#44 いま明かされる! 北西アズマの過去(かんぜんばん)
・前回までのあらすじ。
北西家にカチコミを仕掛け、カレの母にまでトラウマを植え付けちゃいました☆
てへっ☆
※ 4 ※
――いい加減、部屋から出て来んかい。ガッコの制服引き裂いて籠城なんて。
『アニキにはカンケーないだろ。"オレ"はそんなの絶対着ねェ。いつまでも妹扱いしてんじゃねぇぞ』
妹が”おとうと”になってから一週間。
父さんや母さんはそれを受け入れ、無理にでも呑み込もうとしていたが、俺はそれほど柔軟にはなれなかった。頑なな拒否は明るかったヒカルを内に沈め、とうとう部屋の中へと押し込めてしまった。
――言いたいことは分かる。でも、引き籠るってのは違うだろ。お前はお前、他所はよそって、皆に見せ付けりゃいいじゃねぇか。
『うるせぇ。うるせえってんだよ……。それが出来たら、出来てたら……苦労なんか、しねぇ』
親たちだけではどうにもならないと言うワケで、俺も説得に入ったが、「そうなる」ことを望んでいない者の言葉など、ヒカルにとっては無意味に等しい。
本音を言えば変わってなんかほしくない。あの優しい笑顔を。朗らかな声を返してほしい。向こうの気持ちを汲んでやれず、こちらの気持ちを押し付けた。
それから三日後。ヒカルは部屋を出て姿を晒した。刈り込んだ髪は縮れたくせっ毛として定着し、ろくに食事も摂らず手も足もほっそりとしていた。
『アニキが何と言おうがオレはオレだ。そこだけは絶対に曲げねぇぞ』
そんな体でも、自身がオトコであるという意識には何一つ翳りがない。そうだ、と肯定してやればよかった。心の底からそれでいいと言ってやるべきだった。
今となっては、何もかもたらればでしかないのだが。
◆ ◆ ◆
今から遡ること一年半前。この家はそれなりに仲の良い夫婦と、ガタイのよい兄、小柄でとても愛らしい妹。そして夫婦が以前の借家から持って来た観葉植物の四人と一鉢の家族であった。
幼少より身体の大きかった兄は一つ下の妹を何より愛し、彼女もまた頼れる兄を同世代の男子たちよりも愛する相思相愛。
「ヒカルを好きな理由? あいつは俺の妹で、俺はあいつの兄貴だろ。他にどんな理由がいる」
「好きに理由を求めるなんて野暮だよ。だって、産まれたときから一緒だったんだもん。どうしてかなんて忘れちゃった」
こんな話を臆面もなく友人の前で言い放つくらいだ。双方物心付いて兄が高校に入るまで、彼らのセカイは彼らだけで完結していた。
「あー覚えてます。ヒカルちゃん、朝練の時にもひょっこり現れて。陸上部の子たちにもマスコットみたいに可愛がられてました」
「それで自分は遅刻するんだからしようがないわよね。私たち親がたしなめても、二人揃って聞く耳を持たないんだもの。途中からそれもいいかも、って思ってたのだけど……」
そう。高校までは。近いからと先んじて戌亥の高校に入った兄と、カレにエールを送る妹。異常極まりないその関係は、ある日突然断絶することとなった。
「ヒカル。どうしたんだよ、お前……」
「どうしたもこーしたもねえよ。オレは今日から男になる。妹じゃなく、弟と呼んでくれよな、アニキ」
長い髪をばっさりと切って、元々高い声を精一杯低くし、女らしい体型を兄から借りたぶかぶかのTシャツで誤魔化して。その日から妹は『弟』になった。
俗に言う性同一性障害。第二次性徴も峠に差し掛かり、これまでずっと、家族の誰も兆候を知らないその中で、朝を迎えて突然これだ。
当然ながら北西の家は大混乱。その日は皆が職務や学校を休み、家族会議で元『妹』から理由を探ろうとした。
「特に理由なんてねえ。オレはオレだって自覚しただけだ。一度きりの人生、好きに生きるべきだって言ったのはオヤジだぜ。今更それを否定すんのかよ」
実の娘にこう言われてしまっては、親の側から言えることなど何もない。親、という立場からは――。
「冗談じゃ……。冗談じゃねぇよヒカル! なんだそれは! なんでなんだよこれは! 何もかも勝手に決めンなよ。いきなり言われて、はいそーですかと行く訳あるか!」
息子……。この場合は兄とすべきか。両親が苦い顔で首肯する中、アズマだけはふざけるなと声を上げる。
それは親たちの内なる声の代弁であった。そして何より彼自身の偽らざる気持ちの表れであった。溺愛していた妹が性別を変え、男として振る舞う現実を、兄はどうしても受け入れる事ができなかったのだ。
「そんな……ことが、あったんですか」
「思えば、あれと同時に夏休みだったのよね。私たちは内々で話し合って。ヒカルはそれに納得しないで。ご近所様と話をするのも忘れていたわ」
突然の性転換。納得できない家族。反発する娘。北西家が当時どんな状況だったか。いちいち言葉に起こす必要もない。何もかもが急すぎたのだ。
「あ、あのう」お互いに口籠り、会話が止まったその矢先。それでは困ると手を挙げたのはチアキだ。「大変心苦しいのですが、その後何があったか、話してはいただけませんか?」
「そうね……」彼女は指を組んで俯き、曇り顔で暫く思案すると。「貴方たちはその為に来たんだものね。話さなきゃ、言わなきゃ……納得できないものね」
自分自身の迷いを断ち切るかのように、唇を噛んで顔を上げ、チアキと美久似の方を向いて。
「あの子のこと、強く責めないであげてね。私たちの中で一番傷ついているのは、多分アズマだと思うから」
※ 5 ※
「どうして……。どうしてなんだよ……。お前、お前……!」
何度時が戻せるならと思ったことか。
何度己の我儘を呪ったことか。
俺の否定に耐えられなかったヒカルは、部屋を出るなり家を飛び出し、程なくして車に轢かれ、苦しむ間もなくこの世を去った。
単なる偶然。轢いた側は俺たちに謝罪を尽くし、非は向こうにあると裁判所からお達しも出た。
ちがう。そうじゃない。妹が無言で家を出たあの時、責めて謝ることが出来たなら。お前の好きにすればいいと言ってやれさえ出来てたら。或るべき姿を強要し、向こうの気持ちも考えず、後悔してももう遅い。
『――アニキってばずるいんだァ。オレがいながら、他のオンナにうつつを抜かして夢心地なわけ?』
ちがう。お前を忘れた日など一日もない。
『――何をどう否定しようが、あんたがヒトゴロシなのは変わらないんだぜ。てめーの価値観に無理矢理嵌め込んで。それが正しいと信じて疑わず!』
わかってる。解っているからこそ俺はもう、誰のナニにも干渉しないんだ。もう二度と、お前みたいなことにならない為に……。
『――オレへの罪滅ぼしのつもりかよ、馬鹿馬鹿しい。だったらアイツは何なんだ。あの薄カワ野郎は。顔も知らないアイツ誑かして、それでも干渉しないって言えるのかよ』
やめてくれ。もうたくさんだ。喋る毎に頬が痩け、眼窩が窪み、肉が溶けて骨になる。髑髏になったヒカルが俺の背後で耳打ちし、回したその手が鎖めいて締め付ける。
「やめてくれ……。頼むよ、やめてくれ……」
布団を被って耳を塞ぎ、この世界から繋がりを絶たんとする。でも無理だ。寝ても覚めてもヒカルは俺を追ってくる。逃げ場なんてどこにもない。
なんでだ。なんでなんだよヒカル。どうしてお前は、そんな風になっちまったんだ。
※ ※ ※
「私から話せることはこのくらい。ごめんなさいね、あまりお役に立てなくて」
「いえ、いえ。おばさんもつらいでしょうに、ありがとうございます」
北西ヒカルが性別を違え、ヒガシ君はそれを認めず、反発したまま片方が他界。カレは悔恨に縛られて、今も前を向けずにいる。
(ワタシってば、サイアクだ)
良かれと思ってやったことが、カレにとっては死刑宣告にも等しい所業。まるで出逢ったすぐの頃みたい。事態は前よりずっと重いけど。
「チアキちゃん」物思いに耽るワタシの脇腹を、瀧本の左肘がつつく。「これからどうする? 今アズマ君に会っても……」
「ああ、そうだな。時間の無駄だ」
だからって立ち止まる暇などありはしない。ワタシが蒔いた種ならば、刈り取るのもワタシじゃなくちゃ。
そうだ。ワタシがやらねば誰がやる。不安げな表情の瀧本を目で御して、おばさんの方に顔を向け、「あの。アルバムとか……録画映像とかありませんか? 出来ればカレと一緒にいるものメインで」
「はい?」
前と一緒だ。瀧本でも、おばさんたちでもなく、ワタシがワタシだからこそ出来る手を打つ。
「二日だけ時間をください。カレを……ヒガシ君をここから出してみせます」




