手に手を取って(後編)
戦いの火蓋は静かに切って落とされた。
一度目の戦いとは、うって変わって攻守が交代した。決着を急ぐシルエットの猛攻を紙一重で捌き耐え忍ぶ栞は防戦に手いっぱいだった。ただ一つの光明はシルエットが素手であること。栞は腕先ほどある鋭い刃の短刀を両手に構えている。そのアドバンテージは、防御に回ってもいかんなく発揮されていた。シルエットはフェイントを交えては両の刃の防御をかいくぐり、急所に迫る鋭い一撃を仕掛けてくるが、栞もまた確実にこれを回避していた。
刃で守られた砦に籠る栞を相手に、素手による攻勢は確かに勢いを削がれつつあった。
魔法少女同士の戦いは現実の格闘戦とは全く異なるものである。魔法少女が変身することで身に着けるコスチュームは、少女の全身を防御のオーラで包み、様々な攻撃からその身体を守っている。それだけでは全くの受動的なものだが、魔法に熟練していくにつれ魔法少女はその防御のオーラの形を自由自在に操ることが覚えていく。
シルエットも、栞の攻撃がヒットする瞬間、攻撃の加わるその一点に防御のオーラを集中させることによって通常の何倍もの防御力を生み出し、無傷で攻撃を防いでいた。細い少女の首ならば一瞬で叩き落としてしまいそうな栞の巨大な双刀でさえ、シルエットの実力があれば素手で受け止めることも不可能ではない。
もちろん栞も接触のタイミングをずらすことで敵の防御の隙をつこうと必死である。魔法少女同士の戦いではオーラの変形の巧みさが経験の浅い魔法少女と、そうでない者との実力差となって表れるのだ。通常の格闘術による応酬と魔力操作の妙技。異なる二つの次元の戦いが、少女と少女の命のやりとりをより一層複雑なものに変えていた。
そして、そのような実力ではシルエットが栞を上回っている。その事実は変わらなかった。
そして、これもまた一度目の戦いとは正反対に先ず口を開いたのは栞の方だった。
「シルエットさん。貴方はなぜ私が防戦に徹しているのかを疑問に思っているんでしょう」
シルエットは答えない。しかし、敵対する少女が初めて自分から話しかけてきたことに興味をそそられているのは間違いないようだ。
「このまま戦いが続けば不利になるのは私の方。なのに、私が防戦に回る理由はただ一つ。時間稼ぎ。私が何かを待っているのか。そんなことが気になっているんでしょう」
栞は必死に笑顔を作った。一瞬でも気を抜くことのできない攻防の中。それでも、ここはありったけの見栄を張らないといけないと思ったからだ。こちらが仕掛け頼みなことはバレテしまっている。ならば、その仕掛けを信じきるまでのことだ。
「今の私ではシルエットさんには勝てない、そのことは良く分かっている。でも、私には切り札がある。だから、勝つのは私よ」
「そういうのを虚仮脅しっていうのよぉ。切り札があるなら、ささっと使えばいいじゃないさ」
心理戦は自分の専売特許というつもりはないが、なにも相手のペースに乗ってやる必要もない。面倒な駆け引きをするつもりはない。シルエットは、できれば敵の思惑を暴きたいとも思ったが、それよりも隙があれば出鼻をくじいてやりたいという思いでいっぱいだった。
シルエットが突いた正拳を栞が前腕部で受ける。
魔力の干渉は目には見えない。派手な効果音もなし。
しかし当の本人は内に流れる魔力の乱れを、まさに骨の髄でそれを感じ取っていた。
「だから、言っているでしょ。これは時間稼ぎよ。慌てなくても、もうすぐ分かるよ。それに切り札を温存しているのは貴方も同じでしょう」
栞の問いかけにシルエットは答えない。誤魔化すつもりは無かったが、もはや言葉が必要とも思えなかった。
(まー温存してるつもりは無いんだけどさぁ。このまま仕掛けを待たずにとどめを刺せればそれも良し。仕掛けてくるなら力付くで押し切るのみよ。むしろ、切り札を使わざるを得ないところまで追い詰められるつもりもない)
シルエットは、栞の拳を蹴りあげようと垂直に足を跳ね上げる。
相手は蹴りを受けるのでなく避けることを選択し、半歩後退するのを確認すると、わずかな姿勢の崩れをきっかけに懐に飛び込み激しい殴打戦へと移る。
左右の刃を捌きながら、栞の顔面のジャブを連打する。
絶え間ない死闘の中で最初に変化に気付いたのはシルエットだった。彼女は、その固有魔法を利用して口から発する超音波の反響音、それを聞き取ることで周囲の環境を緻密に把握していた。一種の反響定位である。
天井から地面に向かって滴り落ちる水滴。それを意識に捕らえた時には、既にいくつも冷たい刺激肌に突き刺さっていた。やがて天井から振り落ちる大量の雫がすっかり体を濡らしてしまう。
それは天井に張り巡らされた水道管、消火用のスプリンクラーから散布される水だった。
「オジサンがナツと一緒に駐車場の電灯を点けたとき、たまたま作動ボタンも見つけていたの。これって、シルエットさんが用意してたものよね」
(あの大人か……そういえばあの男の姿が見えない。あの男が操作室にいってスプリンクラーを作動させたのか。これが切り札だとでもいうのかしらね)
栞が指摘するように、このスプリンクラーは本来まだ機能していなかったモノをシルエットがわざわざ整備しておいたものだった。
(私が用意したものだと知っていながら、なぜスプリンクラーを起動させる? この雨粒の中では反響定位が機能しないとでも思ったのか。だったら、随分と甘く見られたものだ)
シルエットの反響定位能力は、たとえ嵐の中でも機能する。数多降る雨粒の一つ一つを感知することさえ彼女はやってのけるのだった。
(切り札と言いながら、私の手間を省いてくれるだけなら随分と間抜けな話だが)
シルエットが、スプリンクラーを用意したのは|栞の固有魔法静寂の中の殺意に備えてのことだ。その能力の正体はまだ完全には掴み切れてはいないが、単に姿を消す能力だとすれば、反響定位の前では無力のはずだ。それ以上の効果があるとしても、無数に散布される水滴の中では完全にその気配を隠すことはできないだろうという予測だ。もっとも、彼女自身その仮説には疑問をもっており確実性に欠けると考えて、用意はしたものの結局はそのまま放置していたのだった。
(むしろ、私が静寂の中の殺意を警戒していることが、ばれてしまった事が深刻だと考えるべきかしら。たしかに姿の見えない敵となれば偶然に偶然が重なるという恐ろしさがあるのよねぇ。相手が切り札を切ったのなら、こちらもとっとと切り札を切りますか)
決断すれば淡々と実行するのみである。シルエットは大きく息を吸い込むと、この地下駐車場のある一点に精神を集中し、いくつもの音波をそこで交錯させた。
重低音の爆発とともに再び世界が完全な闇に包まれる。
「お待ちかねの切り札よぉ。芸がなくってゴメンナサイね。貴方の言った通り、そろそろ幕を下ろす時間ようね」
切り札というほどのものではない。分電盤を破壊し電力供給を元から断ったのだ。
クロマを失ってしまった現状では、『楽団独り』の他能力と同時に反響定位を使うことができない。
それでも、音を支配する彼女が光のない世界で圧倒的な優位を得ることは間違いがない。
シルエットは間髪を入れずに技を繰り出す。
深く沈み込んでの下段回し蹴り。
しかし、栞はそれを避けようともしない。
本来いないはず空間からの手刀。これは左手の短剣の腹で受け止める。
シルエットは音だけの分身を作り出し、絶妙のタイミングで栞を追い込んでいく。
背中への膝蹴り
右拳を狙った肘鉄
脇腹への中段蹴り
顎への掌底
全ては音が作り出す虚像の世界。
栞はその中から本当の攻撃だけを選り分け巧みにこれを避けきった。
暗闇の世界で、人が頼りにするのは音である。
その当たり前の思考の先に、罠を張って待ち構えているのが目の前の敵である。
音さえも頼りにできない状況で、栞は最後の光明を見出していた。
「そうか。水滴か」
それはシルエットが静寂の中の殺意に対して用意していた対抗策と同じ発想である。
栞は、敵の動きによって生じる僅かな水滴の反射を肌で感じ、動きを読み取っていた。
二番煎じの策。しかし、反響定位によって、空間すべての水滴の位置を感知できるシルエットに対して、栞はせいぜいその肌に跳ねかかるわずかな水滴のみを感じているにすぎなかった。本来、敵の動きを察知できるような類のものではない。
「こんなものは策じゃない。偶然はいつまでも続かないのよ」
一瞬の驚きを振り払い、攻撃を加速させようとするシルエット。
目の前の空気を爆散させ、周囲の水滴を吹き飛ばそうとする。
しかし、実はそれこそが栞の読み通りであった。
敵にとどめを刺そうとする瞬間こそ、最大の隙が生まれる瞬間である。
人の脳は本質的に2つのことを同時に処理することができない。
シルエットがまさに攻撃に移ろうとした瞬間。
それは彼女の脳から防御への警戒が消え去る空白の時間を意味するのだった。
『静寂の中の殺意』
栞の選んだ最高のタイミングだった。
突如、完璧に把握していたはずの音の世界から敵の姿が消えたことに動揺するシルエット。
警戒していたはずの切り札を絶妙のタイミングで使われてしまったことにいら立ちを隠せない。
反響定位を再起動させ、いくら耳を澄ましても敵の姿を感じ取ることはできなかった。
(予想した通り、シャッテンノルムは、姿を消しているのではない。私たちが意識することができないだけなのね)
シルエットの用意していたもう一つの仮説。
人の意識の外、影の世界。
シャッテンノルムはそこに潜んでいるのだ。
シャッテンノルムは物理的にその姿を消しているわけではない。
効果時間は18秒。敵を攻撃するといった能動的なアクションを取ればその効力は消え去る。
その奇妙な性質から組み立てた仮説だった。
そして根拠はもう一つ。
影咲栞という少女の本質。
「陰に隠れていない振りかしら。その場しのぎの一時避難。本当に姑息な手段よね」
それだけ叫ぶとシルエットは静かにその場から離れた。
この期に及んで心理的な揺さぶりが効くとは思えない。
しかし、自分の予想には自信があった。
魔法少女の魔法の源は夢の力。
それは言ってしまえば、その人間の欲望と劣等感。
固有魔法は、その少女の本質と深くかかわっていることはほぼ間違いないと言われていた。
さて、そんな評論はこれまでとして。
相手の姿が見えないのはお互い様。未だ状況は五分でしかない。
静寂の中の殺意は、おそらく日に何度も使える技ではない。まさに最後の切り札のはずである。
ならば、このままで終わるはずがなく、彼女は必ず最後の仕掛けを用意しているに違いない。
ゲームにその先はない。敵が最後の仕掛けに失敗すれば、勝者となるのは自分である。
(お前には、私の姿が見えているのか。それともお前も闇の中にいるのか)
シルエットは、すべての力を『楽団独り』に集中させる。
彼女の頭の中に地下駐車場の姿が再構築される。
降り注ぐスプリンクラーの水飛沫。
コンクリートの壁に刻まれたわずかな皺。
仰向けになり天井を仰ぐスターリングシルバー。
うずくまり何かを祈るように体を丸めるデパートメント。
すべてが鮮明に描き出される。
ただ一人、彼女に挑んでいるあの愚かな少女の姿を除いて。
(本当に気持ちが悪い。そこにいるはずの人間が全く知覚できないなんて一体全体どういう仕組みになってるのかしら。魔法少女が言う言葉じゃないのかもしれないけれど)
それから刻まれた時は僅かに10秒ほどであった。
シルエットは与えられた時間をただ無為に過ごすしかなかった。
違和感をいくら探ったところで栞は完全に気配を消していた。
自分の企てがすべて無駄だと諦めかけていたころ、不意に件の少女の姿が現れた。
両目を閉じ、頭はうつむき加減。両足を少し開いてじっとその場を動かない。
構えは解かれ、武器を持った両腕は太ももに添えられていた。
二人の距離は10mもない。
(もう一度カウンター狙いのつもり? 同じ手が二度通じるとでも)
失望が8割、疑念が2割。
シルエットは『楽団独り』で偽りの像を作り、栞に向かってそれを走らせた。
僅かな呼吸、鼓動を早める心拍、水飛沫の跳ね返る音。すべて完璧な仕上がりだ。
僅かに半秒遅らせて自分自身も動き出す。自分自身の発する音はすべて中和して栞には届かないはずである。
(何を考えているかはわかないけれど、同じ手が二度通用するなんて思って欲しくはなかったわね)
幻覚の繰り出す手刀を栞は避けようともしない。
(ならば! 私のトドメの一撃を躱すことはできるかしら?)
二人の実力差はすでに明らかである。まして一方が構えを解いた状態であれば、目の耳も鼻もすべて十全に機能していたとしても、仕留め損なうなんてことはあり得ない。
十分な間合いに入った。シルエットは勝利を確信した。
そして、その確信は突如何もない空間から生えるように現れた二本の腕によって無惨にも打ち砕かれることになったのだった、。
(なっ!)




