知らない方が良いこと
西山ちゃんの足がとある家の前で止まった。おそらく彼女の家だと思われる。
僕と倫さんは視線について聞くため、彼女のもとに歩み寄った。
「今日はどうだった?」
僕が声をかけると、西山ちゃんは元気のない顔で答えた。
「……視線を感じました。でも人影は見えませんでした。お二人はどうでしたか?」
その問いかけに倫さんが答える。
「ずっと見てたけど、怪しい人影はなかったよ。ね?」
「そうですね。そういう人間はいなかったよ」
僕と倫さんの報告に西山ちゃんは表情を固くする。
「そうですか……」
それなら私が感じる視線は何? と考えているのだろう。原因不明の感覚に苛まれている彼女を思うと、心が痛む。
かといって、多分霊によるものだよと言ったところで信憑性がない。
……いや、西山ちゃんはその発言が嘘かどうかわかるのだから、伝えても大丈夫なのか?
これは否だ。倫さんみたいに霊を認識してしまった後ならともかく、彼女はまだ認識していない状態だ。それゆえに僕の頭がイカれてると思われる可能性もある。それ自体は問題はないが、それ以降の僕の発言に何も説得力がなくなるのがよくない。一応トリカや月子の姿を見せる荒業もあるが、これはやりたくない。霊を認識していないならそのままの方が良いと僕は考える。
「お二人とも、今日もこんな遅くまでありがとうございました」
力なくお礼を言う西山ちゃん。なんとか不安を取り除いてあげたい気持ちはある。
しかし何と言えばいい?
「……じゃあ、明日もまた六時に行くね」
うまい言い回しが思い浮かばなかった。
本当なら彼女の身の回りについて色々と聞きたかったのだが、時間が時間なので今日は難しそうだ。
西山ちゃんがいつもの無表情にわずかな心苦しさを混ぜた顔で訊いてくる。
「大丈夫なんですか? お兄さんの都合とかは」
「大丈夫だよ。一応、無敵の帰宅部に属するものね、僕」
「そうなんですか」
ちょっとほっとしたような顔になったかな。気のせいかもしれない。
隣の倫さんが申し訳なさそうな顔で切り出した。
「私も帰宅部に属するものなんだけど、明日はちょっと片付けないといけないヤマがあるから……」
「バイトですか?」
僕が尋ねると、倫さんは頷いた。
「そ。だから陽くんは寂しいと思うけど、頑張ってねー」
「全然寂しくないですけど、頑張ります」
「おい! 寂しいって言えー!」
「ぐわあ! お腹に穴が!」
腹にパンチを貰っていると、西山ちゃんがめずらしく小さく笑った。
「お兄さん、きっと寂しがってますよ」
「だよねー? 私みたいなお姉さんがいなくなったら寂しいよねー?」
とてもお姉さんとは思えない態度で僕を煽る倫さんだった。
確かに寂しくないと言えば嘘になる。だから西山ちゃんに指摘される。その意味を理解しているから倫さんもこんなに煽ってくる。ちょっと可愛い。
得意げな顔をしている倫さんに声をかける。
「……じゃあ、僕らもそろそろ帰りますか」
「うん。じゃあ千歳ちゃん、またねー」
「はい。今日もありがとうございました。帰り道お気をつけて」
僕と倫さんは踵を返して歩き始める。ちらっと後ろを振り返ると、西山ちゃんは僕らが帰るところをしばらく見送ってくれていた。
倫さんは深刻そうな顔で訊いてくる。
「陽くん、なんとかなりそう?」
倫さんにはあんまり霊絡みのことは話したくない一方で、隠し事をしたいわけでもない。倫さんの不安を解消させるために解決策を開示したいが、そのためには霊が絡んでいることを伝える必要がある。ジレンマだ。
このジレンマに関して、僕は一つ後悔していることがある。
以前、廃病院に妙な霊が存在していることがわかっているのにもかかわらず、僕は倫さんを怖がらせたくない一心で「この廃病院に霊はいない」と言ったことがある。よくよく考えるとそれは最善ではなかったような気がするのだ。見るからに危険な場所だから足を踏み入れるのはやめましょう、としっかり伝えるべきだった。実際、中には危険な霊が居て僕は傷を負ったし、岡本先輩は力を吸われた。その被害が倫さんに及ぶ可能性もあったのだ。
僕は霊に関する情報を伝えることはできる。それを受けて倫さんがどんな思いをするかは想像することしかできないが、友達を危険から遠ざけるためには必要なことなのかなと今は思う。
ただ、今回は倫さんに危険が及ぶわけではない。だから話す必要もないと思うのだが、そうすると解決の説明が難しくなる。テキトーな説明でやり過ごすこともできるが、それはそれで苦痛だ。
思考の沼に浸かっていると、腕をつつかれた。
「陽くん? 無視やめて?」
「すみません。えっと、なんとかはなると思います」
まずい。考えがまとまる前に言葉を発してしまった。
倫さんはきょとんとした顔をした。
「そうなの?」
「はい」
「どうやって?」
倫さんが僕の目を真っ直ぐに見つめてくる。
さっさと話して楽になってしまいたい気持ちと、倫さんに余計なストレスを与えたくない気持ちがせめぎ合っている。いや、今も倫さんはやきもきした様子だからストレスにはなっているだろう。
今回は諦めて話すことにしよう。
「どうやるかはまだわからないんですけど、とりあえず霊の仕業であることは間違いなさそうです」
「霊の……そうなんだ」
倫さんの表情が少しこわばったように見える。この顔を見るとやっぱり話すべきじゃなかったのかなぁという思いがよぎる。
眉根を寄せた倫さんが質問してくる。
「千歳ちゃんが感じてる視線っていうのが霊の仕業ってこと?」
「そうです。だから明日は解決の手がかりを見つけるために、西山ちゃんからいろいろ聞こうと思います」
「身内になにかあったとか?」
「そうですね」
過去に倫さんは親友の霊と邂逅していた。そのときのことを思い出しているのかもしれない。
「昨日は霊の仕業だってわからなかったの?」
倫さんの冷静な態度に僕は少し驚いていた。霊の話をしても意外と大丈夫だったのかもしれない。
そして彼女の質問は僕も疑問に思っていることだった。
「昨日はわからなかったです」
「なんで今日はわかったの?」
「かすかに霊の気配を感じたからです。何故か今日は」
「そうなんだ。その霊って危険ではない感じなの?」
倫さんの質問が止まらない。未知に対する恐怖なのか、西山ちゃんの心配なのか、単に好奇心なのか、いずれにせよわからないままにしておくのが嫌なんだろうな。
「確証はないですけど、そこまで危険ではなさそうです」
「なんでそう言えるの?」
「……これは僕の感覚の話になりますけど、ぞわっとしないからです」
「ふぅん」
テキトーな理由を述べていると、脳裏に楽しげなトリカの声が響く。
“ちなみに、私と出会ったときはぞわっとしたのかしら?”
全身の毛穴が広がって目の奥がフラッシュしたぞ。格が違う。
僕の回答にトリカは軽く笑った。
ふと、倫さんが僕のことを見つめていることに気付いた。あまり穏やかな表情でもない。
「陽くんさー、私が聞かなかったら霊のこと黙ってるつもりだった?」
「え、っと……」
僕が声を詰まらせていると、倫さんの足が止まった。
「なんかー、それイヤかも。うまく言えないけど」
倫さんから明確にネガティブな言葉を聞いたのはこれが初めてかもしれない。だから心底動揺してしまった。
すぐに謝罪の言葉が出る。
「すみません」
「あっ、違うの。ごめんごめん、これじゃ完全にかまってちゃんだね」
倫さんは苦笑して言った。
「陽くんが霊のことを言わないつもりだったのはどうして? その理由さえわかれば大丈夫かも」
力強い言葉と眼差しだった。これは僕も真摯に応じなければならない。
「……霊の話がストレスになると思ったからです。倫さんは霊を認識していない以上、霊の話を聞かされてもどうしようもないと思いますし、ただ不安を煽るだけになっちゃうのかなと思って」
僕の答えに倫さんはうんうんと頷いていた。そしてひとつ言葉が返ってくる。
「それだけ?」
「はい」
むしろそれ以外にない。
今の言葉に嘘がないことをわかってくれたのか、倫さんの表情が少し緩んだ。
「そっかー。気を使ってくれてたんだ。ごめんね、イヤとか言っちゃって」
「いえ」
足を止めていた倫さんが再び歩き出し、僕もそれについていく。
倫さんからすれば嫌だと思うのも分かる話だ。霊が近くにいるのに黙っていたのだから。
ただ、僕は霊の存在を認識したときの恐怖を覚えている。それを共有したいとは思わない。
倫さんが口を開く。
「……イヤって言ったのは、私信用されてないなーって思っちゃったからなんだよね」
青天の霹靂だった。
即否定する。
「いやそんなことはないですよ」
「うん。だからごめんね。早とちりしちゃって」
倫さんは穏やかな笑みを浮かべて言った。
そして沈黙の時間が流れる。聞こえるのは虫の声ばかりだ。
僕が何も言葉を発せずにいると、倫さんが質問してくる。
「ストレスって言ってたけどさー、陽くんはストレスじゃないの? 誰にも話せなくてさ」
それを受けて今気付いた。僕が霊のことを倫さんに話したくない理由のひとつにトリカの存在がある。
確かに僕が独りで霊のことを抱え込んでいたら多大なストレスを感じていただろう。しかし実際にはトリカがおり、その力は絶大で安心感がある。
逆にいえば倫さんや西山ちゃんにはトリカのような存在がいない。それにもかかわらず彼女らに霊の話をするのは無責任のように思えてしまうのだ。
この罪悪感を晴らすためにいっそトリカの存在を明かしてしまおうか。
“私はどちらでも構わないけど、今ではない気がするわ。まずはチトセのことでしょう?”
優先すべき問題はそうだ。そうでなくてもあまりにも衝動的すぎる。冷静になれ。
先程の倫さんの言葉に返答する。
「確かに誰にも話せないとストレスですけど、今は倫さんが協力してくれますし」
事実は伏せたが本心ではある。それに対し倫さんの声が即座に返ってくる。
「そういうことならこれからは私に話していいよ。話を聞くことくらいできるから」
倫さんの声は淀みなかった。今までそんなことを言われたことがなかったから胸にぐっと来てしまった。
「……ありがとうございます」
僕が礼を言うと、倫さんは少し呆れたような笑みを浮かべた。
「陽くんってひとりで抱え込むくせあるよねー。昨日のストーカーの対策とか実質無だし、心配かけすぎ」
「あはは、すみません」
僕の謝罪に対し、倫さんが肩にパンチを入れてくる。
「私、本当にちょっと怒ってるからね」
「すみません」
「いいよ。私や千歳ちゃんを思ってのことだもんね。でもこれからは私にはちゃんと話してね」
「はい」
僕の返事を聞いた倫さんはにこっと微笑んで前を向いた。
今ここに西山ちゃんがいなくてよかった。
◇◇◇
倫さんを駅まで送り届けて家に帰ってきた。とりあえず自室に入り制服から部屋着に着替える。
身軽になったのでベッドに寝転がって、目を閉じる。
「寝ないでよ? 今から夕飯でしょう?」
トリカが宙に姿を現し、注意してきた。
確かに油断したら寝てしまいそうだった。何も言わずにトリカに向かって手を伸ばしてみると、彼女は何も言わずに引っ張って起こしてくれた。ちょっと意外だった。
「ありがとう。今日は体力の分も吸ってくれ」
「今の実体化した分くらいは貰おうかしらね」
トリカは余裕な態度でそう言った。
日々僕はトリカに魔力を提供しているが、未だに体力を変換しての魔力提供は行われていない。たまによっぽど僕が体力を持て余しているとトリカが判断したときは吸っているようなのだが、普段は余剰分の魔力だけだ。
なぜ体力分を吸わないのか聞くと、次の日に差し支えるからとのこと。次の日に影響が出ない程度に体力がついたらそのときは体力分を貰うとも言っていた。まだまだ僕が貧弱だということだ。
ベッドに腰掛けてトリカに尋ねる。
「……もしかしてさー、今めちゃくちゃコスパ悪いことしちゃった?」
トリカに引っ張って起こしてもらったことを言っている。
自力で起きればトリカが実体化する必要はなかったのだ。自力で起きるのと、トリカに起こしてもらった分僕の体力を魔力として渡すこと、これが同価値であるはずがない。
トリカはそっけなく言う。
「さぁ? どうかしらね」
「え、結構重要なことだと思うんだけど」
「なぁに? 私はあなたと気軽に触れ合うこともできないの?」
むっとした表情でトリカは言う。
「そう言われると否定しづらいけどさー、話をすり替えないでよ」
「大丈夫よ。今のは手しか実体化してないから、魔力は損してるけど誤差よ」
「損はしてるんかい」
誤差というのも本当かどうか疑わしいものだ。ただ、このあたりを追及するのはよくない気がする。トリカの気分的に。
本来しようと思っていた話をしよう。
「トリカは今回の霊について何かわかることある?」
「あなたに言ったことが全てよ。微弱な魔力しか感じてないから霊が存在していそう、ということしかわからないわ」
「そっか」
微弱な魔力。それを西山ちゃんは感じ取っている。
「微弱だから危険ってことはなさそう?」
「そうね。もしかしたら自然に消滅する可能性すらあるわ」
「それだと楽でいいけどなぁ」
「でもその微弱な霊に怯えているのよね、チトセは」
「そう、ねー」
どれだけ微弱であってもストレスであることに変わりはない。
とにもかくにも早急に原因を明らかにする必要がある。なんとか自然に探りを入れられないだろうか。
「私がその道の専門家とでも言って話を聞くのはどう?」
そのトリカの提案は悪くない気もするが、良くもない気がする。トリカをそういう人間だと紹介したくない。
「ふふ、あなたの霊に対してのスタンスが今になってより明確になった感じがするわね」
トリカが楽しげに言った。確かにそうかもしれない。
今まではなんとなく霊関係のことは隠したほうがいいんだろうなと思っていたが、それがなんとなくではなくなった。霊を認識していない人が霊が実在することを知っても余計なストレスを受ける可能性が高まるだけだ。知らない方が良いこともある。
それに伴って僕は過去の自分をぶん殴りたくなっていた。あまりにも安易に霊やトリカの存在を明かしてしまった相手がいる。
「まあ、でも今じゃないわよね。それについては」
「この件が終わったら十分に考えないといけない、マジで」
ベッドから立ち上がり、頭の中でやることを定める。
ひとまずは夕飯を食べよう。




