#29 言ったろ? ダクトテープは史上最高なんだって
「結局、しのってば来なかったね」
「あーあ、残念。あの子の水着姿、ちょっと楽しみにしてたんだけどな」
スカートの下から藍色の水着を足に通し、下着を外して肩がけにしたところでバストを整え、ジャンパースカートとワイシャツを取り払う。
制服を脱ぎ、水着に着替える少女たちたちの話題は、此処にいないクラスのマドンナで持ち切りだ。今年初の水泳授業を見計らったように行方を晦ませ、LINEにもまるで反応が無い。
「カラダ、見せるのイヤだったんじゃないんかなー? あの子、頭以外触られるのあんまり好きくないっぽいし」
「あー、見た見た。潔癖症って言うのかな。あんな顔でごろにゃん甘えてるのに、ヘンな所で距離取ってるのよねー」
当人が居ないのを良いことに、本当か嘘かわからないことを言い連ねる親友たち。真偽がどうあれ、当人がいなければ否定も出来ぬ。
「でも、それってさ……」
「うん?」
「ゆーさん、何か知ってるん?」
件の人物と同じ顔をし、髪型だけが違う少女が溜息混じりに口を挟み、他の興味を一手に引いた。
思った以上のヒトの目に少し仰け反り、プリーツスカートのホックをずらす。流石にまずいかと目を伏せて、数秒の沈黙に続き口を開く。
「や、や。アタシの勘違い。何でもないから忘れてどーぞ」
「えー、ナニその沈黙」
「知ってるの? ゆーさんなにか知ってるのー?」
此処にあれがいないということは、居られない理由がある訳で。『ヒミツ』を知る自分からすれば何となく察せられる訳で。
(ホント、面倒臭い生き方してるわよね、あいつ)
クラスメイトの追求を曖昧な微笑みで躱しつつ、稲森ユウはうんざりと嘆息する。むしろ、来てくれなくて良かったと言うべきか。ヤツと多人数化で肌を見せ合う場で鉢合ったなら、味方になってやれる気がしない。
困惑はむしろ安堵となり、ストラップ部に腕を通し、形を整えていたその矢先、息を弾ませ更衣室に押し入る者がひとり。
「はあ……はあ……、ふぉわ……。ま、間に合っ、たあ」
安堵に緩んだ稲森ユウの顔を、再度困惑と驚愕が塗り潰す。髪型と肩幅だけが違うあのオンナが。自分のカワを被り、皆を騙すあのオトコが、何喰わぬ顔でここに姿を現すなんて!
※ ※ ※
「わー。しの間に合ったあ」
「心配してたんだよー、LINEも既読スルーで反応ないんだもん」
悩んで迷って、対策立てて三時間目にギリギリか。本当は来たく無かったけれど、こうしてありがたがられると、『苅野忍』としては嬉しくなってしまう。
「ごめん、ごめん。寝坊して起きたらこんな時間でさー」
整った髪の毛をわざと乱し、疲れてもないのに息を弾ませて。まるで今ここに来た体を演出。
本当は二時間目の半ばからトイレに籠もってたんだけどね。コソコソ隠れて機を窺ってたんだけどね。
「ちあ……しのぶ。あんた、どうして」
こらこら、刺すような目でワタシを視るなゆー姉。今チアキって言いかけたろ。動揺で皆に不信感を与えるんじゃあないよ。今頃バスタオル巻いて隠しても意味ないだろ。別にワタシはお前らの裸見てどうこうするシュミはないから。
むしろ、どうにかしなきゃならないのはこっちの方――。
「急いで着替えるよ。ちょっとそこ、空けてもらえる?」
クラスメートを横に除け、ロッカーを開いて鞄を放る。制服のボタンを外し、ワイシャツを脱いで折り畳む。
「よくもまあ、ヌケヌケと」で、そこにユウの奴が密やかに耳打ち。「ナニしにきたの」
それならばとワタシも着替えながら、「今更ソレ聞く? ここは更衣室、そしてその先は屋外プール」
「ホンキなのね……」静止するかと思いきや、当たりはだいぶ柔らかで。「なら好きにすれば。何かあっても庇わないから」
「さんきゅ」
ワタシたちは互いに人質を取られた間柄。双方がオイタをしない限り、他に救けを求めることは叶わない。ここまでは予想通り。あとは上手くやればいい。小さくふうと息を吐き、ジャンバースカートを脱ぎ捨てる。
「ふみゅう、やっぱり私の見立て通りだったなあ」
「しのってば顔はゆーさん似で、カラダまですらっとしてるの何!? 脚もくびれも綺麗なライン!」
「秘訣、何かあるでしょ何か! 教えて! 教えなさいよー」
は、は、は。我ながら己のカラダ造りにうっとりする。もっと褒めよ、もっと讃えよ。なーんっつって。あはは、なーんつって。
余計なものを一切合切削いだ、全国統一ワンピースタイプの競泳水着。普段服で覆ったラインが外に晒され、否応なしに比較される。
産まれてこの方、水泳の授業で窮屈さを感じたことはない。顔、肌、手足。パーツが整ってさえいれば、少しお尻を突っ張るだけで誤魔化せる。
今日だってそう。オンナもオトコも馬鹿ばっか(後ろでゆー姉が睨んでいるけどキニシナイ)。ワタシがこうして、主張の強い股間を『ダクトテープ』で撫で付けた事さえ知らないんだもの。
「えへへ。そんじゃ行こっか」
勃起が何だ。ヒガシが何だ。ワタシに不可能はない。バレることなく乗り切ってやるんだからっ。
※ ※ ※
「あいつ……本当に大丈夫なんか」
身体がデカいと浴びる太陽熱の範囲も広く、初夏のプールサイドなんざジゴク極まりない。
期末テスト迫る七月初旬。拘束するチアキにその理由が無くなれば、俺だって授業に出るしかない訳で。結果、女子の中に在って女子らしく振る舞うアイツの姿を遠目に視る羽目になった。
「おっ、なーんだよアズマちゃん。遅刻してでも来たのはこの為かァー?」
「分かる。分かるぜBROTHER。苅野に稲森、その他女子がボディライン見せっびらかすんだもんなあ」
今日ばかりは三橋や柏木に感謝だな。雑音が無きゃココロが狂気に呑まれてしまう。
「わ、わ。ちょっとどうしたのよしの」
「なんか今日、ミョーにフラフラしてない?」
昔何かの本で読んだことが有る。ヒトは元あるモノが有るべき場所に無いと、平衡感覚に支障をきたすのだという。
いきり立つ股間をテーピングで誤魔化す・か。確かにあの状況下じゃ最善手だっただろうが、それでも結局付け焼き刃だ。
「うえ、へへ。なんか……うん、ダイジョブ。大丈夫。急いで来たから疲れちゃってえ」
無理の有る返答で追求を躱し、友人たちに曖昧な作り笑い。騙す方も何だが、これを額面通り受け取る方も方だよな。
俺には観ていることしかできない。決断したのは奴だ。退路を断って、自ら苦境に立つとそう言った。邪魔する方が野暮ってものさ。
「はいッ、いっちに、さんしっ」
「にーにー・さんしっ」
ひとかたまりで準備体操をする最中、一人だけフレームレートを落とした動き。身体を捩らせ、その都度顔を歪ませて。
「しの、しの。ほんとに……いいん?」
「なんかこう、『ぎこちない』んだけどさ」
だから何だ。俺と『苅野忍』の間には何もない。バレそうだからとフォローする間柄ではないのだ。
「べ、別に何でも無いよ。なーんでも」
阿呆が。顔を引き攣らせて言うことかよ。そんな返答じゃ不安を煽るだけだとまだ気付かないのか。
(あるいは、気付けない程テンパっているか……)
逃げだしゃいいのに。誰もやつを責めやしないのに。それでも立ち向かわなきゃならない理由って何さ。どうして勝手に追いつめられて行くんだよ。
「よーし。じゃあ一人ずつ順番にアップを兼ねて泳いで行こうか。クロールでニ往復、終わった者からプールサイドに上がるように」
疑問に答えが示されることはなく、無慈悲に時だけが過ぎてゆき。六レーンの中で俺が二列目、奴が五列目の第一陣。
「しの。やっぱりさ、止めたほうがいいんじゃない?」
「テスト近いんだしさ、むりくりやっても結果は出ないよ」
騙すべき友人たちからでさえ正論が飛び交うこの状況。甘えりゃいいじゃん。へそ曲げて平気なフリすんの、かっこ悪いだろ。
「んもう。みんな心配性だなあ。ヘーキヘーキ、むしろこんなことで休んだら、私が私を許せなくなるし。もーちょっとだけ、ね?」
笑顔でその場を取り繕い、近寄る子たちを退けて。他の考えなどどうでもいい。『苅野忍』として普通を『普通』に消化する。それがチアキに取ってのプライドだということか?
「はい。位置についてー。用意ー、すたーと!」
教師の笛の音を合図とし、男女混合一斉スタート。思い思いに水を掻き、仮染めの涼に身を委ねる。
「し、しの」
「ちょっと、しのー?!」
レーンは違えど、同じプールで飛沫を上げて泳ぐのだ。水中で周囲を見回せば妙な所など直ぐに分かる。
「苅野ぉー、真っ直ぐ泳げ真っ直ぐー。蛇行運転が許されるのは教習所だけなんだからなー」
体育教師のくだらないジョークを聞くまでもなく、それが第五レーンで起きていることを把握。指摘され、周りがざわつくこの中で、それでも尚チアキが我武者羅に泳いでいることも。
(あぁ、もう。見ていられない)
もう、チアキのことを馬鹿だ阿呆だと言ってられないな。二十五メートルの真中で足を止め、黄青のロープと後続を押し退けて、五番レーンに潜り込む。
「えっ、ちょちょちょ、ちょーっ!?」
「アズマお前、おまえーっ!!」
ああ、ああ。解っているよ言いたいことは。こちとらそれ覚悟で乗り込んだんだ。なるべく騒がないでいてほしい。
「が、ふぉお、お?!」
ええい、俺を見て水を吹くな。じたばたと暴れるんじゃあない。こちとらお姫様抱っこやぞ。男女の視線釘付けにして、それでも進む俺の気持ちにもなってみろ。
チアキと・とは毎日のように言葉を交わし、おふざけを掛け合う間柄だ。しかし俺と『苅野忍』との間にそうした接点はない。他の奴らからすれば、陰キャが陽キャの中心に割って入ったような感覚だろう。
「ひが、ひがヒガシ。ワタシは助けなんか」
「太もも閉じてしっかり曲げとけ」お前の意見は求めていない。「勃起なめんな。観てて目立つ」
「な、なあっ」
奴の頬が真っ赤に燃えて、無言の平手を背に一発。それくらい元気なら、自分できっちり誤魔化して欲しいんだがな。
「悪い、誰か引き上げるの手伝って」
集まって来たクラスメイトに声を掛け、チアキの身体を他に預ける。良し良し、ちゃんと太もも閉じてるな。あれなら簡単にはバレなかろ。
「おい! オイオイオイアズマお前! 何今の! 何だってんだよ今のォ!!」
「いつからだ! 何時から苅野さんとあんな間柄にぃいいい」
「ば、馬鹿野郎。弱ってんなら助けてやるのがフツーだろ!? 何かおかしいか? ナニがおかしい!」
俺はといえばダチふたりに囲まれて質問責めさ。そりゃあそうさね、立場が逆なら俺も聞いてた。
「あっ、えっと……そう、北西君!」
「あんた一体しのの何?! なんでお姫様抱っこぉ!?」
加えて、苅野忍陣営の女子からも集中砲火と来たもんだ。やめて、ほんとやめて。気の迷いなんです。放っておくつもりだったんです。なのに身体が勝手に動いちゃって。
やっ、ちょっと。セクハラとか言うの止めて? 大きな声じゃ言えないけれど、ソレそっちのやつもそうですからね。馴染んでる分向こうの方が悪質ですからね!!!!
「北西君!」
「アズマ!」
「変態ぃいいい」
「でくの棒アンタ……」
ちくしょうめ、人助けなんてするんじゃなかった。いっつもこうして割を食う。俺ばかりが損をする。
称賛よりも罵声の勝つ雨に打たれ、俺は二度と人助けなんかするものかと固く、固く誓うのだった。
オトコが勃起する理由は大雑把に分けてふたつ。ひとつは外的刺激――。擦れたり揺れたり触ったり。こちらの気無しに持ち上がるパターン。
そしてもうひとつ。相手が誰であれ、性的な興奮を覚え、『そちら』に血液が昇って勃ち上がるパターン。
どうしてそんな風になったのか。今まで無かったことが今になって急に現れたのか。理由はわからない。
そう。わからない。チアキが、誰に性的な興奮を覚えたかなんて、解かるはずが無い。もうおしまい。このはなしは、これでおしまい。
これをラブストーリーと言い張る勇気。




