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最終話 : 君は「心のままを曝け出す」人だから

 それからシディリウスは度々訪れた。王太子の冠を持つ彼は、決して暇ではないはずだ。ない暇を、どうにかこじ開けて会いに来てくれているのだ。急に余所余所しくなった愛しい姫のご機嫌取りに。


 もう彼を落とすために、あれこれと必死に企まなくてもいい。彼はローズマリーのことを善良で明るい田舎娘だと思っている。ローズマリーも、彼の望むローズマリーを演じ続けた。優しく微笑むだけで嬉しそうに眦を下げる彼を見ているのがどうしても耐えられないのに、彼を悲しませることもどうしても出来なかった。


 私が彼のことを一ミリも知らないように、彼だって本当の私なんて一ミリも知らないんだわ。


 こんなので、まともな恋愛が出来るはずなかった。そもそもが恋愛不適合者なのに、こんなのハードル高すぎる。人を傷つけてまで、どうこうしたかったわけではないのに――自分の不甲斐ない軽率さに辟易する日々を送っていた。


 そんな折に、王家直々に招待状が再び届いた。季節は、いつの間にか秋になっていた。

 あの薔薇を見ようとお茶会の誘いだった。プレゼントと添えられていた分厚いカシミアの手袋は、ローズマリーの荒れた心をもふんわりと包み込む。シディリウスの、真心のようだった。


 招待状を見て、手袋に触れて、ローズマリーは途方に暮れた迷子のような顔をした。

 その表情を見た使用人達は、皆一様に溜息をついた。


 ――アメイジング!


 そう叫んで喜ぶローズマリーの姿を、見たかったのだ。




***




「ローズマリー」

「……」

「ローズマリー」

 ハッとしてローズマリーは顔を上げた。


 迷路のように聳え立つ薔薇の茂みに、溢れんばかりの薔薇が咲き誇っている。秋の空は厚い雲に覆われ、灰色に染まっていた。


「大変申し訳ございません、シディリウス殿下――」

 王太子の言葉を何度も聞き漏らすなど、失礼にもほどがある。ローズマリーは咄嗟に頭を下げた。

「いいんだよ、疲れたのだろう。少し休もう」

 あちらにベンチがある。そう言ってシディリウスは優しくローズマリーの手を引いた。

 疑うまでもなく、シディリウスはローズマリーを特別扱いしてくれた。今ではお茶会も開かれていない。個人的に招かれるのも、ローズマリーだけだ。その心地よいはずのぬるま湯は、ローズマリーを癒さない。


「ずっと元気がないのは、私のせいかな」

 手を引くシディリウスが、背を向けたままローズマリーにそう言った。ローズマリーは驚いて、俯きがちだった顔を上げる。


「よく私を見てごらん。君が不安に思うことなんて、何もない」

 次代の王になるその人は、ゆっくりと、確信を持ってそう言った。

 その堂々とした声に、心を傾け顔を上げたローズマリーは、自分の失態を悟る。彼の、どこか辛そうな慈しみに溢れた表情に、ツンと鼻の奥が痛むのを感じた。ローズマリーの心を撫でるための言葉。

 これほどまでに、愛してもらって、気を使ってもらっているのに――私は同じほどの愛情を返すことが、出来ていない。


 今後、彼と同じ方を向いて歩いて行かねば、王太子妃なんてとてもではないが務まるものではないだろう。もしきちんと前を見たいのであれば、きちんと話すべきだとローズマリーは感じていた。

 愛情が足りないことは、不誠実なことではない。真摯な態度で打ち明ければ、きっとシディリウスは待ってくれるだろう。ローズマリーの心が整うまで、きっと急かせたりしない。


 もし、彼が待てなかった場合は――その時は、父と母が待つ領地に帰るだけだ。寂しがっていた執事のためにも、ローズマリーの他に子供がいない両親のためにも、婿を貰うのがいいだろう。婿は爵位も継げるし、きっと私が同じほど愛情を返せなくても、これ程心苦しく思わなくて済むはずだ。


 ――できれば、私だって。

 彼を、シディリウスを、愛したかった。


 ポプリの香りを調べ、花束を抱えてやってきてくれた彼を。


 薔薇の茂みを抜けると、東屋のような場所に辿り着いた。いつの間にか随分と歩いてたようだ。美しい庭も、今はローズマリーの心を奪うことは出来なかった。


「この場所は道順を知っている者しか立ち入ることができない。衛兵達も、離れた場所で待機している」

 彼の心遣いに、ローズマリーは唇を噛んだ。彼は最初から、ここにローズマリーを連れて来るつもりだったのだ。

 ローズマリーの部屋にはいつも数人の侍女が。王城にはそれ以上の衛兵が二人を囲んでいる。手紙も検閲され、彼と内緒話など何処へ行ってもすることは出来ない。本当の意味で二人きりになれる場所など、存在しないと思っていた。


 シディリウスは動かない。ローズマリーが、自分で一歩を踏み出すのを待つかのように。


 シディリウスを見上げた。シディリウスも、真摯な顔でローズマリーを見ていた。ローズマリーは胸の奥がカッと熱くなるのを感じる。今、言わなければ。きちんと彼に、話さなければ。


 嫌われることなんて怖くないはずなのに、なぜか唇が動かなかった。


 強い風が吹いた。まるでローズマリーを力づける、追い風のようだった。

 風に力を借りて、ローズマリーは一歩、彼に近づいた。それを見て、シディリウスは眦を下げ――優しく添えるだけだったローズマリーの腕を、強く引いた。


 えっ、とローズマリーが思う暇もない。シディリウスによって強引に動かされたローズマリーは、地面に思いっきり倒れ込んだ。

 その瞬間にも、剣を抜く音がする。地面を見ていたローズマリーは、血の気が引いた。一体何が起きているのかわからなかった。シディリウスが自分に剣を向けようとしている? そんなはずがない、とローズマリーが彼を振り返った時、悲鳴を上げた。


 ガキン、と金属同士が激しくぶつかり合う音がする。先ほどまでローズマリーがいた場所に、見知らぬ男達が立っていた。どうして、ここに? ここは限られた者しか入れないはずでは?


「王太子シディリウス――お命頂戴する!」

「――くっ!」


 シディリウスがローズマリーのために護衛を置いてきたことが、仇となっていた。

 ローズマリーは、スカートの中で何度も足を動かすが、幾重にも重ねられたパニエが足を滑らせて上手く立つことすらできない。シディリウスは片手で剣を受け止めながら、ローズマリーの腕を強く引く。


「茂みのほうへ走れ! すぐに騎士が辿り着く!」


 シディリウスの助けを借りて立てたはずのローズマリーは、自分の足が一歩も動かなくなっていることに気付いた。シディリウスは二人の刺客の対応に追われ、ローズマリーに声をかけることで精一杯。


「ローズマリー!」


 いやだ。

 いやだ。


 ローズマリーは震えていた。顔を青ざめ、呼吸を止め、脂汗を流して。


 いやだ、もう死ぬのは、嫌だ。二度も死ぬなんて、そんなの絶対に嫌だ。


 死んだ時の苦しさを、ローズマリーは今でもはっきり覚えている。水を掻き分け、上を向いても光は見えなかった。息を吸おうとすれば吸おうとするほど、喉に水が流れ込んできた。あんな苦しさは、もう二度と味わいたくない。


 死ぬのは嫌だ。

 逃げないと。

 逃げないと。


「ローズマリー! 行ってくれ!」


 シディリウスの声に、ローズマリーは足を一歩動かした。一歩動けば、二歩目も動いた。茂みの方から、大きな声と足音が聞こえる。あちらへ逃げれば味方がいるのだとすぐにわかった。


 ――なのに。


「んあっ……!」

 腹部に刺さった剣を、ローズマリーは掴んだ。シディリウスから贈られた厚手の手袋を突き抜け、手の平に分厚く鋭い鋼が食い込む。

 これ以上奥へ、押さえ込ませないように。背後にいる彼に、刺さらないように。


「……ローズマリー?」


 熱い、熱い、熱い! 腹が焼けるようだった。皮膚が引きつり、刀身を掴む指は今にも削げ落ちそうだった。口から噴き出た大量の血が、刺客の顔に跳ねた。助からない、自分でもわかった。けれど、手を離すわけにはいかない。


 シディリウスは刺客二人への応戦で手いっぱいだった。だから、静かに忍び寄っていたもう一人に気付いていなかった。ローズマリーは、我が身可愛さに逃げるべきだった。三人目の刺客も、剣を持つシディリウスに任せばよかったのだ。そうすればこんな痛みを感じることもなく、二度目の人生を謳歌できたのに。


「ローズマリー!」

 シディリウスが慌てて振り返る。血に塗れたローズマリーを見て、彼が叫んだ。

 他からも斬撃の音が聞こえる。応援が来たのだろう、よかった、とローズマリーは暗い意識の中で膝をついた。彼はこの国で、誰よりも守られる人だから――きっと死なない。


 あぁ、そうか。そうだったんだ。

 剣を投げ出して、倒れ込むローズマリーを支える彼に向かい微笑んだ。


 ローズマリー、貴方の目を通してみる王子がどうしてあんなに輝いてるのか、やっとわかった。

 死ぬのは、こんなに怖くて、こんなに痛くて――その痛みを知ってる私達だから――好きでもない人間のためにもう一度なんて……絶対に、できるはずがない。


 ローズマリー、私をこの世界に呼んだのは、貴方ね。今日この日、王子を助けるために――なんて純愛。


「ローズマリー! 目を開けろ!」


 金切り声が聞こえる。そんなに強く叫ばなくても、聞こえているのに。


 私、貴方のこと好きになれなくて悩んでたのに。貴方を手玉に取って、玉の輿にのってやろうなんて、考えてた性悪なのに。そんな風に、貴方が悲しむほどの価値、私にはないのに。


 途切れ途切れの意識の中、ローズマリーはいつの間にか口にしていたらしい。シディリウスはローズマリーの血塗れの手を取って、頬に寄せた。


「知っていた」


 ローズマリーの手が、温かく濡れていく。

 静かな、穏やかな声だった。あぁ、だから。不安に思うことは何もないって――……。ローズマリーは目を細めた。あぁ、私今、とってもときめいてる。


「アメイジング……」


 何も知らないなんてこと、なかった。

 貴方が私に触れる時、とても優しく触れること。私が微笑むと、柔らかく眦を下げること。私のために何度も足しげく通ってくれること。全部、王太子としての貴方じゃなくて――。


 シディリウス。

 あの恐怖を、痛みを。感じさせたくない程度には――私も貴方を好きだったって、誇らせて。




「血圧、上がっています!」

「白水さん、目が開きました! 白水さん、白水万里さん! 聞こえますか!」


 次に万里が目を開けた時、彼女の目に入ったのは涙に濡れたシディリウスではなく、病院の白い天井だった。


 自分が生きていたことに、呆然としている内に二週間が過ぎた。しかも、ローズマリーではなく、万里としてである。

 その間に、引っ切り無しに見舞客が訪れた。


 家族は、大馬鹿な万里を毎日叱りにやってくる。友達も泣きながらやってきては、「メールぐらい見なさいよ! あの大雨で合コンする訳ないでしょ! 馬鹿なの!」と万里を殴りつけ、看護師に羽交い締めにされた。そう言いながらも、延期した合コンの席を確保してくれている友人に、万里はひたすらと頭を下げ続けた。

 一番厄介だったのは部長だった。「だから泊まれって言ったでしょう!」とたゆたゆの二重顎を揺らしながら泣いて怒るのだ。暇な時期ではないにもかかわらず、三日おきに同僚を連れ、甘いお菓子を持ってやって来る。復帰したら身を粉にして働こうと心に誓った。ハロワ通いにならずにすんで、本当によかった。


 それから更に三日後。無事退院した万里は一人病院のバス乗り場にいた。迎えに来る予定だったはずの両親は、万里の無事を安心したためか、予定日よりも随分早く産気づいた姉の元へ行っている。二人目だから心配はいらないと、万里はゆっくり自宅に帰ることを義務付けられた。


 私は、二度死んだ。

 一度目の死も二度目の死も突然だったが、どちらも自分の本能に任せた結果。不思議なもので、恐怖はあったが、後悔は無かった。いつでも自分に正直に生きてきた結果だな、と空笑いが浮かぶ。


 私は、二度死んだ。

 だけどこうして生きていて、新しく生まれる命もある。甥が無事に生まれたら、ポプリを作ろう。そう思った。


 ローズマリーとシディリウスのその後が気になるが、もう二度と彼らに会えることはないだろう。チェスターと踊ったステップを刻みながら、万里は勢いよく拳を天に付き上げる。


「せっかく生き返ったんだし……もう一度人生頑張りますか――アメイジングッ!」

「……ローズマリー?」

「え?」


 振り返った万里は、信じられないものを目にして目を見開いた。

 コンビニの袋を腕に下げ、白衣を着た男性の顔が――万里にときめきを思い出させてくれた彼にそっくりだったのだ。


「……突然失礼しました――あの、今なんとおっしゃいました?」

「え、シディ……ええ、えええ……?」


 から風に吹かれ、万里はくしゅんとくしゃみをする。ローズマリーの笑い声が聞こえるようだった。



 ここから先は、また別のお話――






 おしまい

 


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