第九話
仲間が死んだ。だがそれがどうした。思考するは次の一手。
崩落する天井を見つめながら、園崎は思考する。冷たく、冷たく、心と頭を研ぎ澄ます。恐怖、昂揚、そういったものは勝利へと向かうには邪魔だ。
今この場にいる戦力は六人の能力者と一人の殺戮者。
内一人は園崎本人、そして自分の戦力となるはずだった竜也はそこいらに転がっている。三人目は園崎が狙っていた敵、彼には『奴』がついている。そしてその三人目と『奴』が追っているのが四人目だ。
ここまでが既定路線、そしてここからがイレギュラー。目の前にいる五人目、死の能力を持つ少女という大きな誤算。
六人目はこちらに向かっているようだが、まだ距離があると園崎の感覚が告げている。何か移動に関する特別な能力を持っているでもない限り考慮の外に置いていいだろう。
前提に置くべきは二つ。
園崎、竜也、そして目の前の少女の能力は割れている。故に、この『自分達以外の人が誰もいない』という状況は三人目が意図的に作り出したものだろう。彼、あるいは彼女は能力によりこのショッピングモールを狩場にしている。
四人目がこの状況を作り出すメリットを園崎は思いつきはしないし、六人目はこの状況が起きてからの闖入者だ、時期が合わない。三人目の能力である、と断定する。間違えていれば死ぬだけだ。
そしてもう一つ。竜也は三人目を狙ってはいたが、幸いと言うべきか目の前の少女に先に出会った。敵対する可能性は高かったが未だ敵対しておらず、今の自分に敵対の意思はない。
――状況を利用する
崩落、それに伴う視界の不良に紛れて園崎は移動する。勿論ただ走っているという訳ではない、自身の『肉体操作』を使い、身体全体のサイズ自体を縮めているのだ。それも子供ほどというどころではない、人の掌にだって乗るような人形のサイズだ。小石ですら致命傷になりかねない危険な状態、しかし神経を研ぎ澄ませて園崎は跳ぶ。
『肉体操作』は筋肉自体の増量が出来る事からも分かる通り、本来自分にある質量等には依存しない。だが同じく分かる通り、魔法のようにそのまま怪力を与えてくれる能力でもない。小さな身体には、備えられる防御力の限界があるのだ。
防御と機動性の両立。二つを意識し、少しずつ調整しながら。最早異形となった小さな園崎は身を潜めた。
ようやく崩落が落ち着く。ちらと覗けば、そこには二人の少女が向かい合っていた。
「あなた、柏木君の……確か、智子ちゃん?」
「――……榎、田、さん?」
二人の少女が邂逅し、静寂が流れる。その中で、小さく園崎は歯を食い縛る。
――第一段階はクリアした。あとは、上手い事逃げるか……殺して、いくだけだ
園崎は躊躇をしない。園崎は自分の未来を塞ごうとする者に対し、一切人間的な扱いをするつもりはない。
普通に生きるのも、ミカエルのゲームも同じだ。傷つくのが心か、身体か。そして取り返しがつくかどうか。それだけが違う。
だから園崎は躊躇をしない。本来、生きる上で誰かを踏み躙るようにこの拳で心臓を抉り出す。
拳を握り、誓った。生き抜くと。
智子を突き動かすものは感情だった。
何かを頑張りたかった。何かから逃げたかった。閉じられたままの部屋の扉とか、ずっと埋まる事のない食卓の席とか、登校中の隣の空白とか、聞こえてくる喧噪だとか智子のお兄ちゃんまたやってるねとか運動部とかあいつの妹ならとか、そういう全てが嘘っぽく、壊れて聞こえる世界をなんとかしたかった。
何とかする方法なんてどこにもないのだ。大切なものが失った人間は、そのどうしようもない何かに対して時間と共に向き合って、なんとか折り合いをつけて解決していくものなのだ。頑張っても、逃げても、どうにもならない事を悟ると共に。
だが、出会ってしまった。頑張って、逃げて、それでどうにかなりそうなものに。
「智子ちゃん……」
端正な顔が歪む様を見て、「あぁ、これからこの顔をもっと歪めるんだ。取り返しのつかないほどに」ととりとめのない思考のままに思う。だがそれもまた雑音のような思考の波に埋もれていく。
杉山智子は思考をしない。目標を持たない。
頑張って逃げる、それが大切なのだから。戦い殺す事に逃避する事こそが願いなのだから。
「殺してやる」
自分に言い聞かせるように。「私は何かをしているのだ」と、心の奥底に呼びかけるように。
智子が手をかざすと、『死』の黒弾が生まれる。
葉月がぼうとしていたのは一瞬であった。その黒を見てか、その瞳に意思が灯る。
そうして智子のすぐそばに倒れ込んでいる竜也を一瞥。思考が結び付くと共に戦慄、飛び退く。
「殺してやる!」
金切声と共に黒弾が放たれた。同時、葉月は能力によりその身を隠す。
智子は思考して動いてはいない。故に、その能力の原理が分からなくても――例えそれがワープ等で、葉月は既にこの場にいなかったとしても――やる事は変わらなかった。
黒弾が一つ二つと生み出される。三つ、四つと加速度的に数を増す。五つ目からは、数える事すら困難に。
黒い兵を従える女王のように。智子の周りには、無数の黒弾が浮遊した。
「殺して、やる。ころ、殺して、殺してやる……ッ!」
全方位に放たれる黒弾。一度や二度ならば外すだろう、だが三度四度と積み重ねればどうだろうか。百を超えてでも、智子は完遂する。本人が「もういい」と納得するまではいつまでも。
気迫に負けたか、葉月は姿を現した。智子の前方数m、顔をうつむけてそこに居る。
黒弾を放とうとした、その時。葉月は顔を上げた。
そこには、死の恐怖でも戦闘に向かう昂揚でもない。ただ、こちらを憐れむ目があった。
「智子ちゃん、あいつに何かを言われたの? いいの、そんなの、そんな事は……」
「う――」
「私達が……私と、柏木君が。そう、二人で守るから。だから、安心して」
「うるさいッ!」
声は届かない。
ただ一度会っただけの少女の声は、心までは届かない。だってそれは憎い能力者なのだから。狩りの対象なのだから。自分が頑張るべき物事の一つのハードルなのだから。
猫なで声が。差し伸べる手が。信じ切ったように姿を現すその態度が。そしてなにより、その目が――気に食わない。
大切なものがある癖に。大樹が傍にいる癖に。頼れる人が、いる癖に。
「お前はああああああ!」
今度こそ黒弾が放たれようとする――が、二度目も止まる。
次は姿ではなく音だった。この場には似つかわしくない軽快な電子音が鳴り響く。
「何……?」
飛び退こうとしていた葉月は眉を顰めるが、智子は知っている。だってそれは、自分のポケットから聞こえる音だから。
これは、智子が大樹に勧めた曲だから。
「う、うぁ、あ……」
ポップのリズムに乗って歌声が智子の耳に届く。
他愛のない、よくある歌。ヒットチャートに上ってはすぐに消えていく恋愛歌。クサい言葉ばかりが並んだ、彼から彼女への愛を奏でる歌。
そんな、日常でよく聞いていたような歌。
「ぁ、……」
黒弾は智子の意思で形作られる。故に、その脱力によって全て掻き消えていく。
頑張って、逃げて、それで自分が帰りたかった日々に背を向けていると一瞬でも思ってしまったから。その狂気的なひたむきさは硬くはあるが脆い。少し穴を開ければ容易く隙が出来る。
その隙を狙う者がいた。
「ハッ!」
嘲笑と共に凶刃が襲い掛かる。
ぼうと、智子は動く事が出来ない。外界の事を何も認識出来ずに止まっている。
動いたのは葉月だった。
そもそも葉月は逃げていたのだ、自分や智子だけが戦場にいる訳ではないと知っている。そして智子を殺す気がないのだから意識を他に割く余裕も、またあった。
だから葉月は智子に襲い掛かる何かがあれば対処しようと気を付けており、今力いっぱい地面を蹴って組み付いたのだ。
「やらせ、ない!」
「チ、ィ、クソアマがぁ!」
その、自分を殺そうとしていた襲撃者に。
だからそれはとても大きな隙だった。だから彼はその機を逃しはしなかった。
園崎は筋肉を肥大化、物陰から飛び上がる。小さく人形のようだった身体が宙で膨れ上がり、人としての大きさを取る。
葉月の自分を追っていた人間『のみ』に向けられていた警戒、殺戮者による均衡の崩壊、そして智子の放心。どれか一つでも要素が欠けていれば園崎にとっても賭けではあった。だが、最早これは賭けではない。確定した勝利だ。
逃げるという選択肢はなかった。智子が正気に戻ればどうなるか分かったものではないし、そもそもいつか殺す相手だ。この悪魔のような能力を持つ女だけはどうしても殺しておかなければならない。
崩落の影響で薄汚れた床に降り立つと共に、腕の筋肉を肥大化させる。
智子は動かない。葉月は叫ぶ。
そうしている内、腕は無情にも最速で動く。嬲る事を楽しむ趣味はないし、そうするほど余裕がある訳でもない。
大樹を誘き出す為に使った子。こうなってしまったのは、もしかして自分のせいなのか。
歯を食い縛る。たとえそうであろうとそれがどうした。世の中はこんなはずじゃなかったと嘆いても変わりはしないのだ。自分の力で変えていくしかないのだ。
あぁ、大樹君とはもう組めないだろうなぁ、と少し胸は痛むけれど。
剛腕が、胸を突き破る。
結論から言えば、この場を征したのは智子だった。
「ガ、ハッ……」
「おいおい園崎、お前何やってんだ」
ずるり、と。
紅く、黒く、残酷な結果が園崎の胸から零れ落ちる。息をするのも身体を動かすのも満足には出来ない、思考が苦痛に染まる。
火花が散ったように。混乱と、唐突な痛み。一体何が起きたのか。まったく整理が出来ない。
確かな事は一つ。
先ほどまで土気色の顔をして倒れていた竜也の腕が、園崎の胸に突き刺さっているというその事実だけだ。
「……。き、みが」
満足に声が出ない。漏れ出るような呼気だけが、あざ笑うように抜けていく。あぁ、自分の身体が自分のものではないようだ。先ほどまで自由に動かしていた手も足もただの鉛のように自分を縛り付ける。
ゆっくりと、その腕が引き抜かれた。倒れる園崎に、竜也はしゃがみこんで目線を合わす。
いつもの享楽的な表情だ。何もおかしなところはない。こいつはただの竜也であるはずだ。それが一体、何故。
「あーあー。わりぃな、お前が智子を襲うからだぜ? ったく、ほら息を整えて能力使えよ。運が良ければ生きていられるんじゃねぇの?」
こいつは何を言っている。自分が殺した獲物に対して、一体何を言っている。いつか自分を襲う事はあるだろうと覚悟はしていたが、それならばこいつはこのような言葉をかけるはずがない。
そうして何より、「智子を襲うからだ」と。例えば何かの策略で、この二人がつるんでいたのだとしても、竜也が他人を気遣い他人の為に戦うなどとは考えられなかった。
一体、こいつは何だ。竜也の顔をして、全く違和感なく喋り笑うこいつは何だ。行動は似ているのに、行動原理が別人じみて違うこの生き物は、なんだ。
「で、お前ら。帰った方が良いぞ」
かすむ視界で竜也の背を追う。戦況はどうなっているのか。分からないが、竜也が動いた事は分かる。
思考がおぼつかない。脳に酸素がいかない。能力を使わなければ、生きなければ。
「今ならまだ許してやるよ。智子も今はどうにも調子わりぃみたいだしな」
生きなければ。
死にたくない、死にたくない。
まだこんな所で、何も成し遂げられていないのに。天使の掌の上でいるばかりだったのに。
死にたくない。
「おら、散れよ! はっ、雑魚が粋がってんじゃねぇよ」
死にたく、ない。
智子が無事なのは良かった、自分が目覚める前に殺されていたらどうなっていた事か。その事は深く、普段は信じていない神にでも感謝してやる事にする。祈って助けてくれるのならばいくらでも。
智子を小脇に抱え、竜也はショッピングモールから離れたビルの屋上にいた。風が強いが、自分ならばこれぐらいどうという事もない。
あぁ、でも智子が寒いかもしれない。それならば早くどこか別の場所を見つけなくては。
「……なんで、生きてるの」
「いや、死んでるし」
何を当たり前の事を言ってるんだろう。自分の心臓は止まっているし、脈もない。死んでいるに決まっている。
妙な事を言うが、本当に大丈夫だろうか。顔を覗き込むと、今更ながらその体勢に気付いたか腕を振り払われる。
いくらなんでもその反応はちょっと傷つく。
「あんた、なんでそんな顔……」
「あ、いや。悪い。悪かった。デリカシーがなかった事は謝る」
智子も年頃の少女なのだ、男の小脇に抱えられるのは気恥ずかしいだろう。
だがしかし、何故智子はこれほどまでに気を荒げているのだろう。戦いの場では仕方ないとはいえ、せめて自分の傍では気を休めていてほしい。
智子の気が立っているというのならばなんとかしてやりたいが、自分ではどうする事も出来ない。竜也は頭を悩ませる。
「……あぁ、そう、そういう事」
しばらくして。智子は合点がいったという風に、しかし渋面を作って額に手を当てた。
どういうことなのか、と見つめていると彼女は口を開く。
「天使は『殺す以外にもう一つ、お前の心を能力にしよう』とかそういう事を言ってた。あんたはお兄ちゃん代わりって事か」
「ん? 代わり……?」
「何言っているか分からないみたいだね、頭おかしくなっちゃってるんだ。頭おかしくなって、私の頼れるお兄ちゃん――になっちゃってる訳だ」
急に、智子の足が動く。鳩尾に突き刺さるつま先をあえて避けずに竜也は受ける。
なんでなのかは知らないが、智子が機嫌が悪いのならば受け止めてやらねばならない。別に、この程度の痛みならば大した事はないのだし。
「ふざけるな! ふざけるな! なんなんだよ、死ねばいいのに! 死ね! 死ね! 死ね!」
「ぐっ……おいおい、だから、死んでるってよ、もう」
「黙れよ!」
どうにもウチの姫は御乱心だ、と心の中で肩をすくめる。
まぁ、なんだっていい。自分は智子を守るために動き、智子と共にあるのだ。別に嫌われたってそれは変わらない。
そうするのが自分なのだから。
「くそっ、くそっ、くそっ」
「おいおい、そんな暴れんなって……お前、その恰好じゃ家帰れねぇだろ。俺一人暮らしだし、風呂でも入ってけよ」
純粋に、何の疑問もなく。竜也は普段通りの行動をしているつもりで思考する。
もうその身体は死人で、まともな考えなんて一つもないが。
「……。まぁ、いい。利用するだけ利用して捨てればいいんだから。それまでは使ってあげる、ムカつくけど」
「ん? えーあー、おう。よろしくな」
こうして。
ショッピングモールの戦いで、命が散った。少女の健やかなる未来と共に。
執筆者:コニ・タン
「web小説で読みやすい文体模索中。逆に読みづらかったらすいません」