第5話 肆言姫、現る
翌日、わたしが目を覚ましたのは、早朝5時頃。
えぇと……ここは、どこでしたっけ……?
あ、そうでした、学院の寮ですね。
昨日はいろいろありましたけど……思い出したら恥ずかしくなって来ました……。
で、ですが、いつまでも引き摺られる訳には行きません。
微かに頬を赤らめつつ、布団の上で身を起こしました。
ちなみに、この時間に起きたのは昔からの習慣で、訓練をする為です。
母上が亡くなってもそれは変わらず、1人で出来ることをして来ました。
言魂学院に入ったからと言って、それを変えるつもりはありませんでしたが……完全に失念していましたね。
わたしが部屋を出るには、共有空間を通らなければならないことを。
つまり、ふすまの向こうで寝ているであろう、一色くんを起こさないようにしなければならないのです。
い、いえ、それ以前に勝手に寝顔を見るなんて……失礼なのでは?
わたしが反対の立場なら、恥ずかしくて悶絶しそうです……。
彼なら気にしないかもしれませんけど、どちらにせよ無断でと言うのは気が引けました。
ですが、訓練を怠るのは嫌ですね……。
こ、こっそり確認して、寝顔を見ずに通り過ぎることが出来そうなら、行ってしまいましょう、そうしましょう。
方針を固めたわたしは、ふすまをほんの少しだけ開けて覗く……ではなく、様子を窺ってみました。
ところが――
「あら……?」
そこに、一色くんの姿はありません。
さして広くもないので、見落とすなどと言うこともないです。
きちんと布団は畳まれて、邪魔にならないように壁際に寄せていますし、もう起きていると考えるのが自然ですよね。
それにしても……どこに行ったんでしょう?
疑問には思いますが、詮索するのは良くありません。
彼にも事情はあるでしょうし、今は訓練を優先しなければ。
頭を切り替えたわたしは、手早くいつもの振袖に着替え……るのではなかったですね。
直前で手を止めて、別の衣装を手に取りました。
支給された、言魂学院の正装である黒い武道袴。
寸法のことが少し心配でしたが、この正装は特殊な作りをしていて、着る人によってサイズが自動的に調整されるようです。
更に、汚れても自動で清めてくれるので、毎日着ても問題ありません。
【縫合】や【清潔】などの、言魂士の力が大きく関わっているらしく、改めて言魂の有用性を実感しました。
実際に着てみるとちょうど良く、とても馴染んでいる感じがします。
見た目も嫌いじゃないですし、これは優れ物ですね。
戦闘服としての性能も高いと聞いているので、作ってくれた人に感謝しました。
何はともあれ、準備を終えたわたしは『葬命』を手に、訓練場を目指します。
まだ太陽が昇り始めたばかりで薄暗いですが、どうと言うこともありません。
危なげない足取りで歩を進め、やがて目的地に到着しました。
しかし、わたしはそこで、思わぬ事態に直面したのです。
「ふッ……!」
無人の訓練場で、一心不乱に刀を振るい続ける一色くん。
いったいいつから続けているのか、滝のような汗を流しています。
その顔は真剣そのもので、色濃い疲労が見て取れました。
試験のときとは比べ物にならないくらい激しく、鋭く、速く……美しいです。
やはり、手を抜いていたんじゃないですか……。
そのことに何も思わないと言えば嘘になりますが、それ以上に感心してしまいます。
これほどの強さを誇りながら、慢心することなく高みを目指している姿勢に、敬意すら覚えました。
ですが、そのような悠長なことを言っている暇はありません。
わたしの目標は、本気の彼に勝つこと。
ここで差を付けられる訳には、行かないんです……!
決意を新たにしたわたしは、敢えて足音を立てながら訓練場に入りました。
一色くんの近くまで来て、腰溜めに『葬命』を構えます。
純然たる戦意を視線に乗せ、彼を真っ直ぐに見つめました。
当然、一色くんはこちらに気付いて振り向き……ません……!?
完全に無視されたわたしは、しばし唖然としてしまいましたが、慌てて言い募ります。
「お、おはようございます。 よ、良ければ、一緒に訓練――」
「しない」
「え……!? ど、どうしてですか……?」
「お前と戦っても、俺の訓練にはならないからだ」
「……ッ! ……つまり、わたしでは役者不足だと?」
「そう言うことだ。 異論はあるか?」
「……いいえ」
動きを止めず、こちらを見ることすらせず、一色くんは淡々と言い放ちます。
それを受けたわたしは、見えない刃で胸を貫かれたように錯覚しました。
悔しいです……。
それと同じくらい……悲しいです……。
悔しいのはともかく、どうして悲しいのかはわかりません。
涙がこぼれそうになりましたが、意地でも堪えてみせます。
すると、いつの間にか立ち止まっていた一色くんが、わたしをジッと見ていました。
袖にしておいて、何でしょう……?
訝しく思ったわたしが黙っていると、彼は何かを言いかけてはやめる仕草を繰り返したかと思えば、小さく息を吐いてから口を開き――
「まさか、わたしよりも早くに訓練している者がいるとはな。 見ない顔だが、新入生か?」
鈴を転がすような美しい声が、遮りました。
振り返った先に立っていたのは、1人の美しい女性。
髪はポニーテールに纏めていて、意志の強そうな空色の瞳が印象的です。
正装を着ているので、学院の生徒なのは間違いありません。
身長はわたしよりも、かなり高いですね。
歳も少し上な気がします。
それと……む、胸もわたしより大きいです……。
い、いえ、別に気にしていませんけど。
……強がりではないですよ?
そ、そのようなことより、目を引くのは彼女の右手に握られた武器です。
柄は赤く、石突き部分に緑の宝石が埋め込まれた、見るからに特別な槍。
試験の際に数多くの生徒を見ましたが……その誰もが霞むほど、彼女からは圧倒的な強さを感じました。
思わず固まってしまいましたけど、なんとか立ち直って返事をします。
「あ……は、はい。 昨日試験を受けて、今日からお世話になります」
「昨日……? 試験は一昨日ではなかったか?」
「そ、そうなんですけど……わたしたちは、特別に昨日受けさせてもらいました」
「特別に、か……。 あまり好ましいことではないが、実施されてしまったものは仕方ない。 名前は? わたしは、天羽四季だ」
「も、申し遅れました。 わたしは、無明夜宵です。 よろしくお願いします」
威風堂々とした天羽さんに対して、わたしは丁寧に頭を下げながら挨拶しました。
歳が変わらないとしても、相手は先輩ですからね。
一色くんにも挨拶して欲しかったですけど……彼は無言で佇んでいます。
怒られても知りませんよ……?
他人事のように考えていたわたしですが、次の瞬間にはそのような余裕は吹き飛びました。
「無明だと……? まさか、『無字姫』か?」
「え、えぇと……そうです……」
「馬鹿な。 言魂を持たない者を入学させるなど、学院は何を考えているんだ。 わたしが任務で不在でなければ、断固として阻止したのだが……」
忌々しそうに、こちらを睨む天羽さん。
やはり、そう言う反応をする人はいますよね……。
ましてや彼女は、試験の様子を見ていないらしいですし。
と言いますか、天羽って確かヒノモトで最大の家系では……?
もしそうなら、彼女は途轍もなく重要人物と言うことになります。
「あ、あの、天羽さんって……もしかして、『肆言姫』の……?」
「ふん、今更気付いたのか。 言魂を持たないだけではなく、頭の回転も遅いのだな」
「うぅ……すみません……」
わかり易く敵対的になりました……。
まぁ、今のはわたしが悪いかもしれませんけど。
あ、『肆言姫』と言うのは、たった4人しかいない、戦闘用の四文字使いを表した呼称です。
全ての言魂士の憧れで、ヒノモトの最高戦力。
わたしの『無字姫』とは、正反対の意味と言っても過言じゃないですね……。
などと呑気に考えていましたが、そのような場合ではありませんでした。
「とにかく、『無字姫』の入学など認められん。 学院長に進言して、撤回してもらう」
「え……!? そ、それは困ります……!」
「こちらのセリフだ。 言魂を持たない言魂士など、お荷物でしかない。 魔族たちとの戦いを前に、役立たずにいてもらっては困る」
「……ッ!」
言いたいことを言って、天羽さんは訓練場を去るべく背を向けました。
一見するとただ厳しいだけですが、彼女がそれほどの矜持を持って戦っている、裏返しのようにも思えます。
だからこそ、わたしは止めることが出来ず、唇を噛み締めて俯いていましたが――
「『肆言姫』と言っても、その程度か」
「……何だと?」
「言魂がないだけで弱者だと決め付ける……何とも浅はかだな。 物事の本質が、まるで見えていない」
「ちょ……!? い、一色くん……!?」
呆れ果てたように肩を落として、やれやれとばかりに溜息をつく一色くん。
そんな全力で、挑発しなくて良いでしょう……!?
あまりにも不遜な態度にわたしが焦っていると、天羽さんは悠然と振り向いて言い返しました。
こめかみはピクピクしていますけど……。
「ふざけたことを言う奴だ。 言魂士にとって言魂は、矛であり盾。 それを持たない者など、戦力外でしかないだろう?」
「その認識が間違っていると言っている。 言魂は確かに重要だが、どう扱うかは本人次第だ。 言魂を持たなくても、強い者は強い。 そして、どれだけの言魂を持とうが、弱い者は弱い。 たとえそれが、四文字だろうとな」
「貴様……わたしを愚弄するのか?」
「そう聞こえたと言うことは、心当たりでもあるのか? 何にせよ、相手の力量も知らずに決め付けるのは、視野が狭い証拠だ」
「……良いだろう。 そこまで言うのなら、試してやる。 ……『無字姫』」
「へ……!? は、はい……!」
「貴様に、決闘を申し込む」
「え……!? け、決闘……!?」
「時間は、今日の実技の時間だ。 そのときに、決着を付けるぞ」
「そ、そんな急に言われましても……」
「だから猶予を与えている。 本当なら、今すぐ始めたいくらいだ。 実技の時間まで先延ばしにしてやったことを、感謝するが良い」
「で、ですが、授業時間にそのような勝手が許されるんですか……?」
「心配しなくても、実技の授業は基本的に自由だ。 1人で訓練しようが、他人と訓練しようが、強くなれるのなら構わない。 だから、思う存分に戦える」
「そ、そうなんですね……」
全く嬉しくない情報を聞いて、わたしはガックリと項垂れました。
次いで一色くんを非難するように見ましたが、彼はどこ吹く風。
もう……なんてことをしてくれたんですか……。
どうして物申した一色くんではなく、わたしが狙われる羽目になったのでしょう……。
いえ、理由は言魂を持っていないからなんですが、納得出来るかと言えば出来ません。
だんだんと、腹が立って来ましたね……。
沸々としたものを抱いたわたしは、気付けば取り返しの付かないことをのたまっていました。
「……わかりました。 その決闘、お受けします」
「ほう……。 なんとかして逃げるかと思っていたが、意外と肝が据わっている。 言っておくが、無様な戦いをするようなら、その場で追い出すぞ?」
「はい。 必ずや、天羽さんに認めてもらいます」
「ふん……口だけは一丁前だな。 では、楽しみにしている」
今度こそ天羽さんは、訓練場をあとにします。
その背中をわたしは見送りましたが、完全に姿が見えなくなると同時に、盛大に嘆息しました。
やってしまいましたね……。
思わず流れに乗りましたが、早まったかもしれません……。
後悔しても、あとには退けないんですけど……。
頭痛がして来た気分のわたしが、手を額に当てていると、事の発端となった人が悪びれることなく声を発しました。
「面白いことになったな」
「どこがですか……」
「俺を恨みたいなら恨んでも良いが、現実は何も変わらない」
「そう仕向けた張本人が、言うことじゃないと思います……」
「そんなにも戦うのが嫌か?」
「いえ、こうなったからにはやりますけど……。 わたしは無字ですし、相手は四文字ですし……。 勝てる自信はないです……」
これは、正直な気持ちでした。
誰にも負けない強さを手に入れようとしているわたしですが、今はまだ途上。
現時点で四文字使いを相手にするのは、客観的に見ても時期尚早です。
マイナス思考に陥ったわたしは、またしても嘆息してしまいましたが――
「必ずしも、勝つ必要はない」
「え……?」
「天羽は、負けたら出て行けとは言わなかった。 つまり、お前が力を示すことが出来れば、残れる可能性はある」
「あ……そう言えば、そうですね……」
「とは言え、相手は『肆言姫』だ。 下手をすれば瞬殺されるぞ。 お前に出来るのは、全力を尽くして天羽に認めさせることだ」
「……そうですね。 頑張ります」
一色くんの言葉を聞いて、多少なりとも闘志を取り戻しました。
なんだか、彼の手のひらで踊らされているようですが……今は気にしないでおきます。
そうしてわたしがやる気になっていると、一色くんがおとがいに手を当てて、何やら考え込んでいる素振りを見せました。
どうしたんでしょう?
不思議に思って小首を傾げたわたしですが、やがて答えを出したのか、一色くんがこちらを向いて告げました。
「やるぞ」
「はい……? 何をですか?」
「訓練だ」
「……わたしでは、役者不足ではなかったんですか?」
「俺の訓練は終わった。 だから、お前の訓練に付き合ってやる」
「どう言う風の吹き回しですか……?」
「文句があるなら、やめても良いんだぞ?」
「……いえ、お願いします」
「言っておくが、今日限りだ。 ただし……」
そこで言葉を切った一色くんが、刀を構えました。
相変わらず毛ほども隙はなく、濃密な殺気を醸し出しています。
反射的に気圧されそうになりましたけど、必死に恐怖を振り払って相対しました。
すると彼は、そんなわたしを真っ直ぐに見据え、投げ掛けて来たのは意外な言葉。
「天羽に勝てたら、明日以降も一緒に訓練してやる」
「……ッ! わかりました、必ず勝ちます」
「無駄に力むな。 心は熱く、頭は冷静でいろ」
「は、はい、すみません……」
「謝るくらいなら、即刻改善するんだな。 時間がない、行くぞ」
「よ、よろしくお願いします……!」
そうして、わたしたちは刃を交わし始めました。
一色くんが何を考えているのか、いまいちわかりません。
それでも、わたしに協力してくれているのは、紛れもない事実。
経緯を考えると素直に感謝するのはあれですけど……有難うございます。
精一杯頑張って、なんとか天羽さんに勝とうと誓いました。
ここまで有難うございます。
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