金魚の哀愁
黄金週間も終わり、ぼちぼち梅雨が訪れようとしている初夏、回遊魚のように泳ぎ回る一・金魚である私は、晩秋の空気に漂う気配のような物悲しい気持ちに纏わり付かれていた。
それは、この新型コロナ・ウィルスの世界的流行のせいであるとも、そのせいではないともいえる。確かに言えるのは、発端はそれだった───ということだけだ。
インターネット上で作品を書いて公表すると決心した時から、私の中には確たる想いがある。公表する作品が、フィクションでもノンフィクションでも───場合によっては暴力描写があったり、人が知りたくないことを語ったり、心の闇や毒が出たりすることもあるだろう。けれども、最終的には、愛のある作品を書きたいし、読んで頂きたいと、心の底から思っているのだ。
特に、この『金魚鉢の中から』では、名も知らぬ通りすがりの誰かが(あるいは自分が)、車中でぽろりと零す人間性を書いて来たつもりだ。
けれども、十五ヶ月続くコロナ禍に、私の気持ちも疲れて来ているのかもしれない。
黄金週間の間に、緊急事態が出ている場所から来た旅行者が、「地元の店は閉まっているので、遊びに来ちゃいました」とか、「自分は一人旅だから大丈夫だから」というのを世代を問わず何度聞いただろう? それは、私一人ではなく、ほとんどの同僚がそうだったと言う。
黄金週間中、那覇空港に到着した人は七万人だとニュースで見た。沖縄県全体の人口は一四八万人前後だ。それに対して、この時期に外から七万もの人が来ることがどういうことなのか───羽田空港の調査では、旅行に行く人の目的地のほとんどが、沖縄と北海道だったという。その結果、人口一九六万人ほどの札幌がどういう状況になっているのか───往来していた人々は、何も感じていないのだろうか?
地方都市の事情は、大都市とは全く違うのに……。
そして、現在の状況下でも東京オリンピックを行うという政府と東京都・IOC関係者───私も、中止になれば選手が気の毒だと思う。そして、中止になれば、経済的損失は莫大なものになるだろうとも思う。
けれどもそれは、すでに疲弊している医療従事者を酷使し、国民の命を危険に曝し、海外から訪れる選手やスタッフの命の保障が出来なくてもやらなければならないことなのだろうか?
非正規雇用の人々の雇止めはニュースになるが、正規雇用であっても倒産して失業している人々は多くいる。我々タクシードライバーも、人流やイベントが制限されれば売り上げが減り、生活が出来ない程に給料が減っている(なのに税金はガッツリ取られている)。
当然、生活困窮者が増えれば治安も荒れ、不穏な気配が散見されるようにもなった。
これらの状況下で、現在の私は『金魚鉢の中から』の作品を書き続けることが出来なくなった。無理に書き続けていけば、ヘドロのような毒素を流すことになりそうだからだ。
人と出会う限り、ネタの尽きることのないノンフィクション・エッセイなので、少し落ち着いたら再開したいと考えている。
どうか皆さま、自己都合で大変申し訳ないのですが、しばらく休載することをお許しください。
多くの皆さまに読んで頂いたことに、心から感謝いたします。
近い将来、再会出来ることを願って……。




