手に手をとって(前編)
第7章 手に手をとって
「クロマ……」
シルエットは共に戦ってきた戦友の名を呟くと、その鎮魂を祈った。
彼女の愛猫は二つの鋭利な刃によって無残に切り裂かれその生涯を終えたのだった。
シルエットは勝利を確信してしまった愚かな自分を呪った。うぬぼれがあったことを認めなくてはならない。
シャッテンノルム。あの少女がすべての気力を失い、その場に倒れ落ちようとした瞬間、彼女はクロマに首を掻き切ることを命じた。自らの手でトドメを刺さなかったのは、その魔法少女の持つ大きな刃によるラッキーパンチを恐れてのことだった。直前に偶然から傷を負ってしまった彼女にとってその判断は当然で、結果としてもそれは正しかったのだろう。
しかし、目の前で沈みゆく少女は決して絶望などしていなかったのだ。渾身の一撃のための最後の一芝居。
視覚も失い、聴覚さえも攪乱されていることに気付いた少女は、その感覚の全てを遮断し、ただシルエットの軌道を予測してそこに渾身の一撃を放つことを決めたのだ。あえて急所である首を晒し、自分の首筋に攻撃が加えられるそのわずか一拍前、彼女は自分の背中に向けて両の刃を交叉させた。
彼女が、その耳で感じ取っていた世界が真実のものでないと気付いたのは、その数秒前のはずである。シルエットのトリックにより二人に分身した姿を聞き取った少女はひどい混乱したはずだ。にもかかわらず、瞬時の判断でそこから一転し、相討ち覚悟の作戦に出る度胸。勝負勘。やはり、シルエットの少女への評価は間違っていなかったのだろう。
もし、シルエットが自らの手でとどめの一撃を放っていたのなら、最低でも利き腕の一本は失われていたい違いない。しかし、彼女にとってはクロマは片腕以上の存在であったのだ。決して、自分の下した判断が幸運であったとは思えなかった。
ただ、それでもシルエットは冷静だった。ここは戦場である。懺悔の場所ではない。
クロマという頼れる相棒を失った状態でも、1体1の交戦ならば100%の勝算は揺るがない。デパートメントにしろ、スターリングシルバーにしても同じだ。方針は変わらない。急襲による各個撃破だ。弱気になる必要はない。敵は3人とも深刻なダメージを受けている。常に先手を取ればこのまま押し切ることも可能なはずだ。
それにしてもあの男は何者だ? なぜ、こんな場所に一般人がいる?
◇
「オジサン……。なんでここにいるの?」
栞は、自分を抱き上げている樹の顔を見た。別れてから1時間と経っていないのにひどく懐かしい気がする。
「俺には何もできない。それは痛いほどに分かっている。でも、君たちはまだ子供じゃないか。どんな理由があっても、どんな理屈がっても、子供たちが命を懸けて戦っているのを放っておいてはいけないんだ。それで、納得しちゃあいけないんだよ。だから、俺は戻ってきた。俺が見守っててやる。心配するな」
「オジサン。全然ロジカルじゃないよ、それは。自分で何を言ってるのか分かってる?」
栞は力なく笑った。全然理屈になっていない。でも、心強いと思ってしまったから、きっと自分の負けなのだろう。
「ナツを助けてくれたんだね。ありがとう」
「ああ、何度も彼女の電話に繋いでみたら、彼女自身が出たんでビックリしたよ。予想外だったが、結果オーライだ」
栞は痛む体を起こして、敵の姿を探す。その姿は直接は見えないが、10mほど離れた柱の陰で、ナツの交戦中の姿が見えた。
「オジサンは、かりんを連れて逃げて。私とナツで足止めをする。運が良ければ、私たちも後で追いつく」
ふらつきながらも立ち上がる栞を見て、樹は首を振った。
「ダメだ。君達は誰一人欠けても意味がない。それが分かったから君たちはここにいるんだ。四人で協力して、アイツを倒そう」
樹は二人の下に駆け寄ってきた少女に掌大の何かを投げ渡した。
「かりん。俺の携帯を渡そう。これでどうにかなるかな」
かりんの表情が開く花のようにぱっと輝く。
「オジサン冴えてるぅ。1分あれば大丈夫。何とかするよ」
かりんは慣れた手つきで取付かれた様にタッチパネルを操作し始める。
栞は諦めない親友の姿を見て決意を固めた。
「敵は多分、音使い。おそらく、かなりの精度で自由に音を生み出すことができるはず。ナツの声マネや災夢を呼び寄せたのもそれで説明がつくと思う。音に音をぶつけることで、空気の爆発を生み出したり、反響音を聞き取って周囲の状況を把握したりもできるみたい。ただ、複数の音を同時に操ることは難しいみたい」
栞が、命懸けで手に入れた敵の能力に関する情報。その声は決して大きいものではないが、ナツにも聞こえていることだろう。
「ナツには、俺から作戦を与えている。栞は、焦らず体力が回復するまで待機していればいい」
樹は、彼女たちが皆、満身創痍なことを知っていた。そして、敵が実力の上でこちらを上回っていることを。四人の力を合わせてといったものの、その方法を思いついてはいなかった。
(敵の能力も、こちらの戦力も把握できた。あとは考えるだけ……頼む、何か閃いてくれ)
◇
「さてさて、スターリングシルバー。早くもリベンジ・マッチってことかしらぁ」
ナツの間合いの外から牽制をするシルエット。その姿はニット帽をかぶった普通の少女に見えた。その姿から魔法少女という言葉など思い浮かぶはずがない。
「この前はボロきれを着ていたよく見えなかったのですが、貴方、影絵師という割には、随分とカジュアルな服装ですことね。だいいち、さっきまでここは真っ暗だったじゃありませんか。光なければ影もなし。影絵なんて成立しませんわね。それもこれも、ミスリードを誘う、姑息な手段というわけですかしら」
「怯えていた子猫ちゃんが、急に元気になったものねぇ。何もスクリーンは目に見えるモノとは限らないのですわぁ。私の影絵を映し出すのは人の心。人が気付かない心の影をお見せするのが私の役割だと思っているのですわぁ。さぁて、まだまだ私の公演は終わったわけではありませんのよ」
そういうと一気に間合いを詰めるシルエット。
スターリングシルバーは咄嗟に盾を構えるが、そんなことはお構いなしに盾の上から掌底を食らわせる。続けて姿勢を低くして、膝蹴り。フェイントを挟んでのち、さらに爪先への蹴り。
「シルバー!シルバー!貴方はいつだって、銀メダルですわ。決して黄金にはなれない。それが貴方……」
連続攻撃のさなかに声を張り上げるシルエット。いや、そうではない。彼女は声を操っているに過ぎない。ナツには敵が何を言おうとしているか、痛いほどに理解できた。結局、自分はあの姉のようにはなれない。あの女がいかに間違っていようとも、それを正すだけの力も持ちえない。この世界には超えることのできない壁がある。そのことをいつか認めなくてはならないのだ。
「南月。貴方は貴方の生きたいように生きなさい」
姉の声が聞こえた。いや、ナツの姉は……あの無慈悲な女王はそんなことは言わない。
言葉にする必要さえないと、あの女は理解している。
獅子には獅子の、猫には猫の生き方がある。それが正しいことだと分かっている。しかし、あの女は自分の姉であり、可愛い妹の姉でもあるのだ。あの女から離れ、忘れ、自由になることなど選択肢にもなるはずがない。
「南月。貴方は貴方が生きたいように生きなさい」
それがシルエットの小細工であることは理解できていた。しかし、それでもその声はナツの心を掻き毟った。スクリーンが自分の心の中にある限り、その芝居から目を背けることなどできないのだ。
途切れることの無い連続攻撃の前に、ついにナツは膝をついた。
シルエットは先の戦いから、スターリングシルバーの足に徹底して攻撃を繰り返し、ダメージを蓄積させてきた。銀色の騎士からは機動力さえ奪ってしまえば無力化できることが分かっていたからだ。
シルエットは膝への攻撃に集中し、決着を急ぐ。
しかし、一度は動きを止めたスターリングシルバーは再び、立ち上がり牽制の剣を振るう。
(ナツ。君は敵を倒すこともできないし、仲間を逃がすこともできない。敵は間違いなく格上。まず、そのことを認めるべきだ)
ナツは、貴宮という男の言葉を思い出していた。詳細は分からないが、随分と無理をして、今ここにいるようだ。すべての原因は自分にあると自分を責めるナツに対して、貴宮は、「失態を挽回することは簡単なことじゃないさ。今はそんなことは考えるべきじゃない」と言った。その通りだ。今、私にできることは少しでも栞の体力を回復させる時間を稼ぐこと。
そう思えば、ずっと気持ちが軽くなる。
ナツは、果敢に剣を振るい敵に迫ろうとする。
いかに堅牢に守ろうとも、敵はそれを打ち崩す術を心得ている。
ならばここは攻めに転じるべきであろう。
敵に反撃を許さない圧倒的な連続攻撃。
足が鉛のように重い。思い通りに踏み込みを行うこともできない。
しかし、今はそれでもいい。
致命傷は必要ない。
体力を奪い、気力を奪い、時間を奪う。
今はそれでいい。
後に続く者がいるということはそういうことなのだ。
もはや、彼女に耳にあの姉の声は届いていなかった。
◇
樹は、コンクリートの横に寝そべり、熱を失っていく一匹に猫に気付くと、そっとそれを抱きかかえた。
「この猫も栞と戦っていたのかい」
「そうね。可哀そうなことをした気もするけど、その子もきっと彼女の戦友だったのだろうから、そんな同情は余計なお世話なのかもしれない」
栞は自分が殺めてしまった小動物を何とも言えない表情で見つめている。
「この猫は、どこから来たんだい」
栞は一瞬、樹の質問の意味が分からなかった。はっとその意味を理解して答える。
「ああ。彼女のペットだったか野良猫だったかは、分からないけれど、あくまで普通の猫よ。その首輪を見て。おそらく使い魔の契約を結んだのね。その首輪はアーティファクトと呼ばれるものの一つで、私たち魔法少女の力とは独立していて、それ自体が魔力を持った道具なの。死んだ魔法少女がその姿を変えるという噂もあるのよ。使い魔の首輪は、動物との間で契約を結び、魔法少女と持つ魔力の一部を共有させることができるの。あの魔法少女は、音を使って色々なことができるのだけど、2つのモードを同時に使うことはできないと説明したよね。おそらく、その弱点を克服するために、この猫にも自分と同じ能力を使わせていたのだと思う」
樹は青白く輝く首輪をじっと見つめる。
栞は、背広を脱ぐと遺体をそっとくるんで脇に置く樹の姿に気付いた。




