第24話:完全な安全パトロールと立入禁止措置
——翌日、火曜日。
現実時間の時計が十八時を回ったのを確認し、私は手早く夕食の支度を済ませてからVRデバイスを装着した。
「おはようございます、ミネルヴァ。本日の業務ログイン、開始します!」
視界が光に包まれ、お馴染みの転移スキップエフェクトが晴れていく。
無機質なローディング画面から一転、私の目の前に広がったのは、昨日自らの手で造り上げた『巨大なすり鉢状の荒野』だった。
かつて赤黒いマグマが煮えたぎっていたカルデラの底は、今や数百万トンの土砂によって完全に埋め立てられている。
一番底の深い部分には、自らの放った超高熱によって粘土質の土砂を焼き固め、自分専用のセラミック製棺桶を作り上げてしまった神の尖兵——イフリートが、静かに(そして物理的に)眠っているはずだ。
「よしよし。今日も現場は整理整頓が行き届いていますね」
私は安全靴の踵で、足元の地面を軽く蹴ってみた。
カツンッ、と硬質な音が響く。
イフリートの異常な熱量と、数百万トンの土砂の圧力が複合的に作用して生まれた『精製鉄とスラグ(鉱石の残渣)』の混合地盤。
一晩経って完全に冷却されたそれは、まるで宇宙船の装甲板のように黒光りし、一切の隙間なくカルデラの斜面をコーティングしていた。
「ミネルヴァ、昨晩施工した斜面の状況報告をお願いします。崩落の兆候はありませんか?」
『はい、。現在の斜面剛性および摩擦係数の再測定を完了しました。設計上の安息角に対して、誤差は引き続き0.02%以内をキープしています。地盤の沈下や、自然崩落の兆候は一切見られません』
「素晴らしい! 施工品質は極めて良好ですね」
『対象オブジェクト【イフリート】が埋まった最深部における熱源反応も、完全にゼロのままです。再発火の危険性はありません』
ミネルヴァの淀みない報告に、私は満足げに頷いた。
土木工事において、施工後の『定点観測』は非常に重要な業務である。
特に今回のように、数百万トンという規格外の質量を流し込んだ大規模な地形改変(あるいは不法投棄)を行った後は、地盤が落ち着くまでに予期せぬひび割れや崩落が起きるリスクがあるからだ。
だが、私の計算した完璧な安息角と、イフリートという『無料の特大溶接バーナー』を利用したエコ施工は、完璧に機能していた。
「いやあ、本当に良い仕事をしました。これなら、どんな重機を走らせてもビクともしませんね。……ん?」
私が自画自賛しながら斜面を見下ろしていた、その時だった。
**ズズズズズズンッ……!!**
突如として、遠くの地平線の彼方から、腹の底に響くような重低音が響いてきた。
それは単なる地震ではない。
何か巨大な構造物が、連続して破壊されているような、人工的で暴力的な振動だった。
「……発破作業ですか?」
私が顔を上げると、どんよりと濁った空の『テクスチャ』の一部が、不自然にノイズを走らせていた。
赤黒いポリゴンの欠片が、バグったように明滅を繰り返し、空の向こう側——本来なら隣の工区エリアがあるはずの方角で、不気味な光の柱が何本も立ち昇っているのが見えた。
『警告。遠方座標にて、大規模なシステムエラーおよびオブジェクトの破壊活動を検知。サーバーへの負荷が急速に増大しています』
「ずいぶんと派手にやってますねぇ……」
ミネルヴァが警告音を鳴らすが、私は呆れたようにため息をついた。
おそらく、あの光の向こう側では、この世界の崩壊を司るような恐るべきイベントが進行しているのだろう。
魔王の復活か、邪神の降臨か、あるいは過激派のプレイヤーが街を一つ丸ごと吹き飛ばしているのか。
だが、私にとっては知ったことではない。
「隣の工区の業者、あんなに大規模な発破ダイナマイト作業をするなら、事前に『特定建設作業実施届出書』くらい回してくれればいいのに。まったく、最近の業者は近隣への配慮が足りません」
『、対象の破壊活動は、正規のシステム挙動から大きく逸脱しています。世界そのもののデータが——』
「それに、あんなに派手に地形を吹き飛ばしたら、凄まじい粉塵が舞い上がりますよ。防塵シートの設置や、散水車の手配はちゃんとしているんでしょうか? もしこっちの現場までホコリが飛んできたら、クレームを入れてやりますからね」
世界の危機を『近隣の迷惑な解体工事』として完全にスルーし、私はヘルメットのツバをクイッと押し上げた。
他所の現場の安全管理システム(バグ)にまで口を出す義理はない。
私が責任を持つべきは、今自分が立っているこの現場だけだ。
「……とはいえ、隣があんなに騒がしいと、何かの拍子に一般人(他のプレイヤー)がこちらの工区に迷い込んでくるかもしれません」
私はぐるりと、すり鉢状になった広大なカルデラを見渡した。
すり鉢の直径は数キロメートルにも及ぶ。
斜面は強固にコーティングされているとはいえ、もし足を踏み外せば、一番底(イフリートの墓標)まで一直線に滑り落ちてしまう見事な蟻地獄だ。
「もし、事情を知らない人がこの斜面に落ちて怪我でもしたら、重大な労働災害インシデントになってしまいます。現場の責任者として、それは絶対に見過ごせません!」
『の提案する、次なるアクションは何でしょうか?』
「決まっています。安全第一! 誰の目にも明らかな『仮囲い』と『立入禁止措置』の実施です!」
私はインベントリから一枚の板を取り出し、天高く掲げた。
「システム起動! CAD、展開します!」
ピピッ、という電子音と共に、青く発光する半透明のホログラムウィンドウが空中に展開される。
私は慣れた手つきで空中に浮かぶキーボードを叩き、インベントリ内の素材データを合成・再構築していく。
「まずは、現場の境界線を明確にするためのポール(単管パイプ)を出力! 続いて、視認性の高いトラロープを生成!」
私がコマンドを打つとと、カルデラの縁——すり鉢の最も高い外周部分に沿って、等間隔に鉄のポールがズラリと突き刺さっていった。
そして、そのポール同士を繋ぐように、黄色と黒の極彩色で彩られた『トラロープ』が、空中でシュルシュルと編み込まれていく。
ファンタジー世界にはおよそ似つかわしくない、どぎつい警戒色が荒野にラインを引いていく。
「まだまだ! 注意喚起の看板も必要ですね! テキストデータ入力……『立入禁止』! 『開口部注意』! 『頭上・足元ヨシ!』」
タブレットの先端から青い光が撃ち出され、トラロープに沿って空中に巨大なホログラムの看板が次々と浮かび上がった。
明朝体の極太フォントで赤々と光る【立入禁止(KEEP OUT)】の文字が、荒涼としたカルデラの空にシュールに輝く。
「よし! あとはこれを、カルデラ全体を囲うように設置していくだけです!」
私は満足げに頷き、安全靴を鳴らして歩き始めた。
カルデラの外周は数キロに及ぶ。当然、歩いて回るだけでもかなりの時間がかかる。
普通なら退屈で仕方がない『単調な移動作業』だろう。
だが、私にとっては、このトラロープを張り巡らせる地味な作業こそが『至高のゲーム体験』だった。
「1メートル間隔でポールヨシ! ロープのたるみ、ヨシ! ホログラムの視認性、ヨシ!」
誰もいない、草木一本生えていない孤独な荒野。
そこでただ一人、黄色と黒のロープを張り、労働安全衛生法(自己ルール)を遵守するためだけに延々と汗を流す。
端から見れば狂気の沙汰かもしれないが、現場が少しずつ『安全で管理された空間』へと変わっていく過程は、私にえも言われぬ達成感を与えてくれた。
「ふふふ……いいですね。これこそが、大人の休日の正しい過ごし方です」
私は鼻歌交じりに、次のポールを打ち込む。
火曜日の夜。
静かに狂っていく世界を尻目に、私の徹底した『安全パトロール』は、定時までみっちりと続けられたのだった。




