幕間劇 「白と青」 (前編)
幕間劇 「白と青」
その場所は『白い家』と呼ばれている。壁も、床も、天井もすべてが目も眩むような混じりけのない純白であることから名付けられたのだろう。『白い家』には窓がない。入り口となる扉もない。そして何より外側というものが存在しない。どこでもない空間に、望む限りの部屋を生み出すことができる、『白い家』の創造主はそのような力を持っていた。
今現在『白い家』には十一の部屋がある。変幻自在であるはずの『白い家』だが最も好まれている基本的な間取りだ。中央にある大きな円形の部屋は『会議室』と呼ばれている。その『会議室』をぐるりと円周状に廊下が取り囲んでいる。さらに廊下の外側を均等に十に分け、十の小部屋が大きなリング状に配置されているのである。
十ある小部屋はそれぞれ一人の人物に割り当てられているのだが、ここはその一つ。便宜上『北の部屋』と呼ばれる部屋である。『白い家』には方角が存在しないけれど自然とそう呼ばれるようになったのは。この部屋の主こそが『白い家』の創造主だったからだ。この部屋を『一号室』と呼ぶ者さえいたが、家の主は頑なに部屋に名前を付けることはしなかった。この家の主は円形の持つ美しい対称性を愛していたし、どの部屋もそれが特別なものであることを許さなかったのだ。
何もない天井は人の身長の何倍も高く、窓も照明具も存在しないが不思議なことに十分な光量で満たされていた。
そして驚くべきことに部屋にあるものすべてが重力に逆らい雲のごとく部屋を漂っていたのだった。そのほとんどは真っ白なクッションであり、一人の小柄な少女がうまい具合にそれらを寄せ集め埋もれるように横になっていた。
彼女は『判事』あるいは『議長』と呼ばれることもあったし,『絶対不可侵の白』という仰々しいふたつ名もまた彼女のものであった。頭には大きすぎる帽子、小さな体にはダブダブの法服を纏っている。全身は部屋と同様に眩しいまでの白色を基調に統一され、わずかに法服を飾る金糸の刺繍と宝石細工の美しさを際立たせていた。その姿は『判事』というよりも、某宗教の法皇の衣装を彷彿とさせた。
帽子の端からわずかに除くその顔はとても幼く小学生のように見えるが、まぎれもなく彼女こそがこの家の創造主なのだ。
『判事』は欠伸をしながら客人を迎えた。
「せっちん、君が会議の前に僕を訪問してくれるなんて感動の極みだよ。二人だけでお話しするのは何年振りだろうね。僕はいつだって君を歓迎するよ。」
『判事』は器用にクッションを組み直し、上体を起こしてそう言った。重力を無視して漂うクッションだったが彼女の重みは伝わっているように見える。
『せっちん』と呼ばれた客人は部屋の入口に立ち尽くしている。淡い青色の金属鎧に身を包んだ騎士のような出で立ち。ただ、その太ももだけがずいぶんと露わになっているのは短すぎるプリーツスカートのせいだろう。凛とした雰囲気と美しい黒髪を持つ若い女性である。
彼女のことを『せっちん』と呼ぶのは、『判事』くらいのもので、ここでは多くの者が呼ぶように『騎士王』と呼ぶことにしよう。
二人の出で立ちは全く奇妙で独特なものであった。コスプレと呼ぶとしてもずいぶんと手の込んだものである。そして,彼女たちはその姿に馴染んでいて違和感なくそれを着こなしている。
「みい。私は今回の会議で第二次ヒイラギ作戦を提案したい」
騎士王は畏まって告げたが『判事』は当然のことであるといった様子で表情を変えることもない。
「最初にいっておくよ。僕のモットーは公平中立だ。僕が常に中立の立場ってことは忘れてもらっちゃ困るよ」
「みい。私はお前の生き方を尊重する。もう長い付き合いだ。その点は信用してほしい」
「もちろん。僕だって、せっちんとは長い付き合いだから、そんなことは当然に判っているよ」
少しおどけるように答える。
「じゃあなぜ、せっちんは『会議』が始まる前に僕にそんな話をするんだい。すべてを終わらせるためには、第二次ヒイラギ作戦は不可欠だ。そんなことは『みんな』分かっていると思うよ」
今から2か月前。12月24日聖夜。魔法少女たちは史上最大の戦いに身を投じていた。作戦名は『ヒイラギ作戦』。その戦果は十分なものだった。富士で宿敵『最も古き龍』は消滅、その配下の災夢もすべて駆除された。日本最強の災夢『最も古き龍』。彼らとの戦いがこの10年間の魔法少女たちの戦いの大部分だった。情報分析班は、この国の災夢による脅威の8割以上が排除されたと報告した。もはや災夢に組織的活動を行う力はなく、わずかな独立系勢力が将来の脅威として監視されるだけだった。
騎士王のいう第二次ヒイラギ作戦が、災夢の残存勢力を一挙に掃討する作戦であることは明らかだった。
「今回の『賢人会議』。どうにも胸騒ぎがする。私は裏工作のような真似をするつもりは無いんだ……ただ……」
騎士王は言い淀んだ。
『賢人会議』とは魔法少女たちの最高意思決定機関であり、選りすぐられた十人の魔法少女による合議体である。『判事』も騎士王も、その始まりの日からの十年の間、『賢人会議』のメンバーで在り続けている。
「みい。私は、みいの立場を変えて欲しい訳じゃない。ただ、みいは物事を理路整然と考えるのが得意だろう。私はそうではない。だから私は、みいの力を借りたいと考えているんだ。それは、あくまで友人としてだ」
『判事』はうれしそうにうんうんと相槌を打つ。
「せっちんは、カワイイなぁ。萌えちゃうよ。いよいよ自分の頭が悪いことに気が付いて,切れ者である僕を頼ってきたわけだね。うんうん、そういうことはいつでも素直に言ってもらって構わないよ。僕は僕にできる範囲の助力は惜しまない。公正中立の立場でもせっちんに助力できることはいくらでもあるからね。せっちんと僕の仲だもん。」
この程度の軽口を騎士王は何とも思わないだろう。それどころか実は彼女はこうやっていじられることを好いているのだと『判事』は確信している。
「でも、せっちんは自分が思っているほど頭が悪いわけじゃないよ。頭がちょ~っと硬いだけなのにね」
笑いながらそう付け加えた。
「お前の忠告は常々心に留めているつもりだ。私は私の考えに固執すぎるきらいがある。それが失敗を生んできたこともな。その点は改善していくつもりだ」
今日の騎士王はずいぶんと自罰的である。彼女だけではない。魔法少女たちの誰しもがこの2か月というもの、そういう気持ちを抱えたままに生活しているのかもしれない。
「しかし、もう少しで『賢人会議』が始まる。時間がない。話をさせてもらうぞ」
「オーケイ。せっちんが真面目すぎて僕が馬鹿みたいだね。いや、今回は『深刻すぎて』かな。しかし、メンバーの中から真っ先に僕を選んでくれたのは嬉しかったな。僕の誠実さを評価してくれたのかな。だったら素晴らしい。自分でいうのもなんだけど、せっちんにとってベストな選択肢だったと思う。だって僕は、決してせっちんに嘘をつかないし、せっちんを利用しようとは考えない。もちろん、自分自身に都合の悪いことを馬鹿正直に話したりしないし、せっちん以外の他の誰かの『相談に乗る』ことも否定しないよ。でも。はっきりいって僕はずいぶんと素朴な方だよ」
『判事』は騎士王の顔色をうかがう。『判事』の精一杯の忠告は理解してもらえたようだ。これ以上言葉を重ねることは彼女を馬鹿にしすぎることになろう。
かつて、10人とは魔法少女のすべてだった。それが魔法少女の数が増えていくにつれ、それぞれの派閥の代表へと性格を変えていった。もはやオリジナルのメンバーの半数はこの世にいない。賢人会議、そのメンバーは仲間同士といえ、一種の」権力闘争のライバルであることは忘れてはならないのだ。
「さて、せっちんの今感じている『深刻さ』はズバリ正しい。だから今からせっちんの考えを整理していくことにしよう。これはあくまで、せっちんの心の中を整理するだけだから僕の公平性を全く損なわれない。そうだよね」
騎士王は安心したかのようにうなずいた。
完璧な成功といえる『ヒイラギ作戦』。しかし他方、魔法少女たちが払った代償も少なくはない。たった24時間の間に181人の仲間が死んだ。彼女たちはほとんどがまだ10代の少女たちだ。魔法少女という特殊な環境に身を置いている以上、これまでにも戦いの中で命を落とすものをいなかったわけではない。それでも年間十人前後という数だ。181の死は彼女たちの世界を一変させてしまうには十分だった。
魔法少女たちは決して兵士ではない。むしろ同い年の少女たちと比べずっと純真な少女たちである。
実に魔法少女の四分の一が命を落としたのだ。昨日、そこにいた友人が今日いない。
全ての魔法少女がそんな衝撃を同時期に経験しているのだ。彼女たちは大きく動揺した。そして、その動揺が収まることなく2か月が過ぎようとしていた。今回の『賢人会議』こそが、その動揺を終息させるものであると期待されているのだが……。




