水の巫女<ラピス視点>
私はお気に入りの黒葦毛の馬のファルツに跨り、森の道に入って行った。
まだ高い日の光が、木々の隙間から降り注ぐ。
今日は満月が昇るのでどこかに避難しておいた方が安全だろう、と学院を抜け出して来たのだ。
ファルツと森を散歩するのは楽しい。
ファルツもごきげんのようで、しっぽがリズミカルに揺れる。
森の中をしばらく進むと、澄んだ池とそのほとりに建てられた小屋を見つけた。
小屋の周りは雑草が生い茂り、窓には蜘蛛の巣が張っている。
私はファルツに池の水を飲ませた後、小屋の前のちょうど良い低木にファルスをつないだ。
小屋のドアをノックしてみるが、中から返事は無い。
そっとドアを開けてみると、鍵はかかっておらず、中にこじんまりとしたテーブルと椅子が見えた。
(今日はここに一泊させてもらおう)
小屋は人が居ない年月が長かったのか、ずっしりと埃が溜まっていた。
私は、以前レイスの屋敷で手に入れた次元の指輪に触れ、雑巾とバケツとほうきをイメージする。
すると、フッと目の前の床に事前に収納しておいた雑巾とバケツとほうきが出現した。
(アイテム収納って神!)
池から水を汲み部屋の中を掃除していると、あっという間に日が暮れてしまった。
森の影から満月が空に昇っていく。
そして、私の視線はゆっくりと低くなっていった。
(あぁ、体が変化してゆく・・)
見ると私の小さな手は、白騎士の服の袖に半ば埋もれてしまっている。
私は腰回りのきつくなってしまった服を脱ぎ、次元の指輪に収納しておいた女性僧侶の服に着替えた。
(水の神殿に持って行った指輪は今日は寄宿舎に置いてきた。
ということは、体が変わってしまう要因は満月ということか・・
満月の度に強制的に変化するとなると、若干厄介かもしれない・・)
私は可愛らしい木製のテーブルの上に、指輪に格納しておいた夕食のパンと、ボウルに入れたスープを取り出す。
スープがボウルからこぼれずしかも温かいままとは・・この指輪があればどこででも生きていけそうである。
今日は、指輪に簡易の布団も収納してきたし、ごく快適に過ごせそうだ。
ランプの揺れる火の下、私は持ってきた『レイスの手記』に目を通していた。
やはり、ラスボス戦に向けあの武器は入手したい・・などと考えを巡らせる。
先ほどまでフクロウの声が聞こえていた静かな森が、突然外に繋いだファルスの『ヒヒン!』という声で騒がしくなる。ファルスが足を踏み鳴らし、私に何か伝えようとしている。
(何かいる?)
私はそっとレイスの手記をテーブルに置き、足音を忍ばせドアに向かった。
『ギギギ・・』とドアが開かれ、黒い服を着た男が現れた。
私は身構えるが、うつむいた男はその場に立ち止まっている。
そして、男はそのまま泥人形の様にゆっくりと倒れてきた。
私は咄嗟に男を受け止めた。
私の肩に黒い髪の男の頭が力なく垂れ、男の体に着いた血がべったりと白い僧侶服に付いた。
私はそのままズルズルと男の足を引きずり、小屋の床にドサっとその体を下ろした。
床に横たえた男の顔を見て、私は立ちくらみのように血の気が引いていくのを感じた。
(カイル!?)
そこには、青白く冷たくなったカイルが体を小刻みに震わせていた。
「カイル! しっかり!」
呼びかけてもカイルの目は虚なまま、何も反応しない。
何が起こっているのか理解することができない。
頭の中に大きな鐘の音が響き続け、重たい海を泳ぐようだ。
私はうまく動かない手で、カイルの上着のボタンを外した。
腹部に一部内臓が見える程の裂傷があり、温かい血が染み出てくる。
(これほどの傷、私に治せるのか・・)
神にも縋る気持ちで、私はカイルの腹部に手をかざし回復魔法を唱える。
「キュア」
強い光が収まった後を確認すると、まだ腹部にはえぐれた肉が見えている。
もう一度先ほどより長く「キュア」をかける。
光が収まった後、カイルの傷に皮膚が再生しているのを見、私は肩の力を抜いた。
私の残り魔力はあと三分の一ほどだろうか・・
「ライフ!」
今度は、生命エネルギーを取り戻す魔法をかける。
キュアは傷を修復することはできても、体から抜け出てしまった生命エネルギーを回復することはできないのだ。
空中に温かな光の粒が無数に現れ、カイルの体にゆっくり吸い込まれていく。
私はライフの魔法を唱え続け、そして魔力が付き、カイルの胸の上へ倒れ込んでいった。
(カイル、どうか無事で・・)
私は祈りながら意識を失っていった。
◆◆◆◆◆
ふと目を覚ますと、私は柔らかいベッドの上にいた。
天井に吊るしたランプの火は細り、かろうじて室内が見える。
(カイル・・)
顔を横に向けると、カイルが壁にもたれて座って寝ているのが見えた。
カイルの肩が穏やかに上下している。
私はほっと息をつく。
おそらくカイルが私をベッドまで運んでくれたのだろう。
小屋の窓を見ると、夜の暗さが薄まり始めている。
まもなく体がラピスに戻ってしまう。
「スリープ」
私はカイルの方を向くと、そっと睡眠の魔法をかけた。
屈んで、眠っているカイルの顔を覗き込んでみる。
顔は血で汚れているが、穏やかな表情で寝息を立てている。
(よかった。)
私は、そっとカイルの前髪に指をくぐらせた。
私は血で汚れた僧侶の服を脱ぎ、男の体に戻っても大丈夫そうなローブに着替えた。
テーブルに置いていたレイスの手記を指輪に格納し、一枚の紙とペンを取り出す。
カイル宛に手紙をしたため、テーブルの中央に置いておく。
私は静かにドアを出ると、ファルツの手綱を持って小屋を後にした。