吉岡さんの取材
「では、聞かせていただきますよ。あの日のデートのことを」
僕の目の前で目をギラつかせているのは、クラスメイトの吉岡祐里さんだ。
あの日のデートとは、倫さんと映画を見に行った日のことを指している。吉岡さんには事前にアドバイスなどを貰っており、それの見返りとしてデートの詳細を話す約束になっていたのだ。
とはいえ今日吉岡さんと一緒に出かけているのは、トリカの秋冬用の服を見繕ってもらうためである。それのついでに約束を果たそうということになったのだ。そしてそれらとは別に話したいこともある。
現在、ファミレスのテーブル席には僕と吉岡さんとトリカの三人が座っている。トリカは僕の隣でドリンクバーのオレンジジュースを飲んでいた。
「もちろん話すのはいいんだけど、そんなに面白いことはなかったというか……」
「面白いか面白くないかはこちらが決めます。さあ、どうぞ話してください。青臭くて瑞々しい青春の一ページを!」
普段はコンタクトの吉岡さんだが、今日は眼鏡だった。その眼鏡をくいっと持ち上げ、メモ帳を構えた姿は完全に取材の顔だった。彼女は文芸部に所属していて、そういうネタになりそうなことには目がない。
吉岡さんがおもむろにスマホをテーブルの中央に置く。どうやら録音もするらしい。そこまでする?
「えっとー、まず駅で待ち合わせしたんだけど」
僕がそう話し出すと、吉岡さんの目がカッと開いた。
「駅で待ち合わせ!? あっ、もう。もう良いです」
「早すぎない?」
「いえ、トリカさん。もう物語は始まってます。走り出してるんです!」
「最後まで持つのかしら。このテンションは」
トリカが思わず突っ込むほどに吉岡さんは興奮していた。
吉岡さんは胸に手を当てて呼吸を整えていた。二回深呼吸した。
「取り乱してすみません。あの、できれば待ち合わせより前の、デートの約束をしたところからお願いできますか?」
先程の恍惚の表情から一転して取調室にいる刑事のような眼差しになった吉岡さんである。本当に全部聞くつもりだよこの人。
「約束はねー、トリカと月子が強引に倫さんに電話させたんだよ」
「トリカさんと月子さんが?」
月子にマウントポジションを取られ、その隙にトリカが僕のスマホを操ったのだ。これ男女逆だったら事件ですよ。
この思考に反応してか、僕の物言いに反応してかはわからないが、トリカが反論した。
「ひどい言いようじゃない。私がそうしなかったらあなた、多分デートなんてできなかったわよ?」
トリカが嘲笑して言った。
それにはぐうの音も出なかった。思い返すと、僕って一人じゃ倫さんを遊びに誘えないどころかトリカと月子に協力してもらってデートをした男ということになる。これって類を見ないほどにダサい。まずい、こんな前提が存在することを考えたら吉岡さんに詳細を話すのが恥ずかしくなってきた。
そう思ったところでもう遅い。吉岡さんの目は爛々としている。今回は観念して話すとしよう。
「なるほど。約束を取り付けた方法はわかりました。では続きをお願いします」
「うん。えっと、僕は待ち合わせの時間より一時間早く着いてて」
「いちっ……!? かはっ……!」
「早すぎるわよね」
堪えきれずに漏れ出た吉岡さんの声が迫真すぎて唖然としてしまうが、なんとか話を続ける。
「ドキドキしながら倫さんが来るのを駅で待ってたら、二十分後に倫さんが来て」
「一旦止めます」
毅然とした声で吉岡さんが話を止めた。録音は止まっていない。
そして眼鏡を光らせ、こちらを見てくる。
「今、守谷さんが素晴らしい算数の問題を出しましたね?」
「さんすう?」
「守谷さんが一時間早く来て、その二十分後に一ノ瀬先輩が来ました。これがどういうことかわかりますか?」
吉岡さんはどうぞお答えくださいと言わんばかりに手のひらを前に差し出した。
トリカが神妙な顔で答える。
「リンは待ち合わせの四十分前に駅に着いた?」
「惜しい! 正解は、一ノ瀬先輩もデートを超楽しみにしていた、でしたー!」
僕とトリカは顔を見合わせた。これが吉岡さんじゃなかったら「おい!」とか「算数っつったよな!?」とか乱暴なツッコミを入れているところである。
どうやら吉岡さんは自分がいつものテンションじゃないことに気付いていないようだ。僕らが戸惑っていることにも気付いていないのだろう。まあ、そんな吉岡さんも新鮮で可愛らしいけど。
“惚れた弱みね”
過去の話ね。
脳裏で会話している間に吉岡さんが質問してきた。
「それで、かなり早い時間に集合した二人はどういうリアクションをしたんですか?」
「倫さんはぎょっとした顔で僕を見たあと、早くない?って言って笑ってたね」
「ほうほう。それで守谷さんは?」
「僕? 僕は、えふっ、えふっふっ、って笑い声を出してたかな」
「ああ、独特な笑い声を……」
ちなみに倫さんが早めに来たのは遅刻しないためというのは当然として、普通にカフェでゆっくりしようと思っていたとのことだった。僕のように駅構内で突っ立っていようとしていたわけではないのだ。そのへんも余裕が違うね。
「あと私服姿の一ノ瀬先輩見てどう思いました?」
「普通に可愛いって思ったよ。肩が見えててやばかった。それで思い出したけど、その日の倫さんはいつもよりツインテールの位置が高かった。いつもはおさげなんだけど、その日は耳の高さだったね」
「へぇー! いつもと違う装い良いですね!」
巻き髪のツインテールはふわふわで可愛らしかった。倫さんは身長が高いので、なんかギャップがあって良い。
吉岡さんの質問が止まったので続きを話すことにする。
「で、早く集合しちゃったけど、特に寄り道することなく映画館に行くことになって」
「あー、その余裕の無さ! くぅー!」
確かに余裕はなかったけどそう言われるとなんかやだ。
「あ、そういえば映画館に行く途中でちょっとおもしろいことあった」
「うそっ、ラブコメイベントきたぁ!?」
吉岡さんが前のめりになって言う。ラブコメイベントて。
「駅の近くにある映画館まで歩いて行ったんだけど、その途中で倫さんの同級生が向こうから歩いてきたのね。男二人組の」
「はいはい。そしたら隣にいる守谷さんを見て、誰だあの男!? となると」
もしかしたら普通はそうなるのかもしれない。そうなるには僕のステータスが低かったかもしれない。
「全然違くて、向こうはそもそも倫さんのことに気付いてなかったんだよね。僕らとその同級生がすれ違ってから、向こうの人達が『え? 今のって一ノ瀬じゃね?』って言ってるのが聞こえて」
吉岡さんはひとしきり頷いたあと首を傾げた。
「どうして気付かなかったのでしょう」
「それも言ってて、『マジ? くっそニコニコしてるから誰だかわからんかったわ』って」
「あっ、あっ、もう、これ、すみませんお茶、お茶いただきます」
吉岡さんは何かを堪えるように全身を固くしてウーロン茶を飲んでいた。
隣のトリカを見ると、半ば引いたような顔で吉岡さんを眺めていた。
ゆっくりウーロン茶を飲み下した吉岡さんが、固い声を発する。
「もう、大丈夫です。落ち着きました。続きをお願いします」
「うん。そしたらその二人組の声が後ろから飛んできて、『おーい! 一ノ瀬ぇ!?』って確認してきたのね」
「え? 隣に守谷さんがいるのに?」
「そう。はいここで問題! 呼びかけられた倫さんはどうしたでしょうか?」
先程のお返しに問題を繰り出す。こちらはちゃんとした正解がある。
吉岡さんはにやりと口角を上げて思考を始めた。
「えー……一ノ瀬先輩って守谷さんの話でしか知らないから難しいですねえ」
「言ってもそんな予想できないほどの答えじゃないよ」
「おー、では回答します。一ノ瀬先輩はその呼びかけを無視した!」
「正解! もうガン無視ですよ」
僕は当然倫さんの同級生のことなど知らないので聞こえていても反応しないが、倫さんもまったく意識を割くことなくまるで聞こえていないかのような態度で無視していた。僕はちょっと後ろの様子を確認したかったが、倫さんが完全にスルーしていたので見るに見れなかった。
「そのまま歩きながら『知り合いですか?』って聞いたら、『うん、クラスメイト』ってあっさり言ってて、凄いなって思ったね。全然動揺しないんだもん」
「あー、外でクラスメイトと会ったら結構びっくりしますよね」
「うん。僕なんかはもう視認したらすぐ隠れたいもん」
「あはは、わかりますわかります」
僕の意見に吉岡さんも共感してくれた。ネガティブな内容だけど、ちょっとうれしい。
そんなことを思っていると、横からトリカの声が飛ぶ。
「そんな感じだとユリ、まるでインキャみたいね」
「えっ!? あ、そう、ですね。どちらかといえば……」
吉岡さんは虚をつかれて動揺していた。吉岡さんは陰キャじゃありませんよ。
失礼な発言をしたトリカをたしなめる。
「トリカ、そんなこと言うなよ。たとえ事実でも」
「たとえ事実でも!? 守谷さん?」
僕の失言を咎めるようにジトっと見てくる吉岡さん。キュートすぎ。ずっと見られていたい。
その思いが先行しすぎてじっと吉岡さんを見つめ返してしまった。
すると、吉岡さんが居心地悪そうに目を逸らした。やっちゃった。
「……何か反応してくださいよ」
「あ、ごめん。吉岡さんを陰キャだと思ったことは一度もないです」
これは本心である。控えめで大人しいイメージはあるが、陰キャだと思ったことはない。最近はこのイメージも崩れ去りつつあるが。
しかし僕の言葉に吉岡さんは不服そうだ。
「それは嘘ですよね。どこからどう見ても私なんて陰キャじゃないですか」
「陽キャです。今度は嘘じゃないっす」
「桜木花道やめてください。というか、トリカさんに陰キャなんて俗な言葉を教えないでくださいよ」
吉岡さんはトリカを一瞥して、結構真面目なトーンで注意してきた。
「いや僕は教えてないよ。勝手に覚えるんだよ」
「まさかとは思いますけど、ネットに触れさせたりは……」
「……まあ、時々」
「できればやめてほしいですけど、さすがに無理ですよね。このご時世」
その吉岡さんのぼやきにトリカが小首をかしげた。
「どうしてダメなの?」
「ダメではないですけど、インターネットの汚い部分をトリカさんには見てほしくないなって思うんです」
「ふぅん。ユリは優しいのね」
「いえ、私の理想をトリカさんに押し付けてしまっただけです」
吉岡さんの言っているようなことを過去にモロも言っていた。モロの思う理想の彼女像の中にインターネットに触れたことのない純真無垢な少女というものがあったのだ。そんなやつはもう存在し得ないとトシが一刀両断すると、モロは「そうか……もうこの世には……」と悲しげだった。そらそうだ。ネットはインフラなのだ。
とはいえ確かにトリカみたいなこの世のものとは思えぬ少女(実際この世界の人間ではない)が低俗なネットスラングを使っている姿はあまり見たくないかもしれない。ギャップといえばギャップだが、個人的にはイヤさが勝る。
そんな思考と吉岡さんの言葉でトリカが苦笑した。
「ユリとアキラがイヤならやめようかしら」
「いえ! トリカさんの思うようにお過ごしください」
吉岡さんが恐縮した態度で言った。
そしてすぐさま取材に切り替わる。
「それで、一ノ瀬先輩のクラスメイトと遭遇したあとはどうなりました?」
「そのあとは普通に映画館に入って、映画見たよ」
「端折りすぎですよ! 映画館なんて暗い場所で何も起きないはずがないでしょう!?」
吉岡さんの勢いに気圧されるが、トリカの一言で情勢が変わる。
「ふふ、ユリって意外と淫らなのね」
妖艶な笑みを浮かべて言うトリカに対し、吉岡さんは驚いてのけぞった。
「みっ!? あ、そういう意味ではないですよ!? 決して! もっとピュアな話をしています! プラトニックな話をしています!」
「ふぅん? 暗い場所でするピュアなことってなぁに?」
「お教えします、例えば偶然手と手が触れちゃったのをきっかけにそのまま手を握るとか……」
慌てふためく吉岡さんを見るトリカはすこぶる楽しそうだった。僕もちょっと楽しい。
「あら、私がアキラと花火を見た時、同じようなことをしたわよ。暗い場所で手を繋ぐって」
「ええ!? 守谷さん!?」
油断していたら僕に矛先が向いてきた。余計なことを言うんじゃないよ。
吉岡さんが詳細を聞きたそうに見つめてくる。
説明するのも恥ずかしいのでテキトーにはぐらかすことにした。
「それはほら、僕とトリカだけの秘密だから……」
「えっっっろ! このサブストーリーの開放条件って何かないんですか?」
僕の想像する初恋の吉岡さんからは到底放たれることのない語彙に僕がひとり呆然とする一方で、トリカは高笑いしていた。
前のめりになっていた吉岡さんだったが、僕が詳細を話す気がないと察するとウーロン茶を一口飲んだ。
「わかりました。この件は一旦保留にしておきます。それで、本当に映画中は何もなかったんですか?」
「特筆すべきことは何もなかったかなー」
「そんなもんですかー。ちょっと残念です」
トーンダウンしてしょんぼりといった顔をする吉岡さん。
「で、映画館出たあと散歩して解散となりました」
「え? この物語、これで終わり、ですか?」
吉岡さんがこの世の終わりみたいな声を出してくる。だから最初にそんなに面白くないって言ったでしょ。
「物語っていうか映画を見に行った話ね」
「すみませんもう一度確認させてください。映画中にふと隣を見たら向こうもこっちを見ていてドキッみたいなことは…」
「ありません」
「その後の感想戦の喫茶店で、お互いにスイーツをあーんさせたりとかは……」
「行ってません」
「別れ際、名残惜しくて一ノ瀬先輩を抱きしめたりとかは……」
「妄想過ぎる」
ガクンと吉岡さんの頭が下がった。相当にショックだったらしい。
一応映画のあとに食事のプランは用意していたが、マストではなかった。散歩のターンで映画の感想をあらかた話してしまったので解散で良いかなと思ってしまったのだ。吉岡さんの言うようにどこかの店で感想戦をしていたら、もう少し面白みのある話になっていたかもしれない。
録音を止めたスマホをバッグにしまった吉岡さんに声を掛ける。
「確かにあっさりすぎるって僕でも思うんだけど、いっこ言い訳させてほしい。普通にマンツーマンは緊張がやばいし余裕もなかった」
キャパの限界を訴えると、吉岡さんの顔がむくりと上がる。
「……なるほど。最近の守谷さんは女性と絡む機会が多いから、慣れているものと錯覚してしまいました」
「言ってもトリカとか月子だからね、それ」
「でも最近、千歳ちゃんとも仲良くなったんですよね」
「え?」
唐突に出された西山ちゃんの名前にちょっと驚く。ちょうど僕が話したかった内容にも関係してくるのだ。ていうか西山ちゃんを女性と呼称するかね。
僕の反応を見た吉岡さんがにやりと笑った。
「なぜそのことを知っているという顔ですね? ちょっと前に千歳ちゃんがうちに遊びに来たんですよ。千歳ちゃん、美咲の親友なんです」
「うんうん」
「それで千歳ちゃんが私に訊いてきたんですよ。守谷陽さんってどんな人ですか? って」
探りを入れられている。やはり先日の件でなんらかの疑惑を持たれていた?
トリカが口を開く。
「どう答えたの?」
「優しい人ですよって答えましたよ」
「ふぅん。よかったわね、アキラ」
そう言って僕の方を見るトリカの顔にからかいの意図はなかった。事実、その答えは“よかった”。
しかし一般的な話をするなら、優しい人という評価はつまり取り立てて特徴のない人間ということにほかならない。言うことないからこう言っとくかの代表格。常套句。安牌。
特に僕は僕に対する優しいという評価を嫌っている。なぜかといえば僕が優しくないからである。安牌な評価なのにそれすら間違っているという負の連鎖が起こるのだ。
そんな陰キャな思想は胸に秘めて吉岡さんにおずおずと尋ねる。
「……霊関係には触れてない?」
「はい。私そこまでデリカシーのない人間じゃないですよ」
「もちろんもちろん。一応ね、確認だけね」
ちょっとむっとした顔をした吉岡さんだが、ふと何かに気づいた顔をした。
「え、私もしかして霊感について訊かれてたんですか? 守谷さんって霊感ありますかって」
「いやわからないけど、その可能性はある」
「どういうことですか?」
僕は最近あった西山ちゃんに関するあれこれを簡潔に話した。
「なるほどー。そんなことが起きてたんですね」
「うん。で、これは吉岡さんにも関わることなんだけど……」
「え、なんですか?」
少し構えた顔をする吉岡さん。
僕はできるだけ明確に思いを伝える。
「僕の今後の方針として、霊感については極力隠すことにしたのね」
「はい」
「なんでかって言うと、霊の類が存在するって霊感のない人が知っても、余計なストレスが増えるだけだから」
「はい」
吉岡さんはそう相槌を打つが、ちゃんとピンと来ているのだろうか。表情からは読めない。
「だから西山ちゃんに限らずそれ系のことを聞かれても、うまくごまかしてくれると助かる」
「わかりました」
「まあ僕のことを聞いてくるやつなんて普通いないから大丈夫なんだけどね! ……ちなみになんだけど、吉岡さんは西山ちゃんのことどれくらい知ってる?」
これはつまり西山ちゃんの嘘を見破る能力について問うている。
「どれくらい? 美咲の親友で、優等生で、美人さん。これくらいでしょうか」
「んー、了解」
どうやら知らないらしい。あるいは知ってて伏せているか。僕の霊感を西山ちゃんに話さなかったのだから、西山ちゃんの特性を僕に話さなくても不思議じゃない。
知ってて伏せているならうまくごまかしてくれると思うが、知らない場合は吉岡さんから僕の秘密が漏れる可能性は大いにある。
……ここはすべて共有したほうが良い気がする。西山ちゃんには悪いが。
僕は声を潜めて吉岡さんに語りかける。
「ここだけの話にしてほしいんだけど、西山ちゃんって人の嘘に敏感みたいなのね」
「そうなんですか」
吉岡さんは目を丸くしていた。どうやら知らなかったようだ。
「だから霊関係について聞かれて普通に否定すると、それが嘘だってバレちゃうんだよね」
「まずいじゃないですか」
「そうなんすよ。もし吉岡さんがそれについて聞かれたらどう答える? 『守谷陽さんってなにか普通の人とは違うところがあるんですか?』とか『何か隠し事があるんですか?』とか聞かれたら」
「そうですね……」
吉岡さんは顎に手を当てて考え始めた。
そしてハッとした顔をした。何か思いついたらしい。
「……普通の人より黒タイツが好きみたい、って答えます」
「ええっ!? い、いや、まあ、そうなんだけど……えー恥ずー」
隣でトリカが口を抑えて笑っている。面白かろう面白かろう。元はといえば貴様が漏らしたことだしな! しかしあの電車の中での一瞬の出来事を覚えていたとは。まずい、顔が赤くなるのを感じる。
ちらりと吉岡さんの顔を窺うと、苦笑まじりの表情だった。
「ごめんなさい。でも嘘をつかないでなおかつ追及されないくらいインパクトのあることって、こういうことなのかなって思うんです」
「ああ、まあ確かにインパクトっていうか、キモさはあるね……。でもそれでいいかも」
「では、もし何か聞かれたらこう答えますね」
吉岡さんという善良で真面目な人が言う「守谷陽は黒タイツが好き」という情報は確かに大きい。まさか霊感を隠すための別情報とも思えない。意外と合理的なのかも。
でも直で霊感について聞かれたらどうしようもないな。ごまかそうとした時点で何かあると言ってるようなものだし。もし自力で霊にたどり着いたならそこで観念することになりそうか。
さて、今回の真の目的――吉岡さんが霊の実在を知ってストレスを受けているか――について触れていくか。緊張してきたな。
「ところで、あのー、吉岡さんは僕の浅慮の極みによって霊とかトリカとかミカみたいな存在がいることを知ってしまっているわけだけど」
「はい」
「えっとー、どうですか、最近の日常生活は……?」
僕があまりにも恐る恐る聞いたからか、吉岡さんが苦笑した。
「特に変わりないですよ。そういう奇怪な現象にも遭遇してないですし、してたとしても気付きませんし」
「そっか。……いや、本当に申し訳ないことをしてしまいました。すみませんでした」
僕が頭を下げると、吉岡さんは手を横に振った。
「ああ全然大丈夫ですよ! 気にしなくて大丈夫です。私は気にしてません」
吉岡さんはあっさりした様子だが、僕の疑念は拭えない。
例えば、お風呂で頭を洗ってるときに後ろに誰かいるのでは……なんていうのは怖い話でありがちなものだが、これがより現実的な話になっているのだ。僕が霊を認識したばかりの頃は、そういうことがいちいち怖かった。少しの物音がした時、視界で何かが動いた時、ぬるいそよ風が身体に当たった時、そんな些細なことにストレスを感じていたのだ。
かといってそんな具体的な例え話を吉岡さんにするわけにもいかない。彼女はそもそも霊や魔力を認識していないのだ。それなのにわざわざ「頭洗うとき後ろ怖くない?」とか言ったら無駄に意識させてしまう。
何もないならそれでいいのだ。本当に。
「何か気になることがあったら遠慮なく言ってね。僕はともかくトリカと月子はすごいから」
「ふふっ、わかりました。そのときは頼りにしますね」
吉岡さんが柔らかな笑みを浮かべて言った。
「いつでも頼りなさい。報酬はアキラに払わせるから」
トリカの言葉に吉岡さんが目を丸くした。
「あ、しっかりあるんですね。そういうやりとりが」
「ええ。直近だとチトセの件でしっかり報酬を貰ったわ」
「……それは聞いても?」
吉岡さんが恐る恐る聞いていた。もしかしたら僕の負担を考えてくれているのかもしれない。なんて優しい人なんだ。あるいは単純に好奇心か。
聞かれたトリカがドヤ顔で回答する。
「アキラの愛情たっぷり手作りお弁当」
「言い方よくないな」
僕が苦言を呈すも吉岡さんの耳には届いていないようだった。
ウキウキでトリカに尋ねている。
「お弁当ってことは二人でお出かけしたってことですか?」
「ええ。木漏れ日が降り注ぐ公園のベンチで穏やかな時間を過ごしたわ」
「えー、もうなんか、落ち着いた素敵な夫婦って感じですね」
「ふふ、そう?」
楽しげにトリカの口角が上がる。
落ち着いたという言葉を聞くと、やはり先日見たドラマの主人公の振られっぷりを思い出す。穏やかだけどつまらないて……。
僕の思考を覗いたのか、トリカがどすっと脇腹に拳を入れてきた。おふっ。




