who is crazy?〜誰が狂っているの?〜
森の奥の小さな白い家。
本当に小さくて古ぼけたその家には、悪い『魔女』が一人で暮らしている。
悪い『魔女』は、森から出ることができない。
ずっと森の中。
だから、僕たち人間は森に入ってはいけない。
魔女の姿を見た人間は、どこかおかしくなってしまうから。
大人たちは、みんなそう言っている。
ーー本当に?
本当さ。
この国に住む人間ならみんな知っていることだよ。
大人たちは、みんなそう言っている。
だから『魔女』はいつも一人。
だから『彼女』はいつも一人。
街で起こる悪いことは、全部『魔女』の仕業なのさ。
人の心に『悪意』が生まれる時、それは『魔女』が悪い魔法で誘惑しているんだ。
悪人なんていない。
悪いのは全て『魔女』なのだから。
先週、人が死んだ。
街で一番大きな雑貨屋の店主が、滅多刺しにされていたという。
唯一の目撃者である、雑貨屋の副店主がいうには
「森の方から急にナイフが飛んできて店主を襲った。あれは間違いなく魔女の仕業だ」
これで終わり。
誰もなにもしない。
目撃者の副店主は、雑貨屋の店主になった。
ーー狂っている。
通っている学校に行く。
昼食後の授業は決まって『魔女』 の話だ。
ただみんなで魔女について語り合うだけの授業。
魔女の悪事について。
魔女の醜さについて。
魔女の殺し方について。
今日も、昨日と同じような話を繰り返している。
午前中はバカなことを言っていたお調子者の彼も、この授業だけは真剣に取り組んでいる。いつもニコニコしている可愛い彼女の口から、惨たらしい殺し方が提案されている。
これがこの国の教育。
ーー狂っている。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ーーって僕は思うんだよね」
「いやいや、シロイ君。街の人たちからするとね、変のは君の方なんだよ」
ここまで黙って話を聞いていた彼女は、綺麗な青い目細めてククッと笑った。
僕は手に持ったカップの中身を一気に煽り、空になったカップを少し強くテーブルに置いて、向かい合って座る彼女に反論する。
「違う。おかしいのはみんなの方なんだ」
「困った子だね、まったく。そんなこと誰にも言ってはいけないよ。森の魔女は間違いなく“悪”なんだ。そんなことよりも紅茶のお代わりはどうだい?」
「……もう! ローズはいつもそうだよね!」
「はいはい。どういたしまして」
優しく微笑みながら、彼女はーーローズは、ティーポットからカップに紅茶を注ぐ。
ローズがこうやって話をそらす時、僕が何を言っても無駄なことは今までの経験から学んでいる。
「さて、この一杯飲んだらもう帰りなさい。今日は私も忙しいんだ」
「することなんてないクセに、よく言うよ」
「失礼なことを言うなぁ、君は。こう見えて私の多忙っぷりは凄いぞ、それこそ山のように仕事がある。ほらほら大人しく帰りなさい」
しっしと犬でも追い払うようにローズは僕に手を振る。
彼女は僕が遊びにくることをあまり歓迎していない。いつも何かしら理由を付けてすぐに帰そうとする。
だから、僕はカバンから用意してきたモノを取り出して小さく呟くのだ。
「あ、そういえば。今日はこの間の本の続きを持って来てたんだった」
「なに、まだ日も明るいことだ。ゆっくりしていきたまえ。よかったら昨日焼いたクッキーも食べるといい」
彼女はそう言うと、虚空からクッキーが乗せられた皿を取り出した。
この変わり身の早さは素直に見習いたい。
なにぶん暇を持て余している彼女だ。
ある時、たまたまカバンに入っていた本をお土産がわりに貸したところ、
『こ、これは……! まあ、暇つぶしにはなるかな、うんうん!』
と、彼女らしからぬほど喜ぶ姿を目撃することになった。
それ以来、僕はこうして対ローズ用の切り札に本を持ってくるようになったのだ。
はいっとローズに本を渡すと、彼女は嬉しそうに瞳を輝かせて受け取った。
「いやはや、本当に悪い人間は君かも知れないな」
いやはや、心外である。僕のような善人はそうそういないと自負しているのに。
「ふーん、じゃあ今度からは持ってこないね」
「それは困る! 思い直しーー」
そこまで言ってから、ローズは思い出したように言葉を止める。
そして、柔らかく寂しそうに微笑んだ彼女は、いつものように僕に言うのだ。
「そう思い直せ。ここに来てはならぬと言っているだろう?」
『魔女』
森の奥の白い家に住んでいる彼女のことを、僕以外の人間はそう呼んでいる。