疑惑の者
キョウスケとは僕の弟の京介のことである。嘘だろ?
僕はもうバレてもいいと思って後ろを振り返った。確かに人影がある。
その人間に向かって歩いていく。京介だったとしたらさっさと真意を確かめたい。
「陽くん?」
倫さんの驚いた声には一旦反応せず、そのまま寄っていって視認する。
Tシャツとハーフパンツという格好でエコバッグを持ちサンダルをつっかけた姿は確かに京介だった。アイスの棒と思しきものを咥えており、僕と目が合うと棒を口から引き抜き気まずそうな顔をして目をそらした。
本当に京介だとわかり身体からじんわりと汗が浮かぶ。
できるだけ普段通りに声をかける。
「京介? どうした?」
僕の声に京介は顔をしかめた。
「いや、兄ちゃんこそなにやってんの?」
おそらく西山ちゃん、倫さんといることについて訊かれている。
だが、一旦それには触れずに答える。
「家に向かって帰ってるところだけど?」
「西山と彼女連れて?」
「彼女じゃない」
即座に否定するが今そこは問題ではない。西山ちゃんの名前が出てきた辺り、意識していることは明白だ。
後ろから倫さんと西山ちゃんの足音が近づいてきて、倫さんに声をかけられた。
「知り合いだったのー?」
「弟の京介です」
「あー、そうなんだ」
倫さんはそれ以上は何も訊いてこなかった。ありがたい。ひとつひとつ整理したい。今は気を遣って話す余裕もない。
西山ちゃんは相変わらず無表情だが、少し緊張感をにじませているようにも見えた。
京介に向き直り、まず核心を突く。
「率直に聞くけど、付いてきてた?」
「……まあ。兄ちゃんと西山って変な組み合わせだし」
意図的に付いてきていたようだ。嫌な汗が止まらない。
理由は真っ当に思える。確かに変な組み合わせだ。京介が西山ちゃんに好意を持っていなければそのまま受け止めただろう。
京介は場の空気が重いことに気付いているようで、居心地悪そうにしていた。
そして眉間にしわを寄せて訊いてくる。
「なに? 俺なんか悪いことした?」
「こうやって西山ちゃんのあとに付いてきたのは、今回だけ?」
「西山ってか、西山と兄ちゃんな。今回だけだよ。身内とクラスメイトが一緒にいたから気になって見てたんだよ」
吐き捨てるように京介は言った。そして苛立った様子で続ける。
「てかなんでそんなこと聞くの? 俺もしかしてストーカーかなんかだと思われてる? だとしたらそれ完全に勘違いだからな」
「うん」
僕はそれを聞いてホッとしていた。現状京介の言葉だけで何の証拠もないが、これまで一緒に過ごしてきた家族である。顔を見ればなんとなくそれが嘘か本当かわかる。これは本当のことを言っていると思う。
僕は現時点で無罪だと信じたが、話を聞くべき人間は別にいる。西山ちゃんの意見を聞こう。
……もしここで「嘘を言っている」と彼女が言ったら、僕はどうしよう。
「……どう? 西山ちゃん、京介の言ってること本当?」
仮定の答えは出ぬまま西山ちゃんに問いかける。
僕の質問に西山ちゃんはこくりと頷いた。ああ、よかった。
「嘘は言ってないです。……ごめんね、京介くん。疑ったりして」
西山ちゃんが謝罪すると、京介はうろたえた様子だった。
「い、いや、別にいいけど。疑ってきたのは兄ちゃんだし。てか俺の格好見りゃ偶然だってわかるだろ? 買い物頼まれた帰りなんだからさー、ずっと付いてってたらこんな状態おかしいだろ」
京介は怒った顔でエコバッグと私服姿を僕にアピールしていた。
「確かに。それはそうだわ」
学校からついて行っていないという証拠になる。否、僕はもともと無罪だと信じていた。
ほっとするあまり声が大きくなってしまう。
「いやーよかったよかった。僕の早とちりでよかった。やっぱ京介はそんなことしないよな。ごめんな、疑って」
「てかさ、なんなの? この集まりは」
当然の疑問だが、これは西山ちゃんに関することなので彼女の許可なしには話しづらい。
僕がちらっと視線を送ると、西山ちゃんは前に歩み出た。
「京介くん。帰り道が暗くて怖いからお兄さんと一ノ瀬さんについてきてもらってたの」
「え、そういう理由なんだ」
「うん。ごめんね。最近背後に人影が見えたような気がして……警戒してたの」
「なるほどな……」
それまで怒り気味だった京介も、西山ちゃんの話を聞いて落ち着いたようだった。
「疑われた理由はわかったけど、それにしてもなんで兄ちゃん?」
それも当然の疑問だが、これに関しては僕もよくわかっていない。
京介に視線を向けられた西山ちゃんが、無表情で話し出す。
「弓道部に帰り道が一緒の人がいないし、学校の人に私の悩み事がバレたら面倒だなって思ったの」
その言葉を聞いて腑に落ちた。僕に頼んできたのはそういう理由からだったのか。
近しい人を心配させたくないという予想だったが、それよりはもう少しドライというか現実的な話だった。彼女自身も言っていたが、自意識過剰って思われる可能性がありそうだし、他人が心配するあまり事が大きくなったりする可能性もある。
西山ちゃんが言うところの学校の人である京介は、少し気まずい表情をしつつも頷いていた。
「ふーん。……まあ理由はわかったからいいわ。俺は帰るけど、兄ちゃんは帰ってきたらもっかいちゃんと説明してよ」
京介は西山ちゃんと倫さんを一瞥して言った。
「おー。説明する」
僕がそう答えると、京介は夕日を背にして帰っていった。
それを眺めている横で、倫さんがこれまでためていたものを吐き出すように喋りだした。
「もーびっくりしたよー。付いてきてたのが弟くんなのは」
「そうですね。もう頼むからたまたまであってくれー!って思ってましたよ」
「ねー。私も弟くんが犯人だったら気まずすぎるー!って思ってたよー。怖かったー」
「ご心配をおかけしました。いやもうシャツがびちゃびちゃ」
僕がワイシャツをぱたぱたさせて空気を身体に当てていると、西山ちゃんが申し訳なさそうな顔をしていた。
「京介くんもかなり汗をかいてましたよ。かわいそうなくらいに」
「いきなりストーカーって疑われたらそうなっちゃうよなー。兄弟で汗ダラダラ」
「でもよかったです。京介くんじゃなくて」
それは本当にそうだ。
西山ちゃんは僕らに向き直ると、改まった口調で話しだした。
「今日はもう帰ろうと思います。お兄さんのお家とはこのあたりから方向が違うので、ここまでで大丈夫です」
「おっけー。今日は視線感じた? 京介以外で」
「今日は何も感じませんでした。京介くんが後ろにいたことも私は気付いていませんでしたし」
「あ、そうだったんだ」
僕らが西山ちゃんの後ろにいたから視線を遮っていたのだろうか。だとしても僕は視線を感じたりはしていない。京介だって目視したから気付いたのだ。
下校時のことを脳内で振り返っていると、西山ちゃんは綺麗な姿勢でお辞儀をした。
「お兄さん、一ノ瀬さん、今日はありがとうございました」
「いえいえ」
「また明日ねー」
そうして西山ちゃんは帰っていった。
視線の原因はわからなかったが、まだ初日だ。明日は手法を変えて原因を探ろう。
気付けば夕日も沈みきる時間になっていた。倫さんを駅まで送らねば。
「じゃあ、駅に行きましょうか」
僕が声をかけると、倫さんは嬉しそうな顔をした。
「あ、送ってくれるのー?」
「もちろんですよ。ここで『僕んちもうこっから数分で着くんでさよならー』って言ったら印象悪すぎるでしょ」
「あははっ! ちょっといやかもー」
僕と倫さんは藍色の空の下を歩き始めた。
交通量の多い通りに出ると、街灯や車のヘッドライトが増えて視界が明るくなる。まっすぐ駅に向かう道よりは遅くなるが、暗い道よりは明るい道の方がいいだろう。
倫さんとこうして夕方……いやもう夜と言っていいか、そんな時間に歩いているのは不思議な気分だ。ましてや普段自分が生活している土地だからなおさら。隣の倫さんはあんまり意識していないだろうけど。
不意に倫さんが口を開いた。
「さっきさー、千歳ちゃんに弟くんの発言が本当かどうか聞いてたけど、あれなんで?」
「あー、あれはですね。ちょっと西山ちゃんのプライバシーに関わることだから、あんま言えないです」
「ふーん」
先程の会話について聞かれた。あれだけで違和感を覚えるとは、倫さんは意外と気が付く人なのかもしれない。
「じゃあ勝手に予想するけど、千歳ちゃんは嘘ついてるかどうかわかるの?」
「らしいです」
「すぐバラすじゃん」
すぐバラしちゃった。
一応、弁明する。
「まあ本人がそう言ってたわけじゃないですよ。僕の嘘を自信満々に指摘してきたので、多分そうなんだろうなって」
「へぇ。ちなみにどんな嘘ついたのー?」
「ひみちゅ」
「キモ」
“キモ”
「キモくないでしょ。可愛いでしょ」
「えー!? キモ待ちだったじゃん今のは!」
「あはははっ! キモ待ちでした」
倫さんと話すのは楽しい。こういうところは合ってるのかなーと思う一方で、単純に倫さんの人間力によるものかなとも思う。あとトリカのキモって声聞こえてるからな。
西山ちゃんの特技を聞いた倫さんは、「あー」と困ったような声を上げた。
「てかそうなんだー。千歳ちゃんは嘘がわかるのかー。今日、結構嘘ついちゃったかも」
「え? そうなんですか?」
「うん。私、朝はご飯派」
「パン派って言ってましたね……」
「あと目玉焼きは塩コショウ派」
「あ、醤油ではなく……」
細かいところで嘘をついていた。その嘘に何の意味があるの?
倫さんは困った顔で少し上を向いた。
「まっずいなー。千歳ちゃんにめっちゃ嘘つきだと思われるー」
「現状は僕が倫さんのことめちゃくちゃ嘘つきだと思ってます」
「最悪ー! ……でもまー、嘘がわかるってのも本当かわからないしね?」
「それはそうですね」
実際、西山ちゃんは人が嘘をついているのを見てどう思うんだろう。誰も彼も嘘はついていると思うが、その度に不快になったりするのだろうか。さすがにそれはナイーブすぎるか。
嘘にも種類はある。ごまかす嘘。意味のない嘘。やさしい嘘。騙す嘘。
「ちなみに倫さんはなんでそんなしょうもない嘘を?」
シンプルに気になったので尋ねると、倫さんは声を大きくした。
「しょうもなくない! 陽くんに“合わない”って思われたくなかった!」
「ええ!? だとしても嘘で合わせにいったらダメじゃないですか?」
この僕の意見の後、倫さんは滔々と時に語気を荒らげて嘘をついた理由を述べてくれた。思いの外長く倫さんは喋っていたが、つまるところは僕と倫さんでどれだけ派閥が分かれても根本的には“合ってる”ということが言いたかったらしい。僕はそこまで確信できないから「派閥が分かれまくっている現状を鑑みると“合ってない”んじゃないですか」と言ったら猛反発を食らった。そういう思考に至るだろうから嘘をついた、と。
倫さんにしろ西山ちゃんにしろ、そういう自分の感覚に絶対の自信を持っている人って結構多いのだろうか。たまたま近くにそういう人がいるのだろうか。不思議だ。
さて、楽しい時間はあっという間だ。もう駅に着いてしまった。
「今日は付き添ってくれてありがとうございました。もう暗いんで、気をつけて帰ってくださいね」
「うん、ありがとー。じゃあまた明日ねー」
「はい。また明日」
別れの挨拶を交わしたが、倫さんはその場から動かなかった。
「どうしました?」
「……明日の朝さー、一本遅い電車で来てよ」
倫さんがぼそっと言った。
これはつまり一緒に登校しようというお誘いだ。あまりにも魅力的過ぎる。
それゆえにおちゃらけてしまう。
「えー? 倫さんが一本早いので来れません?」
「……顔死んでるけど、それでもいい?」
倫さんは窺うような顔で聞いてきた。二十分弱でそんなに違うものなの?
「あ、いや、冗談です。僕が合わせますよ」
「ありがとー助かる。じゃあね!」
倫さんは弾けた笑顔を残して、駅舎に入っていった。
「……明日はめちゃくちゃ早起きできそうだな」
僕はそんな独り言をつぶやいて帰路についた。




