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花は君のために  作者: 須田konbu
Season3〜大人編

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夜食



「…………暇ね」



 春の夜、雨が静かに窓を打つ。

 この広いお屋敷の中には今、私と広瀬しかいない。

 お父様はお仕事で出張中で、私はさみしくお留守番。こんなふうに暇な時は、よく雨音と青葉くんのお家に遊びに行くのだけれど、あいにく二人は今旅行で遠くに出かけている。


 雨音の卒業から遅れて1年、通信制の高校を卒業して来月から私も大学生になる。

 

 雨音が学校でたくさんお友達を作ってきたみたいに、私も学生生活を楽しみたいと思っている。がんばらきゃ、という少しの焦りと不安もある。


 私は、雨音がいないと一緒に遊ぶ友達もいない。それに、一緒に旅行に行ってくれるような恋人もいないし。



「私も旅行に行きたい……」



 ため息混じりに呟くと、広瀬は掃除をしながら呑気に返事をした。



「来週には、旦那様のお仕事も落ち着くと思いますよ」


「そうじゃなくて……」



 私が一緒に旅行に行きたい人は、私の気持ちに全く気づいていない。

 私たちの関係はこの1年で何も変化することなく、良くも悪くも平穏な日常が続いている。



「はぁ……」



 今日だって、せっかく二人きりなのに。広瀬は淡々とお家の仕事をこなして、たまに私と会話をするだけ。

 もちろんそれが使用人として正しい姿だし、一緒にいられるだけで充分で、これ以上何かを求める訳ではないけれど。


 もう少し私に構ってくれてもいいのに、と内心不満が募る。



「ねえ、広瀬……今日は私、悪い子の気分。まだ全然眠くないの」



 いつもならベッドで横になっているような時間なのに眠る気にはなれなくて、私は窓際のソファに腰掛けながらぼうっと窓の外を眺めていた。



「……お願いだから、私をひとりにしないで」



 お仕事を終えて帰る前の広瀬にこんなことを言っても、わがまま言わないでください、と窘められるだけ。そう分かっているのに、本音が口から溢れ出た。


 こんなに心細い日には、他の誰でもない貴方に隣にいて欲しかった。それだけ。



「……では、時音様」



 少しの沈黙の後、広瀬はいつの間にか私の近くに来ていて、その瞳に私を映した。



「今夜はいけないこと、試してみますか?」



 そう言っていたずらに微笑む広瀬に、私は思わず息を呑んだ。




♢♢♢♢♢




「広瀬、それはいけないわ。広瀬が台所に立つのは駄目」


「時音様、私も全く自炊ができない訳ではないのです。まあ、見ていてください」



 広瀬は私が止めるのを聞かずに、台所に入ってがさごそと食材を漁っている。わがままを言った私が間違いだった、こんな時間に広瀬にキッチンを爆発させられでもしたら、と私は既に不用意な発言をしたことを後悔していた。


 広瀬はじゃがいもを手に取ると、下処理を済ませ、包丁で丁寧に切れ込みを入れていく。



「嘘……広瀬がこんなに手際よくお料理できるなんて……!」


「一般的な家庭料理は苦手ですが、夜食を作るのは得意なんですよ。今までお見せする機会はありませんでしたが」


 

 じゃがいもの切れ込みにスライスチーズを挟み込み、塩や胡椒で味を整えて、オーブンで焼く。

 全く難しいことをしていないのに、やけに得意げな広瀬に愛おしさを感じてしまうのは、所謂恋は盲目というものなのだろうと自覚している。


 広瀬から目を逸らして、オーブンの中でこんがりと焼き色のついていくチーズを見ていたら、私もだんだんとお腹がすいてきたような気がした。



「ああっ、でも駄目こんなに大量のチーズ……!カロリーが、こんな夜遅くに食べるにはカロリーが高すぎるわ……!」


「でも、美味しそうでしょう?」


「うぅ……!」



 焼き上がってお皿の上に取り出された、おいしそうな香りと湯気が立ち上るシンプルなじゃがいもとチーズの料理から、私たちは目が離せなくなる。



「ここでさらに追いバター」


「悪魔的だわ……!」



 カロリーの暴力。背徳の料理。寝る前に食べるにはあまりにも罪悪感のある夜食がここに完成した。



「広瀬特製、お酒の進むおつまみじゃがバターです」


「……お酒飲むの? 私、広瀬がお酒飲んでるところ見たことない」


「時音様の側にいる時は、基本職務中ですからね」



 それはそうかと納得しつつも、広瀬が私に見せていない姿があることにもやもやする。私の前では、気を遣わなくていいのに。



「ねぇ、今日は私しかいないから、ここで飲んでも内緒にしててあげる」


「そういう訳にはいきませんよ。それに、お酒も飲めないような年齢の人の前では飲んだりしません」



 子供扱いされて、一線を引かれた気がした。私は今19歳で一応法律では成人しているものの、お酒はまだ飲めない。

 広瀬はできた料理をダイニングではなくソファー前のテーブルに運んで、カトラリーの準備を始めた。

 私も自分と広瀬のグラスを持って、ソファーに向かう。



「……じゃあ来年になったら、私と一緒にお酒を飲んでくれる? お仕事とは関係なく、私 ''花園時音'' と個人的に」



 広瀬は私の言葉を聞いて、くすくすと楽しそうに笑った。



「時音様がお酒に強いとは思えませんね」


「もう、答えになってない!」


「考えておいてあげますよ」



 からかわれているのかもしれない。けれど、駄目とは言われなかった。それだけで嬉しかった。

 グラスを二つテーブルに並べながらソファーに座ると、広瀬も隣に座って上機嫌にテーブルの中央に飲み物を乗せた。


 ペットボトルに入ったその炭酸飲料らしき飲み物は、人工着色料でつけたような派手な水色をしていて、見た目だけでもとてつもなく甘そうな気配がする。



「お酒の代わりに、今日はこれです」


「お酒よりも体に悪そう!」




♢♢♢♢♢



 全ての準備が整って、広瀬はソファーの目の前にある大きなテレビをつけた。そのまま最近流行りの動画配信サービスに接続して、変なタイトルの映画を再生する。



「この夜食をつまみながら、レビュー星5点満点中、1.5の低評価映画を鑑賞します」


「どうしてわざわざそんなに低いものを……?」


「どうしてって……」


 

 広瀬は悩むような仕草をして、小さく首を傾げた。



「何故でしょうね?」


「広瀬も分かってないの?」


「はい」



 困ったように微笑む広瀬から察するに、本当に深い理由はないみたいだった。



「趣味みたいなものですから……」



 それから私たちはソファに並んで、およそ健康的とは言えない夜食を食べながらぼーっと起承転結もはっきりしない低予算の映画を眺めていた。


 たしかにこれは、すごく悪いことをしている気分になる。もっと体に良い健康的な食事や、感動的な名作映画を選んでもいいのに、こんなの、わざわざ夜更かししてでもやることではないのに。


 いつもの私の生活とはかけ離れていて、なんだか知らない町を探検しているみたいに妙な高揚感が続いている。


 広瀬は退屈そうにしていた私を気にして、こんな普段はやらないようなことを……?


 そう思って隣をちらりと見たら、広瀬は少し眠そうにしてソファーに深く身を預けていた。


 あれ、なんだかすごくリラックスしてる。


 ああ、これって……

 きっと私の知らない、素の広瀬なのかもしれない。


 だとしたらちょっとだけ私生活が心配にはなるけれど。



 私はなるべく自然を装って、広瀬の肩にもたれかかってみた。

 何か言ってくるかな、と思ったけれど広瀬は何も言ってこない。


 幸せってこういうことなのかもしれない。私、今までで一番貴方と近い距離にいる気がする。



 映画も中盤に差しかかり、あまりにもクオリティの低いCGの合成と、人数が少ないのに全く印象に残らない登場人物たちに慣れてきた頃、ようやくこの映画は真剣にみる必要はないことを察して、私は広瀬に話しかけた。



「本当につまらないのね」


「……すみません、こんなことに時音様のお時間を使わせてしまって。もうお休みになりますか?」


「ううん、いいの。まだ起きてる」


 

 眠さは感じるけれど、まだ夜更かしていたい気持ちだった。このふわふわした幸福の中に、ずっといたいと思った。

 


「……私が思うに、人生って結局のところ浪費の連続でしかないの」


 

 広瀬は静かに私の話を聞いている。



「旅行に行って贅沢するのも、こうして生産性のない時間をだらだらと過ごすのも、本質的には同じこと」


「その浪費を、誰と共にしたいか。大切なのは、きっとその部分で……」


「広瀬は今日、私を選んでくれた。そういうことなのかなと思って」



 広瀬をちらりと見ると、広瀬は映画を眺めたまま、また困ったように笑った。



「時音様は、難しいことをおっしゃいますね」


「もっと分かりやすく言う?」


「…………」



 それはきっと無粋で、いけないことね。

 私はまた画面をぼーっと眺めながら、うとうとと映画の中身のないセリフに耳を傾けた。




♢♢♢♢♢




「時音様、失礼します」



 ぐっすりと眠ってしまった時音様を抱えて、寝室に運ぶ。起こさないようにそっとベッドに寝かせて、厚手のブランケットをかけた。規則的な呼吸音だけが静寂の中に聞こえている。貴方はどんな夢をみているのだろうか。月明かりの中、幸福そうに眠る貴方の頬にふいに触れそうになって、手を止めた。



「私は……」



 時音様からの気持ちには気がついている。だからこそ、使用人としての距離をある程度保ってきた。

 なのに、その均衡を自ら壊してしまいそうになったことを深く後悔した。


 すやすやと心地よさそうに眠る時音様の表情には、まだ幼さが残る。


 時音様の気持ちは、一種の年上の異性に対する憧れと、狭い人間関係の中での錯覚と、依存心と……様々なものが入り交じった一過性のものだ。


 ひとたびこの閉鎖的な屋敷から出てしまえば、いつかきっと目が覚めるのだろう。あれはただの、気の迷いだったと。恋ではなかったと。


 だからこそ、はぐらかし続けて見て見ぬふりをする責任が私にはある。それなのに、ふとそのまやかしに心が揺れる。このままいつまでもそばにいて欲しいと、心の内を晒して惨めに縋りそうになる。



「……つくづく私は、貴方に相応しくないですね」



 時音様を愛している。何よりも大切で、守らなければいけない人だ。

 そう思うからこそ、この想いを決して貴方に伝えることはない。



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