60話 信頼の水路③―本物の証―前編
60話 信頼の水路③―本物の証―前編
円形の足場の先に、五人のシリルが立っていた。
黒い髪。深い青の瞳。濃紺の隊服。腰に帯びた長剣も、革手袋も、外套の留め具さえ同じだった。
立ち方も、呼吸の間も、僅かに視線を動かす癖さえ同じで、見ただけでは違いを見つけられない。
エレノアは思わず息を呑んだ。
先ほどまで一人だったシリルが、いつの間にか五人になっている。
本物は、この中にいる。
それだけは分かっているのに、どの人物を見ても、確かにシリルにしか見えなかった。
「シリル……?」
オーウェンが五人を順に見比べる。
「いつ増えた?」
「分からないわ」
リアナは剣の柄へ手を添え、鋭く周囲を見回した。
「けど、足場へ着いた時には、一人だったはずよ」
クラウディアもエレノアの前へ半歩出る。
「全員、動かないでください」
ガレスは無言のまま、五人のシリルを見据えていた。
見た目だけでは判別できない。だからといって剣を向ければ、本物を傷つける可能性がある。何より、ここは『信頼』を試す場所だ。力で偽物を排除することが、正しい答えとは思えなかった。
その時、円形の足場を囲む水路が低い音を立てて渦を巻き始めた。
水底から青い光が立ち昇り、エレノアたちの足場と五人のシリルの間へ、五本の細い道を描き出していく。
それぞれの道は、一人ずつ異なるシリルへ続いていた。
道幅は足一つ分ほどしかない。両脇には底の見えない青い水が流れ、一度進み始めれば、途中で隣の道へ移ることは難しそうだった。
やがて、空中へ古代ヴァレシア文字が浮かび上がった。エレノアは目で追い、慎重に読み上げる。
「――『声を退けし者よ、姿の奥を見よ』」
五人のシリルは微動だにしない。
続く文字が、青白く輝く。
「『己が信ずる一人を選べ』」
「『偽りの道を進む者は、水底で眠る』」
空気が張り詰めた。
選択を誤れば、道ごと沈む。
先ほどのように、偽りの声を無視して進むだけではない。今度は、自ら本物を見つけ、選ばなければならないのだ。
そして最後の一文が浮かび上がる。
「『影へ問うことは許されぬ。答えを得ずして、証を示せ』」
読み終えた直後、文字は光の粒となって水路へ溶けていった。
「質問は禁止、か」
オーウェンが眉を寄せる。
「本人しか知らないことを聞いて見分けるのは駄目らしいな」
ガレスはエレノアへ視線を向けた。
「この仕掛けが現れた時、シリルはどこにいた?」
「私の、すぐそばに……」
そう答えながら、エレノアは先ほどのことを思い返す。
円形の足場へ着いた直後、横から伸びた腕に身体を引き寄せられた。そしてシリルはまずエレノアの無事を確かめ、それから水底で聞こえた偽りの声について僅かに言葉を交わした。
そこまでは覚えている。
けれど、次の仕掛けが動き出した瞬間、足場の中央から強い青光が立ち上がった。
ほんの一瞬、視界が白く染まり――。
光が収まった時には、すでに五人のシリルが立っていた。
「増える瞬間は、誰も見ていないということか」
ガレスが低く呟く。
「はい……」
エレノアは改めて五人へ目を向けた。
その瞬間、一人目が口を開く。
「エレノア嬢、こちらへ」
何度も聞いてきた、低く、落ち着いた声だった。声だけなら、本物としか思えない。
二人目は、何も言わなかった。
静かに立ち、エレノアを見つめている。呼び寄せることもない。
その青い瞳は、彼女が不用意に動かないかを見守っているようにも見えた。
エレノアの胸が僅かに揺れる。
「惑わされるな。」
三人目が口を開く。
「こっちだ。足場に気をつけろ」
それもまた、危険を警戒するシリルなら口にしそうな言葉だった。
四人目はエレノアへ呼び掛けなかった。
ただ周囲へ視線を巡らせ、水路と足場を確認している。やがてエレノアの方へ一度だけ目を向けると、短く告げた。
「そこを動くな。俺が行く」
そう言って、こちらへ続く道へ踏み出せないか確かめ始める。
あまりにもシリルらしい行動に、エレノアの迷いはさらに深くなった。
そして五人目も、何も言葉を発さなかった。
一度だけ唇が僅かに動いたように見えたが、声は聞こえない。
僅かに眉を寄せたあと、エレノアから視線を外し、水路、足元へと静かに目を移した。
「問うことは許されぬ、と書かれていたはずですが」
リアナが警戒した声で言う。
クラウディアは五人を見比べたまま答えた。
「こちらから問いかけることが禁じられているだけで、向こうが話すことまでは止められていないのでしょう」
ガレスも頷く。
「誘導するためかもしれんな」
その言葉を待っていたかのように、再び声が重なる。
「エレノア嬢、こちらだ」
「俺を信じろ」
「迷うな」
どの声も、本物と同じだった。
僅かな間の取り方も、感情を抑えた話し方も、ほとんど違わない。目を閉じて聞けば、違いなど見つけられないだろう。
「エレノア嬢」
ガレスが静かに呼ぶ。
「不用意に答えるな。よく見るんだ」
「はい」
エレノアは一人ずつ、改めて見つめた。
一人目は、こちらへ来るよう短く手で示している。
二人目は何も言わず、ただエレノアを見つめていた。急かすことも、自分が本物だと訴えることもない。その静けさは、よく知る彼に近い。
三人目は眉を寄せ、エレノアが不用意に動かないよう警戒するような眼差しを向けている。
四人目は、すでに足元と水路へ視線を走らせ、こちらへ渡る方法がないか探していた。自分から危険を確かめようとするその姿も、あまりにもシリルらしい。
五人目も黙ったままだった。時折エレノアへ目を向けるものの、それ以外は水路や足場へ視線を移している。けれど、その行動だけで本物だと決めつけるには、他の者たちもあまりによく似ていた。
誰もが、シリルに見える。
それでも、まったく同じではないはずだ。
声でも、姿でもない。もっと別のところに、本物だけが持つ何かがある。
エレノアはそれを見逃さないよう、五人をじっと見つめ続けた。




