表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/32

第4話 ふすま1枚の距離

 わたしは物心が付く頃には、母上と山奥で暮らしていました。

 それまでどこにいたのか、聞いたことはありません。

 ただ、成長して勉学に励むようになり、外の情報も取り入れるようになってから、おおよその見当は付きました。

 無明家の屋敷があった土地が、売りに出されたと知ったからです。

 恐らく母上は、そこで育ったのだろうと思いました。

 昔はさぞかし裕福な暮らしをしていたでしょうに、わたしとの生活に不満を漏らしたことはありません。

 それが母上の優しさだと考えたわたしは、ある日とうとう尋ねてしまいました。

 今の生活が苦しくないのか……と。

 すると母上は驚いたように目を丸くして、次いで苦笑を浮かべながら言ったのです。


「夜宵と一緒にいられるのよ? これ以上の幸せを望んだら、罰が当たるわ」


 今度は、わたしが驚く番でした。

 あらんばかりに目を見開いて、止めどなく涙を流したのを覚えています。

 そんなわたしをあやしながら、母上は言葉を付け加えました。


「貴女の幸せが、わたしの願いよ。 だから、強くなりなさい。 わたしがいなくなっても、自分を守れるくらい強く」


 当時のわたしは、母上がいなくなるだなんて想像したくないと、駄々をこねたと思います。

 ですが、それと同時に、もっと強くなろうと誓いました。

 それまでも真面目に訓練に取り組んでいましたが、より一層励むようになったと記憶しています。

 相手はいつも母上で、結局最後まで勝てませんでしたね……。

 それでも終盤は、拮抗した戦いが出来るようになっていて、これなら滅多なことでは負けない自信を持てました。

 しかし……その自信は、驕りだったのかもしれません。

 今日の試験を経て、痛感しています。

 とは言え、お陰で良い目標が出来ました。

 本気の彼に勝つ。

 それが出来れば、わたしは今度こそ誰にも負けません。

 確証はありませんが、確信はあります。

 その為にも、まずは明日に備えて……あれ?

 わたし、何をしていたんでしたっけ?

 試験を受けて……学院長室で手続きをして……寮の部屋に――


「男女同室なんて、あり得ません……!」


 ガバっと身を起こしました。

 多少呼吸が乱れましたが、今は構っていられません。

 迅速に周囲を確認すると、6畳ほどの部屋でした。

 最低限の調度品は揃っていて、暗めに設定された電灯が照らしています

 布団の上に寝かされていたようで、隅に荷物が置かれていました。

 どうやら、気を失ってしまったようですね……。

 情けないにもほどがありますが、ひとまず今は置いておきましょう。

 なんとかして、男女同室と言う状況を打破しなければなりません。

 だって……ま、万が一、間違いがあったら、どうするんですか……!

 いえ、一色くんが嫌いとか、そう言うことじゃないのですけど……。

 だ、だからと言って、このようなことが許されて良いはずがありません……!

 意を決したわたしは、学院長に直談判することに決めました。

 そのとき――


「まったく……男女同室だなんて、何を考えているんだ? 目の前で倒れられたときは、流石に焦ったぞ」


 一色くんの声が聞こえて、心臓が跳ねる思いです。

 いったい、誰と話しているんでしょう……?

 音を立てないように移動したわたしは、悪いと思いながら聞き耳を立てました。


「お前は面白いのかもしれないが、こちらの身にもなってくれ。 ……確かに、その通りだ。 近くにいた方が、都合は良い。 だが、だからと言って同室はないだろう。 隣の部屋は無理なのか? 俺はともかく、あいつは納得しないと思うぞ。 ……もう埋まっているのか。 確かに、飛び入りで試験を受けたのだから、部屋を確保出来ないのも無理はない。 だったら、俺が部屋を出る。 適当な場所を提供してくれ。 雨風を凌げるなら、どこでも良い」


 一色くんの声しか聞こえて来ないのは不思議ですが、大事なのはそこではありません。

 近くにいた方が都合が良いと言う意味の謎も、取り敢えず棚上げします。

 問題は、飛び入りで試験を受けさせてもらって、入学を認められたにもかかわらず、部屋割りに文句を言ったと言う恥知らずな自分。

 そして、そんなわたしのわがままの為に、彼に無理を強いようとしていること。

 到底、見過ごすことは出来ません。

 立ち上がったわたしは、勢い良くふすまを開いて言い放ちました。


「それは駄目です……! どうしてもと言うなら、出て行くのはわたしです……!」


 涙がこぼれないように我慢しつつ、必死に訴え掛けます。

 ふすまに背を向けて座っていた一色くんが、驚きながら振り向いていました。

 ところが、彼以外には誰もいません。

 どう言うことでしょう……?

 状況を飲み込めないわたしは困惑しましたが、いつの間にか立ち直っていた一色くんが、真っ直ぐな声音で言葉を紡ぎました。


「聞いていたのか?」

「え、えぇと……たぶん、途中からですけど……」

「そうか……。 念の為に断っておくが、変な薬はやっていないし、多重人格者でもない」

「そ、そのようなことは疑っていませんが……誰と話していたんですか?」

「独り言だ」


 プイっと顔を背ける一色くん。

 いえ、その態度で信じるのは難しいんですけど……。

 しかし、彼からは絶対的な拒絶が感じられ、追及したところで無駄だと思います。

 気になりますが、致し方ないですね……。

 大人しく諦めたわたしは、丸テーブルを挟んで一色くんの正面に腰を下ろし、本題に取り掛かりました。


「部屋を出て行こうとしていたようですけど、そんなの駄目ですよ。 先ほども言いましたが、出て行くならわたしの方です」

「それはそれで、おかしな話だろう。 俺なら問題ないから、気にしなくて良い」

「嫌です。 気にします。 わたしのわがままに付き合わせるなんて、許されません」

「俺が良いと言っているんだ。 意固地になるな」

「一色くんが良くても、わたしが良くありません。 どうしても出て行くと言うなら、わたしも出て行きます」

「そんなことをして、何の意味があるんだ。 部屋が無駄になるだけだろう」

「だからと言って、許容は出来ないんです」

「頑固だな」

「そちらこそ」


 真っ向から視線を絡ませて、火花を散らします。

 どちらかと言うと押しに弱いわたしも、今回ばかりは譲れません。

 無言の圧力にも負けず、むしろ飲み込むつもりで見つめました。

 端正な顔が魅力的なのは……関係ないです、決して。

 わたしの頬が、赤くなっているように見えたとしても、気のせいです。

 そうして、雑念を振り払いながら退かずにいると、ようやく事態が進展しました。

 盛大に息を吐き出した一色くんが目を逸らし、不本意そうに声を漏らします。


「条件がある」

「何ですか?」

「ふすまの向こうは、お前が1人で使え。 俺はこちら側だけで生活する」

「で、ですが、それでは不公平では……」

「男女が一緒に暮らす以上、多少の不公平が出るのは当然だろう。 どちらにせよ、俺が譲歩出来るのはここまでだ。 この条件を飲めないなら、お前がどうしようが俺は出て行く」

「……わかりました、その条件を受け入れます。 その代わり、わたしからも条件を出させて下さい」

「……言ってみろ」

「炊事と掃除は、わたしが担当します。 洗濯は自分でして下さい」

「なるほど……。 部屋を広く使う分、労力を支払うと言うことか?」

「そうなります」

「まったく、律儀と言うか何と言うか……。 わかった、お前がそれで納得するなら、それで構わない」

「有難うございます。 では、今後ともよろしくお願いします」

「あぁ」


 可愛げの欠片もない返事でしたが、一色くんはわたしの主張を受け入れてくれました。

 一時はどうなるかと思いましたけど、なんとか妥協点には持って行けたかと思います。

 ホッと安心したわたしは立ち上がり、ふすまの奥に戻りました。

 荷物の整理をする為ですが、その前に部屋着である浴衣に着替えます。

 ふすまを隔てたところに異性がいると思うと、ドキドキしますね……。

 一色くんなら覗いたりしないと思いますが、彼も年頃の男の子ですし……。

 ま、まぁ、わたしの着替えなんて、見たくもないかもしれませんけど……。

 と、とにかく急ぎましょう。

 僅かに震える手を強引に動かして、着慣れているはずの浴衣を、いつもより時間を掛けて纏いました。

 なんとか落ち着けましたけど、明日以降もこれが続くんですよね……。

 今更ながら、男女同室の弊害を思い知りましたが、挫けません……!

 深呼吸したわたしは気を取り直して、荷物の整理を終わらせました。

 ふぅ、夕飯には少し早いですし、お茶でも淹れて休憩しましょう。

 ついでに、一色くんの分も淹れてあげましょうか。

 べ、別に深い意味はないですよ?

 あくまでも、ついでです。

 誰にともなく、内心で呟いたわたしは茶葉を手に、共有空間に足を踏み入れ――フリーズしました。

 目に映っているのは、上半身裸の一色くん。

 甚平に着替えている途中らしく、こちらに背中を向けています。

 細身なのですが、鍛え抜かれた肉体を誇っており、非常に引き締まって見えました。

 1種の芸術品にすら思えて、見惚れてしま……ってはいけません……!


「し、失礼しました……!」


 ともすれば、過去最速かもしれない動きでふすまを閉じ、その場にへたり込みました。

 な、何をしているんですか、わたしは……!

 これでは、こちらが覗いてしまったようなものじゃないですか……!

 どうして彼が着替えている可能性を、考えなかったんでしょう……!

 後悔が溢れ出て来て、涙となって瞳に溜まってしまいます。

 考えが纏まらず、またしても気を失いそうになりましたが、その前に声が聞こえました。


「開けても良いか?」


 変わらず平坦な、一色くんの声。

 や、やはり怒っているんでしょうか……。

 恐れのあまり体が震えますが、黙り込む訳にも行きません。


「ど、どうぞ……」


 わたしの返事を聞いて、ふすまがゆっくりと開かれました。

 座り込んでいるわたしを、一色くんは無言で見下ろしています。

 い、言うまでもなく、甚平に着替え終わっていました。

 何を言われるのかと、わたしは戦々恐々としていましたが――


「茶葉を持っているのか?」

「……へ?」

「それは、茶葉じゃないのか?」

「あ……そ、そうです……」

「良ければ、俺にも淹れて欲しい。 代金なら払う」

「い、いえ……! お金は必要ありません……!」

「そうか? なら、お言葉に甘えよう。 ただし、食事に関しては別だ。 食費は必ず出す」

「わ、わかりました……」

「では、頼んだ」


 それだけ言い残して、一色くんは踵を返しました。

 わたしは呆然としていましたが、ハッと我に返って動き出します。

 あれだけの失敗をしておいて、お咎めなしだなんて……。

 正直、不気味に思ってしまいました……。

 で、ですが、とにかく今はお茶を淹れるのが優先です。

 台所に向かったわたしは、やかんでお湯を沸かし始めました。

 それを待っている間、一色くんがどうしているか気になってこっそり視線を向けると、彼は壁を背にして座っています。

 目を閉じていますが……寝ている訳ではないですよね?

 思わずまじまじと見つめてしまい、そのことを自覚して咄嗟に顔を背けました。

 ひ、人の顔をジッと見るだなんて、失礼です……。

 反省したわたしが、意識的にやかんを凝視していると、抑揚のない声が耳朶を打ちました。


「共同生活は始まったばかりだ、最初はミスもあるだろう。 気に病む必要はない」

「……ッ! はい、すみません……」

「謝るな、俺にも非はある。 お互い、気を付けよう」

「……有難うございます」

「礼もいらない」


 話は終わりだとばかりに、黙り込む一色くん。

 もしかして……実は、優しい人なんでしょうか?

 今日1日を振り返ってみれば、態度は別として、とても良くしてもらった気がします。

 何を考えているのかは、良くわかりませんけど……。

 ですが……妙に心が穏やかになりました。

 部屋には沈黙が落ちていますけど、居心地は悪くないです。

 その後、わたしたちは一緒にお茶を飲んで、夕食をともにしました。

 やはり会話は少なかったものの、自然体で過ごすことが出来たと思います。

 意外だったのは、わたしが作った夕食に対して――


「美味しい」


 と、一言ではありますが、はっきりと褒めてくれたこと。

 思わぬ言葉にびっくりして、何も言えませんでしたね……。

 次があれば、きちんと返事したいと思います。

 今回限りの可能性もありますが……。

 こうしてこの日は終わりを迎え、明日に向けて早めに就寝することになりました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ