フレンチトースト
土曜日の朝ほど清々しい気分になれるときもない。
まず早起きしなくていいし、学校に行く準備をしなくていい。これだけでもう最高である。
両親は土曜日に家を空けることが多く、弟も部活に行っている。つまり、今日は一人で自由に過ごすことができるのだ。
午前九時ごろにベッドを出た僕は、とりあえず台所に向かった。
何か食べようと冷蔵庫や台所周りを漁ると、母が買ってきた切られていない食パンが目に入る。休日の朝だし、優雅に洋食で行こうと決めた。
音楽プレイヤーを操作して、ビートを流す。
「エイヨー、食パンを包丁でスパッと切る、ご覧の通り朝食はパンとミルク。
ラップして調理ってオレマジでILL スキルありすぎる休日のキング。いえー」
ご機嫌にラップをかましていると、視界の端に銀髪が入ってきた。
「うわぁ! いたんか!」
思わず声を上げてしまうと、トリカは僕に白い目を向けた。
「あなたの変な歌で目が覚めたのよ。今のは何なの?」
僕のラップで起こしてしまったらしい。何と言われても休日特有のテンションとしか言いようがないので、黙秘することにした。
この黒いワンピースを着た銀髪の少女は、異世界で指輪に封印されてしまった魔法使いである。指輪から半径二十歩以内が行動範囲であり、魔力の及ぶ範囲だという。肉体は指輪に封印されているので、こうして僕が見ているトリカは魔力によって指輪の外に投影した姿であり、普通の人には認識されない。今、指輪は僕の部屋に置いてあるが、ふわふわと壁を透過して漂ってきたようだ。
さりげなく音楽を止めて、トリカに問いかける。
「朝飯食う? 簡単なやつだけど」
「……いただくわ」
強引に話を変えてラップのことはうやむやにした。
なんとなくフレンチトーストを作ることにする。今日は洒落た朝を過ごしたい気分だった。
卵、牛乳、砂糖、バニラエッセンスで卵液を作り、切った食パンをそれに浸す。適当な時間を待って、バターを引いたフライパンで焼き始める。
これまた適当な時間でひっくり返し、良い塩梅で焼けたら完成だ。全て適当が男の料理である。
二枚の皿に乗せて、食卓へ運ぶ。
トリカにはナイフとフォークを用意した。僕は箸でもいいくらいだが、一応フォークを使うことにした。さすがにナイフはいらない。
「じゃ食うか。いただきます」
「いただきます」
フレンチトーストにフォークを刺し、かぶりつく。柔らかな口当たり、ふわっとした食感、ほどよい甘み、なかなか美味い。
牛乳を一口飲む。フレンチトーストにも牛乳が使われてるからなんとなくかぶった気分になる。コーヒーにすればよかった。
トリカはナイフで一口大に切って上品に食べていた。相変わらず綺麗に食べるなと思った。
僕の視線に気付いたトリカが、にこっと微笑む。
「おいしいわよ」
「おー、よかった」
別に感想を求めたわけではないが、おいしいならよかった。
テレビを付けて、適当にチャンネルを変える。この時間は僕好みの番組は少なかった。
今日はデーゲームの野球中継があるなーと思い、それまで何をしていようか考える。
窓から入る日光が家の中を明るくしている。家に居ることは罪と言わんばかりに快晴のようだ。
「散歩でもするかな」
「いいわね」
僕の老人のような呟きにトリカが反応した。トリカは封印されている身だから、行動範囲が限られる。できるだけ色々なところに行きたいのだろう。
とはいえ僕の散歩は本当にただ歩くだけで、どこかに立ち寄るとか、そういうつもりはない。しいて言うなら公園くらいか。
「別にかまわないわ。あなたの休日だもの」
「そうすか」
じゃあお言葉に甘えて、適当に散歩しようと思う。
外に出て玄関の鍵を閉めると、一応トリカに確認しておく。
「身体の再現はしてないよな?」
「ええ。最低限の状態よ」
「……最低限の状態っていうのは、普通の人に認識されないんだよな?」
「ふふ、疑り深いわね。認識されないわよ」
認識されてもされなくてもいいが、どっちの状態であるかははっきりしておかなければならない。そうでないと、傍目から見ておかしなことになるからだ。
この投影した姿でも使う魔力の量によっては、より実体に近くなる。以前海に行ったときは、普通の人間の目に映るまでに再現していた。しかし、そうすると魔力の消費が激しいので、普段は省エネモードで投影しているのだ。
適当に歩きはじめると、トリカは僕の隣をふわふわと浮かび、何やら楽しげな様子だ。
土曜の午前ということもあり、通りは交通量が多い。皆どこかへお出かけなのだろう。僕の両親もそうだ。
「どうしてあなたは両親について行かなかったの?」
「そんな歳じゃないしさ。単純に興味がないというかね」
「ふぅん」
しかしトリカの見識を広めるという意味では、ついていってもよかったのかもしれない。僕の行動範囲はかなり狭いからな。
「別にいいけどね。両親がいたらあなたもこうして話してくれないだろうし」
「そりゃあ、独り言ばんばん喋ってたらやべーからな」
「あら? 朝に妙な独り言を言ってなかった?」
「あれは歌だから」
二車線の通りを避けて、細い道に入る。古い家や新しい家が混在する地区をただ歩く。信号もなければ、車も大して通らない。時折、民家から子供の甲高いはしゃいだ声が聞こえたりする。穏やかな午前だ。
小学校時代の通学路を歩いていると、以前あった家がなくなっていたり、更地だったところに家が建っていたりする。時間の経過をひしひしと感じ、なんだか物寂しい気持ちになった。
「学校がたくさんあるのね」
「義務教育だけで九年あるからなー」
教育のシステムについて軽く説明すると、トリカは首を傾げた。
「その割にはヤンキーみたいな人間もいるのね」
「あー、まあ、そうね。不思議だね」
人間は多種多様だということだ。
「私の世界にもあるのよ。魔術の学校」
「魔術? 魔法じゃなくて?」
「ええ。魔法と魔術は別物と認識されてるわ」
「すっげー聞きたい。どう違うの?」
興味津々にご教授願うと、トリカは得意気に語りだした。
「主な違いとしては、詠唱の有無があるわね。魔術には詠唱が必要で、魔法は必ずしもそうではない。それと、同じ現象を起こすにしても、そこに至る過程が異なるの。魔術は起こしたい現象について明確に理解する必要があるけど、魔法は魔力さえあれば想像力で補えるわ」
想像力で補えるなら、なんでもできそう感が凄い。
「トリカは魔法使いっていうくらいだから、魔法を使ってるんだよな?」
「ええ。でもね、私は魔術と魔法には大して差がないと思ってる。だから、どっちも使っているとも言えるわね」
「ほーん」
「ちなみに、魔術を教わったものは魔法を使えないって言われているの。それはなぜかというと、想像の及ばないところに理解を求めてしまうから」
つまり、魔術は理論的なものなんだろう。理解していないこと、理解できないことは魔術として発動できない。魔法を使う場合は現象の仕組みは理解する必要はないが、一瞬でも想像に疑問を持ったら魔法は発動できない。
しかし、そんなに魔法は難しいのだろうか。魔法の存在が知られていないならまだしも、やり方が伝わっているならもっと普遍的であってもおかしくなさそうなものだが。
「魔法という存在は知られているけど、あなたが思ってる以上に難しいの。でも魔法が普及しない一番の理由は、魔法は教えることができないということに尽きるわね」
「なんで教えられないの?」
「魔法を使うのに何よりも重要なのが想像力だから。想像力を鍛えたり教えたりできる?」
「うーん、むずそう」
「でしょう? その点、魔術は想像力をそこまで必要としない。というより、想像力を補うために詠唱だったり魔術書だったり触媒だったりが存在するわけね」
こう話を聞いていると、魔術は筆算で、魔法は暗算という感じがする。そう考えれば、魔術が扱いやすいのも納得である。
それにしても、想像力なんてどこで差が出るのだろう。
「頭の中で綿密に、生々しく、疑問の余地もなく当然のようにそこに在る、そんなふうに想像できるかどうかね」
「ほー。じゃあ、簡単なものなら魔術じゃなくてもいけるんじゃないの? 前にトリカが見せた小さな火を出すとかさ」
「それがそういうわけにもいかないのよね。火を生み出すだけでも、百人いたら一人くらいしかできないと思うわ」
簡単な現象でも成功しないというなら、魔法は相当難しいようだ。
「でも、百人に一人ができたら結構な数がいそうだけど」
「簡単な魔法に限ればね。実戦的なものになると規模も大きくなるし、即座に発動することが求められるわ。想像するのに時間がかかって、結局詠唱した方が早いってパターンが大多数を占めるのよ」
「なるほど。ちなみに詠唱って頭の中で言うのじゃダメなの?」
「それは使う者次第ね。頭で唱えて発動する魔術師はセンスがある。魔法使いになれる器だわ」
しかしトリカ曰く、魔法使いだからといって必ずしも魔術師の上をいくわけでもなく、才能とはとどのつまり魔力の量だということだった。
「話を戻すけど、魔術を使えば百人中百人が火を生み出せるわ。結局は効率の問題ね。魔術は教えやすいし、結果も出やすい。だから学校で教えるのは魔術になるの」
「なるほどねー」
そんな魔法の講義を受けている間に、小学校の近くまで来ていた。
フェンス越しに校庭を見ると、ユニフォームを着ている子供たちがサッカーをしていた。彼らは先々カースト上位で過ごすことになるのだろう。
「あんな子供に嫉妬するなんて……。あれはどういうスポーツなの?」
トリカは子供たちの動きを観察しながら聞いてきた。
話の種にちょうどいいと思い、質問で返す。
「どういうスポーツだと思う?」
「……わからないわね。あの長方形の枠にボールを入れたいなら、あまりにも非効率な動きをしているわ。手を使ったらダメなんだろうけど、それにしても……」
「いや、子供だからさ。そううまくはいかないんだよ」
サッカーのルールは理解しているようだったが、子供たちの動きでは確信が持てなかったらしい。大人同士がやってもそんなに点が入らないスポーツだぞ。
「トリカならどうやって点を取る? 作戦でもいいけど」
「まず枠の中に向けて蹴ってみればいいじゃない。あそこを守っている人間の手の届かないところに」
「真理だな」
僕のような素人が言うことを、トリカも大真面目に言った。僕もサッカーの中継を見るたびに、「おーなんでシュート打たねんだよ馬鹿かよ!」などと野次ったりしている。
もちろん、そう簡単にできることではないのだろう。その道のプロがやっているのだ。
トリカは子供たちを眺めながら、届くことのない指示を出していた。
「今、そこでも打てる。今、今。今! ……全然打たないわね」
多分、トリカの「今」はシュートを打ての意だと思うのだが、いずれもハーフウェイライン付近だったので、子供たちは全員パスをしていた。
「足の力が弱いのかしら。子供だから仕方ないわね」
大人でも無理なタイミングである。おそらくトリカはキック力もやばいのだろう。ゴリラじゃん。
頭をぺちんと叩かれている横で、校庭の端に女の子が一人で歩いているのが見えた。こんなところで何をしているのだろう。さては、誰かの応援かな?
「試合を全然見てないから違うんじゃない?」
「まあ、確かに」
女の子は周りをキョロキョロしたり、遠くを眺めたり、何か探しているような素振りをしていた。家の鍵でも落としたのだろうか。
気持ち的には一緒に探してあげたいところだが、昨今は挨拶を交わしただけで事案になる世の中である。僕はフェンス越しにただ眺めることしかできないのだ……。
「凄いわね。挨拶すらダメなんて」
「まあ、今のは誇張気味だったけどさ。でも、嘘でもないからな」
トリカは信じられないといった顔をしていた。それだけ事件があるということだ。
さて、散歩に戻ろう。フェンスに張り付いたままの人間なんてそれこそ不審者だ。
小学校を離れて、今度は田圃道を歩く。まだ田植えはしていないので、田んぼに緑はない。
用水路を覗き込んだが、水面まで距離があり、生き物の姿は見つけられなかった。
トリカはふわふわと浮かびながら、田園風景を見渡していた。
「この国の主食はコメが主流なのよね?」
「うん。白米なしには日本人は生きていけないね」
「ふぅん。私まだ食べてない」
「あー、そういえばそうか」
思い返してみると、トリカに食べさせたものはパンばかりで、和のテイストのものはない。
何故そう偏ってしまったのか。おそらくトリカが箸を使っている姿が想像しにくいからだと思う。トリカは異世界人だが、僕の心のどこかで西洋人とでも思っているのかもしれない。
「確かに箸は使ったことがないわね。ナイフとフォーク、あとスプーンは私の世界にもあるけど」
「箸は意外とテクが必要なのよ。慣れれば使いやすいけど、慣れるまでちょっと時間かかるかもな」
「使う機会が今のところないけどね」
家に誰もいない時、あるいはトリカが身体を再現した時だな。
「トリカは向こうの世界で何を食べてたの?」
「主食はパンね。あとは山菜や野草を採ったり、獣を狩ったり」
「へぇ~、なんか思ったより質素だな。料理とかするの?」
「ええ。私は一人暮らしだったし」
一人暮らしで、料理もしていたという。一人暮らしはわかるが、トリカが料理している姿なんて想像できない。魔法使いと自称しているから、怪しいツボに入った毒々しい液体を飲んで栄養補給しているのかと思った。
そんな僕の想像を読んで、トリカは呆れ返っていた。
「魔女ですらもっと健康的な食事をしてるわよ」
「そうなんだ。……魔女って?」
「魔法使いの女」
いや、そりゃそうだろうけどさ、馬鹿かよ。
「失礼ね! ちゃんと説明するわよ! ……魔女は、人目につかないところで村を形成して暮らしている女のことよ。そこで魔法の研究なり、薬を作ったりしているの」
「なんかミステリアスだなー。村には入れないの?」
「魔法で隠されてるから入れないわね。まあ、私なら簡単に見つけられるけど」
トリカ曰く、魔術ではなく魔法を使える女は、異端として良くも悪くも目立つらしく、そういうしがらみを避けたい女が魔女の村に住むらしい。
田圃道を抜けると、通りに出てくる。そろそろ家の方向に向かって歩こう。
通りを歩いていると、坂道にさしかかった。こういうときふわふわ浮いているトリカが羨ましくなる。
僕の思考を読んだトリカがにんまりとこちらを見た。ムカついたので下半身を覗き込もうとすると、空中で体勢を変えられた。
「変態」
「は? 紳士なんですけど」
「今のが紳士のすることなの……?」
トリカは呆れていた。
坂道を越えたあたりで、だいぶ足に疲労が溜まっていた。体力の低下を憂いていると、一軒の駄菓子屋が目に入る。ちょっと休憩しようと決めた。
駄菓子屋の前には数台の自転車が止まっており、子供たちで賑わっていることが窺えた。
ガララと戸を開けると、やはり小学生の溜まり場になっていた。おら、高校生様の登場だぞ。
「イヤな男ね」
トリカがドン引きしたようにぼそっと言った。声に出してたら確かにイヤなヤツである。
この駄菓子屋は瓶のコーラが売られていた。今どき珍しい代物である。一本買って、外に出た。
トリカは店内に残って駄菓子を眺めているようだった。何か妙な駄菓子を食べさせてみるのも面白いかもしれない。
それにしても瓶で飲むコーラはどうしてうまく感じるのだろうか。瓶の口当たりが冷たいからだろうか。不思議である。
軒先で炭酸の喉越しに悶えていると、自転車に乗ったショートカットの女の子が駄菓子屋で止まった。小学校で探しものをしていた子だ。探しものは見つかったのだろうか。
女の子は僕の横を通り過ぎ、駄菓子屋に入っていった。
ガラス戸越しに中の様子を窺うと、子供たちと店主のおじさんに何やら写真を見せていた。トリカもその輪の中に入っている。
トリカが軒先に出てきたので、聞いてみる。
「あの写真なんだったの?」
「コーラをくれたら教えてあげる」
「ああ、あげるあげる」
そう言うと、トリカは僕の手から瓶コーラを取り上げた。慌てて周りを見たが、近くに人影はない。
「で、何だった?」
「黒猫の写真だったわ。探してるのは猫のようね」
なるほど。飼い猫が家から脱走したのか。
あんな中学生くらい女の子が、こうして猫を探しているなんて立派だなと思った。僕があれくらいの歳のころは、他人に声をかけたりできなかった。今でもできないかも。
トリカからコーラの瓶を受け取っていると、駄菓子屋から女の子が出てきた。休まずにまた探しに出るようだ。
「あの、お兄さん。ちょっといいですか」
「あ、うん」
と、思ったら僕にも声をかけてきた。
女の子は先程と同じように写真を見せて、「この猫を見かけませんでしたか」と尋ねてきた。写真にはトリカが言ったように黒猫が写っていた。
「見てないなあ。猫の名前は?」
「ミカです。赤い首輪をしてます。見かけたら教えてください。これアドレスです」
「うん」
女の子から小さな紙を受け取る。そこにはフリーメールのアドレスが載せられていた。
女の子はぺこっと会釈をすると、自転車に乗って駄菓子屋を去っていった。
「大変だな」
「そうね」
トリカは大して興味もなさそうに相槌を打った。
コーラを飲もうと瓶を口元に持ってくると、中身が空であることに気付く。
「全部飲みやがったな」
「おいしかったから。つい……」
トリカがバツの悪そうな顔をしていた。珍しい表情だったので、思わず吹き出してしまった。
瓶を店に返すと、僕はまた家路を歩く。
今日の昼飯をどうしようか思案していると、トリカが提案してきた。
「私カレーライスっていうのを食べてみたいわ」
「昨日テレビでやってたなー。そうするか」
そうして土曜日の午前は穏やかに過ぎていった。




