やるべきこと
「グレイハルト様、私と婚約していただけません?」
意味が分からず、グレイハルトはポカンとする。
もうすぐ学園が始まる。
グレイハルトは、最後の休暇をのんびり過ごしていたのだが、突如やってきたエリーゼがそんなことを言い出し……今に至る。
グレイハルトは、平坦な声で言った。
「はい?」
「ですから、婚約です。知りませんの? 私、リツハルト様と婚約破棄しましたの」
「へぇ、婚約破棄───ッて!? え、え!? あ、兄上と!?」
「……知りませんでしたの? 本当に、あなた公爵家の一員ですか」
「いや、卒業したら家を出るし……って、そんなことより!! 婚約破棄!? あと婚約!? 僕と? え、どういうことです!?」
「落ち着いて」
「あ、はい」
グレイハルトは深呼吸。お茶を飲んで呼吸を整えた。
そして、冷静に……一つずつ聞く。
「まず、婚約破棄とは?」
「リツハルトは、ヘルマン侯爵家の令嬢と結婚します。私は愛されてなかったようですね」
「え……」
あんなに仲良しに見えたのに。
男女というのはわからない。グレイハルトはそう思う。
詳しく聞くと、どうやらリツハルトはプリメラに何度も会っていたらしい。共同事業で何度か顔を合わせて話をしているうちに、意気投合……そして、恋愛に発展したそうだ。
だが、リツハルトはエリーゼのために、円満な婚約破棄を望んでいたそうだ。なので、表向きはエリーゼと仲良くし、裏では婚約破棄に向けて動いてたとか。
「エリが情報を集めたので、間違いありません」
「いつの間に……というか、兄上、本気で」
グレイハルトは、兄であるリツハルトがこんなバカなことをするとは思っていなかった。
頭脳明晰、運動神経抜群、次期公爵の兄が、まさかこんな。
グレイハルトは、頭を切り替えた。
「で、僕と婚約というのは?」
「私は、婚約破棄されました。あなたには理解できないかもしれませんが、婚約破棄された令嬢の将来は悲惨よ? 都合よく、隣国の王子とか、嫌われ者の王太子とか、誰からも相手にされない貴族令息なんて現れないの。私はこのまま、一生独身でしょうね」
「でも、いくら婚約破棄されたといっても、アイレイウス公爵家の令嬢が……」
「アイレイウス公爵家は、次期公爵に従弟のデミオンを据えるつもりです。私は、正真正銘の厄介者になりますわね」
「……それで、僕に?」
「はい。あなたと一緒に、城下町の隅でもいいので、古本屋でもできれば、毎日楽しいかな、って」
「…………」
不思議だった。
不思議と、嫌な提案ではない。
エリーゼは嫌いじゃない。むしろ、話していて楽しい。
妻を娶るなんて、考えもしなかった。
同い年、趣味が合う。これだけで悪くない。
でも、結婚だ。
まだ十七歳のグレイハルトに、他人の人生を背負うのは難しい。
「…………あの」
「はい?」
「僕はまだ学生です。卒業は三年後、三年したら公爵家を出て平民になります」
「知っています。あの、その……ですね」
「?」
「えっと……わ、私も働かないといけないと思いまして。あ、もちろん家事はやります! でもでも、その……」
要領を得ない。
エリーゼは首から顔まで真っ赤になっている。
なんだか可愛らしい。グレイハルトは微笑ましい気持ちになった。
そして、エリーゼはグレイハルトに、紙束を差し出す。
「こ、これ!!」
「……え、なんですこれ?」
「しょ、小説です。その……わ、私が書きました」
「え」
「ま、まだまだ拙いのはわかっています!! でも、もっと勉強して、あなたが苦手な恋愛小説を、私が書きます!! 私も、小説家の道を目指して頑張りますので!! よ、読んでくださらない!?」
「は、はい」
エリーゼの働き口は、まさかの小説家だった。
原稿を受け取り、ペラペラめくってみる。
序盤を読んでみた。
「これは、えーと」
「く、口に出さないでくださいませ!! 本とは静かに読むものでしょう!?」
「あ、はい」
恋愛小説だ。
騎士に憧れる平民の少女が、貴族で騎士の青年に恋する物語。
「…………おお、これは」
「ど、どうでしょう?」
「……すごい。僕には書けない。女性ならではの視線で書かれる、少女の恋物語」
「うぅ……口に出されると恥ずかしいです」
「これ、いいですね! あの、じっくり読んでいいですか?」
「も、もちろんです! それと、修正点なども書き込んでもらえれば」
「わかりました。僕の考えでいいんですか?」
「はい。あなたはプロの作家ですので」
「わかりました!」
「よろしくお願いします───って、話が逸れましたわね。それで、婚約の返事はいかがでしょうか」
「あ……えっと、その」
迷う。
なんとなく、気配を殺して壁に立つテスラとエリを見る。
テスラは一瞬だけ頷いたような気がした。
「……わかりました。では、婚約者ということで」
「ありがとうございます! ふふ、うれしい」
「………っ」
エリーゼが見せた笑顔は、キラキラ輝いて見えた。