#37 コクハク
ある種ようやくタイトル回収。
書き溜めの方は丁度最終回数歩手前で、色々因果なものを感じます。
※ 1 ※
「おにいちゃーん! あと一周ふぁいとふぁいとーっ!!」
疲れ切って目が霞む中、あの声だけが俺をゴールへと導いてくれる。他の誰より大きな声で、優しくて暖かで心地良くて。この声援を独り占め出来るのがとても嬉しくて。
「やった! やったよアズマ兄ちゃん! 一位だって一位! 長距離走の県内新記録達成だってー!」
どんな記録を出したことより、この祝福を受けられることが何よりのご褒美で。だからこそ我武者羅に走り抜いたっけ。シスコンだと笑われたっけ。笑いたければ笑うがいい。なれど俺は結果を出した。黙せよ『普通』、見たか他のエリート軍団。
「サンキュー、ヒカル。お前の声、今日も届いてたぜ」
「あったり前でしょ。そのために張り上げたんだもん」
北西ヒカル。たった一人の親愛なる妹。この頃はずっと、ずっと傍に居てくれる。
根拠もなく、そう思って疑わなかった。
「でもさ、それはやっぱり止めようぜ。らしくない」
「えー。でもこれが良い。これ着てたい。だってヒカルは……」
あの言葉の後。ヒカルは何と言おうとしていたのだろう。
記憶の中にモヤがかかったみたいだ。どう言ったのか。どう躱したのか、そこから全部憶えていない。
覚えていないということは、大したことじゃないのだろう。多分そう。きっとそう。誰でもない自分にそう言い聞かせ、それ以上の問答を打ち切った。
※ ※ ※
「なあ、アズマ。お前ちゃんと勉強したか?」
「自信ないよなあ。赤点取ったら夏期講習で夏休み初日潰されるんだぜェ〜?」
「ああ、うん……」
チアキ関連のゴタゴタですっかり忘れていたが、我が辰巳高は期末考査期間真っ只中。額に汗して勉強してたのも今は昔。奴と周囲の囃し立てに疲れ果て、昨日までそのことを失念していた。
「でもォ、アズマ君はそんなの関係無いんだっけえー?」
「俺たちにも内緒で、こんな時期にコイビトなんか作ってたんだもんなー」
「よせよ、そういう言い方」
被ったのは事実だが、フッかけて来たのは苅野忍の方だ。此方に非は無い。
「それにな、勉強だってちゃんとして来ましたよ。夏休み初日に補習なんざ冗談じゃねえ」
ほぼほぼ一夜漬けだが、なんて台詞は胸のうちにしまっておくとして。そもそも奴とはここ数日顔すら合わせていないんだ。影響なんてあるわけが……。
「あっ、しの! しのじゃーん」
「どーしたどーした、最近なんか余所余所しいぞー」
項がそば立ち、背筋を伝う確かな怖気。今、このタイミングで?! ナンデ!?
皆の注目がドアに集まり、そこに立つのは『ふつう』らしからぬ銀髪ミディアムショート――。
「しのぶ」同じ顔をした銀髪が後から来た”そいつ”を呼び止める。不可思議だけど、そうとしか言いようがない光景。
「止めないでよ、ゆー姉」
「別に何も言ってないでしょ」
二人で顔を突き合わせ、暫しの沈黙。けれどその後何もなく。奴はユウの席をすり抜けて、俺の元へと一直線。こういう時、止めるものだと思ったんだけどな……。
「”アズマ君”」
世間体を気にし、敢えてのアズマ呼び。思えばそれも春以来か。なんだかとっても懐かしい。
「なな、なんだよイキナリ」
「この際、はっきりさせておこうと思ってね。みんな勘違いしてるみたいだから」
ツンとすまし顔だけど、その実めちゃくちゃ怯えてる。喉元ぴくぴく震わせて。続く言葉を空に求めながら。
ナニを、と言ってやるべきだろうか。否、向こうから言い出した話じゃないか。見届けてやらねば禍根が残る。どっちにとっても良い話じゃない。
永遠にも思えるこの静寂。俺もあいつも目線を離せず、周囲がざわつき始めたその瞬間。
「私たち、付き合ってもう一月でしょ? 今更ナニも無いってムリあるじゃん。コソコソ隠れてないでさ、堂々としてよねアズマ君。私の『彼氏』なんだから」
テスト前の慌ただしい教室が、ほんの一瞬時が止まったみたいに静まり返る。その静寂は狂乱へと形を変え、声が俺たちを呑み込んでゆく。
「アズマお前!? まじで!? アレ本当にまじなやつ!?」
「なんで、なんでだ! 何故俺たちに言わなかったあああ」
「しの、それホント?! 言わされてるとかじゃなく?」
「だってほら。接点無いじゃん。普段あたしたちと喋ってばっかだったじゃん!」
質問が洪水のように押し寄せる。それは当然向こうも同じ。互いが互いを気遣う余裕はない。
「しょ、しょうがないだろ。こんなこと……お前らに知れたらシメられるから」
「ごめんね美波ん、仁美。なんとなく、さ……言い出しづらくって」
示し合わせたわけでもなく、双方嘘の地固めにてんやわんや。それが唯一の解決策だったのは解かる。理解してやろうじゃないさ。
でもそれにしたって唐突すぎやしないか。お前、いつからそんな積極的になったよ? 俺とお前は秘密を共有する共犯者なんじゃなかったか。
いつかはこうなるって思っていたさ。それはまずいと自制もかけてた。だのにお前の方から壁取っ払って。踏ん切り付かないみたいな顔してさ。何だよ、何なんだよチアキ!
「ごめんな『忍』。お前にばっかり、無理させて。ホントに、ゴメン」
心の蔵が早鐘を打ち鳴らして止まらない。や、止まっちゃまずいやつだけど、こればっかりは理性でブレーキかけられない。しのぶとチアキ。寸でのところで単語をすり替え、秘密を隠し通したぞ。
もう、止まらないし戻れない。あれからそろそろ三ヶ月。俺たちふたりはいつの間にだか、底なしの泥沼に足を踏み入れてしまっていたのだ。
「く、おお……。わわ、解ってるじゃんさアズマ君。そうそう。それでいいの」
そして、自覚しなくてはならない。俺はチアキが。素顔も知らぬこいつと、友達以上の存在になりたがっているということに。
――いい加減、認めてくれよぉ……。アニキってばさ。じゃなきゃオレは、オレは――。
自らの内に押し込めたどす黒い『なにか』に、知らぬふりをしたまま。
あれ?
そういえば今日、何の日だったっけ?




