12.あなたがこの手を離すまでは
(やっぱり、おにいちゃんと踊るのが楽しいし落ち着くな)
アレクシスとのダンスのあとにリヒトの元へ戻ると、リヒトは何故か表情の抜け落ちた顔をしていた。
ヴィヴィアナが声をかけるとすぐにいつもの彼に戻ったが、自分とアレクシスが踊っている間に何かあったのだろうか。
(もしかして、しつこく逆ナンパされたとか……?)
リヒトに声をかけるチャンスを狙っていそうな女性はたくさんいたから、ありえるかもしれない。
アレクシスと踊っているときは失敗しないように必死で周りを見る余裕なんてなくて、ダンスの間にリヒトに何があったのかわからないのがもどかしい。
「……おにいちゃん、さっき私がアレクシスと踊ってるときに嫌なことあった?」
リヒトがダンスの相手なら、ヴィヴィアナはどこまでも自由にステップを踏める。どんなふうに動いても、彼が絶対にフォローしてくれると信頼しているからだ。
(おにいちゃんとのダンスのときならいくらでもお喋りできるから、聞いちゃえばいいんだ)
ヴィヴィアナが尋ねると、リヒトは少し驚いたように目を見張る。
「どうしてそう思ったの?」
「ちょっと怒ってるみたいだったから」
「はは、わかっちゃったのか。心配させてごめんね。あれはヴィヴィが大人の階段を上って行くのが見えて、寂しくなっちゃっただけだよ、怒ってたわけじゃない。……まだまだ可愛い俺の妹だと思ってたのに、もうすっかりレディだ」
「私はずっとおにいちゃんの妹よ? おにいちゃんを寂しくさせるくらいなら、私はずっと子供のままでいい」
「ふふ、嬉しいな。俺の可愛いお姫様。今夜の残りのダンスは、俺が全部予約しちゃっていいのかな?」
「うん! このあとは、ずっとおにいちゃんとだけ踊りたい。ワガママ、聞いてくれる?」
「もちろんお安い御用さ。俺の時間は全部ヴィヴィにあげるって約束する」
「うん。約束……!」
リヒトのリードに任せてヴィヴィアナは優雅にターンを決め、ダンスが終わる。
「薔薇姫、次は俺と踊ってくれませんか……!」
「リヒト様、是非わたくしと……!」
曲が途切れた途端、ヴィヴィアナとリヒトの元へダンスの申込みをしようと若い男女が押しかけた。
「今夜は妹のために来ているので、彼女とだけ踊ると決めているんです」
どんな美女に誘われてもリヒトはきっぱりと断るが、彼と話せるだけでも嬉しいのか乙女たちの列はなかなか終わらない。
(おにいちゃん、残りのダンスは私と踊るって約束を絶対に守ってくれるつもりなんだ)
嬉しい。先ほど感じた胸のモヤモヤが晴れていくのを感じる。
しかしヴィヴィアナの前にもダンスを申し込む男たちの列ができているため、その喜びを噛みしめる暇はなかなかなかった。
また一人、長身の男がヴィヴィアナの前へ進み出る。
「初めまして薔薇姫。私はヴォルペ侯爵家のガゼーラと申します。一曲お相手お願いできますか?」
ガゼーラと名乗った男は二十代後半くらいだろうか。黒髪と黒い瞳でリヒトと同じくらい背が高く、少し細めで切れ長の瞳がなんとなく狐を思い出させる顔立ちだった。
「ごめんなさい、今日はもう兄以外とは踊るつもりはないんです。初めての舞踏会で緊張してしまって」
「それは残念だ。では今度またお会いできたときは、貴女と踊れるよう神に祈っておきます」
ガゼーラは自分の胸に手を当てて慇懃無礼に礼をすると、大して未練がなさそうに背を向けて去っていく。
「ヴィヴィ、ガゼーラにまでダンスを申し込まれたの?」
「おにいちゃんの知ってる人?」
「簡単に説明すると、アレクシスの従弟の側近だよ。アレクシスの父……現王の妹にはヴィヴィたちよりも一歳下の息子、ハノイがいるんだ。だけど彼は身体が弱くてね。今夜もハノイは出席しないでガゼーラだけ来てるみたいだ」
「だから私はハノイさんに会ったことがなかったのね」
「あぁ。……ガゼーラのやつ、いつもなら俺やアレクシスには近づいてこないのに、ヴィヴィにダンスを申し込むなんて。アイツは警戒リスト行きだな」
「もうおにいちゃんったら」
リヒトにかかれば誰だって警戒対象になってしまいそうだ。
苦笑しつつも、ヴィヴィアナはリヒトが自分に過保護な態度をとることを嬉しく感じていた。
*
「おにいちゃん、まだ寝ないの?」
リヒトのベッドの中からヴィヴィアナが声をかけると、何故かリヒトは一瞬動きを止め、それから観念したように読みかけの本を閉じた。
「その本の続きが気になる?」
「いや……いいんだよ、大丈夫。寝ようか。ヴィヴィは入学式と舞踏会ではすっかりレディになったと思ったのに、まだまだ甘えん坊さんだなぁ」
「だって、おにいちゃんにぎゅってしてもらわないと、よく眠れないんだもの」
「……ヴィヴィが望む限り、俺は君の兄でいると誓うよ」
「じゃあ、おにいちゃんは永遠に私のおにいちゃんね。私、ずっとおにいちゃんの側にいたい。ずっと子供で、おにいちゃんの妹のままでいい」
「仰せのままに。俺の可愛いお姫様」
リヒトに額にキスをされて、ヴィヴィアナも彼の頬にキスを返す。
今日は無性にいつも以上にリヒトにくっつきたくて、ヴィヴィアナはぎゅっと抱きつくとリヒトの胸にグリグリと頭を押しつけた。
(おにいちゃんは『妹』をすごく大事に思ってる)
ヴィヴィアナはここ最近ずっと、フィンスター家の屋敷に毎日のように届くリヒト宛の釣書を見て、彼に求婚する資格のない義妹の立場はなんてつまらないのだろうと思っていた。
けれど今日、ダンスを申し込んでくるどんな美女よりもヴィヴィアナを優先するリヒトの姿に、胸のモヤモヤは吹き飛んだ。
今はまだリヒトの中で、彼の将来の伴侶になりうる女性たちよりも義妹のほうが重要だとわかったからだ。
(なら私、できるだけ長く『妹』としておにいちゃんの側にいたい……! 自分でもズルいって思うけど、おにいちゃんとずっと一緒にいるためなら私、妹の立場をフル活用してみせるんだから……っ)
リヒトが鉄壁のガードで守り続けたせいで、ヴィヴィアナは彼に対する独占欲を子供っぽいワガママゆえだと認識していた。
こうしてこの夜、男としての想いを自覚した兄とは逆に、色々と鈍感な妹はできるだけ長く家族として彼の側にいると決意した。
*
「それじゃあ授業初日、行ってきます……!」
「気をつけて行ってらっしゃい。あとでね」
リヒトに挨拶のキスをされてフィンスター家の馬車に乗り、しばらくしてからヴィヴィアナは首を傾げる。
(ん? あとでね……?)
今日はもう一日カリキュラムが入っているから、ヴィヴィアナが帰宅するのは夕方頃だ。言い間違いだろうか?
しかし登校してすぐ。
ヴィヴィアナはリヒトの言葉の真意を知ることになる。
「今日からエトワル学園の特別講師として着任しました。リヒト・フィンスターです。よろしくお願いします」
そう言って、初めて見る白衣姿の兄はヴィヴィアナを見つめて微笑んだ。
次回から不定期更新になります




