#12 私の晴れ舞台、台無しにする気?
※ ※ ※
「みんな。今日までよく頑張りました。泣いても笑ってもこれが最後。悔いのないよう、全力でやってこっ」
ステージ奥に備え付けられた控室の中、未だぎこちない後輩たちへ、美柳先輩からの激励の声。
そしてそれを一歩引いた場所で眺めるワタシ・葛葉まなみ。昨日入部届を出した半部外者なれど、楽屋入りくらいは許してもらえたらしい。
なんだかんだで日が昇り、当日の体育館には並べたパイプ椅子の八割が埋まる程の盛況ぶり。この消沈ぶりは先輩がいなくなることへの反発か、それとも大勢を前にした緊張か。見ている分にはどちらでも変わらないんだけどさ。
鞄の中には制汗剤に見せ掛けた噴射式催眠スプレーと、クスリを染み込ませたハンカチのツーセット。これで昏倒させて衣装を奪い、ワタシが美柳真帆に成り代わる。
「よっし、全員あったまって行こうか。後で追い付くから、先……行っててくれる?」
この、一見すると困惑しかない求めに対し、今の部員たちに異を唱える者はいない。彼女が足を痛め、真実を告げず去ろうとしていることなど、知る由もない。
願ってもないチャンス到来。今、ここで、仕掛けるか――?
「じゃ。じゃあ……私も、舞台袖に」
「まなみさん。ちょっといい?」
さて、どこで仕掛けるかと鞄に手を伸ばしたワタシの背を、美柳先輩の冷ややかな声が呼び止める。
「は、はい……なんでしょう」
「もう、此処にヒトはいない」
「え?」
困惑するワタシをよそに、控室に鍵を掛け、他の気配が無いことを確認し、彼女から話を切り出して来た。
「知り合いと話をして、名簿を見せてもらったわ。今年、辰巳高に入ってきた新入生の中に、葛葉まなみなんて娘は居なかった」
「え」
「他にもいろいろ聞いてるよ。あなたと同じ顔した子を、いつだかか北校舎で見かけたって」
ポカミスをやらかしたあの時から、いつかこうなるんじゃないかとは思っていた。けれど早い、早すぎる。もうそこまで達しているなんてっ。
「時間がないから単刀直入に聞くね。葛葉まなみが存在しない人間なのなら、私の目の前にいるあなたは、一体何なのかしら」
「それは……」
「答えられないんだ」此方の沈黙を契機とし、先輩の声色が熱を帯びる。「じゃあ代わりに答えてあげましょうか。新学期から度々辰巳高に現れる噂の根源。同じ顔したドッペルさん。あれがあなたね」
(この辺が、潮時か?)
鞄の中からハンカチと制汗スプレーを手に取り、背を向けたまま様子を窺う。進路上に障害物はなし。足を痛めたオンナ一人、押し倒してクスリを嗅がせることなどわけはない。
「あは、はは。何を言ってるんですかあ美柳先輩。ワタ、私がそんな得体の知れないものだなーんて」
大事なのは仕掛けるタイミングだ。向こうの挙動を肌で感じ、飛び掛かるべき瞬間を見計らう。
先輩はパイプ椅子に座したまま動かない。あちらが距離を詰めぬなら、先手を取って押し倒せ。ごくんと唾を飲み込み、猫立ち姿勢から腰を捻った、その瞬間。
「私に、化けようと思って近付いたんでしょ。いいよ、やって見せて」
「あ、へ、え……!?」
この犯罪行為を、平気な顔で承認されるだなんて。ベタ踏み急ブレーキの掛かった腰は更に捻じれ、ワタシの体を空中半回転させた後、顔から地面に突っ伏すことに繋がった。
「あはは。まさか図星だった? いーよいーよ、そんなの使わないで。必要なら服も貸すしロッカーにでも隠れるから」
「く、お、お、お」
何もかも読んだ上での発言か。クスリとハンカチを見られたんじゃ、もう言い逃れは出来ないな……。
「そうだよ。ワタシは先輩の姿を奪いに来たドッペルさんさ」
こうなれば葛葉まなみなんて必要ない。赤渕眼鏡を胸ポケットにしまい、ウイッグを外し、薄カワをすっと捲って、中に仕込んだ『真帆先輩』の顔を見せ付ける。
「どう? 驚いた? 後はその衣装さえあれば、皆どっちがホンモノか分からなくなる」
向こうの声色と蠱惑的な笑みで煽ってやるのだけど、先輩の顔はぼーっとしていて変化なし。いっそきゃあって叫ばれた方が調子出るのに。
「……驚きませんね?」
「あ、いや。驚いてます驚いてる。鏡を見てるみたいで、なんだか言葉が見付からなくて」
普段通りの口調で、物珍しくまじまじ見つめられると調子狂うな。咳払いを二つして、今もなお『自らの顔』を見つめる美柳先輩の胸ぐらを掴み。
「あとはその衣装だけ。そいつを纏ってステージに出るの。抵抗したって無駄よ。ワタシは」
「ちょい待ち」そんな状況でなお、真帆先輩は右手の平を見せてSTOPをかけ。
「抵抗するつもりはないよ。着たければお好きなように」そこに、でもねと言葉が続く。「交換条件。一つだけ、あなたに聞きたいことがあるの」
「な、なんだって言うんです」
「ドッペルさん。あなたはその顔でステージに上がって、何がしたいの?」
「何、って」ワナ? 質問に注意を向けて、ワタシから逃げようってそういうこと?
でも開幕まで時間は無いし、真帆先輩に逃げるような素振りは無い。だったら……。
「見返したいヤツがいるんです」
「へえ?」
「そいつは今観客席に居て、先輩たちの演技を待っている。見せ付けてやりたいんです。ワタシの成り切りは完璧で、これがワタシの本気なんだって」
隠すメリットが無いのなら、話してしまった方がよっぽど潔い。勢い任せに話してしまったが、向こうさんはどう出るか。
「ふふ、あはははは」
などと戦々恐々待っていたのに。美柳真帆ときたら一拍遅れてゲラゲラ笑い。何だよ、何なんだよ! 何がおかしい! ワタシにとっちゃ真剣な問題なんだぞ。コケンに関わる問題なんだぞっ。
「あ。やー、ゴメンゴメン。悪気があって笑ったんじゃないの。可愛げあるじゃん、ドッペルさん」
「か、可愛げ?」
その物言いが馬鹿にしているんだと言うに。全く、陽キャの連中は全く! などと憤慨を顔に現していたら、向こうは勝手に目を伏せ、湿っぽい口調で『同じだったよ』と呟く。
「好きな子を振り向かせたくて、カッコいいなって思って始めたチアリーディング。でも、その子にはとっくに意中の子がいて、気付かなかった私はとんだピエロで。悔しくて、藻掻いて、それでも頑張ってたら、いつしか県内屈指の実力者になってたわけで」
美柳真帆はそこで言葉を切り、鏡写し同然のワタシを見やる。
「昨日キミに怒られてはっとしたんだ。そんな私が誰かに何かを託そうなんて烏滸がましい。本当に部のことを思うんなら、きっぱり皆に忘れてもらおうと思って」
「だから、ワタシを、受け容れる?」
願ってもない話だ。利害一致。双方Win-Win。
だのに、肯定でなく疑問で返すワタシが居て。つまりそれは、美柳真帆の答えに納得してないというワケで。
「どうしたの? 私の服を奪いたいんでしょ。だったらさっさとやればいいのに」
「先輩は……それでいいんですか?」
同じ顔をした一方が良いといい、もう一方がNOという。まるでジキルとハイド、解離性同一性障害の実例を眼前で見ているかのよう。
「良いも何も、条件を提示して、あなたはそれに答えた。断る理由なんてどこにも無いでしょ」
彼女の言う通り、間違ってるのはワタシの方。無抵抗で許諾が出てて、手を出さない方がおかしいのだ。
これまで何度もやって来たことだろうに。今更躊躇って何とする。美柳先輩が気に食わないんだろ。
「ほらぁ、何を躊躇ってるのドッペルさん。私の顔と名前が必要なんでしょ」
開幕まであと五分。あまり焦らすと折角追い出した連中が戻って来かねない。
けど、このもやもやをそのままにしていいの? 放っときゃいいじゃん、そんなのダメだ。二律背反が床に根を張って、ワタシが動くことを許さない。
「もーっ。強情なんだから」
傍から見ると間抜けな絵面に愛想を尽かしたか、美柳先輩はワタシの元へ駆け寄って、溜め息と共にこのひとこと。
「幕はもう上がるのよ。あなた、”私”の舞台を台無しにする気?」
なんだ。
何が何だかわからない。
けれど、胸の奥がこう、ちりちりする。
そんな言葉、ワタシにとっちゃ何の意味もない。
けど、今の「ワタシ」は美柳真帆。辰巳高チア部不動のセンターなのだ。
そんな『私』が舞台を、自らの手で台無しに、ですって? そんなの、許せるわけないじゃない!
「答え、決まった?」
「勿論」
都合よく動かされている気がしてならないけど、ワタシの中の「美柳真帆」が、NOという選択肢を塗り潰す。
行かなくちゃ。そもそも、そのためにここへ来たのだから。
※ ※ ※
「ほら、ほらほら。そろそろ始まるぜ」
「楽しみだなあ、美柳先輩のラストダンス」
「いや、それだと意味違くね?」
なんて俺の正論は、奴らの熱狂に掻き消され無意味と化す。興味本位で観に来た学校の部活動発表会。今しがた弓道部が本番を終え、疎らな拍手を受けて舞台袖に去ったところだが、場内の目は右手の袖に釘付けだ。
辰巳高チアリーディング部の演目。しかもセンターを張る美柳真帆はこれが高校最後の舞台という。地元を盛り上げ、生徒数増加に貢献した功労者の幕引き。他の参加者には申し訳無いが、歓声が集中するのもやむ無しと言えよう。
「お、来た来た。来ましたよう」
「みやなぎせんぱーい!」
柏木と三橋の声がキッカケとなったか、壇上に集まる老若男女の黄色い声。凛とした表情を浮かべる五人のメンバーと、その真中で難しい顔をした黒髪ストレートの美人さん。青のストライプに黄の差し色が入った衣装が勇ましい。
「けど、も」
真ん中のが美柳先輩だってのは解った。
ならなんで、彼女はあんなにも苦み走った顔をしてやがるんだ?
・役者が、演じる役に引っ張られてくのって、こんな感じだよね?
と思いながら書きました。何か間違っているような気がしないでもなく。




