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追放されたB級聖女ですが、辺境の大地がなぜか私にだけ歌いかけてきます  作者: 景都 (けいと)


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第01話 追放の夜

 宮廷大広間の空気が、氷のように張り詰めていた。


 百本を超える蝋燭の炎が揺れもしない。磨き上げられた大理石の床に、五大公爵家の紋章が金糸で刺繍された絨毯が敷かれている。天井画の星神が見下ろす中、宮廷官僚たちが左右にずらりと並んでいた。

 数百の瞳がミーリアを見つめている。

 その視線のどれひとつとして、温かいものはなかった。


「光属性B級の小娘が聖女を名乗るなど、ローゼンクロイツ家の恥ですわ」


 クラリッサ・エーデルシュタインの声が、天井の高い大広間に響き渡る。

 白金色の髪を優美に結い上げた十九歳の令嬢は、祭壇の前に立ち、哀れむような微笑みを浮かべていた。白い手袋に包まれた指先が扇を弄ぶ。その余裕が、ミーリアの胸を締めつける。


「七年もの間、帝国の資源を費やしながら聖光の儀をお通しになれなかった。これ以上の猶予は国家への背信と存じます」


 クラリッサの声には抑揚がなかった。事実を述べているだけ、という態度。だからこそ刃物のように鋭い。


「聖光の儀を以て、真の帝国聖女を決しましょう」


 神官長が杖を掲げると、祭壇の聖石が白く輝いた。

 クラリッサが一歩前に出る。核紋が光る。大広間を満たすほどの白い光が放たれ、居並ぶ貴族たちが息を呑んだ。


「S級……!」

「これが、本物の聖女の力か」


 光が圧倒的だった。壁に掛かった燭台の炎が揺れ、大理石の床が白く染まる。神官たちが跪き、貴族たちが目を伏せる。

 光が収まる。クラリッサが振り返り、ミーリアを見た。頬に汗の一滴もない。息も乱れていない。


「さあ、ミーリアさん。あなたの番ですわ」


 ミーリアは聖石の前に立った。

 足が震えている。手のひらが冷たい。大広間が急に広くなったような気がした。百の蝋燭の光が遠い。貴族たちの顔が、水面越しに見ているように揺れている。

 両手を翳す。胸の奥にある核紋に意識を向ける。いつもそうしてきたように。七年間、帝都で訓練を重ねてきたように。朝の祈り、昼の術式、夜の瞑想。繰り返してきた手順通りに。


 何も起きなかった。


 指先に光の欠片すら宿らない。核紋が沈黙している。まるで、最初からそこに何もなかったかのように。

 背中に汗が伝う。もう一度。もう一度だけ。両手に力を込める。爪が掌に食い込んだ。


 何も。


 三度目。四度目。呼吸が浅くなる。指先が白い。聖石の表面は冷たいままで、ミーリアの手の熱すら受け取ってくれない。


「やはり」


 クラリッサの声が降ってくる。同情の色はない。


「偽聖女の告発を正式に申し立てます。ミーリア・ローゼンクロイツは帝国聖女の資格を持ちません」


 貴族たちの囁きが波のように広がった。冷たい視線。嘲りの吐息。扇で口元を隠す令嬢たち。ミーリアの膝が震え、唇が白くなる。

 壇上の皇帝レオハルト三世が、感情のない声で宣告した。


「ローゼンクロイツ家の三女ミーリアに対し、宮廷追放を命ずる。帝都からの退去期限は三日とする」


 三日。その言葉がミーリアの頭の中で反響した。

 七年間の全てが、三日で消される。ミーリアは壇上を見上げた。皇帝の顔に表情はない。目が合うことすらなかった。隣に立つ神官長が哀れみの視線を向けたが、口は開かない。

 クラリッサが優雅に一礼して壇を降りていく。通り過ぎざまに、ミーリアに微笑んだ。完璧な聖女の微笑み。目だけが笑っていなかった。


「ご苦労さまでした、ミーリアさん。辺境で穏やかにお暮らしくださいませ」


 声は甘く、周囲の貴族たちに聞こえるように通った。慈悲深い聖女を演じきっている。ミーリアは何も言えなかった。唇が動かない。足が床に張りついている。

 誰かに肩を押され、大広間を出た。扉が閉まる音が、七年間の終わりを告げていた。


* * *


 東回廊は人気がなかった。

 月明かりが石柱の影を床に落としている。夜風が回廊を吹き抜け、壁に掛けられたタペストリーの裾を揺らした。


 ミーリアは太い柱の陰にしゃがみ込み、膝を抱えていた。

 涙が止まらない。声を殺して泣いた。スカートの裾が石の床で汚れていく。


「……なんで」


 呟きが唇からこぼれた。七年。七年間、この宮廷で聖女になるために生きてきた。薬草の勉強も、祈りの作法も、全部。朝は日が昇る前に起きて祈り、夜は聖典を暗記した。手がひび割れるまで浄化の術式を練習した。

 全部、無駄だったのだ。


 視界が歪んだ。涙ではない。別の映像が瞼の裏に浮かんでいる。

 蛍光灯の光。冷たくて白い光。灰色の机。積み上がった書類の山と、黒い画面の端末。体が重い。目が霞む。時計の針は日付を超えている。ああ、帰りたい。もう帰りたい。穏やかに暮らしたい。ただそれだけなのに。

 椅子から崩れ落ちる感覚。床の冷たさ。遠くなる蛍光灯の光。


 映像が消えた。

 なぜそんな光景が浮かぶのか、ミーリアにはわからなかった。自分の記憶ではないはずだ。でも胸の奥が締めつけられるように痛くて、涙がまた溢れた。あの光景の中の誰かも、同じように泣きたかったのだと、ミーリアにはわかった。


 足音が聞こえた。

 硬い靴底が石の床を叩く、規則正しい音。近づいてくる。

 ミーリアは咄嗟に顔を上げた。涙で濡れた頬を袖で拭う暇もない。


 月明かりの中に、銀色の髪が揺れていた。

 年の頃はミーリアと同じくらいか、少し下だろうか。背筋の伸びた令嬢が、回廊の真ん中に立っていた。月の光を受けて銀髪が白く輝いている。その横顔は凛として、しかしどこか張り詰めたものを纏っている。唇が一文字に引き結ばれ、細い眉の奥にある瞳は、月明かりを映してなお暗い。


 令嬢の足が止まった。

 ミーリアと目が合う。

 一瞬だけ、銀髪の令嬢の瞳が揺れた。


「——泣いていても、何も変わりませんわよ」


 一言だけ。

 声に棘はなかった。冷たいけれど、突き放すのとは違う。同じ痛みを知っている人の声だと、ミーリアは思った。厳しい言葉なのに、声の奥に棘がない。むしろ自分自身に言い聞かせているような響きがあった。


 銀髪の令嬢はそれ以上何も言わず、踵を返して回廊の闇に消えていった。

 その背中は真っ直ぐだった。一分の隙もない歩き方。けれどほんの少しだけ、肩が震えていた。右手が微かに握られている。


 ミーリアは涙を拭った。

 柱に手をついて立ち上がる。膝がまだ震えている。手のひらに柱の石の冷たさが残る。でも、立てた。


 あの方も泣きたいのを我慢していた。

 わたしにはわかる。声に滲んでいた。押し殺した感情が、あの一言の奥に詰まっていた。


 銀色の髪の、綺麗な方。名前も知らない。


 でも、ありがとう。


 ミーリアは回廊の窓から空を見上げた。帝都の夜空に星が瞬いている。冷たい風が涙の跡を乾かしていく。

 拳を胸の前で握る。指先にまだ力が入る。立てる。歩ける。


 わたし、立ち上がります。

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