【1】who's crazy?〜誰が狂っているの?〜
森の奥の小さな白い家。
小さく古ぼけたその家には、悪い『魔女』が一人で暮らしている。
悪い『魔女』は、森から出ることができない。
ずっと森の中。
だから、僕たち人間は森に入ってはいけない。
魔女の姿を見た人間は、どこかおかしくなってしまうから。
大人たちは、みんなそう言っている。
ーー本当に?
本当さ。
この街に住む人間ならみんな知っていることだよ。
大人たちは、みんなそう言っている。
だから『魔女』はいつも一人。
だから『彼女』はいつも一人。
街で起こる悪いことは、全部『魔女』の仕業なのさ。
人の心に『悪意』が生まれる時、それは『魔女』が悪い魔法で誘惑しているんだ。
悪人なんていない。
悪いのは全て『魔女』なのだから。
先週、人が死んだ。
街で一番大きな雑貨屋の店主が、滅多刺しにされていたという。
唯一の目撃者である、雑貨屋の副店主がいうには、
「森の方から急にナイフが飛んできて店主を襲った。あれは間違いなく魔女の仕業だ」
これで終わり。
誰もなにもしない。
目撃者の副店主は、雑貨屋の店主になった。
ーー◯っている。
通っている学校に行く。
昼食後の授業は決まって『魔女』 の話だ。
ただみんなで魔女について語り合うだけの授業。
魔女の悪事について。
魔女の醜さについて。
魔女の殺し方について。
今日も、昨日と同じような話を繰り返している。
午前中はバカなことを言っていたお調子者の彼も、この授業だけは真剣に取り組んでいる。
いつもニコニコしている可愛い彼女の口から、惨たらしい殺し方が提案されている。
これがこの国の教育。
ーー狂っている。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「って僕は思うんだよね」
「いやいや、シロイ君。街の人たちからするとね、変のは君の方なんだよ」
ここまで黙って話を聞いていた彼女は、綺麗な青い目細めてククッと笑った。
僕は手に持ったカップの中身を一気に煽り、空になったカップを少し強くテーブルに置いた。
向かい合って座る彼女に反論する。
「違う!おかしいのはみんなの方なんだ」
「キミは困った子だね、まったく。……そんなこと誰にも言ってはいけないよ。森の魔女は間違いなく“悪”なんだ。そんなことよりも紅茶のお代わりはどうだい?」
「もう!ローズがそんなだからーー」
「いいんだよ、私はこれで」
そう言って優しく微笑みながら、彼女……ローズは、ティーポットからカップに紅茶を注ぐ。
ローズがこうやって話をそらす時、僕が何を言っても無駄であることは、今までの経験から学んでいる。
「さて、この一杯飲んだらもう帰りなさい。今日は私も忙しいんだ」
「することなんてないクセに、よく言うよ」
「失礼なことを言うなぁ、キミは。こう見えて私の多忙っぷりは凄いぞ、それこそ山のように仕事がある。いいから大人しく帰りなさい」
しっしと犬でも追い払うようにローズは僕に手を振る。
彼女は僕が遊びにくることをあまり歓迎していない。いつも何かしら理由を付けてすぐに帰そうとする。
そんな彼女に、僕はカバンから用意してきたモノを取り出して小さく呟くのだ。
「あ、そういえば。今日はこの間の本の続きを持って来てたんだった。もう帰るならこの本はーー」
「いやなに、まだ日も明るいのだ。ゆっくりしていきたまえ」
この変わり身の速さは見習うべきなのだろう。
なにぶん暇を持て余している彼女である。
前に来た時に、たまたまカバンに入っていた本を彼女に差し出してみたところ、
『本とは……!素晴らしいセンスだよ、シロイ君。人の最も素晴らしい技術は文字であり、その文字が紡ぐ物語は至高のーー』
と、彼女らしからぬ程、喜ぶ姿を目撃することになったのである。
そこで、今日は長居を決め込むつもりだった僕は、対ローズ用の切り札として、本を持ってきたのだ。
「そんなに喜ばれるなんて本冥利に尽きるだろうね」
「ありがたく」
はいっとローズに本を渡すと、彼女は嬉しそうに瞳を輝かせて受け取った。
そして、
「よかったら今朝焼いたクッキーも食べるといい」
彼女はそう言うと、何もない宙に手を翳す。
すると、その空間に真っ黒な穴が空き、彼女はその穴に手を入れて、クッキーが乗せられた皿を取り出した。
「魔法の無駄遣いだ」
「今は気分がいいから構わんよ」
僕の指摘にも、彼女は涼しい顔だ。
「いやはや、本当に悪い人間とはキミのことなのかも知れないな」
いやはや、心外である。
僕のような善人はそうそういないと自負しているのに。
「ふーん、じゃあ今度からは持ってこないね」
「シロイ君、思い直すんだ。私にとって本はーー」
そこまで言ってから、ローズはハッとした顔をした後、苦い顔になった。
そして、柔らかく寂しそうに微笑んだ彼女は、いつものように僕に言うのだ。
「そうだ思い直せ。ここに来てはならぬと言っているだろう?」
『魔女』
森の奥の白い家に住んでいる彼女のことを、僕以外の人間はそう呼んでいる。




