聖夜の魔法少女(前編)
第2章 聖夜の魔法少女
栞は、夢の中で2カ月前の夜のことを思い出していた。
それは特別な夜だった。その日が聖夜であったからではない。栞とかりんとナツ、3人だけで魔法少女として活動する初めての夜だったのだ。
夜の巡回は魔法少女たちの日課だ。災夢と呼ばれる人類の敵を見つけだし、これを滅ぼす。それが魔法少女に課せられた使命だった。
人々の平和と安全を守るために魔法少女たちは夜眠ることがない。
栞たちの担当地区は希望ヶ丘市全域であり、いつもは4人一組で巡回は行われていた。今日はここにいないもう一人は、彼女たち6組6班の班長である恵さんである。
栞たち3人は魔法少女になってまだ半年余り、第10期生と呼ばれる新米だった。対して恵さんは第6期生。魔法少女になって4年目の中堅ということになる。このように一人の指導係と3、4人の新米の魔法少女がひとつの班を組み、 比較的安全な任務を繰り返しながら実戦経験を積ませるというシステムが取られている。
しかし、この夜だけは普段と少し事情が違った。経験の浅い9期生と10期生を除いて、すべての魔法少女が担当地区から姿を消していた。ある『作戦』のために街を離れていたのである。このようなことは前代未聞と説明されていたから『作戦』がいかに重要なものか否が応にも理解させられることになっていた。
わずかに残った上級生が即応班を組織し、臨機応変にサポートするとは伝えられてはいるものの、栞たちもすでにいくつか実戦を経験した魔法少女である。自分たちの任務は自分たちだけでやり遂げたいという想いは強い。
「いよいよこの日が来たね。今日は私たちだけだよ。気を引き締めていこう」
栞はいつも通りの紺色のセーラー服。愛用の木刀を持って三人の先頭にたって歩いている。
「一番心配なのは栞なんだよ。栞はプレッシャーに弱いから、急にお腹が痛いとか言い出して帰っちゃうかもしれないのだ」
金色に染めたベリーショートの髪が特徴の彼女は、蜂屋敷かりんという。真冬にブルマの体操服という奇抜な私服だが、栞たちはもう慣れてしまっている。
栞は彼女のこういう『自己主張』をできる部分を尊敬している。
かりんはタブレット型のパソコンを操作しながら栞について歩いている。
「えええぇ。おかしいよ。なんでそんなことを言うんだよぉ。ぜんっぜん気になっていなかったのに、そう言われると余計に緊張しちゃうじゃないか。違う違う。私は緊張なんてしていないよ。朝からイメージ・トレーニングでメンタル整えて来たんだからね。絶対に大丈夫です」
「でも、栞は遠足当日に熱を出すタイプなのだ」
「でもだよ」
かりんは口の悪いのが欠点。会話にも人間関係にもとにかく波風を立たせないと盛り上がりに欠けるというのが持論なのだ。
「かりんの悪い癖だよ。こういうときは一致団結が大事なのにさ。ナツもなんか言ってよ」
栞は後ろを歩くナツに助けを求めた。長身のナツは視線もどこか遠くを見つめていることが多く、二人の会話を聞いているのかいないのか時々わからないことがある。
「二人ともこれまで十分に実戦を積んできたのだから、今になって慌てる必要なんかありませんのよ。それよりも恥としなければいけないのは、私たちが決戦に参加できずに、ここにいるということですわ」
ナツは栞たちよりも2つ歳上の高校二年生だ。魔法少女としては同期でも栞よりも大人で、判断力や決断力に優れている頼りになるお姉さんというのが栞の評価である。
「ナツは背が高いんだから、それ以上の『背伸び』は周りの迷惑なのだ。『作戦』は、これまでにない死地になると聞くし、ボク達が行っても足手まといになるだけなのだ」
「何を志の低いことをおっしゃるのでしょう。この『作戦』が上手くいけば、すべての戦いが終わるかもしれないというのですよ。私たちの知らないところですべてが終わってしまうかもしれないのです」
「本当の本当に平和になるなら、それはいいことじゃないか。それに街の平和を守ることが一番大事なんだから私たちの仕事も大切だと思うよ」
「栞はいつも正論ばかりで詰まらないのだよねぇ」
「かりんは、少しくらいまともなお話をした方がよろしいのですけどね。躾けが疑われますわよ」
「うーん。それを言うならナツの敵と見たら飛び出して真っ先に切り結ばないと気がすまない所は躾のできてない犬と同じなのだよ」
「い……犬。わたくしが犬ですって。しかも躾ができていない犬だなんて。かりんもついには超えてはならない一線を越えてしまいましたね……」
「ナツの周りは超えてはいけない一線だらけだからね。1日1個づつ見つけて行こうと決めているのだよ」
「分かりました。決闘です。わたくしは決闘を申し込みますわ。私の名誉のために力づくで今の言葉すべて訂正させてもらいますわ」
今日もまた二人の言い合いが始まってしまったと栞はため息をつく。
ナツは挑発に弱く、すぐ熱くなるのが欠点。かりんとの付き合いも9か月になるというのにいつも全力で釣り針に食いついている。
「だったらボクも言論の自由にかけて、方といたしまして訂正要求には応じかねますので誠に申し訳ありませんがとっととお帰り下さいなのです」
かりんとナツは足を止めて睨み合う。
「もー。今日は大事な日なのだから喧嘩はやめてよ。私悲しくなる」
栞は思わずうつむいてしまう。
「今日の栞はずいぶん緊張しているのかな。」
「そうですわ。この程度いつものことでしょう。恵さんがいないから止めに入る人がいなくて困りますわね」
二人はすっと冷静になって,栞に駆け寄ってきた。
「不安だってわけじゃないけどさ。二人の口喧嘩だっていつも通りかもしれない。それでも恵さんがいれば,すごく安心して見ていられた。でも、もし私が二人を止めなくちゃならないことになったらどうしようって。恵さんがいないってどういうことなのか,考えるとなかなか頭がまとまらないんだ」
「うーん。恵さんの抜けた穴かぁ。でも正直いって悩むこと全然ないよ。だって恵さんはいつだって戦力としては0なのだ。」
「今までだって、ほとんど私たち3人だけで戦ってきたじゃありませんか」
一転してかりんとナツの息はぴったりだ。
たしかに恵は面倒見がいい先輩で、栞たちに魔法少女のイロハを教え込んでくれた恩人である。家事全般を得意とし事務処理能力にも優れていて、魔法少女という複雑な立場に立たされた栞たちを公私にわたって支えてくれている。わざわざ手書きの『魔法少女のしおり』を作って、三人に配ってくれるほど気が利く人物である。
しかし、彼女の持つ固有魔法は「おいしいお菓子を作れる」といったもので、およそ戦闘向きではない。もちろん実戦で生き残るための体術は心得ているものの生来の過保護すぎる性格が災いして、チームプレイでは足を引っ張りがちなのだ
だから、6組6班ではかりんが早々に作戦の指揮権を奪ってしまい、恵には後方支援という名の応援係を務めてもらっている。今夜の『作戦』においても恵に与えられるのは連絡要員としての任務だけだろう。
魔法少女の能力は、大きく分けて二つある。
一つが変身能力で、一つが固有魔法である。
個人個人の性格や趣味に合わせてデザインの違いがあるのだが、宝石の嵌められたいくつかの金属製のアクセサリーと太ももが露わになるミニスカートが特徴的な魔法少女特有のコスチューム。魔法少女たちは普段着からその姿に一瞬で変身できる。魔法少女たちはこのコスチュームによって普段の数十倍の身体能力と圧倒的な防御能力を得る。コスチュームにお気に入りのギミックを仕込む者もいるが、基本的にすべて魔力によって作られたものであり、魔法少女は実戦の中で魔力のコントロールに習熟していくことで力を増していく。この点については、すべての魔法少女に共通して大差がない。
これに対して固有魔法は千差万別であり、人それぞれに違う。魔法少女のコスチュームが身体能力の強化という分かりやすい効能を持つのと比べて固有魔法は、それぞれの個性の体現のようなものであり、魔法という言葉が本来持つ得体のしれなさ、人間の理解を超えた不可思議さを持っている。
恵の場合は、頭の中で思い描いた外見と触感、匂いや味を持つお菓子を両手から生み出すことができる(名を『菓子迷彩』という)。
当然、栞たちもそれぞれに固有魔法を持っているわけだが……
「平常心、平常心」
栞は「人」という字を3度掌に書き、それを飲み込む真似をした。ナツがそれはなんだと興味津々のようだったので栞は古いおまじないだよと答えた。
かりんは再びタブレットの画面に目を落とす。
画面には周囲の地図は映し出されている。
実はすでにかりんは固有魔法を使用している。
かりんの固有魔法は『珪素の帝国』。他人の固有魔法をソフトウェア化できるというかなり特殊な能力である。能力の行使に電子端末が必要であることや電子端末の処理能力に左右されるなどの弱点はあるものの複数の固有能力を行使できる掟破り的な能力である。
今回は、射程範囲内の災夢や魔法少女の位置情報を知ることのできる『天知る地知る』という能力をソフトウェア化し使用しているというわけだ。
もっとも、この『珪素の帝国』、能力の再現精度が安定しておらず、『菓子迷彩』をソフトウェア化したときは画面上にお菓子が表示されるだけという悲しい結果になった。
ソフトウェア版の『天知る地知る』の効果範囲はせいぜい数百メートル。地道に市内を歩き回るしかない。
三人は家族団欒の明かりが灯る街をただひたすらに歩き回っていた
「人人人……人人人……」
栞が呑み込んだ人の字はいよいよ3桁に迫りつつあった。
「OK。出た出た出た。やっと災夢を発見したのだ」
かりんが叫んだ。
「距離は300。リバーサイドのタワー型マンションだよ。顕現率はまだ2パーセントってところかな」
2014/12/31 加筆修正




