#49 ボクの名前は……
あけましておめでとうございます。
本作は残りひと月弱で完結となりますが、それまでの間どうぞよろしくお願い致します。
新年なので重たいものをひきずらず、いちゃいちゃするふたりをおたのしみください。
「みちる、お前はどうしてそうなんだ。お父さんに恥をかかせる気か? さあ、ちゃんと着なさい。自分勝手に脱ぐんじゃない」
「みちる。どうしてそれを脱いだの。これがイヤなら他のを選んであげるから。脱がないで、ちゃんと着て! ほら、はやく!」
想い出の中の父と母は、カワを通してしか子の顔を見ようとしなかった。どんな顔に変わろうと、それをボクを認識してくれるけど、"素顔"のボクは腫れ物でしかない。
最初からこうじゃなかった筈なんだ。手段が先で理由が後。その筈だ。その筈なのに。
今はもう。何もかもどうでもいい。
※ ※ ※
「あの……何をしてるんですか」
「何って。契約解消したでしょ夢野さん。朝に連絡がありましたよ。今日中にここを引き払いたいと」
頼んだ覚えのない運送業者がマンションに押し入り、ワタシの荷物を段ボールに押し込めて、せっせと軽トラックに詰め込んでいる。
そりゃあ勿論ふざけんなと言ってやったさ。けど、今なお扶養年齢にある自分。設定だけして存在しない『保護者』の名前を出されてしまっては、此方が挟める口などない。
「帰る場所がないって、こういうことかよ……」
冗談じゃない。絶対に帰ってやるものか。部屋に潜り、『クローゼット』からカワをさらうその最中、スマホにかかった非通知の番号。
『逃げても無駄よみちる。鬼ごっこはもう終い。いい加減、お家に帰って来なさいな』
わかってた。そうさ、最初から分かってた。親と子を同時に演じ、ニセの戸籍で一人暮らし。長続きするわけが無かった。
きっとすぐ連れ戻されるだろう。今までうまく行ってたのが奇跡なんだって。
でも。だったら。もう少し見逃してくれたって良かったじゃないか。
よりにも寄って、幸せを掴みかけた、この瞬間に……!
「イヤだ。まだ、帰らない」
『何ですって』
そんなこと言っても無駄なのは重々承知。締め付けが苦しくなるだけなのも分かってる。
「こんな卑怯な真似しないでさ。直接こっちに来て言ってよ。でなきゃ、絶対に帰らないから」
いつかは話さなきゃなかったこと。こわくて言い出せなかった『ボク』のはなし。
過去と向き合うのはヒガシ君だけじゃない。ワタシも、かつての自分を見つめ直す時が来た。
※ ※ ※
「連れないな。俺ひとり放置プレイかよ」
「しょーがないじゃん。ゆー姉からの頼まれ事なんだから」
戌亥の廃校舎には未だヒトが立ち入ることはなく。放課後はひとりミスコンだぜと息巻いてたくせに、優先すべきは女友達か。
などと悪態をついてやりたいが、ユウには俺も迷惑をかけたものな。文句を言う筋合いはない。
「まあ、いっか」
これが今生の別れなわけでもなし。二学期はまだまだ始まったばかり。予定なんてすぐに作れるさ。
暇はあるのにカネはなし。ゲーセンで知り合いに絡まれたくもなし。ひとり寂しく直帰とゆくか。たまには母さんを手伝ってやりたいし。
――そうそう。なかなか上手いじゃない。筋が良いのね。
靴を脱ぎ、リビングの方に耳を傾けてみれば、妙に明るい母の声。ワイドショーの企画モノか? にしては声が弾んでいるけど……。
「いやいや、おふくろが教えてくれるからだよ。オレだけじゃこーゆーのからっきし」
「少しずつ覚えてゆけばいいのよ。時間ならたっぷりあるのだから」
目の前に広がる光景を、一度目で凝視。目をこすって二度目も凝視。瞬きしたって変わらない。見間違いじゃない。
ヒカルが。俺の妹が、母さんとキッチンで炊事に精を出している。セイセイ、セイYES、あっ違う。いやいや待て待て。なわきゃあないと頭を振って、ようやっと事態が呑み込めてきた。
「用事があるって出ておいて、なんでお前の方が先に帰って来てるんだチアキ」しかも、しかもだ。数あるカワからそれを選ぶのか。敢えて!
「ちっちっち」だのにやつめ、俺を見ながら人差し指を振らし。「違うだろアニキ。オレはヒカル。北西ヒカル。アニキの大好きな妹だろーがよー」
「あれだけやっといて今更妹アピールか……」
何という面の皮。いや元々何枚も着込んでるんだっけ。トラウマが解決したと見るやこれだ。節操のないやつめ。
「ああ、アズマお帰り。折角だからあなたも手伝って。今日はご馳走よ。お母さん腕によりをかけて作っちゃうんだから」
「ほらよ? そらよ? お袋はこう言ってるぜ? オレの知ってるアニキなら、こういうことは断らないはずだよなー?」
ぬぬぬ、ヒカルの人格と母さんを楯に、自分を正当化してやがる。奴一人なら跳ね除けたが、母さんに頼まれてしまっては……。
「わぁった。わあったよ。何を手伝えばいい」
「へへへ。そうだよそうこなくっちゃ。流石はアニキだ」
ノセられるのは悪くないし、母さんが笑顔でいてくれるのは嬉しいさ。嬉しいよ。けどなんだこの違和感。用事があると出てったはずのこいつがウチにいて、徹頭徹尾ヒカルのマネ。苅野忍のままだって、母さんはそのまま受け容れただろうに……。
※ ※ ※
「ごちそうさまーっ。いや美味かった! 超美味かったア」
「はいはい、おそまつさま。チアキちゃんってばオーバーね。良いのよ、ヘンに褒めなくたって」
「は! なーに言ってんだよお袋。オレはヒカル。いつだってそう呼んでもらっていいんだぜ」
自惚れるなどあほう。ヒカルはそんな自己主張激しくないっつーの。そういうアレンジ入れんで良い。
「さっ、てと。お風呂おフローっ。アニキアニキ、一緒には、い、る?」
「はあ?」
チラチラこっちを見やがって。確かに昔は入ったが、それだってもう何年前の話だよ。『その時期』のヒカル、恥じらって総スルーだったっつーの。
「キャラ作りで正常な判断も下せなくなったか? 俺は別に構わねえよ? けど、お前はいいのか? お前はさ」
「あ……」
呆けた顔で口を押さえて。お前本気で考えて無かったのか。というかチアキってどうやって風呂に入るんだろ。ヒトに観られる海やプールはさておき、疲れを取る入浴時まで『着てる』ってことは……。
「わ、わかった。わかったよ。アニキがそこまで言うんなら……ひとりではいる」
「別に、俺何も言って」
「き! 聞き違えじゃねえの? 難聴かよー。主人公属性ガン上げかよー」
だから何も言ってねえって。お前ほんと今日どうした。幾ら人んちに押し掛けて、一気にテンション爆上がりだからって……。
(いや、いやいやいやいや)
ちょっと待って。今チアキなんて言った? 風呂。入浴。脱衣。多分そう。間違ってない。
ヒトん家に遊びに来て、ひとっ風呂浴びて帰るの? そりゃ無いだろ、ないよな? つまり、つまり……?
「チアキ、お前まさか」
「ンだよアニキ。オレだって北西の子だろ。『泊まった』っていいじゃねぇか、なあ?」
泊まり。
止まり?
とまり?!
い、いいい、イキナリ?! AからBをすっ飛ばしてE来てない? 展開一気に転がりすぎじゃあない?!
「んじゃ、オレ先にお風呂入るから。覗くなよ? ぜぇーったい、覗くなよ?!」
「覗かない! 覗かないけど! 根本の問題そこじゃなくねえ?!」
なんか、ヘンだ。おかしい……。のはいつものことだが、いつにも増してグイグイ来る。朝も昼も普通だったじゃないか。となればこの空白二時間。学校上がりにユウの『代返』を頼まれたあのタイミング。
チアキのやつ、一体なにやったんだ?
※ ※ ※
(何をやってるんだろうな……俺は……)
階段下の物置からヒカルの寝間着を取り出して、客間の布団を二階に運び、汚らしい部屋を必死に掃除。
蜷川先生として一回、ヒカルとして一回。これでもう三度目だというのに、プライベート・スペースにヒトが立ち入るこの感覚にはどうにも慣れない。
何をびくついてるんだ北西アズマ。もう何度も体験したことだろう。相手は見知った相手だろう。でんと構えて笑えっつーの。
「あーにーきー。入るぞー」
こちらの準備もお構いなしに、到着を告げるノックが三つ。セイセイ、まだ床の布団が……。
「ナぁニ手間取ってんだよ。オレとアニキの仲じゃんさー」
「ちょいちょい三軒茶屋とキャラ被ってんぞ」あの頃はキャラもクソもないから、予習しようがなかったけどさ。
「つか何。息できねーじゃんそれ」
ピンクのキャミソールに黄緑のショートパンツ。昔の寝間着がそのまま入るってんだから恐ろしい。
けど問題は頭の方だ。入って来るなりバスタオルで顔を隠してミイラ男。まあ、隠してるのにはワケがあり。指摘した俺を見て楽しげに笑うと。
「むふふ。気になる? 気になっちゃう〜〜?」
「はいはい気になる。だからご開帳」
「あっ!?」
これ以上悩みの種を増やすな、ってことで手早くタオルを引っ剥がす。中身はナニか? 風呂上がりで俺の家、姿を借りたモノが者と来れば、選択肢はほぼ一択。
「んもー。『おにーちゃん』ってば破廉恥ぃ、髪も梳かさせてくれないんだからあ」
剥がしたタオルから栗色の髪がこぼれ落ち、声質が甘く柔いものへと即座に変わる。まだ髪を切る前の。あの頃の姿、そのままのヒカル。
「やっぱり、それか……」
「まあねー。おにーちゃんが一番好きなヒカルは、この子だもんねー」
涼しい顔でヒトのトラウマずかずか刳りやがって。これが半月前なら大惨事だっつーの。
それにな。「どれもこれもあるか。お前の見方でヒカルを区別すんじゃねえ」
「アぁら硬派なんだ」ちょっと馬鹿っぽい口調で俺の背後に回り込み。「でも、きらいじゃあ、ないよね? おにーちゃん、この子と一緒にいたかったんだもんねえ?」
「ぬ、ぐぐ……」
そりゃあそうだ、否定はしない。おのれチアキめ。難しいところ突いて来やがって。
「じゃあさ、じゃあさ。このままでいても問題ないよね? ないよね?」
「む、む」
言葉尻、いやこの場合は重箱の隅つつきか? 反論出来ずに頭を振って、あの頃の姿をしたヒカルを招き入れる。
「いえーい、ふかふかベッドにヒカルがどーん! やらかーい、ふわふわー! おにーちゃんの据えたニオイがするー」
「ちょっ、いきなりベッド!? はえーよオイ!」
今日のチアキは本当に遠慮がない。こちらの了承もナシにズカズカと入り込んで来やがって。
「セイセイ、焦んな。今どくよ。今日は俺が床で」
「へ? 何言ってんの」
床の寝床に入らんとした俺に、心底不思議そうな顔をして。「同じ布団で寝ればいいじゃん。前はずぅっとそうだっでしょ? でしょ?」
「いつの話だ……」
確かに以前はそうだった。眠れないからと頭を撫でてやったこともあったっけ。
だけどそれはヒカルが中学に上がる前の話。そっから先は意識し合ってやらなくなったんだよ。今にして思えば、それが『予兆』だったのかも知れないが……。
「もー。細かいことは言いっこなしナシ。はよ来い、そら来いーっ」
なんて言葉をチアキが聞くはずもなく。俺をベッドに引き込んで、タオルケットに包まって。
セイセイセイ。はえーよチアキ。俺だってさ、そういうのを夢見たことあるよ? しかも妹の姿でだよ?! 最近だいぶ落ち着いたけどさ、いまだいぶ動揺してるからね? まじで理性飛びそうなんだからね!!
(抱け……抱け……)
待って。ちょっと待って。何今の幻聴。こんなの俺知らない。
洗い立ての髪の匂い。愛しさを感じる人肌のぬくもり。何より、気持ちの繋がった想い人がそこに居る事実。伸ばしちゃ駄目だ。解っているのに手が伸びて、背を向けるチアキに触れようとする。
(抱け……抱くのだアズマ……)
だから誰だよこの声は! これ結局俺なんだろ? どうして他人事みたいにいうの?!
駄目だ駄目駄目。一線は、一線は超えちゃあ駄目だ。
(けれど、向こうは望んでいるんじゃないの?)
そうさ。そうだろ。そうかもしれない。でもそうじゃなきゃどうなんだ。
もしもこれがフリであり、望みじゃないとしたら。もう二度と、これまでの関係には戻れなくなるんだぞ。
何が正解で、何が間違いなのか。解らないまま指を震わせ、悶々としていたその刹那。
震えていたのは俺だけじゃない。妹――、のカワを被ったチアキの背が、弱弱しくかたかたと振れている。
「ヒガシ君」そこに、ヒカルとしての雰囲気は無い。今までの陽気はどこへ消えた。絞り出すようにして放たれた俺の名前。
「ごめん。ヒガシ君。こうでもしなきゃ……。ヒカルに『隠れて』なきゃ、ワタシはワタシを保てない」
「それが、あの忙しなさの理由ってわけか?」妙に忙しなく、ヘンにぎこちなくしていたのは、俺の為でなく自分の為。成る程、それなら得心がゆく。
「ユウとの約束。何かあったのは、そこか?」
「半分はね」此方を向かず首肯して。「でも大本はその後。お父さんに帰れと言われ、お母さんに借家を解約されちゃって」
「へえ……」や。待て待て。解約?!「お前、解約ってどういう」
「話を聞いて」俺の疑問を、チアキのか細い声が遮って。「きょうここに来たのは、話したいことがあったから。何もかも、それからにしてほしい」
「ハナシ」
今までのお気楽さは、ここに来るまでの布石だったってか。大した役者だよチアキさん。遮ったってどうせ聞いちゃくれないんだろ。
「いいよ。他にするべきこともないもんな」
色欲に狂ったアタマが冷えた。いいさ、なんでも話すがいい。俺の言葉に肯いて、ようやっとチアキが顔を向けてきた。よっぽど気持ちに余裕がないのか、病気じゃないかってくらい顔が蒼い。
「ボクの名前は『衣更着みちる』。他人に成りすまし、その実なにもない、来月で十七歳のバケモノさ」




