アウトサイダー・インサイダー
(ゴメン、栞ちゃん。君たちを放って帰ろうとしたことも、君の言葉を無視して戻ってきたことも全部、全部謝るよ)
時は少し遡る。
ただの一般人である樹にできることはないと告げられ、栞たちと別れた彼。
しかし、再び少女たちの戦場に戻ってきていた。
状況は何も変わらない。
樹にできることは、ほとんどない。
それが分かったからこそ樹は立ち去ったのだし、その現実を知ったうえで樹は戻ってきたのである。
どうがんばっても樹はヒーローなんかになれるはずがない。
何もできずに、ただ無力を思い知らされ応援することしかできない自分。
分かっていても、ただ一人の観客が決して無力な存在だとは思わなかった。
戻ってきたことが正しかったことは、ずっとざわついていた胸のあたりが嘘のように凪いでいることが証明してくれている。
ナツと合流し地下の駐車場で栞を見つけた時、彼女は血に染まっていた。樹の心臓は一瞬凍りついた。しかし、その血は敵の使い魔である一匹の黒猫のものだった。
手遅れではなかったことに、ほっと胸をなでおろす。
しかし、獣のものとはいえ一つの命がここで失われたことには違いがなかった。
ここは戦場なのだ。
彼は、小さな人類の友人の遺骸を背広で包むと軽く黙祷し、これを弔った。
樹は考える。
『彼女』にとって、あの魔法少女はどんな存在なのだろう。
主人なのか、友人なのか、あるいは。
この小さな体で、『彼女』は最後まであの少女と共に歩み、傍らで戦い続けてきたのだ。
樹が抱いたのは僅かな羨望の情だった。
栞がダメージから回復するための時間を稼ぐため、ナツは必死に敵に食らいついていた。
樹はただその姿を見守るだけである。
こうなることは分かっていたことだ。
一度は立ち去った樹だが、本当は。
本当は、彼は他人に役立たずと言われれば、なにくそと抗おうとする人間なのだ。
不幸なことに周囲の評価はあながち間違ってはいないことも多かった。だから、樹は周囲とぶつかり合い軋轢を生み続けて、社会において自分の居場所はこんなところなのだと知るころには30歳間近になっていた。そんな物わかりの悪い樹が栞たちの言葉に反論せず、魔法少女たちとの別れをあっさり受け入れたことは、自分自身でも不思議でならなかった。
魔法少女という非現実的な存在に目を曇らされたか。
歳の離れた少女たちに怖気づいたか。
それともとうとう己の無力という現実から目を背けることができなくなったのか。
貴宮樹は決して選ばれた人間ではない。
だから、選ばれた人間である彼女たちに、惨めな姿を見せることができなかったのか。
一度、栞たちと別れた樹は内省しながら夜明け前の道をとぼとぼと歩いていた。
樹は、それでも一人の少女を救えたと思っていた。それを誇っていた。
自ら死を選ぼうとした彼女は、立ち直り仲間と一緒に今戦っている。
自分も少し役に立てたなんて。
そんなことで満足していた。
だが、
黄昏時の屋上
深夜の廃工場
紅蓮のコンビニ
慌ただしかった一日を思い返すうちに自分自身がとんでもない大馬鹿者だと気づき、思わず体を震わせた。
栞は、かりんは、彼女たちはまだ子供なんだ。
たとえ、人類の敵と戦えるのが魔法少女だけだとしても。
親友を助けられるのが彼女たちだけだとしても。
そんな『事実』を受け入れられないはずの人間がいる。
樹は栞の家族になると誓ったはずだった。
それが、今では自分のことばかりを考えて落ち込んでいる始末だ。
家族であれば、居ても立っても居られないはずだ。
自分が役立たずだから、そっと身を引くなんて。
勝手に自分のトラウマを抉られて、悲劇の主人公にでもなっていたのか。
そして、樹は心の片隅でくすぶっていた感情に気付いた。
彼女たちと一緒にいたい。見守ってやりたい。できることなら一緒に戦ってやりたい。
それは納得するとか、できないとか。そんなもんじゃない。
二人は今日出会ったばかりだから、その感情はずっと小さなものなのかもしれない。
でも、その感情を俺は信じてやる
樹は、元来た道を駆け戻っていた。
もしかしたら、『彼女』もまたあの少女の家族だったのかもしれないと思い、樹はクロエと呼ばれた存在に自分を重ねていた。そのことが彼を一つの発想へと導いた。
◇
「栞ちゃん。 これだよ」
「え? オジサン。一体何をしてるの」
栞の表情からは絶えず見えた。
傷を治すために精神を集中させる。
そんな彼女に前に現れたのは、敵の使い魔が付けていたはずの首輪を装着し、満面の笑みを浮かべたオジサンの姿だった。
栞は瞬間的にその意図を理解したけれど、それはあまりに常識に外れたことで、それが一体どのような結果をもたらすか想像もできなった。
(まさか、オジサンが使い魔になるっていうつもりなの?)
栞は、敵に意図を悟られまいと表情でそう語る。
黙ってうなづく樹。
(どうだい。うまい方法だろう)
自身に溢れた樹の顔はそう語っていた。
(人間が使い魔になったなんて話聞いたこともないよ。私も詳しいわけじゃないけれど、人間のような高度な知能を持つ生き物が使い魔になった場合、脳にどれだけのダメージがあるかわからないの。たしかに、使い魔になれば魔法少女の力の一部を使えるようになるのだけれど、そうだとして、実戦経験もないオジサンがどれだけ役に立つかなんて分からないんだよ)
栞は必死に表情を作って状況を説明しようとするが、表情で伝わる情報には限界あるのでとうとう諦めた。いや、きっと樹はすべて分かっているのだろう。それが非常識で、とても危険な行為であることを。全部理解した上で、めいいっぱい幸せそうな顔でこの提案をしているのだ。
「オジサン、私たちを助けたい気持ちは分かるけど、だからって危険を省みないことは決して正しい方法じゃないよ」
栞は至極まっとうな意見としてそう語った。
けれど、次の瞬間、はたと気づいて動揺する。
自分がそんな台詞を言うことが酷く可笑しかった。
「オジサン。私がしようとしたことが間違いだってことは今よく分かったよ。だから、オジサンも無茶はしないで」
動揺する栞に樹は、優しく語りかける。
「大丈夫。全部うまく行くよ。君は魔法少女で、その力は夢の力なんだ」
樹はいつだって楽観的だ。
それは全く論理的でない。
それでも、栞はその言葉を信じてあげたかった。
そんな言葉を信じたからこそ、自分は魔法少女になったのだ。
しかし、戦いは常に選択の連続だ。
しばしばその決断の結果は深刻なものとなる。
リスクとリターン。
義務と責任。
確率と願望。
「今日俺たちが出会えたのは、偶然じゃない。すべては運命だったんだよ」
樹が決断を迫る。
(かりん、ほんの少しでいいから敵の目と耳を封じて)
栞は、親友がやっと苦痛から回復したのを確認すると、身振りでそう伝えた。
(りょうかーい)
戦友である二人の間に言葉はいらなかった。
かりんは、傷ついた体でナツの加勢に向かう。
それを確認すると、栞はさてと覚悟を決めて樹の方に向き直る。
運命なんてロマンチックなものに命を委ねるつもりは無い。
樹が持っているもっと深い何かと向かい合う必要がある。
「オジサン。どうしても『みんな』で戦いたいんでしょ」
「分かってもらえてうれしいよ」
「本当は私もそういうの嫌いじゃないんだよ」
悩んだときは、自分達らしい決断をしよう。
栞が樹から学んだことだった。
私たちは未熟な魔法少女の三人組だった。いつだって手さぐりでがんばっていた。
そこに今もう一人の仲間が加わった。
私は私らしい決断をしたつもりだった。
でもそれは過ちだった。
私がじゃない、私たちが納得できる方法ならば、もう迷う必要はない。
栞は、かりんがシルエットの動きを封じる様を確認すると、いよいよ儀式にとりかかった。
栞はそっと樹の首元に手を当てる。
その首輪は金属とも陶器とも言えない不思議な感触をしていた。
栞の指先がそれに触れると、自然と言葉が頭の中に溢れる
「
我は、汝の主人なり。
汝は、我が僕なり。
春のうららかな日を
夏の激しい日差しの下を
秋の冷たき霜凍る朝を
冬の悲しき月無き夜を
いざ共に歩まん
」
溢れた言葉をそのまま吐き出すと、栞は最後に首輪にそっと口づけをした。
(これで契約は完了)
◇
樹が目を開けた時、世界は変わっていた。
もう表情を読み取る必要はない。
樹の頭の中に自然と栞の声が響きわたる。
(おおお、これは凄く便利じゃん)
使い魔となった樹には直接、主である栞の言葉が届くようだ。
樹はこのテレパシー能力を自然に使いこなしている自分を、どこか不思議そうに客観的に見つめていた。体の変化を探るうちに、やがて樹は手に入れた魔法の力をまさしく肌で感じ取ることになった。
全身に力がみなぎる。周囲の音がずっと鮮明に聞こえてくる。
身長の倍以上はあろうかという天井にも一飛びで届きそうだった。
ただ立っているだけで今までの自分とは違う、爆発しそうなエネルギーの塊が今の自分なのだと。
(勘違いしないでね。使い魔の身体能力はそれほど強化されるわけではないから。間違っても敵と正面でやりあえるなんて考えちゃだめよ)
完全に調子に乗る樹に、栞が冷や水を浴びせる。
(いや、だって栞ちゃん。力がみなぎって今にもこぼれ出しそうなんだ。世界がゆっくり動いて見える。今の俺なら……)
ビシ
栞の放ったデコピンは身構える隙も与えずに樹の額に突き刺さった。
(はわわわ、ものすごく痛いんですけど……)
ちょっと調子に乗ってみただけなのに、栞に睨まれてしまった。
生まれ変わったつもりの樹だが、この高速のデコピン全く見えなかった。
身に染みて魔法少女との力の差を理解できたことになる。
栞が真剣な表情を崩さないので樹も真剣な表情に戻る。
(俺が悪かったよ。俺は俺の出来る範囲で弾除けにでもなんでもなってやる。だから、栞ちゃん。全力でアイツを倒してくれ)
樹の決意に、栞は首を横に振って答える。
(ううん。オジサンも、おそらく私の固有魔法を使えるはず。そして、そのことに敵は気付いていない。だから、作戦はオジサン中心行くよ。私たちは全力でオジサンをカヴァーすることにする)
栞がその大きな黒い瞳で樹を見つめている。
まさか、自分にそんな大役が回ってくるなんて。
それは樹にとって願ってもない展開だが、本当のところ少しの不安があった。
実のところ樹は、ここ一番という場面にめっぽう弱かったからである。




