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俺の彼女は《カノジョ》じゃない  作者: イマジンカイザー


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#50 こうして、”ボク”は『ワタシ』になった

衣更着きさらぎとは、読んで字のごとく『寒さの為、衣を更に重ねる』という意味。

旧暦の二月、”如月”の異称でもあります。


チアキ、という人物を言い表すのにこれ以上ない氏と思って採用させていただきました。

「それじゃあごゆっくり」

「ありがとう……ございます」

 "物置き"から引っ張り出したヒカルのお下がりを借り、入って来ないでと念を押し、風呂場に足を踏み入れる。

 石鹸を泡立て、見せかけの肌をボディタオルで優しく拭う。冬用は雑でも平気だけど、薄手の夏用は横からの圧に弱い。手足の関節、腋窩、胸の下。破いてしまわないよう注意を払い、洗い終えたところで項に手を触れ、ホックを下ろす。


 右手から脱いで左手。次は右足左足。脱いだカワをシャワーフックに吊るし、そのまま湯船に潜り込む。

 脱いだら何が残る? 何もない。不健康な白い肌に病的にほっそりした腕、決して常人とは交われない姿。


 吊るしてたるんだカワに目を向ける。北西ヒカル。カレの妹。カレの溺愛する女の子。『ボク』もそうなりたいよ。素の姿で愛されたい。

 けどそれはムリだ。カレはともかく、社会はそれを許さない。誰かのフリして嘘ついて、中身はこんなバケモノで。

 北西ヒカルが羨ましい。苅野忍が羨ましい。大手を振って外に出られ、他から寵愛を賜る彼女たちがにくらしい。


(にくらしい?)

 ボクにそれを言う資格があるのか。カワに篭って他人のフリして、他にすがって生きて来た人間に、文句を言う道理があるのか。

「最悪だ、ボクって」

 ずっと前から分かってた。なのにずっと見ないフリ。しょうがないじゃん。そうすることでしか生きて行けなかったんだもの。

 駄目だ。駄目だ。たるんだ瞼に力を込めて、口角をぐっと引き上げる。

「けど、言わなきゃ分かってもらえない……」

 だからこそ此処に来たんだろ。理解してもらわなきゃいけないんだろ。

 しっかりしろ。こんなザマじゃチアキにだって戻れない。カレの彼女なんだろう? 何もかも分かってもらわなきゃなんだろう!


 頬を張り、拳を固く硬く握りしめて。湯気に隠れた鏡に向けた作り笑い。ブキミ。魔物。ヒトモドキ。

 何年経って、いくつ歳を重ねても。鏡だけはスキになれない。



※ ※ ※



「それが、お前の本当の名前?」

「この子の未来が幸せに満ち満ちたものになりますように、だって」

 秘密が秘密じゃなくなると、こうもあっさり流れてしまうのものなのか。

 衣更着きさらぎみちる。彼氏彼女の仲になってなお、隠し通してきたチアキの真名。それを今、ここで出してきたということは。


「少し、長い話になる」言って数刻の間を取ると。「ここから先はボクの独り言。横やり入れてもいいけど、多分答えられそうにない」

 昔々、あるところになんて枕詞が続き、物語に現れたのは赤子のチアキ。いや言を借りればみちるだったか。まさか赤子まで遡るとは思わなかったが。



◆ ◆ ◆



『みちる……。ごめんなさい、私が、私さえしっかりしていれば……!』

『やめなさい千明。君が悪いんじゃあない。先生方も身体に異常はないと言っていただろう』

 物心付いた時初めて見たのは、画に描いた青空天井と、透明な硝子越しに映る暗い顔をした両親の姿だった。

 出生体重1275グラム。息をするのも困難な発達未熟児。産まれてすぐ親から離され、一年近くの間無菌の保育カプセルがボクの家。


 舞台女優のお母さんと、公には出来ない仕事を抱えたお父さん。看護師さんたちの手厚い看護と、見捨てずお金を投じてくれたふたりのおかげかな。小さな小さな未熟児はそこから滞りなくカプセルを出て、ようやく実家に根を張った。



『嗚呼ロミオ。あなたはどうしてロミオなの』

『所詮貴様も地を這う虫けらよ。私が粉々に打ち砕いてくれる』

『そんなことないわ。貴方こそ私の王子様。ずっとお慕いしておりましたっ』

 仕事であまり家に居ないお父さんに変わり、育休中だった母はあまり外に出られないボクに、よく一人芝居を見せてくれた。

 麗しい女の人や力強い男の人。手の動き、声の調子、くるくると変わる表情。思えばあれが原点だったのかもね。幼い頃の刷り込みみたいなもの。

 思えば、あれが一番安定した日々だったのかな。父も母もボクが健やかに育つと愚直に信じて、自分たちなりに愛情を込めて育ててさ。

 結局何一つ返せなかったから辛いよね。外に出ないものだから肌は真っ白。拒食があって育ちは良くなく、見た目も殆ど変わらない。

 そして契機は三歳の誕生日。不安と不満が積み重なって、トドメになった最期の一撃。



◆ ◆ ◆



「みちるちゃん。ミルクの時間ですよ」

 お母さんから後に聞かされて笑っちゃった。それがボクの発した最初の言葉なんだって。お母さんのじゃないよ。保育器で世話されてた時、女の看護師さんの言葉を聞いて真似たもの。


『どう……なってるの? あなた、なんで……!』

 そりゃあお母さんも大慌てさ。自分の声ならいざ知らず、別人の声で喋り出したんだもの。

 今もあの顔がずっと頭に残ってる。三歳の子どもを前にして、汚物を見るような嫌悪感。腹を痛めて産んだ子にだよ。なんでだろうって思ったさ。解らないって思ったさ。


『忍さん。私は……私は……!』

『君じゃない。君が悪いんじゃないんだ。お医者様もそう言っていただろう』

 未熟なまま産まれた埋め合わせ、って言っていいのかな。ボクは三歳にして老若男女、聞きさえすればどんな声でも発せられるようになっていた。

 使い分けられた訳じゃない。驚いた時に見せたときと一緒。不安定で一語毎に別人なんてのもザラさ。

 最初は手術で何とかしようとしたけれど、三歳にして他の子より一回り小さい未熟児だ。喉を切開なんかしちゃカラダが耐えられない。



『また声がブレているぞ。駄目じゃないかみちる。もっとお腹に力を入れなさい』

『つらいかも知れないけれど、これはあなたの為なのよみちる。さあ立って。めそめそ泣くのはもうおしまい』

 今でもたまに夢に視る。ふたりはその解決策として、言葉を覚えたての幼子に、劇団員ばりの発声練習を強要したんだ。少しでもトチるとそうじゃないと声を荒げる父さん。優しい言葉で労るフリして訓練に戻そうとする母さん。

 逃げる場所も、助けてくれる人もいない。怒られたくなくて、早くラクになりたくて。苦しい特訓に耐え続けた。

 巡り巡って、それが今の糧になってるんだからイヤになる。二人からしても、『子ども』が人並みに生きれるようにって配慮だった訳だしさ。



『ご協力感謝します新名さん。このサイズは大変だったでしょう』

「いえ。衣更着さま直々の注文とあらば」

 特訓を始めて一年半。ここで出て来るのがキミもご存知新名店長。矯正の総仕上げにと、お父さんのツテで此処を選び、ボクに合う『外皮』を見繕ってくれたんだ。

 大人ならまだしも、子どものカワは前例が無くて、バランスにだいぶ苦慮したって言ってたっけ。

 ボクのためだけに店長が仕立ててくれたオーダーメイド。お母さんと同じ赤い髪に柔らかな顔立ち。良い出来だよ。とても無茶振りからの産物だとは思えない。

 ふたりからの意向で、おんなのこのカワでさえ、なければね。



◆ ◆ ◆



『さあ、今日からあなたもこの幼稚園に通うのよ』

『皆と仲良く、礼儀正しくするんだぞ』

 五歳の春。晴天に恵まれ、桜の花舞い散るその中で、他の子と同じように幼稚園の門をくぐる。黄色の帽子に緑のスモッグ。下はスカート、桃色のもこもこぱんつ。

 羞恥心のない頃ってのはすごいよね。男として産まれたボクが、半年間の『矯正』を受けて女の子に大変身。自分自身、最初はヘンとも思わなかったし。


『いいかみちる。カワのことは皆には内緒だぞ』

『これはあなたのためなのよ。どんなに仲良しの子でも、絶対話しちゃ駄目ですからね』

 声帯異常に病的に痩けた顔。法の下人類皆平等と言うけれど、受け容れてもらえるかは当人の努力次第。

 背負わされたのか、背負い込んだのか。誰にも言えないヒミツを抱え、女の子・衣更着みちるとして集団生活を営むこととなった。



『みちるちゃん、おままごとしよう』

『だーめー。みちるちゃんはこっちで遊ぶのーっ』

 顔が良いと周りにヒトが集まるってのはどの年齢になっても変わらない。お母さんをそのまま小さくしたようなその顔は、他の園児たちの注目の的になり、遊びや食事の時間引っ張りだこだった。

 中でも、おままごとをやらせると真に迫ってて引かれたっけ。ママも、パパも、何なら参加した皆全部。カンペキに真似して喋るんだもの。


『みちる。何の為に練習したと思っているんだ』

『あなたのそれはすごいけど、他の子みんなが出来るわけじゃないの。教えた通り、ふつうにしなさい』

 まあ、やりすぎて先生経由で親に飛び火し、おままごとはするなって釘を刺されたんだけどね。理不尽に我慢を強いられて、あの頃は少しムッとしてたなあ。



『みちるちゃん。ふたりだけで遊ぼ』

『みてみて。これみちるちゃんの顔。結構うまく描けたでしょ』

 他の子と少し距離を置くようになったけど、それでもひとりだけ気のおける友達がいたんだ。門脇杏里。少しふくよかで、ベレー帽被った意識高い系お絵描き女子。

 ボクがモデルで彼女がお絵描き。五歳にしては上手い方だったと思うよ。褒めて、描いて、また褒めて。それが続いて夏頃には親友って間柄になってたくらい。


「ね、あんりちゃん。キミに話したいことがあるんだ」

 おひるねの時間。皆が寝静まって、ボクと彼女だけが目覚めた日。トイレに向かう道すがら、ぽつりと呟いたその言葉。

 お父さんもお母さんも駄目だという。けど、何でも話し合えるのが友達だって先生は言ってた。胸につかえて苦しいこのヒミツを、杏里ちゃんと共有したい。



「ボク。ボクはね、本当は……」

 怯えた声でうなじに手を回し、左右にゆっくりと引っ剥がす。

 今にして思えば、シチュエーションを違えたとは思うよ。しかも向こうは五歳児だ。そんなことをすれば、どうなるか――。


『せ、せんせい!! せんせい!! みち、みちち、みちるちゃんが!! こわい! こわいこわいこわい!!!!』

 お互い同意の上だったのに、杏里ちゃんは妖怪か何かと勘違いして、大泣きしながら騒ぎ出したんだ。寝ていた皆が飛び起きて、『本物』のボクはどこだと捜し始めた。

 ようやっと、父さんたちが秘密にしろと言った理由が解ったよ。あの時程ずしんと響いた時はなかったね。バケモノだって言われて、ホンモノはどこだって騒がれて。本物の衣更着みちるなら、今ここでカワを脱いで立っているというのにさ。



『今日はみんなに悲しいお知らせがあります』

『衣更着みちるちゃんは、おうちの都合でこの幼稚園を離れることになりました』

 そのことを聞いた親からこっぴどく叱られて。有無を言わさず速攻転園。そこじゃ要領よくやれたけど、もう誰にも気は許せない。

 もう二度と、素顔は誰にも見せないぞ。杏里ちゃんの泣き顔をみて、誰でもない自分にそう誓った。


「ボクはもう"ボク"じゃない。衣更着みちるは女の子。オンナノコ……」

 自分を偽り、見た目の性を受け容れた瞬間。

 けどそれが出来たのはまだまだ一桁の子どもだったからな訳で。思春期を迎え、カラダの変化を追う頃には、それがおかしいと気付いたわけで――。


・今後、主体的に明かすことはなさそうなのでここでぼそり。


 チアキ、忍という偽名には、今回開示された要素と併せ、「自分ひとりじゃ何にもなれない」というみちるの心境を表しています。

 出来れば今後もチアキと呼んであげてください。

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