【0】蛇足
彼が現れなかった世界。
彼が神に屈した世界。
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「私のせいだ……私の……」
ローズの脳裏に、目に、心に、先ほど目にした少年の凄惨な姿が焼きついていた。
虚ろな瞳。焼け爛れた皮膚。それでもなお、かろうじて原型を留めた身体。
生きたまま苦痛を与えるため、あえて簡単には殺さずにいたのだろう。
――私が関わったばかりに。
そう思わずにはいられなかった。
けれど、時を戻す術はない。
シロイという少年の死は、覆しようのない事実だった。
両親を亡くし、親族に疎まれ、そしてあまりにも惨たらしい最期を迎えた少年。
その悲劇を招いたのは、ほかでもない自分なのだと。
「……もう、いい」
長きにわたって苛まれ続けたローズの心は、ついに限界を迎えた。
光を失った瞳で虚空を見つめ、彼女はソレに語りかける。
「見ているのだろう? ……決めたよ、私は」
ソレは見ている。
常にローズを見つめ、彼女が希望を捨て、諦めるその瞬間を待ち続けていた。
「人間は、もうダメだね」
ローズは、静かに目を伏せた。
「……貴様が正しかった」
諦めと絶望の入り混じった顔。
それでも妙な清々しさを感じさせる、そんな表情だった。
『オワラセルノハ、オマエダ』
感情のない、無機質な声が響く。
――否。その声の奥底では、邪悪な意思が歓喜に震えていた。
ようやく、ここまで来た。長きにわたり抗い続けた魔女が、ついに絶望へと屈したのだ。
ソレは、彼女の心が完全に折れるこの瞬間を、何よりも待ち望んでいた。
「悪趣味なやつだね……」
彼女は、ゆっくりと右手を持ち上げた。
指先に、黒い光が灯る。それは世界の理に干渉し、あらゆるものを無へと還す力。そういう類のものが、彼女の手に宿る。
ソレがローズに与えた力であり、彼女自身もその力を振るうと世界がどうなるか、よく分かっている。
彼女は人間を救うために戦った、人間を信じようとした。
何度裏切られても、何度傷つけられても、それでもなお、彼女は人間を見捨てなかった。
だが、その結果が--。
「……もう、疲れたよ」
ぽつりと零れた言葉は、誰に届くこともなく消えていく。
人間という種を、この世界から消し去る。
争いも、憎しみも、裏切りも、二度と生まれない世界にする。
「もう、終わりにしよう」
虚空に潜む気配が、微かに揺らいだ。
『ソレデイイ』
その短い返答を受け、彼女か腕を振り下ろす……その瞬間だった。
「ダメだよ」
「--っ?!」
その声に、ローズは振り下ろそうとしていた手を、ぴたりと止めた。
忘れるはずがない。
忘れられるはずがない。
だって、それは――。
「……シロイくん?」
彼女の唇から、かすれた声が零れ落ちた。
しかし、周りを見渡しても、そこに少年の姿はない。あるのは、ただ静寂だけ。
「……分かっているよ」
自分の望んだ幻聴だ。
自分の中のかろうじて残っている理性の囁きだ。
そんな事は分かっている。
痛いほど分かっている。
シロイ君は死んだ。もういない。
自分のせいで。
自分が救えなかったせいで。
「それでも……」
ローズは、再び顔を上げた。
黒い光を宿した手を、再びゆっくりと持ち上げる。
「それでも、私は……」
彼女の指先が、わずかに動く。その頬には涙が伝っている。
「……ごめん、なさい」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
死んだ少年にか。救えなかった人々にか。
それとも、かつて人間を信じていた自分自身にか。
ローズは目を閉じ、手を振り下ろした。
黒い光が、瞬く間に世界を覆い尽くした。




