第6話 隠匿発動
うぅ……酷い目に遭いました……。
いえ、訓練をお願いしたのはわたしなんですから、文句を言うのは筋違いなんですけど……。
それにしても、容赦なかったですね……。
直接的なダメージはありませんでしたが、生きた心地がしませんでした……。
ただ……途轍もなく有意義な時間だったのは、間違いありません。
これは、是が非でも継続してもらわなければ。
疲れ果てた体と心に鞭を打って、なんとか朝食を作り終えたわたしは、一色くんと一緒に食卓を囲みます。
メニューは焼き魚に味噌汁、ほうれん草のお浸し、卵焼き。
ちなみに、食材は寮の購買で売っていました。
お弁当なども取り扱っていますし、食堂も併設しているので、料理が出来なくても生活は出来そうです。
まぁ、わたしは家事全般が苦手じゃないので、今後も自炊しようと思っていますが。
それに――
「美味しい」
「……ッ! あ、有難うございます……」
こ、こうして褒められるのも、悪い気はしませんからね。
べ、別に一色くんが特別と言う訳では……ないですよ?
ほんの少し速くなった鼓動を誤魔化すように、食事に集中しました。
それ以降は特に会話もなく、互いに登校の準備を始めます。
8時に寮を出れば充分間に合いますが、初日ですし、早めに向かおうかと。
チラリと一色くんを見たところ、彼も用意は終わったようでした。
そ、それなら……一応、誘ってみましょう。
あ、でも……わたしと一緒にいるところを見られたら、一色くんに余計な火の粉が掛かる可能性を、否定出来ません……。
全く寂しくないと言えば嘘になりますけど、迷惑を掛けるのは嫌なので、大人しく1人で登校しようと決めました。
「一色くん、わたしは先に行きますね。 戸締りをお願いします」
敢えて微笑を浮かべて告げました。
わたしは演技が上手とは言えませんが、今回は自然に笑えたと思います。
ところが、そんなわたしの努力は水泡に帰しました。
「気を遣い過ぎるな。 そんなことでは、息が詰まるぞ?」
なんとも呆れた目を向けて来る、一色くん。
どうやら、バレバレのようですね……。
ですが、わたしの思いは変わりません。
「そうは言いますけど、実際厄介事に巻き込まれるかもしれませんよ? いえ、確実に何かはあると思います。 それでも良いんですか?」
「構わない」
「そうですよね。 嫌に決まって……へ?」
「構わないと言った。 仮に嫌がらせの類があったところで、俺にとっては痛くも痒くもない」
「だ、だからと言って、無駄な苦労を背負う必要は……」
「そんなもの、苦労のうちに入らないだろう。 俺もお前も、正式な試験に合格して入学したんだ。 堂々としていれば良い。 それでも突っ掛かって来るような奴は、ただの愚か者だ」
「あ、天羽さんに怒られますよ……?」
「知ったことじゃない。 とにかく、お前はお前の思うように行動しろ。 周りの目など、気にするな」
「……はい、有難うございます」
一色くんの言葉を聞いたわたしは、見えない重りを下ろした気分です。
あまり自覚していませんでしたが、考えていたより深刻になっていたのかもしれませんね……。
彼の態度はつっけんどんで、口調も刺々しいですけど……そこには確かな思いやりがありました。
まだ浅い付き合いですが、それくらいのことはわかります。
今度こそ心の底から微笑んだわたしは、改めて誘いの言葉を連ねました。
「でしたら、一緒に登校しませんか?」
「あぁ。 俺も、出ようと思っていた」
「そうですか。 では、行きましょう」
たったこれだけのやり取り。
それを口にするのに、随分と遠回りしてしまいましたね。
しかし、必要なことだったんだと思います。
今回のことは、わたしにとって心機一転する機会になりましたから。
一色くんと揃って部屋を出たわたしは、鍵をしっかり閉めてから校舎に向かいます。
まだ早い時間なので、さほど生徒たちの姿はありませんが、全くないと言う訳でもありません。
そう言った人たちから、様々な視線を向けられましたけど、自分でも驚くほど心穏やかでいられました。
これも、一色くんのお陰ですね。
隣を歩く彼をこっそりと見ると、普段通り泰然自若としていました。
本当に、同年代とは思えない落ち着きです……。
そう言えば、一色くんは何歳なのでしょうか?
外見で言えばほぼ同じだと思うんですが、雰囲気などを考えると年上にも感じます。
その他にも、彼に関しては知らないことばかりですね……。
食事を作る身としては、味の好みなども知りたいですし……。
どうしたものか悩んだわたしですが、結局尋ねることは出来ませんでした。
質問攻めにするのも、何だか恥ずかしいので……。
そうしてわたしが、何とも言い難い思いを抱いていると――
「おい」
「は、はい……!?」
「……何を焦っている?」
「あ、焦ってなどいません……! わたしはいつでもどこでも、平常心ですから……!」
「到底信じられんが……まぁ良い。 天羽に関しては、どれくらい知っているんだ?」
「え……? 天羽さんに関して、ですか……?」
「そうだ。 仮にも決闘する相手なんだから、情報は持っている方が良いだろう。 出来れば、言魂が何かも知りたいところだな」
「なるほどです……。 ただ、わたしは彼女が『肆言姫』と言うことくらいしか知りません。 詳細を伏せているのか、言魂が何かもわからないんです……」
「あいつは隠匿発動を習得しているからな。 知らなくても無理はない」
「いんとく……あの、すみません、もう1度言ってもらえますか?」
「隠匿発動だ。 簡単に言えば、言魂を発動する際に文字を隠すことが出来る。 それによって、相手に自分の力を悟られ難くすることが可能だ。 言魂士の中でも、極めて少数しか使い手はいない」
「そのような技法があったなんて……。 そうなると、天羽さんの言魂が何かを知る術はありませんね……」
これは不味いです……。
現時点で言魂を知らないのは致し方ないとして、発動するときに見れば、攻撃手段をある程度予測出来ると考えていたのですが……。
相手は四文字と言う最強の言魂な上に、正体もわからず戦うことになるなんて……。
ますます勝率が下がったと思ったわたしは、沈痛な面持ちで俯いていましたが、一色くんは平然と言ってのけました。
「そうとは言い切れない」
「え……?」
「誰にでも出来ることじゃないが、お前なら天羽の言魂を見破れる可能性はある」
「ほ、本当ですか……?」
驚きに目を見開くわたしに、一色くんは無言で頷きました。
そして、その手段を伝授してくれたのですが……単純ながら難易度は高そうです。
とは言え、他に方法がない以上、試してみるしかありません。
覚悟を決めたわたしは胸に手を当てて、強く宣言しました。
「わかりました、やってみます」
「そうか」
一色くんの返事は淡泊でしたが、彼はそう言う人です。
だからと言って冷たいのではなく、むしろ……し、親切な人だと言えなくもありません。
天羽さんに勝てたら、何かお礼した方が良いかもしれませんね。
それっきり口を閉ざし、わたしたちは校舎への道を歩み続けました。
彼がどう思っているのかは知りませんけど、わたしはこの沈黙が嫌いじゃないです。
心を落ち着けて、天羽さんとの決闘に思いを馳せ……あら……?
今更ですけど、一色くんはどうして隠匿発動だなんて技法を、知っていたんでしょう?
わたしもいろいろと勉強して来ましたが、少なくとも一般的な知識ではありません。
本当に、謎の多い人ですね……。
疑問には思いますけど、今は決闘に集中しましょう。
あ、でも、その前に座学の授業があるんでした。
実技も大事ですけど、座学を疎かにする訳には行きません。
まずはしっかりと授業を受けて、決闘のことはそれからです。
一人前の言魂士を目指すなら、その程度の切り替えは出来なければなりませんから。