#43 チアキちゃんのドキ☆ドキお宅訪問!
・前回までのあらすじ。
北西アズマくんにびっくりすることが起こる。起きた。
※ 3 ※
「『アニキ』、おはよう」
これは、一体何の冗談だ? 栗色の長い髪をばっさりと刈り、穏やかな目つきは異様に鋭く、暖かく優しげな声は、よく通る豪胆なものに姿を変えていた。
「もうオレは昨日までのオレじゃない。アニキとおんなじオトコの仲間入りさ」
冗談にしたって笑えねえぞヒカル。男って何だよ。ナニがお前をそんなにしたんだ。あの可愛らしい妹は何処へ消えた。俺は認めない。断じて認めないぞ。
俺の妹は北西ヒカル。庇護欲をくすぐる可愛さと、俺を慕ってくれるあの健気さこそがヒカルなのだ。誰が男の子になれと言った。どうしてそんな風になってしまったんだ。
「そうだ。お前は違う。お前なんかヒカルじゃない!」
※ ※ ※
辰巳校から北に歩いて約十五分。麦わら帽子の下に汗を滲ませ、オフショルダーのトップスに紺色のデニムスカート。『一枚』余計に着ていると、夏の装いでも暑苦しい。
「北西……」時には担任の蜷川先生の顔で。時には非実在幼馴染の三軒茶屋晴海の顔で。何度も通ったヒガシ君の家。
いつものように呼び鈴を鳴らし、愛想のないおばさんを躱して乗り込むだけ。それだけなのに、その一歩がいつにもなく重たい。
「チアキちゃん」
それはきっと、左手を握るこいつの圧だ。瀧本美久似。ワタシと共に策を練り、誕生日プレゼント用意に一役買った女。今となってはヒガシ君の傷口に塩どころか塩酸擦り込んだ元凶のひとり。
「やっぱり、わたし……帰るよ」
「駄目」握る右手に力を込めて。「二人じゃなきゃここに来た意味無い。それにワタシだって怖いんだ。手、繋いでてほしい」
誤魔化しやハッタリじゃなくホンネ。ワタシだって出来れば来たくなかった。でも行かなきゃ何も解決しない。文字通り閉じ籠ったカレを引き摺り出すには、真実を知る他ない。
麦わら帽子を目深に被って深呼吸。吐くと同時にインターホンを鳴らして応答を待つ。
『はい、北西ですが……。どちらさまですか』
出たのは勿論カレのお母さん。それで良かったと言うべきか、会えなくて落胆したと言うべきか。
兎角、何もかも話はこれからだ。ワタシたちは互いに手を握り返し、開く扉に目線を注ぐ。
◆ ◆ ◆
「やめろ。やめろ……やめてくれ……」
あの巨体を小さくすぼめ、怯えた目で後退るヒガシ君。ぶっきらぼうで面倒くさがり、どんなこともなあなあと流して来た彼らしくない。
なんなんだよその顔は。なんなんだよその声は。なんでそんな風になっちゃうんだよ。
「待って」
声は出ても足は動かず。ボクには去りゆくヒガシ君を止められなかった。じゃあ瀧本は。ボクよりも入り口に近い彼女なら。
「ご、ごめんなさい……。アズマ君、ごめんなさい……」
駄目だ。鼻水をすすって俯いている。罪の意識で声をかけることすら出来ない。当然、そんなものが彼に届く筈もなく。すれ違うカレはよろよろと逃げ去ってゆくだけ。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
ぐちゃぐちゃに掻き回されて、目の前が真っ暗になりそうになる。それでもボクを正気に留めていてくれたのは、同じ言葉を延々と繰り返す共犯者の虚しい姿。両目を大きく見開いて、俯いたまま動かない。
想定外の事態に当惑しているのは自分だけじゃない。無為に時間を過ごすより、前に足を進めなきゃ。
「瀧本」目の前に立って両肩を掴む。
「ごめんなさい……アズマ君……ごめんなさい」けれど首は動かない。
「こっち、向けよ」肩を揺すって刺激を加わう。
「ごめん……ごめんなさい……ごめん……」駄目だ。途切れるだけで終わりがない。ならどうする。カンタンだ。咳払いで声の調子を整えて。
「『いい加減にしろよ瀧本。メソメソ泣いて、ペコペコ謝り続けてさ、それで"俺"は救われるのかよ。それで何か変わるのかよ。申し訳ないって思うんなら、クチでなく態度で示しやがれってんだ! わかったか? どうなんだ? エエっ?!』」
なるたけ声を太く。荒く。ドスを効かせて。これまで幾度となく聞いてきたヒガシ君の怒り声だ。
"当人"に責められたのが余程堪えたのだろう。瀧本はようやっと前を向き、ワタシの肩に腕を回す。
「全部、私のせいだ。アズマ君に止められてたのに。話すなって言われていたのに。それが、こんな……ことに……」
「止めろ」あの逡巡は口止めから来たものだったのか。「後からアレコレ言っても意味がない。それより理由だ」
何故カレは隠した。『北西ヒカル』は一体何なんだ。どうしてあぁも取り乱す。結果に対し疑問が多すぎる。
「解らない」対し、返ってきた言葉はあまりにも頼りなく。「丁度去年のこの時期――。七月末から殆ど会えなくなって、八月半ばには死んで家族葬をしたってご近所で噂になってた」
ヒガシ自身はそのことを語りたがらず、程なくして陸上部を退部。年がら年中昼寝男と成り下がった。か……。
「OK。知りたいことはだいたい解った」これ以上絞っても求める答えはきっと出ないだろう。「後は、直接調べに行こう」
「直接って」
「決まってるだろ。お宅訪問だよ」
※ ※ ※
「いらっしゃい。ええと……」
「瀧本です。瀧本美久似。戌亥の高校、丑寅中からの知り合いで」
息子が倒れて引きこもりだというのに、おばさんの顔はいつも通りの冷淡さ。前を向いてはいるけれど、その目は果たしてワタシたちを捉えているのたろうか。
「ええと、アズマ君に会いたいのですが、ご在宅でしょうか」
「はい。家に居ますよ。ただ、会うかどうかは」
昨日の一件以来、メッセージを送っても既読すら付かず、電話は電源オフの一点張り。居ないことも想定していたが、帰って来ていたようだ。
「会えるか、とは?」
「昨日から帰るなり、部屋の中に閉じこもっちゃってるの。降りておいでって言ってるのに、もう全然出てこなくて……」
理由は何となく察しがつく。今の段階じゃそれをどうにか出来るとは思えない。
だから。「瀧本、ちょっと横にどいて」
彼女の手を握ったまま前に出て、目深に被った麦わら帽子をおばさんに晒す。他の顔では何度も会った。けれど、この顔は完全に初対面。
「あなたは……?」
「今日話を聞きたいのはカレじゃなく、あなた」
少々荒療治だが仕方ない。頼むから正気のままでいてくれよ。深呼吸で気持ちを整え、麦わら帽子を胸元に移動。
『わたしたちにカレの話を聞かせてほしいの。お願い、教えて"おかあさん"』
「な……!! あ、あ、あ!?」
無表情な仮面に亀裂が走り、両の目が困惑に塗り潰されてゆく。そりゃそうだ。死んだ娘が墓を経ず蘇ってくれば、誰だって動揺で腰を抜かすだろう。
予想通りの反応だ。我ながら悪趣味極まりない。息子がトラウマ抱えてりゃ、母も似た反応を返すはず。常日頃生返事の事なかれ。悪質だろうと何だろうと、過去を探るにはそれしかない。
「ヒカル……あなた……なんで……!」
「落ち着いてください。気を、気を確かに!」
たたらを踏むおばさんを瀧本が支え、ワタシは怒るでもなく悲しむでもなく、ただ一点を真っ直ぐに見据える。始めは騒いでいたおばさんも、こちらの意図を理解し呑み込んだ。
「話を聞きたい……、って。そう……言った?」
「うん。カレの口からじゃ、聞けそうにないから」
「解った。解ったわ……。居間にいらっしゃい。話は、それから」
※ ※ ※
「と、言う訳なんです」
「ご納得いただけたでしょうか」
「ええ、まあ……。だいたいは」
死んだ娘が生前の姿で甦る。現実はどうあれ、受け容れられるかは別問題。故にワタシと瀧本は、この不可思議な事態の発端をヒガシのお母さんに説明することになった。
「つまり、あなたのその顔は」
「普段、三軒茶屋晴海なんて姿で混乱させて何ですが……。別人です。色々と」
家庭訪問の話は――。黙っておくべきだろう。どっちの為にもなりゃしない。
「正直……まだ混乱しているけれど、今はいいわ。今は……」
「ありがとうございます」
とにかくだ。必要な情報は与えた。納得して貰えたのなら。「それでその。ワタシたちがここを訪ねた目的の」
「ヒカルの、ことね」ヒガシ同様だいぶ粘るかと思いきや、お母さんはずいぶんとこちらに協力的で。「折角お友達が来てくれたんですもの。手ぶらで帰す訳にはゆかないものね」
お母さんは深呼吸で気持ちを整えると、冷蔵庫に向かい、麦茶と取っ手のない硝子のコップを二人分置いて。
「暑いですし、頂いて頂戴。少し……長い話になるから」
きっと、これまで他の人に話す機会がなかったのだろう。老け込んで細まったお母さんの目は、聞き手を得て安堵に拡がった。
「何処から話して良いものか……。瀧本さんはご存知だったのよね。アズマとヒカルの間柄。ほんの少し前までは、本当にあのままだったのよ」




