め!」
怒号がさらに激しくなる。
普通ならここで「対話」や「妥協」を探るのだろう。
だが、コミュ障の私に高度なネゴシエーションなど不可能だ。怒っている相手の感情に寄り添うコミュ力なんてミリも持ち合わせていない
鉄血宰相ビスマルクはかつて「現在の大問題は、演説や多数決によってではなく、鉄と血によってのみ解決される」と演説した。
私流に言わせてもらえば、「この国の財政問題は、対話や妥協によってではなく、鉄(冷徹な計算)と効率によってのみ解決される」のだ。
なにより、このノイズだらけの環境をさっさと更地にしないと、私の安眠が確保できない。
「……対話など不要です。感情論で帳簿の数字は変わりません。費用対効果に見合わない制度は、今日この日をもって全て廃止します」
私は一切顔を上げず、怒号混じりにの反論には一切耳を傾けず、ただひたすらに数字だけを読み上げ、彼らの主張を冷酷なまでに切り捨てた。
だって怖いんだもん。
ふと、会議室が静まり返る。
恐る恐る少しだけ視線を上げると、官僚たちはまるで怪物でも見るかのような目で私を見て、恐怖に顔をひきつらせていた。
(えっ、なんでそんな顔してるの? 私、ただ当たり前の計算結果を言っただけなのに……)
「殿下! こんな氷のように冷たい小娘の暴挙、お許しになるのですか!」
官僚の一人が、上座で優雅に紅茶を飲んでいたアイローン殿下にすがりついた。
頼みます、殿下。
私が言いすぎたなら止めてくれ。
これ以上目立ちたくない。
しかし、殿下はカップをコトリと置くと、立ち上がって私の背後に歩み寄ってきた。
そして、私の肩にそっと両手を乗せた。
「許すも何も。彼女の言葉は、僕の言葉だ」
「で、殿下……!?」
「感情に流されず、国益のみを追求するその冷徹な合理性。旧態依然とした君たちより、よほど美しいと思わないか?」
そう言って、殿下は私の頭を、大きな手でポンポンと優しく撫でた。
「よく言ってくれた、エスペリア。君のその容赦のない効率化、実に素晴らしいよ」
(ひゃあああっ! また頭ポンポン! 顔面国宝の甘い声!)
先ほどまでの官僚への恐怖は一瞬で吹き飛び、私の脳内は再びピンク色のショートを起こした。
周囲の凍りついた視線などもう見えない。
「素晴らしい」という究極の承認と、心地よい頭の撫でに、私の知性は完全に溶けてしまった。
「あ、あう……えへへ……殿下のためなら、もっと効率化して、邪魔な連中をなぎ払いますぅ……」
「ふふっ、頼もしい軍師殿だ。この調子でやっていこう」
だらしなく口を半開きにして呆ける私を、殿下は満足げに見下ろしている。
一方、官僚たちは完全に顔面を蒼白にしていた。
「み、見ろ……あの女、我々を虫ケラのように切り捨てながら、薄気味悪く笑っているぞ……!」
「対話を完全に拒絶する、氷の魔女……!」
かくして、私のコミュ障ゆえの「対話の拒否」と、褒められたいだけの暴走は、周囲に「鉄血の女参謀の恐るべき粛清」として盛大に勘違いされながら、王国の歴史を動かしていくのだった。




